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29-53 アキヒコ

 俺にはいつも、お前が必要やで、水煙(すいえん)。  そうやけど、そういう愛の(ささや)きはもう、俺の自画像(じがぞう)(まか)せよう。  ただの絵やと、思うやろ。それが案外(あんがい)、そうでもないんや。 「犬はどうした、アキちゃん。連れていくんやろ?」  (しぶ)い顔して、(とおる)瑞希(みずき)がいてへんことを俺に教えた。  あいつは部屋に()るんやろう。そこらで()かす(わけ)にはいかへん。  俺は書斎(しょさい)として使(つこ)うてた部屋(へや)の中身を全部処分(しょぶん)して、そこを瑞希(みずき)の部屋にした。  ちょっと手狭(てぜま)かもしれへんのやけど、リビングを(はさ)んで向こうの(はじ)やし、ほどほどに遠い。俺と(とおる)寝室(しんしつ)からは。  それに、絵をかけられる(かべ)も用意した。  そこに俺があいつにやった、俺の自画像(じがぞう)がかかっている。 「()んできて」  (とおる)は俺に押し付(おしつ)けた。 「なんでや。俺が行くの微妙(びみょう)やで」 「俺かて微妙(びみょう)や。お前が行け」  絶対(いや)やでっていう顔で、(とおる)は俺に押し付(おしつ)け、腕組(うでぐ)みをして()を向けた。  それでも(おこ)ってるわけやない。ちょっと()ねてみせるだけ。  (とおる)はな、瑞希(みずき)が持ってるあの自画像(じがそう)に、()いてんのや。  理由(わけ)は行ったらわかるやろ。  俺はリビングのドア開けて、廊下(ろうか)に出ると、その向こう側にある瑞希(みずき)部屋(へや)のドアを、三回ノックした。  それでも答える声はなく、俺が腕時計(うでどけい)を見たら、もう朝の9時を回ってる。  (はよ)う行かな、午前中が終わってまうで、瑞希(みずき)。  しょうがない。俺はもういっぺんドアを(たた)き、それから開けた。  ひゃ、と小さい声が聞こえて、瑞希(みずき)はびっくりしていた。  お前、ノック聞こえへんかったんか?  俺は(あき)れて、まだ()(ぱだか)布団(ふとん)(もぐ)ってた、勝呂(すぐろ)瑞希(みずき)のぐちゃぐちゃの頭を戸口(とぐち)から見た。 「嵐山(あらしやま)行くで。お前どないするんや」 「あ……、よかったら(ほう)っていってください」  ()ずかしそうに、瑞希(みずき)は俺に言い、あっそと俺は思った。  しゃあないな、今は満月(まんげつ)の時期やもん。  お前のその絵も、元気になってるんやもんな。  俺は布団(ふとん)の中で瑞希(みずき)(となり)に身を横たえる、自分によう()た絵の男を見た。  よう()けたわ。(わが)ながら傑作(けっさく)や。  そいつは絵の中から、時々出てくる。  瑞希(みずき)()ぶと、出て来るらしいわ。  それに最初に気がついたのは、瑞希(みずき)やのうて水煙(すいえん)やった。  アキちゃん、あの絵は生きてるでと、水煙(すいえん)は俺に教えた。  なんでそれが分かったんやと(たず)ねたら、ある満月(まんげつ)の夜、()いた(じく)の中から()ぶ声がして、あけてみたらあいつが、出てきたんやって。  水煙(すいえん)にやったほうの俺や。それが出てきて、水煙(すいえん)接吻(せっぷん)したらしい。  それも長い、すごく長い、水煙(すいえん)(もだ)えるほどの長いキスやった。  それ以外のこともやつらはやってる。  さすがは俺の煩悩(ぼんのう)(こも)った絵や。生き生きしてる。  良かった。というか、ちょっと()けるな。  瑞希(みずき)のほうの俺が、俺を見たまま瑞希(みずき)(うで)を引き、布団(ふとん)の中に引き戻(ひきもど)して、そのまま熱い抱擁(ほうよう)(あた)えた。  もう俺の話は聞いてへん。(あま)いうめき声がして、熱に()かされたような、瑞希(みずき)が俺を()睦言(むつごと)が聞こえる。  ああこれ目の(どく)、耳の(どく)やで。  あとは俺の分身(ぶんしん)(まか)せて、俺はさっさと嵐山(あらしやま)に行こう。  瑞希(みずき)、お前は今日も大学サボりやな。  ちゃんと学校行けよ。いくら愛しいツレが()()めたかて、出席足らんと留年(りゅうねん)するで。  でもまあ最初はそういうもんやろな。俺があの絵を()いて、まだ一月ぐらいや。  俺も(とおる)出会(でお)うてすぐは、毎日、布団(ふとん)から出るのが(むずか)しい日々で、けっこう学校休んでもうてたわ。  (せつ)ない(あえ)ぎに苦笑(くしょう)して、俺は(うし)()にドアを()め、(いと)しい俺の(とおる)のところへ(もど)っていった。 「あいつ、行かへんて」 「そうやろな。(うらや)ましい(かぎ)りやで」 「なんでや」  ほんまに(うらや)ましそうに言う(とおる)に、俺はびっくりしてもうて、(けわ)しい顔で俺を見ている(とおる)を見つめた。 「だってそうやん。あの絵の人ら、愛してる愛してるしか言わへんのやで? そんなん、そっちのほうがええやん。本物のほうのアキちゃんは、嵐山(あらしやま)いってはユミちゃんユミちゃんやし、卒制(そつせい)や何やで、俺のことは(ほう)ったらかしやないか」 「俺がほんまもんなんやで?」 「そうや、お前がほんまのアキちゃんや」  そうやで、(とおる)。俺がほんまもんや。今では本間(ほんま)やのうて、秋津(あきつ)のアキちゃんやけどな。  俺が正真正銘(しょうしんしょうめい)の、お前だけを愛してるアキちゃんなんやで、(とおる)。 「ただしあれやん、絵を()くついでに(とおる)も愛してるアキちゃんやん」  口を(とが)らせ、(とおる)が言うた。  俺はそれに何か、()けてきた。  お前、(さび)しいんやな。ごめんな。俺も(いそが)しいなってしもて、家でずうっとお前を()いとく(わけ)にはいかへんのやで。  それでも俺は、目の前に()(とおる)を、ぎゅうっと()きしめた。  それを(とが)める(やつ)は、今は()らへん。 「アキちゃん、俺のこと愛してる?」 「好きやで、(とおる)」 「好きやのうて、めちゃくちゃ愛してる? 食うてまいたいぐらい好き? もう(はな)れるのが無理(むり)なぐらい好き?」

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