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30-22 トオル

 二階で止まってるように見えるビルの部屋(へや)を見回し、湊川(みなとがわ)(たず)ねると、西森(にしもり)さんは不動産屋(ふどうさんや)のおっちゃんのように、(うら)にある上階(じょうかい)への通路(つうろ)を教えてくれた。  五階まであるビルの部屋(へや)は、新しいとは言えへんかったけど、天井(てんじょう)が高くて、レトロっぽい、いい部屋(へや)やった。  これやったら、おとんも好きやろう。  そう思ってんのかどうか、この部屋(へや)をどうリフォームしようかなあという目で、怜司(れいじ)兄さんは(あた)りを見回し、やがて俺のほうを()(かえ)って、にっこりとした。 「ええな、ここ。ここやったら、()けるかな。自分の()きたいもんが?」  おとんの話やんな。お前、おとんのことしか考えてへんのやもんな。  言うとくけど、ここ、アキちゃんのために用意(ようい)するアトリエなんやで。俺の男のもんやの。  おとんはそのアキちゃんの首を(たて)()らせるための(えさ)やん。  ここで絵()いて、画家(がか)になり、アキちゃん。おとんも付けるで。  一緒(いっしょ)に絵()いて、親子対決(おやこたいけつ)永遠(えいえん)に続けられるんやで。  ええやろ。(ゆめ)みたいやろ。  いろいろ死んでもうてたお前のおとんも、(おぼろ)との運命(うんめい)(こい)成就(じょうじゅ)させ、また絵()くていうてるわ。  これにて本当に一件落着(いっけんらくちゃく)やな。  俺ら、ようやったわ。ほんまによう頑張(がんば)った。  あとはアキちゃん、お前自身が自分の人生と出会う(ばん)やわ。俺はそう思う。  ここで自由に、好きな絵を思う存分(ぞんぶん)()いて、俺と永遠(えいえん)に生きよう。  そうやって、アキちゃんを説得(せっとく)するつもりやねん。  どうやろう。あいつ、うんて言うかな。 「いやあもう、ほんまに、()(がた)い話やわ。暁雨(ぎょうう)さんと、暁月(ぎょうげつ)さん? その雅号(がごう)でいくんやろ。双子(ふたご)天才絵師(てんさいえし)やなんて。これは売れるで……」  そう言う西森(にしもり)は、(よだれ)が出そう。  デビュー前からアキちゃんまで天才認定(にんてい)されとるわ。  まあ、そこは西森(にしもり)が、大きく育ててくれるやろう。このおっちゃん、ほんま辣腕(らつわん)なんやしな。  画商(がしょう)西森(にしもり)が、天才言うたら、天才なんや。 「暁雨(ぎょうう)先生は、今は何か()いてはりますか」  西森(にしもり)は、いつもおとんに()り付いている怜司(れいじ)兄さんを、(はなし)(とお)さなあかん相手(あいて)やと認識(にんしき)してるようやった。 「いいや。全然(ぜんぜん)。あの人、のんきやねん。坊々育(ぼんぼんそだ)ちやし、のらりくらりやしな。ここが出来(でき)たら()くわって言うてた」  そう言うて、白川(しらかわ)で遊んでばっかりおるんやな。  (おぼろ)(いと)しいて(いと)しいてたまらんのやな。  わかる。怜司(れいじ)兄さんの体は良すぎる。顔も美しすぎる。しょうがない。  そやけど、もっと自分の男のケツ(たた)け、(おぼろ)。すぐにデレてまうんやからなあ、もう。 「それやったら、工事(こうじ)(いそ)がせましょな。こうしちゃおれんわ」  西森(にしもり)は、何が何でもおとんから絵を(しぼ)()るつもりでおるわ。楽しみやなあ。  アキちゃんにとっても、この環境(かんきょう)は、(ねが)ってもないことやろう。  いつも怖気立(おぞけだ)つような強い刺激(しげき)が、おとんの絵から供給(きょうきゅう)される。  心休(こころやす)まる日は一日もないかもやけど、でも、あいつも、追い立てられて()くやろう。  昨日(きのう)より、今日(きょう)より、おとんよりイケてる絵を()こうって、決して()きることのない長い一生を送れるに(ちが)いない。  俺はそれを、(だま)って見守(みまも)るわ。  ああ、でも、時々、仕事に(さわ)りない範囲(はんい)でデレていい?  ええよな、それぐらい。  俺は淫乱(いんらん)魔性(ましょう)(へび)さんなんやで、それくらいさせてくれよやで。  その(あま)(みつ)のような誘惑(ゆうわく)も、絵師(えし)にとっては(げい)()やしや。  俺らは図面(ずめん)確認(かくにん)し、ほなこれで、よろしゅうお(たの)(もう)しますと、西森(にしもり)と頭を下げあった。 「(とおる)くん、藤堂(とうどう)(すぐる)神戸(こうべ)で元気にやっとるんか」 「元気やで。会いに行ってへんの?」  意外(いがい)やな、仲良(なかよ)しやのに。 「気まずうてなあ。あいつの葬式(そうしき)でギャン泣きしてもうて」  あっはっはと西森(にしもり)のおっちゃんは(がら)にものう()れたふうやった。 「献花(けんか)のとき、棺(かん)に(すが)って号泣(ごうきゅう)してもうたわ。そしたらあいつ、生き返りやがるんやもん。代わりに俺が死にそうなったわ」  それはそれは、格好(かっこう)つかへんなあ、西森(にしもり)さん。  でも、もし良かったら、そろそろ会いにいったらどうやろ。  いつまでも会えへんかもしれん。  あの人ももう、(とし)とらん身になってもうた。  あんたが生きてられるのは、あと何十年かやろ。生きてる生身(なまみ)の人間が、こんなに(わか)いはずあらへんていう時がきたら、藤堂(とうどう)さんはもう、あんたと()うてくれんかもしれへんのや。()(わけ)いかへんのやもん。  そんな日が来る前に、なんとかせえ。  それが俺からのアドバイス。  そのままそっくりは言われへんのやけど。(さっ)してくれ、西森(にしもり)さん。 「元気やで、藤堂(とうどう)さんは。それにアキちゃんがな、卒制(そつせい)()いた絵を、あの人のホテルに一部、寄贈(きぞう)したいんやって。あんたが納品(のうひん)してやってくれへんか?」 「卒制(そつせい)か……楽しみやな!」  西森(にしもり)が、ほんまに楽しみやというふうに、強い目で言うんで、俺も思わす微笑(ほほえ)んでいた。

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