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29-45 アキヒコ
そういう抱 き合い方やと、満 たされへん。
何か、こう、悪いことみたいや。何かを盗 んで食うてるみたい。
亨 はそのせいか、このところずっと飢 えてて、隠 れて頻繁 に俺の血を吸 うようになった。
普段 はにこにこして、元気なんやけど、こうして二人きりになる瞬間 が来ると、亨 は必死の目をして、俺を貪 ろうとするんや。今みたいに。
俺もそうやと思う。
自分の血の味がする、亨 の唇 を割 って、乱暴 なキスをして、服脱 がせるのももどかしい。
時間がない。時間がないんや。
永遠 に生きるのに、なんでこんなに、時間がないんやろ。
「アキちゃん好き」
俺の耳元 に、亨 が教えてくれた。
その熱い息に、頷 いて答えるしか余裕 がなくて、俺はやるつもりやった。ここで抱 く。
アキちゃん玄関 でやろかって、一緒 にここで暮 らし始めた最初の頃 に、亨 が面白がって誘 うた時には、アホかって思ってたんやけど、今、それやな。滑稽 やわ。
「アキちゃん、ゆっくりやって。ゆっくりしたいんや」
亨 が俺に押し倒 されながら、そう頼 んできた。俺は性急 すぎたか。焦 ってんのやな。
分かった。ゆっくりやろうな。
そうしようって思うのに、体の方は我慢 がきかへん。
亨 の脚 を開せて、必死に押 し入 ろうとしてる。
こんなの気持ちええわけないな。亨 は苦悶 の顔やった。
それでも必死で快楽 を追ってる表情が、白い汗 ばんだ額 に浮 いてて、それが怖 いぐらいに綺麗 に見えた。
「亨 ……好きや」
久しぶりに言うた気がする。
俺が教えると、亨 は薄 く目を開き、頷 いた。
そしてまた深い快楽に潜 っていこうとする白い蛇神 を、俺は責 めることにした。
ああ、気持ちいい。悦 くなってきた。
抱 き慣れた亨 の体が、だんだん解 れてきて、ひと突 きごとに甘 く溶 け合う愉悦 に満 たされる。
ああ、と小さい声で、亨 が喘 いだ。それだけで、俺の心が熱く震 えた。
亨 。亨 。お前が好きや。愛してる。愛してる、って。
そういう没入 の世界におったんやろな。
ドアが開くまで気づかへんかった。
瑞季 が帰ってきたことに。
亨 は夢中 になっていて、どこか朦朧 としてた。
俺だけが、唖然 と目を見開いた瑞季 の視線 と出会 うてもうて、息を飲んだ。
ドアはバタンとすぐ閉 じた。画帳 か何かを取り落としていく音がけたたましく聞こえ、走る瑞季 の足音が、あっという間 に遠ざかっていく。
苦しい。
とても、もう、無理。
亨 は何が起きたか知ってんのかどうか、はあはあ苦しげな呼吸 のまま、目を開き、天井 を見上げていた。
口元に、さっき吸 うたばかりの俺の血が、まだぬらぬら濡 れた色のまま、鮮 やかに残っていた。
金色に光ってた亨 の目が、すうっと、いつもの人間みたいな目に戻 っていた。
「犬やな……今の」
もう、燃 えてはいない。そういう声で亨 は呟 いた。
「めっちゃ萎 えたな、アキちゃん」
そうやな。あかん。もう、しんどいわ。
もう無理。無理。無理や俺にはもう、平気なふりはできひん。
もう嫌 や。
たとえこれが自分の蒔 いた種でも、もうつらい。
もう、どこか遠くへ逃 げてしまいたい。
亨 と、二人で、どこか遠く、誰 もいてへん二人きりの世界へ逃 げて、そこで心ゆくまで亨 の笑顔を見ていたい。
そんなもんは俺のワガママ。俺がクソ。どうしようもない奴 。死ねばよかった。もう、取り返しのつかんアホや。
「アキちゃん……あんまりマジにならんとき。またゲー吐 くで」
何がおもろいんか、亨 は腹 震 わせて笑うてた。ちょっとヤケクソみたいやった。
「これ生殺 しやな、二人揃 って、蛇 の生殺 しやわ。今さら勃 たへん。もう……瑞季 ちゃんめ……」
軽く藻掻 くように顔を覆 って、亨 は苦しんでた。
俺も苦しい。けど、まさか今から続きやろうかという気分やなかった。
「犬、追いかけんでええの」
「無理や。裸 やもん」
俺は言い訳 していた。嫌 やっただけや。
だって、追いかけてって何て言うんや。
あれは誤解 やとか、説明 させてくれとか言うんか。
何も誤解 はない。俺は亨 が好きや。好きでたまらんのや。
そやから抱き合いたかっただけや。
かたく抱 きしめて、深く交 わり、溶 け合 いたい。それだけのことや。
何で俺がそれを、後ろめたく思う必要がある。
亨 は俺のもんやし、俺は亨 のもんやないか。
確 かに、場所はまずかったわ。すまんことをした。
俺も亨 も、あともうちょっと辛抱 して、寝室 まで行くべきやった。あとちょっとの、その配慮 がなさすぎた。
ごめんな、って、言うんか?
そんな話、あいつは聞きたいやろか。
俺は話したくない。あいつと二人きりになりたくないんや。
あいつは全然、俺のことを諦 めてはいない。
むしろ真逆 で、あれから毎日、口説 いてくるわ。あの京橋 の夜と同じ。
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