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三都幻妖夜話(3)神戸編 29-64 アキヒコ | 椎堂かおるの小説 - BL小説・漫画投稿サイトfujossy[フジョッシー]
目次
三都幻妖夜話(3)神戸編
29-64 アキヒコ
作者:
椎堂かおる
ビューワー設定
856 / 928
29-64 アキヒコ
胸
(
むね
)
痛
(
いた
)
いんか、
苦痛
(
くつう
)
をこらえる顔をして、
朧
(
おぼろ
)
は
呻
(
うめ
)
くように言い、口ごもった。
朧
(
おぼろ
)
はおとんが自分とよりを
戻
(
もど
)
すため、橋に
呼び出
(
よびだ
)
したと思うてたんやろう。 それを
素直
(
すなお
)
に喜んでいた。 そういう、
突
(
つ
)
き
抜
(
ぬ
)
けた
歓喜
(
かんき
)
の表情が、さっきまでのあいつの顔にはあった。 でも今はそれも、
綺麗
(
きれい
)
な夢やったみたいに、消えてもうてた。 俺のよう知ってる
朧
(
おぼろ
)
の顔や。美しいけど、暗い。心にまだ、血の流れる
傷
(
きず
)
を持ってる神さんや。 「これのことやろ」
痛
(
いた
)
む
胸
(
むね
)
をおさえてた手を、
朧
(
おぼろ
)
が開いておとんに見せると、そこに古びた
半紙
(
はんし
)
でできた紙の人形が立っていた。
腹
(
はら
)
んとこに、俺の知ってるおとんの字で、
秋津
(
あきつ
)
暁彦
(
あきひこ
)
と書いてある。 いつも
丁寧
(
ていねい
)
な字を書くおとんにしては
珍
(
めずら
)
しく、走り書きのような
筆跡
(
ひっせき
)
で、人形は雨で打たれたように、よれよれになっていた。 それでも、そいつは、最後の力を
振り絞
(
ふりしぼ
)
るような、
途切
(
とぎ
)
れ
途切
(
とぎ
)
れの声で話した。
伝言
(
でんごん
)
を。
朧
(
おぼろ
)
。
忘
(
わす
)
れんといてくれ、と。
忘
(
わす
)
れんといて。
朧
(
おぼろ
)
。
忘
(
わす
)
れんといてくれ。
忘
(
わす
)
れんといて、と。 それだけは、絶対に伝えようとするような、
壊
(
こわ
)
れかけの声の、
必死
(
ひっし
)
の
伝言
(
でんごん
)
やった。 これ、おとんが
出征
(
しゅっせい
)
の直前、
朧
(
おぼろ
)
と別れた夜に飛ばしたという、あれなのか。そいつがまだ、
喋
(
しゃべ
)
れるとは、俺は
驚
(
おどろ
)
いた。 この人形、
普通
(
ふつう
)
はそう何日も
保
(
も
)
たへん。 送った
奴
(
やつ
)
の
籠
(
こ
)
めた
霊力
(
れいりょく
)
しだいで、何日も生きてることはあるんやけど、おとんが
出征
(
しゅっせい
)
したんはいつやねん。 もう何十年も、こいつ生きてんのやで。 おとんがその
伝言
(
でんごん
)
に
籠
(
こ
)
めた、
並々
(
なみなみ
)
ならぬ
想
(
おも
)
いが、今もそいつを動かしてんのやろう。 「これ……お前はよくも、こんなもん送ってきやがったな。俺はお前にここで
捨
(
す
)
てられて、
鉄砲
(
てっぽう
)
で頭
撃
(
う
)
ち抜いたわ。それでも死ねんかった。お前から
吸
(
す
)
うた血が、ずっと俺を守ってたんや。戦(いくさ)でお前は死んでもうて、俺がそれでも平気で
笑
(
わろ
)
うて、
歌
(
うた
)
うとて、生きてくんのが、どんなに……どんな、つらいことやったか、お前こそ、
全然
(
ぜんぜん
)
、なんにも……分かってへんかったやないか! この……
鬼畜
(
きちく
)
のアホ
坊
(
ぼん
)
が。俺はずっと……お前が、帰ってくるて信じて」
朧
(
おぼろ
)
は
喘
(
あえ
)
ぐ
胸
(
むね
)
で、おとんを見つめ、おとんは
朧
(
おぼろ
)
を見つめてた。 「待ってたんや……お前を
忘
(
わす
)
れた日は一日もない。それを、よくも、俺が分かってへんなんて、言うてくれたわ」
朧
(
おぼろ
)
は手の中にあった紙人形を
握
(
にぎ
)
りつぶして、川に
放
(
ほう
)
った。 もう何も
喋
(
しゃべ
)
らへんようになった人形は、ひらひらゴミのように
舞
(
ま
)
い、
鴨川
(
かもがわ
)
の流れに消えた。
朧
(
おぼろ
)
の目から一
粒
(
つぶ
)
、二
粒
(
つぶ
)
の
涙
(
なみだ
)
が、
煌
(
きらめ
)
きながらこぼれ落ちて来た。 おとんは
不思議
(
ふしぎ
)
そうに、それを見ていた。 おとんには
実
(
じつ
)
は、心がないんかと、俺は
危
(
あや
)
ぶんだ。 人間みたいな
姿
(
すがた
)
をしてて、おとんはいつも
淡
(
あわ
)
い笑みを
浮
(
う
)
かべている。
優
(
やさ
)
しいおとんや、俺にとっては。 でも、おとんはとっくの昔に死んでもうてて、
骨
(
ほね
)
になってる。
皆
(
みんな
)
が期待して見るような、人間のような心がないんかと、俺は不安になった。 いや、まさか、そんなはずない。おとんは、ちゃんと、帰ってきたんや。 長い時がかかっただけで、俺や、おかんや、
朧
(
おぼろ
)
のところにも、帰ってきてくれたんやって、俺は信じたい。
朧
(
おぼろ
)
の
涙
(
なみだ
)
に心が動かへんはずはない。 そういう美しい
煌
(
きらめ
)
きが、その
一筋
(
ひとすじ
)
の
涙
(
なみだ
)
にはあった。 「お前がそんな、
恨
(
うら
)
み言うんは、これが初めてやな」
訥々
(
とつとつ
)
と、おとんは
朧
(
おぼろ
)
の
頬
(
ほお
)
から落ちた
涙
(
なみだ
)
の
染
(
し
)
みた、
四条大橋
(
しじょうおおはし
)
の地面を見て言うた。 「俺はお前がそこまで自分のことを
想
(
おも
)
うてくれてるとは、思いたくなかったんや。もっと
気楽
(
きらく
)
な遊びで、俺と付き
合
(
お
)
うてんのやと思いたかった。それは俺の
我儘
(
わがまま
)
やったやろけど……」 遠い過去を
振り向
(
ふりむ
)
くように、おとんは夕日の落ちようとする暗い
川上
(
かわかみ
)
の
山並
(
やまな
)
みを見やった。 「俺をそういう
想
(
おも
)
いで見つめてくれてた
奴
(
やつ
)
らは
皆
(
みんな
)
、もう、死んでもうたんや。あの
戦
(
いくさ
)
を
越
(
こ
)
えて助かったんは、お前と
水煙
(
すいえん
)
だけやった。その他の
奴
(
やつ
)
は
皆
(
みな
)
、死んだ。俺のせいや。お前を連れて行ってたら、お前ももう、ここには
居
(
い
)
てへんかったやろう」 おとんは今はもう
居
(
い
)
ない
秋津
(
あきつ
)
の
式神
(
しきがみ
)
たちの話をしてた。 「
皆
(
みんな
)
な、お前も知ってるやろけど、俺を愛してた。そうなるように俺が
仕向
(
しむ
)
けたんや。それは、
妖術
(
ようじゅつ
)
やった。あいつらは家と俺に
囚
(
とら
)
われてただけや。ほんまにそれが愛やったんか、もう、
確
(
たし
)
かめる術(すべ)がない。
唯一
(
ゆいいつ
)
、言えるんは、俺がそういう
奴
(
やつ
)
らを、使うだけ
使
(
つこ
)
うて死なせたということや」 おとんの表情は、ぼうっとして見えた。目に
映
(
うつ
)
る、今日の太陽の最後の光が、おとんの無表情な目を暗く
輝
(
かがや
)
かせていた。 「俺は屑(くず)や。お前も俺といると死んでまうやろ。俺はな、お前だけは死んでほしくないと思ってたんや。俺から
逃
(
に
)
がしとうて、ここに
放
(
ほう
)
っていった。お
陰
(
かげ
)
で今もそうして生きてる。そやのになんでまた、俺みたいなのと
関
(
かか
)
わりたいんや。お前はどないかなってんのやないか」
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椎堂かおる
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