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30-07 トオル

 俺がまた手を()ると、犬はどうしてええか分からんという顔やった。  どうしてええか分からん、俺も。  お前が(にく)いとはもう思わへん。お前もお前なりに、つらいやろう。  (ぎゃく)立場(たちば)やったら、俺もつらい。どうしてええかわからへん。  そうやのに、お前は先輩(せんぱい)のそばにいたい一心(いっしん)で、よう頑張(がんば)ってるよ。いじらしいほどや、俺の目で見てもやで。  あいつも、アキちゃんの(しき)や。チーム秋津(あきつ)のマスコット犬やしな、しゃあないんやわ。置いてやろ。うちの犬として。  ほんまに(ほね)()れますわ。(つか)れる(つか)れる、アキちゃんのツレは。  そやけどな、これ、さすがに()れたで。水煙(すいえん)が何百年も(わり)と平気やったん、ちょっと分かるわ。  悋気(りんき)では死なへん。あいつそう言うてたやん。  でもな、(なまず)(りゅう)が来たら死ぬ。  そんな厄災(やくさい)()()えて、死を()え、火を水を()()えて、思うんは、アキちゃんが生きてて良かったなってことや。それに()きる。  生きてて、(わろ)うてて、元気に絵()いといてくれたら、俺もうそれでええわ。  水煙(すいえん)も、そういう気持ちなんやんな?  そうやろ?  ……そうやろ、って思うねんけど、あいつ()らんねん。変やわあ。  そうやで(とおる)、って、()ればしたり(がお)で言いそうやのにな?  あのな。言いにくいけど、俺、水煙(すいえん)が好きやねん。  変な意味ちゃうで。やりたい(わけ)やないで、絶対(ぜったい)にやめてごめんなさいやで。  でもな、一日に五回ぐらい、ああそうか、水煙(すいえん)おらんのやって、思うんや。  (さび)しいというかな。そう。(さび)しいんやで。  これ何? 愛? 俺、変態(へんたい)やろ⁉︎  まあ、水煙(すいえん)が俺にとって、トミ子のレベルに(たっ)したということやな。  あいつも、俺にとっては、言いにくいけど、友達や。そういうことなんやろうなあ。  ああ、あかん、俺が変態(へんたい)すぎて(つら)いって、大学のキャンパスを校門(こうもん)に向かいながら歩いてる時に、俺の電話が()った。  (おぼろ)や。メールやった。あの幸せな(おに)連絡(れんらく)してきよったで。  (とおる)ちゃん、(ひま)やろ。俺も(ひま)やし、茶ぁ飲まへん?  木屋町(きやまち)の、ソワレって店で待ってるわ、来てねー、って、書いてあったわ。  (ひま)やろやと?(ひま)や‼︎  お前が(ひま)や言うんはほんまか。  おとんどうしたんや。おとん。暁彦(あきひこ)様は⁉︎  まさか一緒(いっしょ)やないやろな。  俺(いや)やで、そんなん。お邪魔(じゃま)虫やん。絶対あかんでって、返信したら、俺一人やでって兄さん言うんで、ほんなら(ひま)やしと思うて、行くことにした。  出町柳(でまちやなぎ)まで叡電(えいでん)に乗って、そこから京阪(けいはん)電車で祇園(ぎおん)四条(しじょう)まで乗り、あとは(れい)の思い出の地、四条大橋(しじょうおおはし)(わた)って真っ直ぐ行けば、木屋町(きやまち)に着く。  ソワレはそこにある、レトロな喫茶店(きっさてん)やで。  怜司(れいじ)兄さんは二階の(おく)の、喫煙席(きつえんせき)にいた。喫煙者(きつえんしゃ)やもんな。  その時も、もくもく(けむり)()うて、だるそうに壁際(かべぎわ)の席に(すわ)っていた。  どっからどう見ても湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)や。  絵になる(やつ)やのう。一人でおるんが(うそ)みたいや。  (とおる)ちゃん来たん、と(おぼろ)は俺を見て微笑(ほほえ)んだ。  テーブルには、まだ飲んだ様子(ようす)がない青いソーダの中に、色とりどりの角切(かくぎり)りゼリーが入った、レトロなグラスが置かれていた。それがこの店の名物(めいぶつ)やねん。  俺もそれにしよっと。  お店の人にそう注文して、俺は怜司(れいじ)兄さんの向かいの席に(すわ)った。 「一人なん?」 「一人やで。(とおる)ちゃんこそ一人なんや」 「そやで。アキちゃん絵()いてるしな。待ってる(あいだ)、俺は(ひま)やねん」 「それは(さび)しいな」  (さび)しいんや。  あんた神戸(こうべ)では平気で一人でおったやん。いつも一人やったで。  ()れるの(きら)いやねんみたいな感じやったやんか。  人も、というか、(しき)も変われば変わるものやな。  今は一人やと(さび)しい。(だれ)かおらんかなあって、俺を()んでくれたんか。  ほんま言うたら、俺もアキちゃんにほうっとかれて(さび)しいねん。  ()んでくれて良かったわ。  最近、兄さんの写真とか動画、街やネットでよう見るで。お仕事活況(かっきょう)のようやわ。  神戸(こうべ)での人界(じんかい)の仕事に始末(しまつ)をつけて、怜司(れいじ)兄さんは完全に京都移住(いじゅう)(かま)えやった。  神戸(こうべ)にはもう未練(みれん)がないんか、ラジオの仕事も()めたし、そのほか諸々(もろもろ)やってた事も後腐(あとくさ)れのないよう片付(かたづ)けてきたらしい。  ほんで次は京都で何か(さが)すんやって。器用(きよう)やなあ。  まあ何でも何なりとすぐ見つけてきそうな様子(ようす)やわ。  すでに怜司(れいじ)兄さんのスケジュールはお仕事予定で()まりつつあるらしいし、(ひま)そうにしてるんは今だけかもしれへん。  ちょっと充電中(じゅうでんちゅう)なんやんな。おとんとラブラブしたりしてな。  二人きりの蜜月(みつげつ)やん。ええご身分(みぶん)やわあ、兄さん。  俺が京都で湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)と会うのは、これが初めてやない。  アキちゃんのおとんとデキてもうて、もう二度と会うことはないんかと思ってたのに、こっちも案外(あんがい)すぐ()うたわ。  お持たせのお菓子(かし)に、キルフェボンのフルーツタルト持って、出町柳(でまちやなぎ)のマンションに挨拶(あいさつ)に来たんやもん。

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