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29-37 アキヒコ

 …………。なんて言うねん⁉︎  全然考える(ひま)なかったやないか⁉︎  お前が、デートみたいですねとか、ホテル行こかとか言うからやな、一個(いっこ)集中(しゅうちゅう)できひんかったんやないか、瑞季(みずき)! 「行くわ! 今さら帰れるか」  俺はヤケクソで答え、瑞季(みずき)はにっこりとした。 「よかった。一人で帰るの(いや)やったんです。いつもこの(せん)()えるあたりで、しんどくなってまうねん。三万年()っても変わらんな……」  地面の舗装(ほそう)に使われているタイルの模様(もよう)のことを言うてんのやろう。瑞季(みずき)は足元の模様(もよう)を見ながら、また歩き出した。  良かった、犬動いた。ほんまに首輪(くびわ)つけて引っ()らなあかんのかと思うとこやった。  その後はもう、瑞季(みずき)はすたすた軽快(けいかい)に歩き、(かよ)()れた道のりをあっという()踏破(とうは)した。  パルテノン神殿(しんでん)や。夜にはなんとライトアップされている。これは何のギャグやと、俺はヴィーナス(ぞう)水瓶(みずがめ)持ってる噴水(ふんすい)のある(いけ)に、七色のライトが()らめいているのを(なが)め、絶句(ぜっく)してた。  これは、確かに、近所ではちょっと有名な家やろな。  京都では絶対ありえん、景観条例(けいかんじょうれい)のお役人(やくにん)さんが怒鳴(どな)()んでくる(たぐい)違反(いはん)建築(けんちく)や。こんな家あるねんな。  前回来た時は、俺も心が死んでいて、何も深くは感じてへんかった。  変わった家やなと思うただけやったんやけど、これ、すごいわほんま。  (かぎ)をチャラリと出して、行くか、と()う顔を瑞季(みずき)は見せた。  お、おう、行こか!  俺もっとマシな格好(かっこう)してくるべきやった?  でも、大学の先輩(せんぱい)やったら、こんなもんやろ。カジュアルなもんやろ。  俺は大学の先輩(せんぱい)なんか? そういう立場(たちば)でええのか?  もう(わけ)分からんやないか。  ガチャリと門の(かぎ)があき、ウネウネと必要以上に曲がりくねるつづら()りの玄関(げんかん)スロープを、瑞季(みずき)一切(いっさい)無視(むし)して直線コースを歩いてパンジーの植え込(うえこ)みをひょいひょいと飛び越(とびこ)えていった。  そうやって入るんか、この家は。無駄(むだ)やない⁉︎︎  この白大理石の道、いらんのと(ちが)うか⁉︎︎  まあええか他人様(ひとさま)の家や……。  そして金無垢(きんむく)のドアが現れ、それがパルテノン神殿(しんでん)の入り口やった。  玄関(げんかん)ホールはガラス張りの吹き抜(ふきぬ)けで、クリスタルの(きら)めくシャンデリアが下がり、その横に続くリビングルームも、庭に面する(かべ)が全部ガラス張りになっていて、ところどころギリシャ神話モチーフのステンドグラスになっていた。  ゼウスが、アポロンが、バックライトに()らされ、(あや)しく(かがや)いている。  ここは何のアトラクションなんや……? 瑞季(みずき)、お前はここで育ったんか?  俺には考えられへん。景趣(けいしゅ)もなんもない庭で、意味わからへんゼウスがいてて、ドアは金色や。  俺んち、竹垣(たけがき)とかやで。網代壁(あじろかべ)やで。  あまりにも(ちが)う世界で育ったんやなあ、俺とお前は。  Suguroとすごい(かざ)り文字で表札(ひょうさつ)のついている玄関(げんかん)ドアを開けるため、瑞季(みずき)は家の(かぎ)(にぎ)り、鍵穴(かぎあな)に持っていったが、そこでぴたりと手を止めた。  呼吸(こきゅう)が早い。顔色も、真っ青やった。 「どうしたんや。大丈夫(だいじょうぶ)か?」  俺は小声で声かけた。すると瑞季(みずき)は、無理やというふうに、小さく首を()って見せた。  何が無理や。(かぎ)が変わってでもいるんやろうか。  俺がそんなことを考えていたら、家の(まど)から怒鳴(どな)り声がして、陶器(とうき)()れる(はげ)しい音がした。 「犬を家に入れんな言うとるやろ、このアホが!」  びくっと引きつり、瑞季(みずき)はゼウスのいる方を見た。  稲妻(いなづま)(やり)を持った半裸(はんら)のおっさんが、LEDの後光(ごこう)背負(せお)い、何かを恫喝(どうかつ)するようなポーズをしてる。  なんかあれ、変やな。変な絵や。  顔がな……。何というか、日本人やねん。ギリシャ神話やのにな、ゼウスが日本のおっさんやねん。しかもリアルや。彩色(さいしき)ガラスでな、写実的(しゃじつてき)やねん。気色悪(きしょくわる)い。 「お父さん……」  青ざめた顔で、瑞季(みずき)(つぶや)き、ゼウスを見ていた。  その絵がまるで、生きてるみたいにや。  屋内(おくない)からの声はまだ続いていて、ものの(こわ)れる音、怒鳴(どな)り声、小型の犬の悲鳴のような鳴き声がして、やめてと泣く女の人の声がした。 「お母さん……」  (おび)えるふうな瑞季(みずき)の体はもう、明らかにガタガタ(ふる)え、見開いた目は軽く充血(じゅうけつ)した(なみだ)目やった。  ワレが(あま)やかすさかい、あの餓鬼(がき)が調子こいて人殺しなんかしよるんや。美大(びだい)行きたいてワガママ言いよるから、特別許してやったのに、俺を()めくさって……死んで()びろ!  俺の会社に迷惑(めいわく)かけよって、あの餓鬼(がき)、死んでりゃええが、生きて帰ったら、どないしてくれようか。  死んだほうがマシやいう目にあわせたる……。  そういう(おに)の声がして、女の人が(あやま)る、ひたすら(あやま)る声がした。  あの子はもう死んでます。どうせ(ひろ)ってきた子やったんやないの。ウチのせいやない。新しい、次はもっとええ子を(もら)うてくるから、堪忍(かんにん)してください。堪忍(かんにん)してって。

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