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30-21 トオル

 俺は出来(でき)(かぎ)りの全力(ぜんりょく)で、存在(そんざい)感を消して歩いてた。  俺はいません。見んといて。写真もやめて。俺、(うつ)らへんからな。断固(だんこ)拒否(きょひ)やでって。 「あれ暁彦(あきひこ)様やのに。暁雨(ぎょうう)さんのほう。それでも有名度(ゆうめいど)において本間(ほんま)先生のほうが上やった。最悪(さいあく)や。何で俺が画学生(ががくせい)のツレやねん。心外(しんがい)やわ」  ぷんぷん(おこ)りながら、湊川(みなとがわ)四条通(しじょうどお)りを南座(みなみざ)のほうから八坂(やさか)神社に向かって歩いて行く。  (みな)、見てる。めっちゃ見てる。めっちゃ見てるう……。 「心外(しんがい)やはアキちゃんの台詞(せりふ)やと思うで」  極力(きょくりょく)目立たんように、ひたすら小声(こごえ)で俺は話した。 「なんでや。(うわさ)の中でだけでも、俺とやれて果報者(かほうもん)やで、先生は。何かな、ネットに(だれ)かが勝手(かって)に書いた小説とかあるんやで。見た? 俺が本間(ほんま)先生とめちゃめちゃやってた。どっちがどっちやろうとか、(みんな)、かなり一生懸命(いっしょうけんめい)に言うてた。ありがたいなあ」  ありがたいなあ。また怜司(れいじ)兄さん霊力(れいりょく)増えちゃうっていう話や。  俺、そんなん見てへんで。  アキちゃんも見てへん。学校で絵()いてて見てへん。  見たら死んでると思う。  あと(わず)かで、卒制(そつせい)も終わろうとしてる。最後に残したという、一番()きたかったらしい絵を、(まん)()して()いてんのや。  その最後も最後、またとない大事(だいじ)な時に、アキちゃんが事切(ことき)れたら(こま)る。 「ここやな、(とおる)ちゃん。西森(にしもり)はんもう来てんのかな」  路上喫煙(ろじょうきつえん)防止条例(ぼうしじょうれい)のため、まだ火は付けてない煙草(たばこ)(くわ)え、(おぼろ)は白いビルのエントランスの、半円形(はんえんけい)階段(かいだん)を、長いおみ足て軽やかに登っていった。 「どうもー、おはようさんどす」  西森(にしもり)さんは中にいた。  まだ、がらんとしたビルの内装(ないそう)の、リノリウム()りの(ゆか)に立ち、(ひん)のええキャメル色のカシミヤのコート着て、深いグレーのマフラーして立っていた。  中は寒い。それでも怜司(れいじ)兄さんは薄着(うすぎ)や。  勝負服(しょうぶふく)やからか。毎日が勝負服(しょうぶふく)やないか、兄さん。  大きく両手を広げて室内に入っていき、怜司(れいじ)兄さんは、自分より()の低いおっちゃんを、ぎゅうっと()きしめた。 「怜司(れいじ)くんか、おはようさん。今日はわざわざご足労(そくろう)いただきまして、おおきに、ありがとうさんどす。早速(さっそく)図面(ずめん)見よか」  ビルの中は、前の()(ぬし)が立ち退()いた後がそのまんまになっていて、洋食(ようしょく)のレストランの仕様(しよう)やった。  たくさんの丸テーブルがあり、(おく)にはキッチンがある。  そして植民地(コロニアル)風味(ふうみ)の白い螺旋(らせん)階段(かいだん)があって、()()けを通り、二階へと続いていた。 「一階をギャラリー、二階を事務所(じむしょ)にして、三階より上をアトリエと、簡単(かんたん)な住まいにしたらどうやろう。絵を()きはじめたら、家帰るんが億劫(おっくう)にもなるやろうし、風呂(ふろ)ぐらいあってもかまへんと思うてな」 「ええね、俺、風呂(ふろ)大好き」  にこやかに同意(どうい)する怜司(れいじ)兄さんの風呂(ふろ)好きは、今ここで言うてええような理由ではない。  (みんな)はもう、(わけ)は知ってるな。  この人、風呂(ふろ)でやるのが好きなんや。  ここではやるなよ、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)。  このビルは、他でもない。西森(にしもり)さんが見つけた、アトリエ(けん)事務所(じむしょ)にどうやろという物件(ぶっけん)で、四条通(しじょうどお)りに(めん)し、八坂(やさか)神社の鳥居(とりい)をほど近くに(なが)められる、京都は祇園(ぎおん)(ちょう)一等地(いっとうち)やった。  怜司(れいじ)兄さんの家からも、そう遠くない。 「神棚(かみだな)を作れって、どういうことなんや? しかもこれ、ものすごデカいで」  西森(にしもり)さんは、俺と怜司(れいじ)兄さんを交互(こうご)に見て、手に持った大きい青写真(あおじゃしん)()ってる紙をひらひらさせた。 「人間入れるぐらいのデカさやで? 寸法(すんぽう)間違(まちが)えてへんか?」 「間違(まちが)えてへん。人間が入るんや」  人間ちゃうけど。水煙(すいえん)やけど。  アキちゃんが、あいつ置いとく神棚(かみだな)がいるなあって、ずうっと言うし。  最近あいつはずっと人型(ひとがた)でいるんやし。それやったら神棚(かみだな)も人間サイズのがいるやん。 「どういうプレイ?」  真顔(まがお)西森(にしもり)さんが聞いてきて、怜司(れいじ)兄さんはけらけら(わろ)うてた。  そういうプレイや、西森(にしもり)。神と人との和合(わごう)や。  (くわ)しく追求(ついきゅう)せんといて。  この長い話を、俺にここでもういっぺん(かた)れというんか。それは無理(むり)やで。 「アトリエ入るとこ見せて」  怜司(れいじ)兄さんが上に上がる道を(さが)して、螺旋(らせん)階段(かいだん)を上がっていった。  コートは()げへん、まだ暖房(だんぼう)もなにもない部屋を、うろうろ歩き回って(なが)めている怜司(れいじ)兄さんは、美しい(まぼろし)みたいやった。  西森(にしもり)さんがこっそり俺に耳打(みみう)ちした。 「あれめちゃめちゃ綺麗(きれい)な子やな。どこで見つけたんや」 「神戸(こうべ)に落ちとったんや」 「神戸(こうべ)か。あれ、藤堂卓(とうどうすぐる)(この)みやないか?」 「いいや。藤堂(とうどう)さんはあれはあかん。あれは悪い子すぎるんや。もっとお(かた)いのがええんやで」  たとえば神父(しんぷ)みたいなな。  俺は苦笑(にがわら)いして、西森(にしもり)と二階へ上がった。  それに怜司(れいじ)兄さんにはもう本命(ほんめい)()るねん。  いきなり西森(にしもり)()きつくところを見ると、脇目(わきめ)もふらずという事ではなさそうやけど、怜司(れいじ)兄さんの本命(ほんめい)はもうブレへん。永遠(えいえん)にな。 「階段(かいだん)、ここまでしかないやん?」

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