860 / 928

29-68 アキヒコ

 めっちゃ焦(じ)らすな、おとん。俺そんなに待たれへん。  もうやらへんのかなと思うあたりで、(おぼろ)が真っ赤に()めた顔で、あられもない悲鳴(ひめい)をあげた。  たぶん、おとんが押し入(おしい)ったんやろう。  悲鳴(ひめい)? (あえ)ぎ? なんか分からん。入れただけでいってもうてる。  ああ、()()く、死んでしまうという、(おぼろ)(するど)い声を、俺は何度も聞いた。  お前ちょっと相手によって露骨(ろこつ)感度(かんど)(ちが)いすぎひんか?  おとんは(おぼろ)が死にそうに(わめ)こうが、気絶(きぜつ)しそうになろうが、全然(かま)わず、(もだ)える白い体を()()せ、最後まで(たの)しんだ。  (ふる)える体で()かれ、おとんにすがりつく(おぼろ)は、総身(そうみ)を赤らめ、(あせ)(なみだ)でどろどろや。  やり()くして、ぐったりしてる(おぼろ)の耳にキスしてやって、最後にもうひと泣きさせ、おとんはにっこりとした。 「相変(あいかわ)わらずやな、(すずめ)ちゃん。久々(ひさびさ)()えたわ」 「あかんあかん……もうやめて」  朦朧(もうろう)(こば)(おぼろ)に、()いだ自分の着物をかけてやって、おとんは(さくら)を見た。  そこに、ジタバタしてるレシートが引っかかっていた。 「アキちゃんやないか」  おとんは、(とが)める口調(くちょう)で俺に言うた。紙人形(かみにんぎょう)に言うたんやろう。  (おぼろ)(かたわ)らに身を起こして横たわるおとんが、指で小さく(まね)くと、紙人形(かみにんぎょう)はしおしおと(しか)られる子供(こども)のように舞い降(まいお)りて、おとんの前に正座(せいざ)した。 「親の濡場(ぬれば)なんか見るもんやないで。悪い子やな」  めって、おかんみたいに俺を(しか)って、おとんは紙人形(かみにんぎょう)にデコピンした。  (いた)!!  俺の(ひたい)にほんまもんの(いた)みが走り、俺はビビった。  呪法(じゅほう)返しや⁉︎ こんなことできるん⁉︎  タジタジとしたレシートは、おでこを()さえながら、伝言(でんごん)(しゃべ)った。  おとん、帰ってきてくれ、帰ってきてくれと。  それを聞き、おとんは可笑(おか)しそうに声あげて笑った。 「大丈夫(だいじょうぶ)やでアキちゃん。そのうち帰るわ。こんなもんでビビらんとき、(おぼろ)なんか可愛(かわい)いもんやで。それで巫覡(ふげき)の王がつとまるか?」  おとんはそう言うて、そこらにあった紙巻(かみまき)煙草(たばこ)に火をつけ、美味(うま)そうに()うた。  おとん、煙草(たばこ)()うんや。知らんかった。家ではそんな様子(ようす)もないんや。  おとんの笑い声で気がついたんか、まだ朦朧(もうろう)としたままの(おぼろ)が身じろぎした。 「どうもないか。きつかったら起きんでええで」 「何遍(なんべん)()ぃやってしもた」  月見台(つきみだい)(ゆか)(たお)れている(おぼろ)はぼんやりとした小声(こごえ)やった。 「可愛(かわい)かったで」  紫煙(しえん)()きながら、おとんは()めた。  それに(おぼろ)が顔を赤くするのが見えた。  (あせ)ばんで(みだ)れた(おぼろ)(かみ)を、おとんが()でてやっている。 「酒でも用意するわ」  そそくさと身支度(みじたく)をする(おぼろ)は、おとんのほうを見なかった。()ずかしいんやろう。  月見台(つきみだい)から部屋に(もど)ると、(とこ)()(じく)がかけてある。  その前を裸足(はだし)で通りかけて、(おぼろ)は足を止めた。 「この絵……」 「それはお前やわ」  まだ夜桜(よざくら)の下でひとり横になってたおとんが言うた。  (じく)の絵は黒い(りゅう)やった。嵐山(あらしやま)(くら)にあった(おぼろ)の絵や。 「お前には(かく)しとくつもりやったのに、やりよったわ、お登与(とよ)め。ほんま容赦(ようしゃ)ないな」  頭を(かか)えるように(かみ)をかき上げ、おとんは襦袢(じゅばん)のままで部屋に来て、絵の前に立っていた(おぼろ)背後(はいご)から()いた。  そうして煙草(たばこ)()いながら、自分も絵を見た。  おとんにとっても久しぶりに見る自作(じさく)のようやった。 「うまいこと()けたわ」  そう言うて、おとんは(おぼろ)の首に顔を()めた。  (はだ)(にお)いをかいでるようやった。 「お前も(いくさ)に連れて行くつもりで、これを()いたんや。約束(やくそく)の場所で待ってるお前を()(もど)して、出征(しゅっせい)するつもりやった。けど、絵が出来上がったら急に、お前が()しいなってな。置いていくことにした。別れぐらいは言うべきやったけど、顔見たら、お前と一緒(いっしょ)に行きたなりそうで(こわ)あて、とても顔合わせられへんかった。お前が死ぬのは、俺には我慢(がまん)ならへんのや。どうしてもあかん。お前は俺の命やで」  堪忍(かんにん)や、とおとんは(おぼろ)(かみ)にキスして()びた。 「なんで泣いてんのや。よう泣く(りゅう)やなあ、お前は」  (こも)った笑い声を(ひび)かせて、おとんは(おぼろ)(たず)ねた。 「(うれ)しいのと、悲しいので、(わけ)わからんようなって、泣いてるんや」  はらはらと(ほお)(ころ)がるような大粒(おおつぶ)(なみだ)を次々にこぼし、(おぼろ)は答えた。 「なにが(うれ)しいんや」 「俺のことも絵に()いてくれてたんやと思って」  自分を()くおとんの(うで)に、(うで)(から)めて、(おぼろ)はまだ絵を(なが)めたまま言うた。  おとんは()れたんか、ふふふと低く笑った。 「そんなら悲しいなることないやろ? 俺がこうして()いてんのに、なんで泣いたりするんや」  おとんは(おぼろ)耳朶(じだ)口付(くちづ)けて、(むね)愛撫(あいぶ)し、それを聞いた。  (おぼろ)(まゆ)(せつ)なげに()せられ、薄赤(うすあか)(くちびる)(あえ)いだようやった。 「この絵は、俺が一人で(なが)めるには、上手(じょうず)すぎるわ。お前はきっと、いい絵描(えか)きになる。ここに()()めておくのは、あまりにも()しい。()に出してやらな……」

ともだちにシェアしよう!