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30-02 トオル

 アキちゃんが()く絵の一(まい)(まい)は、神戸で見た式神(しきがみ)や、(おそ)ろしい(ほね)や、(なまず)()われる信太(しんた)の絵やった。  (わす)れたくない、(わす)れられへん神戸での出来事(できごと)を、アキちゃんは絵に()いている。  普通(ふつう)のやつらには見えへん、一生見ることもない、巫覡(ふげき)の世界を絵に()いて、何かを(つた)えようとしてるんやろう。  おとんが何かを()いて(のこ)そうとしたように、アキちゃんも、(のこ)そうとしてる。  こんな(やつ)がおった、こういう世界があるんや、(みんな)、見てくれって。  それがアキちゃんの()きたい絵やった。  一(まい)やと足りん、二十八(まい)いる、卒業制作(そつぎょうせいさく)の絵や。  絵画室(かいがしつ)にはいつも、(せい)トミ子が出現(しゅつげん)して、その絵の製作を祝福(しゅくふく)しながら、絵の具()いたり、(ふで)(あろ)うたりして、アキちゃんの世話(せわ)()いてやっていた。  甲斐甲斐(かいがい)しい天使や。  トミ子は時々、それまでも、アキちゃんのアトリエに()けて出ていたという。  あいつに(まか)しておけば安心や。あいつほどアキちゃんのことを(おも)うてる天使はいてへん。  堕天使(だてんし)ならおるけどな……。  そう。何でか知らん、勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)もアキちゃんの製作(せいさく)を手伝っていた。  なんでって、見たいからやろう。アキちゃんの絵を。それを()いてるアキちゃんを。  あいつは、先輩(せんぱい)()れてんのやし、それに大学の後輩(こうはい)や。  また大学の後輩(こうはい)返り咲(かえりざ)いていた。  アキちゃんが犬を()れて京橋(きょうばし)に行き、パルテノン神殿(しんでん)みたいな家に()(おに)勝呂(すぐろ)ゼウスを(たお)してからというもの……。  現実に(おに)退治(たいじ)したんは、アキちゃんの太刀(たち)水煙(すいえん)やったけど、でもまあ水煙(すいえん)はアキちゃんの手柄(てがら)やと言うてた。  (おに)を見つけて退治(たいじ)したんやし、桃太郎(ももたろう)かて、おともの犬や(さる)(きじ)がやった仕事でも、自分がご主人様やいうことで、手柄(てがら)(ひと)()めしてるやん。そういうものやって水煙(すいえん)は言うんや。  そら、まあ、太刀(たち)は道具やしな。絵()いたときに、()いた絵筆(えふで)が、俺の手柄(てがら)やいうて(おこ)ったりはせえへんな。  そやから水煙(すいえん)手柄(てがら)をアキちゃんにくれてやるってことやろか。  とにかくアキちゃんが勝呂(すぐろ)ゼウスを(たお)してからというもの、勝呂(すぐろ)瑞季(みずき)出町(でまち)のマンションに()ついてしまい、他に行き場がないという。  それで秋津(あきつ)の家がなんやかんかしてやって、また大学に(もど)れるようにしてやったんや。  多くの犠牲(ぎせい)(はら)い、また振り出(ふりだ)しに(もど)った。  アキちゃんは大学の絵画室(かいがしつ)で、時々犬と二人っきりでおる。  まあ、トミ子もおるし、大事(だいじ)ないやろけど、俺には心穏(こころおだ)やかではないシチュエーションやな。  それでアキちゃんがまた犬に食われそうかというと、そうでもない。  アキちゃんは卒業制作(そつぎょうせいさく)に入る前に、二(まい)自画像(じがぞう)()いた。  それをそれぞれ、犬と水煙(すいえん)にやって、この絵の中に俺の(おも)いを()めて、封印(ふういん)しといたと言うた。  受け取ってくれ、(うそ)(いつわ)りない、俺のほんまの気持ちや。  それなに。絵やで、ただの。アキちゃんの絵が()いてある。  よう()けてて、ほんまにアキちゃんがそこに()てるみたいな、ええ絵や。俺も()しい。  けど、ただの絵やろ?  そやのにアキちゃんは、そこに水煙(すいえん)を、犬を(おも)う気持ちを封印(ふういん)したし、俺の中にはもう(とおる)(おも)う気持ちしかないわって言うんや。  自分を、三つに分けたって。  分かってくれって。  そう言うて、犬と水煙(すいえん)に、(あたま)()げてた。  水煙(すいえん)はそれを見て、よう分かったわアキちゃん。これはよう()けてる絵や。ありがとう、と微笑(ほほえ)んで言うた。それだけやった。  ほんで、その絵を持って、嵐山(あらしやま)の家に帰ってしもたんや。  帰る。そう言うてええんか。  俺は今やあいつの家は出町柳(でまちやなぎ)のマンションやと思う。  アキちゃんのおるとこが、あいつの家。そうやない?  そやけど俺が口を出すことやない。  アキちゃんは、実家の(くら)(もど)りたいという水煙(すいえん)に、そうか分かったと言い、連れていってしもた。  水煙(すいえん)には、ちゃんと落ち着くための神棚(かみだな)が必要や。  ちゃんと(まつ)ってもろて、神様みたいにしとくには、うちにおったらあかん。  あいつには嵐山(あらしやま)秋津(あきつ)屋敷(やしき)が合うてんのやって、アキちゃんは俺に話していた。  そやから大丈夫(だいじょうぶ)やで。お前が心配することやない、(とおる)、と俺に言うて、それっきりやった。  アキちゃんは、何か自分に暗示(あんじ)をかけたと思う。  決心したらしい。もう俺の他には(だれ)も見ない。(とおる)一筋(ひとすじ)やって。  もともと、あんな(やつ)やのに、俺は普通(ふつう)やと長年、自己(じこ)暗示(あんじ)をかけ続け、ちょいちょいボロは出してたものの、ほぼ一般人(パンピー)やってたような(やつ)や。アキちゃんの自己(じこ)暗示(あんじ)は深い。  自分を分けたし、もう大丈夫(だいじょうぶ)や。犬は見ない。そう決意したら、犬は見ない。  あいつは大学の後輩(こうはい)や。ただの後輩(こうはい)で、好きやけど、ただ好きなだけ。後輩(こうはい)やって、アキちゃんそれで平気みたいやねん。  俺はそれを、良かったなあ、一件落着(いっけんらくちゃく)と思うべきなんやろか。

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