861 / 928

29-69 アキヒコ

 それはやむを()んことやというふうに、(おぼろ)は言うて、それでも無念(むねん)そうに(くちびる)()んだ。  ここに絵を()けた(だれ)かが、今それをこいつに(さと)した。  (おぼろ)は、言われんでも知っていたその事を、思い出したんやろな。 「(ぼん)はそうやって、結局(けっきょく)、俺だけのもんにはなってくれへんのやな。意地(いじ)が悪い、(にく)らしい坊々(ぼんぼん)やわあ」  ぽろぽろ泣いて、(おぼろ)()やんだ。  もう、おとんを食う(おに)のようには見えへんかった。  おとんを愛してやまない、白い美しい神の姿(すがた)や。 「そんなことないで、もうずっとお前のもんやで?」  (こま)ったなと、あやすように、おとんは(おぼろ)の顔を(のぞ)()んだ。  その顔が振り向(ふりむ)いて、おとんに強請(ねだ)った。 「キスして。長いやつ、して()しい……」  涙目(なみだめ)(おぼろ)(さび)しげな顔と見つめあい、おとんは不意(ふい)に、苦しげな笑みになった。  好きで(たま)らんという、(むね)かきむしられた男の顔やった。  目が熱い。お前が()しいと言うてる目や。 「またこんな冷たい体になってもうたな」  これから(ふさ)(おぼろ)(くちびる)を指でなぞって、おとんは()いてた白い体をさらにぎゅうっと()きしめた。 「俺がまた、(あつ)うしたろ」 「暁彦(あきひこ)様……」  (おぼろ)は何か言いかけたが、キスに(ふさ)がれ、言葉にならへんかった。  おとんはほんまに長いキスをした。今まで(はな)れていた時を()めるような、長い長い抱擁(ほうよう)接吻(せっぷん)やった。  おとんの()()(おぼろ)の手が(ふる)えていた。  初めは心細(こころぼそ)さに、やがては段々(だんだん)(つの)る、深い陶酔(とうすい)に。  その長いキスが終わり、おとんは(おぼろ)(ほほ)(つつ)み、まだ見つめ()うたまま、()れた(くちびる)で言うた。 「アキちゃん」  アキちゃん? あっ俺や。 「(のぞ)くのそろそろやめてくれへんか? お前が見てると、おとん悪いことできひんやないか」  シャツの中の(おぼろ)の体を愛撫(あいぶ)する手になって、おとんは俺に言うた。  あっこれ、まだやったんか。もっと悪いことがあるんや。 「あんまり見ると、俺もお前のを見るで?」  俺は即刻(そっこく)やめることにした。はい、やめまーす。  おとんにされるがまま身を(あず)けて、また(あえ)ぎ始める(おぼろ)の白い顔が美しかったが、もう見ない。 「あっあっ……暁彦(あきひこ)様、そこ、あかん」  どこどこ。どこがあかんとこや。  ()れた声が耳に残りめっちゃ気になる。  でも、あかん。()りまーす。お邪魔(じゃま)さんどしたー。  俺は急速(きゅうそく)()った。  ふと(われ)にかえると、俺は祇園(ぎおん)白川(しらかわ)におって、俺の(むね)(のぞ)き屋の(へび)(きつね)がくっついていた。 「ちょ、アキちゃん、ええとこやのに⁉︎ 見られるぐらいが何や! 意気地(いくじ)なし!」  まだ見たかったらしい(とおる)がぷんぷん(おこ)っていた。  (きつね)は、へえ、としたり顔やった。 「大崎(おおさき)先生に、暁彦(あきひこ)様の手が()いたら、(ぼく)らも酒持って(おぼろ)ちゃんの家行くから見てこい言われて、見に来てたんですが、これは朝までかかりそうやねえ。お(あつ)いわ。お邪魔(じゃま)すんのはまた今度(こんど)」  ひひひ、と(きつね)忍笑(しのびわら)いして、(ぬす)み聞きしていた俺の(むね)から(はな)れた。  石の一本橋(いっぽんばし)の下を白川(しらかわ)がさわさわと流れ、(きつね)提灯(ちょうちん)()らされた(かげ)が三つ。  (へび)と、人間と(きつね)のシルエットが、夜の川波(かわなみ)(あら)われていた。 「先生、心配しはらへんでも、(おぼろ)ちゃんはどうもないです。お父さんのこと、愛してんのやし、(やさ)しい子やで。食うたり(かく)したりしませんよ」  それを良く知ってるという口調(くちょう)で、(きつね)は俺に(さと)した。 「(いと)しい男はな、()に出してやってナンボですやん? ()()めといても詮無(せんな)いことえ」  世界の大崎(おおさき)(しげる)(ささ)える(きつね)の言葉には、ものすご説得力(せっとくりょく)があった。 「ほな(ぼく)(もど)りますわ。大崎(おおさき)先生、()(もち)()いて(あば)れんのやろなあ。おお(こわ)(なつ)かしい(なつ)かしい……」  夜の祇園(ぎおん)に消えて行く(きつね)は、ほんまに(うれ)しそうに、月を(あお)いで言うていた。  微笑(ほほえ)むような月のかかる(ばん)や。  チラつく小雪(こゆき)()う夜のどこかに今も、(さくら)()(まど)の部屋があり、そこで(おぼろ)とおとんは、(つか)()、愛し()うてんのやろうなあ。  そやけど心配いらへん。おとんはもう(おぼろ)のもんで、それでも家に帰ってくる。  なんでか言うたらな、(おぼろ)はおとんが(かよ)ってきて、来たで(すずめ)ちゃん、て、窓辺(まどべ)で待ってる自分を見上げるのが好きなんやて。(むね)がときめくんやって。  それは、おとんを閉じ込めといたら、できひんことなんやもんなあ?  一緒(いっしょ)にはいられへん、(せつ)なく待ってる時間があればこそ、再会(さいかい)(よろこ)びと、熱い抱擁(ほうよう)とキスがあるんや。  それがあいつの大好物(だいこうぶつ)やろ。  それから時を待たず、おとんは有名(ゆうめい)になってしもた。  メディアの神と愛し()うてもうたらもう、()に出るんは時間の問題でしかない。  俺もおかんも水煙(すいえん)も、全く見たことない、京都の(なぞ)絵師(えし)(ふで)による傑出(けっしゅつ)した名画(めいが)数々(かずかず)が、急に世に出た。  すごい絵やった。  それは人の絵やのうて、祇園(ぎおん)の夜の月見台(つきみだい)から見える、(さくら)や月や、(ゆか)に散る赤く(あざ)やかな紅葉(こうよう)の、京都の四季(しき)(えが)いた絵やった。  おとんが……いや、(なぞ)絵師(えし)暁雨(ぎょうう)さんが、どこでそれを()いたんか、俺には分かる。

ともだちにシェアしよう!