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29-67 アキヒコ

 (とおる)財布(さいふ)から、高島屋(たかしまや)昼飯(ひるめし)に食うた萬養軒(まんようけん)のレシートを取り出した。  それを手でちぎって人形(ひとがた)を作り、アキちゃんボールペンボールペン、何か書くもん持ってへんのかと(さわ)いだ。  俺も(あわ)てて(さが)したけど、筆記具(ひっきぐ)なんて、無いときは無いもんや。  どないしよう、コンビニ走る? どないしようって、俺が(あせ)っていると、どないしたんやあ(ぼん)と、知ったような声に()ばれた。  ()り向くと、白川(しらかわ)沿()いの対岸(たいがん)に、提灯(ちょうちん)持ってる秋尾(あきお)さんが()った。  地獄(じごく)(ほとけ)! やのうて、祇園(ぎおん)(きつね)!  俺は秋尾(あきお)さんの茶色のスーツの(むね)ポケットから、ボールペンを()りて、レシートの紙人形(かみにんぎょう)秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)と書いた。  これ、これでええんやんな? 秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)でええんか?  これ、おとんと(まぎ)らわしいことない? でもこれ俺の名前やんな? 「はよ伝言(でんごん)飛ばせ、アキちゃん。これが飛んでいく方におとんを追いかけるんや」  (わけ)は分かってない秋尾(あきお)さんが、何や何やって横から見てる。  そうやな、急がなあかんな。  俺は、おとんがやってたように、両手(りょうて)紙人形(かみにんぎょう)を持って、それに話しかけた。  なんて言えばええんや、こういう時。なんて言うたらええか分らん。  それでも俺は、口をつくまま、おとんに話しかけてた。 「おとん……! 今、どこや? どこにおるんや? 待ってるし……今すぐやのうてもええねん。帰って……帰ってきてくれ!」  留守番(るすばん)してて心細(こころぼそ)うなった小学生か、俺は⁉︎  ちょいまち、リテイクさせてくれって思ったのに、レシートの紙人形(かみにんぎょう)はブンブン両手(りょうて)(なび)かせて、どことも知れん垂直(すいちょく)方向へぶっ飛んで行った。  そっち⁉︎  俺は飛んでいく伝言(でんごん)千里眼(せんりがん)で追いかけた。  紙人形(かみにんぎょう)は、空気抵抗(ていこう)の低い(うな)り声を上げながら、(くも)()()け、雨粒(あまつぶ)()()けて、位相(いそう)(さかい)()え、俺の耳目(じもく)を遠いどこかの白川(しらかわ)へと()れていった。  そこには古びた一(けん)の家が()ってる。  川面(かわも)満開(まんかい)(さくら)(うつ)り、朧月(おぼろづき)(うつ)った水面(すいめん)花筏(はないかだ)が流れている、美しい(よい)やった。  (ゆか)黒々(くろぐろ)(みが)かれて、歩く足が(うつ)るぐらいの、きっちり手入れされた家や。  そこの二階に、おとんと(おぼろ)はおった。  ()()うたんか、どうか。おとんはまだ、どっこも食われてへんかった。  満開(まんかい)(さくら)の枝が横切る二階の(まど)月見台(つきみだい)(すわ)り、おとんは(むね)(おぼろ)()いてた。  おとんの着物をはだけさせ、(はだか)(むね)にうっとり(ほお)()()せている(おぼろ)の真っ赤な(くちびる)はまだ、(おそ)ろしい歯がずらっと(なら)(もの)()の口のままやったけど、ただ微笑(ほほえ)んでおとんに()かれているだけで満足(まんぞく)しているようで、さあ食うたろかという気配(けはい)では無い。 「ああ、綺麗(きれい)(さくら)やな、(おぼろ)。お前と()ごした春を思い出すわ」  呑気(のんき)なこと言うて、おとんは(おぼろ)の長い(かみ)()でていた。 「暁彦(あきひこ)様」  うっとり言うて、(おぼろ)は自分の服を()いだ。  紙のように真っ白な、つるんと何もない体が(あら)わになって、(おぼろ)(せつ)なげな息やった。 「絵、()いて」  ねだる口調(くちょう)で言う妖怪(ようかい)に、おとんは(うなず)き、(おぼろ)をまた()()せた。  そしておとんが(おぼろ)(はだか)(むね)(くちびる)を寄せて()うと、そこから(はだ)(さくら)みたいな色に()まった。  ひぃ、と(おぼろ)がひきつるような(あえ)ぎを()らし、のどを()らせる。  な、な、なに、これ? 妖怪(ようかい)やん。  妖怪(ようかい)やって知ってたけど、ここまでとは思ってへんかった。  おとんが念入(ねんい)りに、(さくら)のような()(あと)をつけてやるうちに、その白いモヤモヤした妖怪(ようかい)が、だんだん人間みたいになってきたんや。  すらりとした手足、()(ぎぬ)のような(はだ)(やわ)らかい(かみ)(せつ)なげな()れた(ひとみ)でおとんを見ている顔も、だんだん元どおりに。  俺の知ってる湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)やった。 「気持ちええか?」  おとんが聞いてやると、(おぼろ)は泣いたような目で(うなず)いた。  あとはもう、言うたらあかん感じや。普通(ふつう)にエロや。  アキちゃん見せてっていう(とおる)に、あかんあかんて俺は言うた。  なんでって、ほら、一応(いちおう)、親やで? 見てええの?  見たけど、俺は。それを語ってもうててええの?  語ろか。部分だけでいいか?  あいつ……。俺とやった時は、下手(へた)やなあとか、まあまあ良かったとか、男の子のハートを()みにじるような感想しか言うてへんかったけど、まあ、そうやな。  おとんな、上手(うま)いわ。  (おぼろ)はもう、事に(いた)る前にすでに半分おかしい。目がいってもうてる。  何がそんなに感じるんか知らんけど、ただ()れられるだけでひいひい言うんや。  あいつよっぽど、おとんが好きやな。  ()れたところが桜色(さくらいろ)()まる(おぼろ)の体は、すぐに(まど)の外の満開(まんかい)(さくら)みたいになった。おとんに()られた(あし)(ふる)えてる。  (せつ)なそうな、か(ぼそ)い声で、(おぼろ)は何度も、早う早うと強請(ねだ)った。  それでも、おとんは中々(なかなか)入れてくれへんねん。

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