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30-25 トオル
初めて見る絵やった。
下書きすら、アキちゃんは秘密 やいうて、見せてはくれへんかった絵や。
そこには、俺とアキちゃんが描 かれていた。
深い闇 の中で抱 き合い、絡 みつき合う、二匹 の蛇 のような。白く光る熱い身体 で、もう二度と、死にも神にも分 かたれへん、強く結びついた姿 で抱擁 し、口付 けをしてた。
どう見ても、これ、やってる最中 やな……。
俺は静かにそう思うて、絵を眺 めた。
絵の中の俺の、陶酔 した、もう今にもあかんみたいな顔と、胸苦 しい愛に苦悶 してる、アキちゃんの顔。
その二人の手が、指が、熱く溶け合 う金属 の、白熱 した様 のように、絵の中で明るく光ってるのを。
絵には走り書きの、付箋 が添 えてあった。
たぶん、この絵の題 を、アキちゃんが最後につけたんやろう。
その紙には、アキちゃんの筆跡 の、俺には見慣 れた愛しい鉛筆 の文字で、こう書いてあった。
『永遠 』と……。
俺はそれに、感動 したんやったか。あんまり頭真 っ白 になってもうて、何も考えられへんようになってた。
絵の左下には、青い絵の具で、アキちゃんの雅号 が入っていた。
暁月 と。
それがアキちゃんが、自分の雅号 を入れた、人生で初めての絵で、新しいアキちゃんの、ぼんくらの坊 で、ごく普通 の画学生 やった自分を終 えた瞬間 の絵やった。
いい絵やわ。これは。
なんか急 に泣けてもうて、俺はアキちゃんを起こさんように、そこで声を殺して泣いた。
ああもう、これで、終わったんやわ。鯰 も、龍 もおらんようになった。
アキちゃんと俺はもう、誰 にも邪魔 されることなく、ずうっと一緒 に居 れるんや。
この絵のように、固く抱 き合 い、お互 いを貪 って、永遠 に愛し合える。
それはどんなに幸せなことやろう。
俺がそれを望 んでるんやない。アキちゃんが、それを望 んでくれてんのや。
そうしてそれを、絵にして、俺に教えてくれたんやな。
「亨 くんか……?」
毛布 持って突 っ立ってる苑 先生が、廊下 に見えた。
俺はもろに泣いてたもんやし、めっちゃ気まずい。
でも、そうやからって泣きやめるような泣き方やなかったんやろな。
俺はめそめそしながら、苑 先生と向き合 うていた。
何も言わん俺に、どないしたんやって困 り顔で、苑 先生はそばに来て、寝 てるアキちゃんの背 に、そうっと毛布 をかけてくれた。
その毛布 、苑 先生の教授室 にあったやつやろ。
先生が帰るの嫌 んなって、学校に泊 まる時に使 うてるやつや。
嫌 やなあ、そんなん着せられるの。アキちゃん起きたら、たぶん吐 くで。
でも、ありがとうやで、先生。今はアキちゃん弱ってるもんな。ありがとう。
「通 ったで、教授会 。なんとか説得 したわ」
「この絵? これがあかんかったんやな?」
どう見てもエロ絵やもんな。
でも、別に、弁護 するわけやないけど、アキちゃんはこれを、変 な気 起 こして描 いたんやないと思うで。
ただただ心の中から湧 いてきた絵として、描 いただけで、見てても別に変 な気 なんか起こらへん。
むしろ、絵の中から溢 れ出てくる深い愛情に、心が静まり返る。そういう絵やで、これは。
そやけどこれ、やってるもんな。あかんかったか、先生。
「あかんことない。下絵 見た時、正直ドン引きやったけど、でもこれ、ええ絵やろ。仕上 がっていくのを、ここで見て、俺もそう思ったわ。感動 するな」
先生がドン引きやったんは、アキちゃんが好きやからやろ。
俺がアキちゃんと寝 てるとこなんか、見とうなかったんやんか。
俺には分かるよ。無視 するけどな。
だって先生、そんなキャラちゃうやんか。アキちゃん好きでも、なんもせえへん意気地 なしやんか。
「土下座 して教授連 に頼 んでもうたわ。まさか学生のためにそこまでさせられるとは、仕事とはいえ骨 やった。俺が土下座 したのん、人生これで二回目や。絵描 きになりたいって、おとんに頭 下げた時以来やで。もしこの絵を卒制 に出して、問題になってもうたら、責任 とるさかい、俺の首 切ってくれて言うてもうたわ。どないしよ……」
苦笑 いして、苑 先生は、ああ疲 れたわって、絵画室 の床 にあぐらかいてた。
もう椅子 が、俺とアキちゃんの分しかなかったせいや。
まあ先生は床 でええか。苑 先生やもんな!
「本間 君も、これで卒業 やわ。おめでとうやな」
しみじみ言うて、先生は寂 しそうやった。
そうやな、先生とも、お別 れや。
アキちゃんがこの学校に来るんも、そういうことなら、あと僅 かの間 やわ。
「本間 君、卒業後 はどないするんや? まだ決めてへんて、ずっと言うんやけど、決めてへんて言うてていい時期 は、とっくに過 ぎてるで?」
そうなんかな、もう師走 やからな。
「アキちゃん、絵描 きになるんや。祇園 にアトリエも用意した。画商 の西森 っておっちゃんが、もうアキちゃんを押 さえてて、描 けたそばから絵売るんやって、息巻 いてる」
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