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29-57 アキヒコ
それでこの呪 いは、十分 やったんや。
朧 は後日 、たっぷり待ってから、俺に電話してきた。
先生、ご無沙汰 。京都で仕事が入ったから、ちょっと行くわ。ちょっとだけやけど。
泊 まるとこあらへんし、手配 してって、言うといてくれませんか。秋尾 ちゃんにでも。
ほなまた、行くとき言うわ。ガチャ、ツーツーツー。
…………。
来るわ。朧 。
俺と寛太 がどんだけ押 しても引いても、嫌 や行かへんと言うてた奴 が、なんでおとんが一言 囁 いただけですぐ来るんや?
さっさと来 いや朧 ……。
知らんで。川に鯉 おるで。
おとん、ユミちゃんと毎日、河原 の散歩 してるで。
持って行かれるで、鯉 に!
そんなドギマギの何日かが過 ぎて、作戦決行 の日はやってくる。
気づくと年 の瀬 やった。
寒い、雪のチラつく日もあり、川端通 の南座 には、顔見世 の看板 がずらり出揃 う頃 や。
満 を持 し、朧 は入洛 した。
デパートで仕事があるねんて。
たまたまちょっと。頼 まれたし行こうかなあって。
四条河原町 の高島屋 やで。
某 ブランドのファションショーやで。
なんもせえへん、服着てちょっと歩くだけ。
先生、見に来て、迎 えに来てくれへんか。
京も変わった、ひとりやと怖 あて歩かれへんしな。よろしゅう頼 むわ。おおきに、って、甘 い声で電話してきて、俺は朧 に呼び出 された。
行かなしゃあない。
俺、卒制 の追い込 みやのに。絵、いっぱい描 かなあかんのに。ファッションショー見てる場合やないのに。
でもちょっと見たい。朧 やで。
久しぶりやわ、あの美貌 を拝 むのは。
そういう気持ちで、ぞろぞろ出かけていった。
亨 も行くわ言うし、秋尾 さんと大崎 茂 も来た。
なんやお客さんもいっぱい来てた。
知らんけど、あいつ有名 なん?
高島屋 デパートに大勢 の客が詰 めかけて来た。
人なんか人でなしなんか、分からんのも来た。
デパートの壁面 には、イベントやりますって、でかい垂 れ幕 がかかり、それが湊川 怜司 の写真やった。
でかい。等身大 の何倍 もある。
そして美しい。神や、まるで。
ごく最近、暁雨 さんからの囁 き声が嵐山 から飛んで来た日に三ノ宮 で撮 ったんやという、その写真は、なんやもう輝 くような神々 しい妖 しい笑みで、見上げる者を魅了 した。
それに吸い寄 せられるようにして、人も人でなしも来た。
おとんもそれを見たやろか。
一応、連絡 はしたんやで。おとんにも。
そやけど姿 は見てへん。
ほんまに来るんか、アキちゃん心配なって来たわ。
そんなこんなで気もそぞろ。おとん来 いひんかったら、どないしよ。
高島屋 デパートの一階のホールには、日頃 はそこにないランウェイが軽く見上げる高さに作られて、レッドカーペットが敷 かれてた。
その上に、大きな時計塔 のハリボテがある。
ロンドンからやってきたデザイナーさんの服やいうて、ビッグベンや。
写真で見たことあるやつや。
連れてこられてたモデルさんたちは美しく、ほっそりと背 の高い様子はまるで妖精 か神やった。
綺麗 やなあと、詰 めかけた人らは、音楽に乗り歩く、この世の者とも思えん人たちの姿 を仰 ぎ見て喜んだ。
亨 は俺が正気 を失わんようにと、ずっと脇腹 をつねって来やがるもんやから、ほんまに痛 かった。
逆に挙動 不審 になるやんか。
今の俺はお前一筋 やて言うてるやんか。
ランウェイを歩く妖精 さんたちは、確 かにほんまに美しい。見とれてしまうわ。
そやけど、俺にはお前が一番美しい。誰 より愛 おしい。そやから、しょうもない心配せんといてくれ、亨 。俺を信じてくれ。
そう言うて、亨 の手を握 り、身を寄 せ合 うてランウェイのアリーナ席に座 ってた俺は、うわあ朧 様やああ言うて、軽く中腰 なってたらしいわ。
俺だけやない、皆 やで。亨 もやないか。
何の霊験 か、その日の湊川 怜司 には、人の目を釘付 けにする妖 しい魔術的 なまでの魅力 があった。
お前、俺が知ってる最後の姿 となんか違 うで。
どことも知れんところを見つめ、アルカイックな笑みをたたえる美貌 が、滴 り落ちるほどの魅力 を放 って、見る者を呆然 とさせた。
皆 、うっとりと神を見る目でランウェイにしがみつき、朧 様の長い御御足 が踏 むレッドカーペットを、ありがたく伏 し拝 んだ。
誰 か知らんお婆 ちゃんなんて、ほんまにありがたやあ言うて両手を合わせ拝 んでた。
ボーン、と腹に響 く音響 効果の鐘 の音が、音楽を割 って鳴 り響 き、時計の動くカチカチという音が聞こえた。
朧 は誰 かを探 す目で、ランウェイの端 まで歩き、トレンチコートの袖 から、銀色に輝 く腕時計 を見せた。
なにげない仕草 の一つ一つが美しく、皆 、時計がものすご欲 しなった。
そのためのショー、そのための湊川 怜司 や。
時計は飛ぶように売れ、トレンチコートも売れた。
高島屋 のスタッフさんも泣きながら喜んで売っていた。
なんという景気 のええ神や。そして俗 や。
そうやのに、神聖 なまでに美しい。
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