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30-13 トオル

 ほんまにそう思ってるらしく、怜司(れいじ)兄さんは悲しい顔やった。  そうかなあ。アキちゃんは俺が藤堂(とうどう)さん好きやった話を聞いても俺を()てへんかったで。()てかけたけどな!  ほんまの愛で(むす)ばれてたら、そんなもんは障害(しょうがい)ではないんですよ。  そう言うたろかと思って見つめた(おぼろ)の横に、ぼうっと薄暗(うすぐら)(かげ)()かび、それがだんだん、人の形に見えてきた。  え、なにこれ、と俺が思っていると、(かげ)(うで)怜司(れいじ)兄さんの(かた)に回し、それが()れたとたんに、ふっと(あらわ)れ出てきた。  アキちゃんのおとんが。  あまりに突然(とつぜん)登場(とうじょう)やったんで、俺びっくりしてもうて、ソーダぶくぶくってしてもうた。 「(おぼろ)」  ぼんやりと(ひび)く声で、おとんは怜司(れいじ)兄さんのことを()び、(かた)()き、間近(まぢか)に見つめる距離(きょり)(あらわ)れた。  び、びっくりした! な、なんで⁉︎ 「うわ……びっくりした。電話くれたらええのに」  言うほど(おどろ)いてないふうに、怜司(れいじ)兄さんは言うた。  まるで、おとんが頻繁(ひんぱん)に、こうして突然(とつぜん)(あらわ)れるみたいやった。  実際(じっさい)そうらしい。暁彦(あきひこ)様はいつもアポ無しで、ふらっと突然(とつぜん)現れる。  そら、兄さんも、うっかり浮気(うわき)してたら現場(げんば)()さえられるわけやわ。 「なに考えてたんや? (むずか)しい顔して」  俺はお前に夢中(むちゅう)やで。そういう目の近さで、おとんは怜司(れいじ)兄さんの(ほお)()れ、じっと見つめた。  あのう。あのう。俺もいてます。 「なあんも考えてない。(とおる)ちゃんが、ツレが絵()いてばっかで()れないいうて、(なや)んでるから、相談(そうだん)してただけやで」  ごまかす口調(くちょう)で、怜司(れいじ)兄さんは平気でおとんに(うそ)言うてたけど、俺は(だま)っといた。 「暁彦(あきひこ)か……」  にこにこして、おとんは俺を見た。  それでも、がっつり怜司(れいじ)兄さんの(かた)()いてる。  ええなあ、おとん。()ずかしいわ、(みな)見てるやないかとか、言わんのや。  アキちゃんとは大違(おおちが)いやな。 「絵()いてるときは、しょうがないんやで。白蛇(しろへび)ちゃん」  (しず)かな口調(くちょう)で俺に言うて、おとんはまた、怜司(れいじ)兄さんの顔を見た。 「お前の家にいってもええか。行ったけど、留守(るす)やったさかい来た」 「そうか。ごめん。ほな行こか」  怜司(れいじ)兄さんは、ほんまに行くみたいやった。  急やな。俺との話はどこいくんや。  まあ、雑談(ざつだん)やし、ええんやけど。  俺はこの二人が、ここまでべったり付き()うてるとは、思ってへんかった。  おとんは嵐山(あらしやま)の家で見る時と、どことなく別人(べつじん)みたいや。  (たし)かに、アキちゃんの分身(ぶんしん)影法師(かげぼうし)()てる。  これがほんまに、おとん本人なのか、そう思ってみると確信(かくしん)がない。  暁彦(あきひこ)様は(おぼろ)の手を(にぎ)ってやってた。怜司(れいじ)兄さんはそれが満更(まんざら)でもないようや。  変やけど、俺にはおとんがアキちゃんみたいに見えた。  洋装(ようそう)やったせいもある。  おとんは長いこと、お登与(とよ)のお兄ちゃん()えに付き()うて、家ではずっと着流(きなが)し着てた。その和服(わふく)姿(すがた)(いた)についてて、洋服着てると急にアキちゃんみたいに見えてまう。  アキちゃんが(おぼろ)()いてるような気がして、俺は心穏(こころおだ)やかやなかった。変に鼓動(こどう)が早くなる。  これって多分、嫉妬(しっと)なんやろうな。 「おとんは信太(しんた)記憶(きおく)()(もど)す方法を知らへんか?」  俺は急に思い出して、去る気配(けはい)やった二人を引き止めた。  怜司(れいじ)兄さんは、おとんに()()われたまま、(かる)くぎょっとしていた。 「信太(しんた)、とは」 「神戸(こうべ)(なまず)生贄(いけにえ)なった(とら)や。怜司(れいじ)兄さんの元彼(もとかれ)やねん」  静止(せいし)した二人の目が、俺を見下ろしていた。 「元彼(もとかれ)ってなんや」  さすが昭和(しょうわ)ひとけた。おとん元彼(もとかれ)が何か知らんようやった。不思議(ふしぎ)そうに俺を見た。 「情夫(いろ)いうことやで」 「あいつか……」  ああ、納得(なっとく)やという顔をして、おとんは俺を見た。 「好きやったんか?」  怜司(れいじ)兄さんの目を真正面(ましょうめん)から見て、おとんは直球(ちょっきゅう)を投げてた。  それに怜司(れいじ)兄さんは答えられへん。ただ(こま)った顔をしていた。 「ふうん。(へん)やな。()けるわ」  おとんは淡々(たんたん)と言うた。 「教えてくれて、おおきに。こいつは何にも話してくれんもんやから。七十年も()ったんや、そりゃいろいろあったやろう。俺は別に気にしいひん。ただちょっと、(せつ)ないな」 「そう?ほんまに?」  (おどろ)いた声で、怜司(れいじ)兄さんが聞いた。 「(うれ)しいわ」  じわりと()ずかしそうに、怜司(れいじ)兄さんは(つぶや)いた。 「そうか?」  おとんは不思議(ふしぎ)そうや。 「怜司(れいじ)兄さんは、おとんがあんまり好きや好きや言うてくれるもんやから、手玉(てだま)に取られてるみたいで(こわ)いんやて言うてたで」  俺がストレートに暴露(ばくろ)しといてやった。怜司(れいじ)兄さんはそれに、何を言うねんて、俺を(うら)んでる顔やったけど、おとんは素直(すなお)(おどろ)いていた。 「言うたらあかんのか。ほんなら、やめとくけど……」 「やめんでええんやで。ただ、本心(ほんしん)かどうか不安なんやろ。おとんが(しき)にええこと言うてやってんのに()てるって」  言うてみるもんやで、何でも正直(しょうじき)に。  俺がその話をすると、ふふふとおとんは面白(おもしろ)そうに笑った。

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