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30-19 トオル
おとんが、俺が連絡 とろか、て顔で、自分のシャツの胸 ポケットからテーブルに携帯電話 を出すと、朧 はそれを怖 い顔でばしっと押さえ込 んだ。
「あかん。お前は電話すんな。その電話は、俺専用 の回線 や」
怖 い、朧 様。
もしこの電話でおとんが朧 以外に電話したら、どないなんのやろ。
あかん言うたのに電話したなぁ、いうて、魔神 みたいな怜司 兄さんが化 けて出てくるんかな。何かそんなムードやで。
「暁彦 様は坊々 育ちで世間知 らずなんやから、そんな雑務 は式 にやらせといたらええんや。お前はにこにこして座 っとけ。それがいい、一番、害 がない」
「ほなそうする」
おとん、朧 に言われて、にこにこして座 ってた。
「万事 、よきに計 ろうてくれ、白蛇 ちゃん。誘 うてくれて、おおきに。実は、描 きたい絵があるんや。言われてみたら、一枚 あるなと思たわ」
テーブルに頬杖 ついて、おとんはいつもの淡 い笑顔で俺を見ていた。
その顔が、なんかな。なんか……可愛 いんや。
めっちゃ可愛 い男やで、この人。
アキちゃんもそうやけど、おとん、それを上回 る可愛 さや。
たぶん、皆 に愛されて、大事 にされて育った人なんやんな。愛憎 とか、悋気 とか、恐 ろしいドロドロがあったにせよ、大勢 に愛されて奉 られてきた、お殿様 か王子 様のような人や。
俺のことも、お前は俺を愛してんのやろという目で見てきて、それが全然 嫌味 やないねん。
すごいな、秋津 の跡取 りパワー。いかにもこれが、秋津 の坊 やわ。
「それを描 くわ。七十年ぶりやけど」
「何、それ。どんな絵なん?」
「内緒 やな。出来 上がってのお楽しみやで」
にっこり言うて、おとんの話は終わりやった。
さ、行こかと、おとんは朧 を誘 った。
朧 はまだ少々、納得 でけへんという顔ではあったが、暁彦 様が行くて言うてんのや。逆 らう気はないという服従 の面 で、うんうんと黙 って頷 いた。
ソワレの会計 は、怜司 兄さんが払 ってくれた。無職 のやつらに自分で払 わせる気はないわというのが、怜司 兄さんの持論 やった。
そこへ、カメラ持った旅行者 らしい女子 が二人、うきうきと期待 に満 ちた目を輝 かせながら、怜司 兄さんのところへ来た。
レジで金払 うてるのに、めっちゃ肉薄 してくる女子 やで。
「あのう……湊川 怜司 さんですよね?」
「そうですけど」
返事 する怜司 兄さん、魂 抜 けてる顔してる。めっちゃオーラないで。
おとんに邪魔 や言われたショックで、まだ半分くらい死んだままやねん。
「サインもらえませんか?」
御朱印帳 を差 し出してきた女子 の顔と、八坂神社 の御朱印 書いてある前のページを見比 べて、怜司 兄さん、何で俺が御朱印 書かなあかんねんという、とほほ的 な顔をした。
ある意味、合 ってんのちゃう。お前は鬼 やのうて神やし。御朱印 書いといてやったら。
俺とおとんはにこにこして横に立ち、それを見守った。
「嫌 や。面倒 くさいし。写真やったら一緒 に撮 るよ」
ほんまか、大サービスやな、兄さん。女子 たち、キャー言うてた。
御朱印 のほうが無難 とちゃうの、と俺には謎 やったけど、怜司 兄さんは最近、ネットで流通 する神や。
自分に関する噂 が増 えれば増 えるほど、力がついちゃうのやし。写真とってSNSにアップロードしてねー、どんどんどうぞー、みたいな人や。
若干 顔死んでるけど、自分よりずっと背 の低い女の子たちと、一緒 にセルフィー撮 ってやっていた。
それが一瞬 でネットにあがり、位置情報 と顔認証 を晒 して走る。
俺はここに居 るでって、全世界に向かって宣伝 しとるようなもんやわ。
喫茶 ソワレ。それかて京都の観光名所 として、ネットの地図にちゃんと載 ってんのやしな。
兄さん、迂闊 よ。それとも、わざとやってるんか。
俺らが店のドアをくぐり、早い冬の夕方の陽 になりはじめていた木屋町 の、高瀬川 沿 いの歩道に出たあたり。
怜司 兄さんは、暁彦 様の背 を押 して歩き、俺はたぶん、その背後 に隠 れてた。
そこを襲 われたんや。パパラッチさんに。
カメラを構 えた猛獣 みたいなのんが、川沿 いから突進 してきて、連続 シャッターで写真を撮 った。
その激 しい音を聞きつつ、怜司 兄さんは、ぽかんとしてた。
別に避 ける気はないみたいや。
「ええとこ撮 ってくれたわ」
ぼそりとそう言うて、怜司 兄さん、横におったおとんを抱 き寄 せ、めっちゃキスした。
ここはこう撮 れみたいな、まるで雑誌 のグラビアのような、絶妙 のカメラアングルやった。
計算 しとるな、さすがはプロや。
パパラッチさん、もちろんめちゃめちゃ撮 ってたで。
撮 らんわけないやんか。ランウェイの神が、撮 ってくださいみたいにポーズ決めてんのやしさ、そこでシャッター切られへんかったら、写真屋としてはモグリやで。
めっちゃ撮 られた。たぶん百枚 近くいったんやない。
それぐらい長く、怜司 兄さんはキスしてたんや。
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