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29-51 アキヒコ
何で来るって知っとったんや。言うてくれ亜里沙 。
お前、天界 情報握 ってんのやったら、先、言うてくれ。
俺、またもや死ぬほど苦しんだわ。
瑞希 を精神的 にぶっ殺しかけてたやんか。俺も死んでたで、何パーセントかは確実に死んだ。
だけどもう、大丈夫 や。俺は絵を描 く。
これから描 くのは、自画像 やった。二枚 描 く。一枚 は、水煙 のため。もう一枚 は、瑞希 のためや。
二枚 はほとんど同じ絵やった。絵を描 いている俺やったり、剣 の稽古 をしてる俺やったりや。
瑞希 は絵描 いてる俺のほうが好きやろか。
水煙 は、剣道 かな。
それに全身全霊 の想 いを込 めて、俺はその絵に、自分がずっと禁じてきた想 いを、封印 した。
愛とか、欲望 とか、切 なさとか、苦しみや悩 みも込 めて、これが俺やって絵を描 いた。
水煙 、これが、お前を心から想 うてる俺や。
瑞希 、この俺はお前しか愛してへん俺や。
お前だけを見て、お前だけを抱 きしめたいと願 ってる。そういう男の絵や。
それは俺やない? そうなんかな。そうかもしれへん。
俺はもう、亨 一筋 って決めたんや。
あいつと寝 ながら、水煙 どうしてるかな、瑞希 は大丈夫 かって、考えるのをやめたい。しかしその想 いを捨 てるのは不実 やろ。
そうやったら、別のところに大事 に置いておけばええんや。
その絵は、お前に預 けるわ、瑞希 。大学で、一心不乱 に絵を描 いてる俺や。
お前を見ている。そういう視線 で、こっちを見てる俺の絵を、俺は朝までかかって神速 で描 き上げ、朝日がさす頃 、もう死にそうになってた。
アキちゃん、全身全霊 を使い切ってもうたわ。
帰って寝 たい。亨 と寝 たい。ただ本当に寝 るだけで寝 たい。俺、疲 れてもうた。
でも全力を出し切って、俺の心に悔 いはなかった。
もう、亨 をひとりで泣かせたりしいひん。俺は決心したんや。
あいつだけを愛して、あいつだけにキスして、生きていくんや。もう迷 わへん。
「いい絵やわ……うちも描 いてもらいたかった」
できあがった二枚 の絵を見て、聖 トミ子は涙 ぐんでいた。
「ごめんな……ヘタってもうて。また今度描 くんでええか?」
「ええよ……うち、いつまでも待つえ」
お互 いお前も永遠 に居 る系 やもんな。
何も今日でのうてもええよな。
ありがとう、待っといてくれ亜里沙 。俺、お前のことも愛してたと思うわ。
その愛も、お前に預 けておきたいわ。捨 てたり消したり、したくないんや。
「俺にも描 いてもらわれへんやろか」
感動して泣いてる苑 先生が、いい絵や、いい絵や、と言って、朝の絵画室 で涙 を流していた。
なんで教授 が俺の渾身 の自画像 を欲 しいんや。
悪いけど教授 のことは別に愛してません。一パーセントくらいでいいなら描 くけど、先生、一(はじめ)ちゃんやし、キリよく一パーセントでええんやないですか。
「自分で描 いてください。どうしてもって言うんやったら」
床 にぶっ倒 れたまま、俺は先生にそう言うた。
「えっ、描 いてええのんか?」
あかんか? 自由やろ、何を描 こうが。
描 いたらあかんもんなんて、この世にあるんか?
先生いつも、京野菜 ばっかり描 いてはるけどな、それもいいと思うけど、他のも描 いたらええやん。
絵上手 いのやし。描 いてみてください。
できたら見してほしいなあって、俺は言うて、寝 てもうたらしい。
俺も床 で寝 てもうた。人間らしい生活やない、どないしよ。
「先輩 ……なにこれ……ええ絵やな……なんか俺、感動 しました」
絵の俺と、瑞希 が話してる声がしてた。
なんで俺やのうて、そいつと話すんや。
俺は寝 てもうてるからやろな。俺に言うてんのやし、絵の男にも言うてんのや。
頼 むで。絵の男。本間 先輩 。瑞希 を幸せにしてやってくれ。
俺にはでけへんかった、あいつの望む幸せで、可哀想 な犬を包 み、抱 きしめてやってくれ。
願わくは慈悲 深 い天地(あめつち)よ、俺のこの無茶 な祈 りを聞き届 けてください。
俺は皆 でハッピーエンドを迎 えたいんや。皆 で笑って生きていきたい。
もう、涙 を見るのはたくさんや。
泣いてええのは、不死鳥 だけやで……。
俺は眠 り、深い深い闇 の、青く光る熱い、そして凍 えるような、天地 の力の渦巻 く鬼道 の世界に落ちた。
そこでは上も下もなく、星が生まれ、龍 が飛 び交 っていた。
鯰(なまず)が蠢 き、狂骨 が踊 る。そういう世界やった。
俺はそこで夢を見た。
見たらあかんて、おかんにいつも怒 られたもんやったけど、見てもうた。
ぷうんと甘 い、蜜柑 の匂 いがしてて、熱い霊泉 の流れの向こうから、どんぶらこ、どんぶらこと、大きな玉(ぎょく)が流れてきた。
その中に、小さい男の子が座 っていた。
アキちゃん、と、その男の子は舌 っ足 らずな言葉で、俺を呼 んだ。
俺とどことなく似 た顔の、巻 き毛 の男の子やった。
素 っ裸 の、生まれたままの姿 で、そこに座 ってる。
生まれたままとちゃうな、これから生まれる姿 やったんやな。
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