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29-55 アキヒコ

 おとんが使ってる部屋(へや)に俺は通され、サシで話そうと思って、(とおる)には弓彦(ゆみひこ)とどっか行っといてもろた。  (とおる)は俺と(はな)れたないみたいやったけど、話の()きを(さっ)したようや。文句(もんく)言わんと子守(こも)りを引き受けてくれた。 「アキちゃん、卒業制作(そつぎょうせいさく)順調(じゅんちょう)か?」  部屋で俺と差し向かいに(すわ)り、おとんは聞いてきた。  気楽(きらく)平成(へいせい)御代(みよ)とはいうても、うちは古風(こふう)な家や。おとんは(とこ)()()上座(かみざ)(すわ)り、俺は下座(しもざ)やった。  俺が当主(とうしゅ)()いだとは言え、おとんは大明神(だいみょうじん)。うちの守り神やから、俺より上座(かみざ)や。 「(おく)れてるけど、順調(じゅんちょう)やで。なんとか()に合わせて卒業するわ。俺は(ふで)(はや)いほうやし、何とかなるやろと思ってる」  おとんは俺がどんな絵を()いてるんか知らん。卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)()べたらええなと思うけど、それにはややこしい問題もある。  おとんが俺に生き写しで、ほぼ俺やということや。来たら少々の(さわ)ぎになるやろうな。 「話てなんや」  おとんが俺の目を見つめ、聞いた。  俺は深呼吸(しんこきゅう)をした。 「(おぼろ)のことや」  かつてこの部屋にもいたかもしれへん、美しい(もの)()のことを、俺は切り出した。  おとんは、ほとんど表情を変えず、(あわ)い笑みのまま(すわ)っていたが、来たかという、身構(みがま)える目をした。  俺がおとんを河原(かわら)でかき口説(くど)いた日から、ひと月近く()っている。  思ったよりも時が過ぎて、俺はその(あいだ)、実家でおとんと度々(たびたび)顔は合わせるものの、この話の続きができたことがなかった。  あの後、俺は湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)に、呼び出しの電話はすぐにした。  河原(かわら)でおとんを説得(せっとく)し、あとは(おぼろ)()れてくるだけやとなったところで、すぐ()んだんや。  そやけど、あいつに主人として命令したり、強要(きょうよう)するようなことは、したくなかった。  デリケートな問題や。(おぼろ)(こわ)(もの)のような、()(あつか)い注意な(やつ)という(おそ)れもあったが、なんせ自分の親のこと、俺も(およ)(ごし)なとこがあったんかもしれへん。  時計の(はり)を進めたら、何がどないなんのか。  あいつは喜んで飛んできて、この部屋(へや)でおとんと()き合い、あられものう(あえ)ぐのか。あの神戸での夜に見た、しおらしい、美しい逢瀬(おうせ)の時のように。  そういう(おそ)ろしさがあって、俺は(きわ)めて弱腰(よわごし)やったかもしれへん。  それの何が(おそ)ろしいんや。  そこはまあ、おとんが(おそ)れただけのことはある、()められた親子の愛憎劇(あいぞうげき)みたいなやつやないやろか。  どうするつもりや、好きにしてええんやで、というのを、俺は全部、(おぼろ)(まか)せた。  ほな行くわと、一瞬(いっしゅん)で飛んでくるかと思うてた。  そやけど、電話は長い沈黙(ちんもく)の後に切れ、その後しばらくは、こっちからかけても(つな)がらんかった。  あいつが消えた(わけ)ではないことは、ラジオ()いたら分かってた。仕事は普段(ふだん)通りやってたからや。  なんでか知らん、うんともすんとも言わへん長考(ちょうこう)に、あいつは入ってた。  おとんがお前に会うて言うてるわ。おとんもお前が好きみたいやわ。  そうなんや、ほな行くわ!  そういう話やなかったんか。  時が止まってもうてるんは、どうも、おとんだけやない。  (おぼろ)説得(せっとく)したんは俺やない。不死鳥(ふしちょう)や。  寛太(かんた)はちょうど、時同(ときおな)じくして神戸に()(もど)り、また蔦子(つたこ)さんの(しき)として、元どおり(つか)えることになっていた。  あいつはどこかへ消えたつもりは毛頭(もうとう)なくて、ただ(いと)しい信太(しんた)(たましい)行方(ゆくえ)を追って彷徨(さまよ)い、あの世界この位相(いそう)、この時空(じくう)へと旅をして、やっと(もど)ったというだけの気でいたらしい。  信太(しんた)(たましい)冥界(めいかい)坩堝(るつぼ)のある奥底(おくそこ)()の国で見つかり、あとちょっとで()()かされるところやった。  寛太(かんた)普通(ふつう)ならば生きては(もど)れん、その溶鉱炉(ようこうろ)の中に飛び込(とびこ)んで信太(しんた)(すく)い、閻魔様(えんまさま)()け合って、見事、恋人(こいびと)の死せる(たましい)をふんだくって(もど)った。  そういう長い冒険譚(ぼうけんたん)やったみたいや。  信太(しんた)(もど)れたものの、多くのものを(うしな)っていた。  それは寛太(かんた)閻魔様(えんまさま)交渉(こうしょう)した(さい)に、持ち帰れる(たましい)の量に(かぎ)りがあったせいらしい。  信太(しんた)膨大(ぼうだい)な何かを持ってた神や。強い霊威(れいい)もあれば、幾多(いくた)(おも)いもあった。  その中から、寛太(かんた)は選りすぐったわずかのものだけを、咥(くわ)えて命からがら飛んで(もど)ったということやったんや。  その弱い灯火(ともしび)のような(とら)も、大事に育てればまた、元の姿(すがた)(もど)るやろうと寛太(かんた)は信じてた。  そやけど信太(しんた)記憶(きおく)はろくろく(もど)りはしいひんかった。  うっすらと(おぼ)えていることもあり、やがて元の人型(ひとがた)変転(へんてん)する日も来たが、あいつは始め中国語で話し、神戸のことは思い出さへんかった。  寛太(かんた)は言葉を習いに(おぼろ)の所へ行った。  そうやけど、(おぼろ)信太(しんた)とは会わせへんかったんや。  不死鳥(ふしちょう)は、自分一人で仔虎(ことら)を育てることにした。  なんでやとは、俺は(たず)ねていない。  不死鳥(ふしちょう)は、仔虎(ことら)主人(しゅじん)やということで、俺には一目(いちもく)置いてくれた。  それで俺らも、信太(しんた)のその後の経過(けいか)寛太(かんた)から逐一(ちくいち)報告(ほうこく)されている。  信太(しんた)はまだ元に(もど)られへん。そやけど、その日はもう遠くない。  その日が、(とら)不死鳥(ふしちょう)の二度目の別れになるかもしれへん。  信太(しんた)(きょう)へ、寛太(かんた)は神戸で、別々の主人(しゅじん)(つか)えることになるからや。

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