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30-12 トオル
「秋津 の家でもやってたで。焼 き餅 妬 いて、頭おかしなりそうな奴 がおったら、そういう影法師 と穴 に閉じ込 めて、三日三晩 くらいやらせまくるんやん。大体 おとなしいなるらしいで。何も考えられんくらいまでやったったらな」
「それ何怖 い……穴 ってなに……」
「土牢 やん。もう無い?」
まるでアキちゃんの実家にそういうもんがあるみたいに、怜司 兄さん言うてた。
あるのかもしれませんね! アキちゃんの実家、怖 すぎやわ。
そら、周辺住民 にも恐 れられる訳 やで。
恐 れるに足 る実績 があるやないか。
「皆 、信じたいんやん。お前だけやでっていう話が、ほんまなんやって。アホなって信じてられるうちは、幸せでいられるんや。信じさせとき、犬には。そのほうがええわ」
何もない、机 の木目 を見てる怜司 兄さんの目が暗い。
幸せすぎて困 ってるぐらいかと思ってたんやけどなあ。
デキたらデキたで、いろいろあるんやな。
俺らも毎日いろいろありすぎやもんな。楽 な恋愛 なんかないんやなあ。
「俺も早うアホに戻 らな」
しんどそうに笑 うて、怜司 兄さんはそう言うた。
それは、おとんが影法師 やという話やった。
そんなこと、あんたは思わんほうがええと思うけど。あれ、影法師 やった?
俺には、そんなふうには見えへんかったで。
四条大橋 で、お前が抱 きしめた相手は、ほんまもんの暁彦 様やで。きっと。
「阪神 、優勝 したんやったなあ。タイガース」
急に突飛 なことを怜司 兄さんが言うんで、俺はえってなった。
ふと見ると、反対側 の席のおっちゃんが読んでるスポーツ新聞 の紙面 を、怜司 兄さんの涼 し気 な目が見てた。
「信太 、どないしてるん?」
急に思い出したように訊 かれ、俺はちょっと困 った。
どないしてるか知らんのや、怜司 兄さんは。
不死鳥 、こいつには言うてへんのか。
寛太 。まあ、気持ちは分かる。言いたくないねんな。わかる。
「どないって、どないもこないもないよ。神戸 で不死鳥 が餌 やってんのやない? 俺らも会 うてはおらんのや」
「ふうん」
どうとでもとれる生返事 で、怜司 兄さんはぼうっとして見えた。
こういう時、この人何を考えてんのやろうな。全然 わからへん。
「会いたい?」
「いや、別に。どうでもええけど。どないしてんのかなと思って」
「……元 カレが急に気になるんは、今カレと上手 いこと行ってへん奴 の、特徴 やで」
俺が遠慮 がちに指摘 してやると、怜司 兄さんは、何が痛 かったみたいに、痛恨 の表情で、天井 を仰 いだ。
「元 カレちゃうし」
「嘘 やん。それは嘘 やろ。信太 はお前のこと元 カレやって言うてたで。あれだけ世話 んなっといて、それはないんやない?」
「あいつの世話 になんかなってへんで」
嘘 やろ兄さんマジで言うてるみたいやで。目が本気 や。
「無意識 やったんや⁉︎ あれ、あんた、無意識 やったんですね!」
ヴィラ北野 の宴会場 で、暁彦 様にふられたと思ったあんたは、死にそうなってもうて、信太 信太 ってか弱いみたいな声で、虎 に助けを求めてたやんか。
あの時、頭吹 っ飛 んでて、自分では憶 えてへんのか。
それはなんという、お前にとって都合 のええ話やろうか。
「信太 な、記憶 が戻 らんのやって。何か力 になってやられへんのん?」
寛太 でも、蔦子 さんでも、海道家 の他の誰 でもあかんのやったら、あとはお前やろ。湊川 怜司 。
あいつに記憶 を取り戻 すきっかけを与 えられる誰 かは。
「記憶 喪失 の治療 なんか、やったことない」
「そんな技術 を求 めてんのやないやん。ただ、会 うてみるだけやんか」
俺が喉 乾 いてもうて、ソーダを飲みながら言うたら、怜司 兄さんは難 しい顔して、また考え込 み、ぽつりと言うた。
「嫌 や。会いたない」
なんでや……。
「あいつが俺を忘 れてんのやったら、そのほうがええやん。寛太 と生きていくんや」
「それどういう意味や。思い出さへんでもええってこと?」
「そうや。あいつ俺に惚 れてたわ。そのせいで苦しかったやろ。俺はこんなふうやし、あいつを一番には愛してやられへんかった」
「何番にかは愛してたん」
俺が突 っ込 むと、怜司 兄さんはムッと堪 えたような顔をした。
照 れたんやと思えた。
「好きやったんや、やっぱり」
ソーダすすりながらの上目遣 いで、俺は追 い詰 めた。
朧 は調伏 される鬼 のように追 い詰 められていた。
「いいや、好きやない。もう、その話は堪忍 してくれ」
椅子 にぐんにゃりして、怜司 兄さんは観念 した。
好きやったんやな。
大して好きでもないんやったら、お前は平気で、好きや好きや愛してるでって言うんやん。
嫌 や嫌 いやは、好きやってことや、お前の場合。
それを認 めてくれて、俺も嬉 しいよ。虎 もそれで浮 かばれるってもんやん。
「そんなん、暁彦 様の耳に入ったら、えらいことや。俺また捨 てられてしまう」
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