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三都幻妖夜話(3)神戸編 29-56 アキヒコ | 椎堂かおるの小説 - BL小説・漫画投稿サイトfujossy[フジョッシー]
目次
三都幻妖夜話(3)神戸編
29-56 アキヒコ
作者:
椎堂かおる
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848 / 928
29-56 アキヒコ
極
(
きわ
)
めて
微妙
(
びみょう
)
な空気が
各々
(
おのおの
)
の
間
(
あいだ
)
を
漂
(
ただよ
)
っている時期やった。
物事
(
ものごと
)
を
突
(
つ
)
き
詰
(
つ
)
めたくはないという、
探
(
さぐ
)
り合いの空気が。 おとんの顔にもそれがあった。 ことを前に進めるというのには、
停滞
(
ていたい
)
していた
物事
(
ものごと
)
が、終わりを
迎
(
むか
)
えるという
恐
(
おそ
)
れもあった。 ただ
別
(
わか
)
れるために出会うということも、あるからや。
朧
(
おぼろ
)
は
急
(
きゅう
)
に
恐
(
おそ
)
れるようになった。気づいたんやろう。あいつが俺のおとんの
側
(
そば
)
におったんは、数年ほどの
間
(
あいだ
)
やった。 それから、その何倍もの時が
実
(
じつ
)
は流れていて、おとんは、自分も、あの時のままやない。 再び
押
(
お
)
し流れていく時が、何もかも
壊
(
こわ
)
して流れ去る
津波
(
つなみ
)
のような
奔流
(
ほんりゅう
)
でないとは言えへん。
停滞
(
ていたい
)
した
優
(
やさ
)
しい思い出とは
違
(
ちが
)
って、あいつの
都合
(
つごう
)
のいい
甘
(
あま
)
さがあるとは
限
(
かぎ
)
らんからや。 思い出に
浸
(
ひた
)
る。それがずっと、あいつの心の、
存在
(
そんざい
)
そのものの
支
(
ささ
)
えやったんやし、生きる力やった。 いざ
会
(
お
)
うてみて、
相手
(
あいて
)
が思うほど自分を愛してへんかったら、自分が思うほど、
胸
(
むね
)
を熱く燃やす愛に
悶
(
もだ
)
えへんかったら、どないする……? そんな
臆病
(
おくびょう
)
な
奴
(
やつ
)
やったっけ。 人は、
式
(
しき
)
もやけど、見かけによらへん。 そんな
繊細
(
せんさい
)
で
心弱
(
こころよわ
)
いやつやったんか。 俺のハートは
土足
(
どそく
)
で
踏
(
ふ
)
みにじる
癖
(
くせ
)
にな。 「
朧
(
おぼろ
)
は、おとんに会うのが
怖
(
こわ
)
いらしい。会いとうないと言うてた」 俺がそう言うと、おとんはまだ表情を変えんまま、二度三度、目を
瞬
(
まばた
)
かせた。 「ああ、そうか。それやったら、
無理
(
むり
)
に会うことないんと
違
(
ちが
)
うか」 「それでええんやろか。会いたい言うたってくれへんか」 「俺がか」 なんでやという声で、おとんは
不思議
(
ふしぎ
)
そうに聞いてきた。 「
頼
(
たの
)
むわ。この
通
(
とおり
)
りやで、おとん」 俺は、おとん
大明神
(
だいみょうじん
)
を
伏
(
ふ
)
し
拝
(
おが
)
み、
拝
(
おが
)
み
倒
(
たお
)
した。 なんで俺がこんなこと。 でも、
多分
(
たぶん
)
それは、俺が神戸で、ロックガーデンの
祭壇
(
さいだん
)
で、
信太
(
しんた
)
に
託
(
たく
)
されたことへの
義理立
(
ぎりだ
)
てやった。 先生があいつのこと幸せにしてやってください。俺は
虎
(
とら
)
にそう
頼
(
たの
)
まれてる。 その願いを、
叶
(
かな
)
えてやりたいんや。 なんでか知らん、でも俺も
虎
(
とら
)
の気持ちが分かるんや。
惚
(
ほ
)
れた弱みや。あいつが幸せそうに笑う、その顔を一目見たいって、ただそれだけの
執念
(
しゅうねん
)
や。
信太
(
しんた
)
はもう、それさえ自分では
憶
(
おぼ
)
えていない。 その
想
(
おも
)
いを
引
(
ひ
)
き
継
(
つ
)
いでやれるんは、もう、この世で俺だけや。 あの日、
虎
(
とら
)
を死に追いやり、
最期
(
さいご
)
を
見届
(
みとど
)
けた俺の
務
(
つと
)
めや。 俺にはそういう
想
(
おも
)
いがあって、ひょっとしたら
不死鳥
(
ふしちょう
)
にもあったんかもしれへん。
寛太
(
かんた
)
は、そういう
虎
(
とら
)
の
想
(
おも
)
いも、
冥界
(
めいかい
)
の
炉
(
ろ
)
の中に
捨
(
す
)
ててきた。 あいつはその
罪滅
(
つみほろ
)
ぼしをしたいんやないか。 そうでないなら、なんで
朧
(
おぼろ
)
と俺のおとんの古い
恋
(
こい
)
を、あいつが
応援
(
おうえん
)
すんねん。別にせんでもええねんで? 運命は
微妙
(
びみょう
)
なもんやな。 時には
逆
(
さか
)
らい
難
(
がた
)
い
津波
(
つなみ
)
にように
押
(
お
)
し
寄
(
よ
)
せ、時には
水源
(
すいげん
)
に
湧
(
わ
)
く流れのように、
密
(
ひそ
)
やかに
絡
(
から
)
み合って流れる。
簡単
(
かんたん
)
に
途切
(
とぎ
)
れ、消えてしまうような、
儚
(
はかな
)
い流れとして。 それがまた、何もかも押し流す大きな流れへと育つかどうかは、分からへん。 「しゃあない
奴
(
やつ
)
やな」 ぽつりと、おとんが言うた。
運命
(
うんめい
)
の新しい
一滴
(
いってき
)
が、岩
陰
(
かげ
)
の
清水
(
しみず
)
のように
滴
(
したた
)
り落ちる音が、俺には聞こえた気がした。 おとんは、のんびりと部屋の
書
(
か
)
き
物机
(
ものづくえ
)
に向かい、
半紙
(
はんし
)
を切って、
人型
(
ひとがた
)
にした。 そしてのんびり
墨
(
すみ
)
を
擦
(
す
)
り、
筆
(
ふで
)
に
含
(
ふく
)
ませた。
携帯
(
けいたい
)
でメールとかやないんや。まず
墨
(
すみ
)
するとこからなんや。 今すぐ、電話もかけられるんやで、おとん。 今すぐ飛んできてくれって、今すぐ会おうって言えるで。言わんのか?
筆
(
ふで
)
で、
人型
(
ひとがた
)
に切った
半紙
(
はんし
)
の
腹
(
はら
)
に、おとんは暁雨(ぎょうう)と書いた。 俺に
家督
(
かとく
)
を
継
(
つ
)
がせ、
秋津
(
あきつ
)
暁彦
(
あきひこ
)
と
名乗
(
なの
)
る
権利
(
けんり
)
を
譲
(
ゆず
)
ってもうたおとんは、
隠居
(
いんきょ
)
の身や。 昔
使
(
つこ
)
うてた絵のための
雅号
(
がごう
)
を、また
名乗
(
なの
)
ることにしたらしい。
墨
(
すみ
)
が
乾
(
かわ
)
くのをゆっくり待って、おとんは両手のひらに乗せた紙人形に、ひそひそと
囁
(
ささや
)
いた。
朧
(
おぼろ
)
、
四条大橋
(
しじょうおおはし
)
にて待つ。 それだけ
託
(
たく
)
された紙人形は、
障子
(
しょうじ
)
を開けて
縁側
(
えんがわ
)
に出たおとんの手によって
放
(
はな
)
たれ、のんびりと、しかし、まっしぐらに、神戸の方へと飛んでいった。 それが見えへんようになるまで、おとんは
淡
(
あわ
)
い
笑
(
え
)
みで、
腕組
(
うでぐ
)
みしたまま見送り、また
座敷
(
ざしき
)
に
戻
(
もど
)
ってきて、俺の前に
座
(
すわ
)
った。 「あれだけ……?」 お前に会いたいんや、めっちゃ好きとか言わんのや……? 俺はそういう目で、おとんを見たんかもしれへん。 お前ちょっともどかしいでという顔で
座
(
すわ
)
ってる俺と向き合い、おとんは軽く
吹
(
ふ
)
き出して笑った。 「あれで来るで、
朧
(
おぼろ
)
は。お前は
駆
(
か
)
け
引
(
ひ
)
きがわかってへん男やな、アキちゃん。
蛇
(
へび
)
になんて言うてやってんのや、
大丈夫
(
だいじょうぶ
)
か?」
可愛
(
かい
)
らしいもんやなという目で、おとんは俺を見てた。 えっ俺⁉︎︎
亨
(
とおる
)
になんて言うてる? 好きや好きやって。他になんて言うねん⁉︎︎ あかんのか、それ……。 まあええわ。そうして、それからどうなるかやな? 紙人形は
羽
(
は
)
ばたいていき、神戸へと
到達
(
とうたつ
)
した。
朧
(
おぼろ
)
の元へ。 そして
囁
(
ささや
)
いた。おとんの声で。
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椎堂かおる
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