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30-35 トオル

 今日の水煙(すいえん)は、普通(ふつう)美青年(びせいねん)バージョンやで。車椅子(くるまいす)乗せて、俺が服も着せたった。  だってアキちゃんが着せたら、変な気起こるかもしれへんやん。用心(ようじん)用心(ようじん)。  本家(ほんけ)分家(ぶんけ)やて、いろいろ面倒(めんどう)やのう。来たけど帰ったでええやん。 「俺もう帰ったほうがええかな……」  俺の(となり)で、めっちゃ小さくなっていた寛太(かんた)が、()()くような声で聞いた。  アキちゃんに(とら)送り届(おくりとど)けて、寛太(かんた)(つか)いの仕事はもう終わってる。退()がれと言われたら、退()がるべきところなんやそうや。  (つか)いで来た式神(しきがみ)に、ビールおごったりはせえへん。それが普通(ふつう)やて、水煙(すいえん)は言うけど、そんなん言うなやで、寛太(かんた)は友達やないか。  せっかく神戸から来たんやで、ちょっと遊んで帰ったらどうやねん。 「(おぼろ)はどうしたんや」  水煙(すいえん)が、俺とアキちゃんが()けてる話題(わだい)をズバッと言うた。  ズバリ言うよね、水煙(すいえん)兄さん。気まずくないんや。  そうやろなあ。お前はそういう(やつ)や。 「用事(ようじ)があって(おく)れるて言うてる」 「早う来いと言えばええんやで」  アキちゃんに、水煙(すいえん)はかすかに(まゆ)()せ、忠告(ちゅうこく)していた。  (おぼろ)(うそ)ついてると思うんやろう。  俺もそう思うてたんやけどな、実際はそうでもなかってん。 「ネットで(さが)したら見つかるんやないですか。あの人、目立(めだ)つし」  瑞季(みずき)がぼそりと言うた。 「そうか? ならお前が(さが)してくれ」  水煙(すいえん)(たの)まれて、瑞季(みずき)(うなず)き、自分の携帯(けいたい)電話で、何やら検索(けんさく)していた。 「ああ、いました。やっぱり」  何か見つけた、その画面を、瑞季(みずき)(わけ)分かってないもんやから、平気でアキちゃんに見せた。  そこには怜司(れいじ)兄さんが写ってたんや。  (だれ)か通りすがりの(やつ)勝手(かって)()って、SNSに上げた画像(がぞう)やった。湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)ってタグがついてる。  案外、簡単(かんたん)に見つかるもんやわ。本人それを知ってんのかどうか、分からんのやけど。  そんなことより、俺が気になったんは、アキちゃんが見てる犬の電話の画面を見た時、横にいた信太(しんた)も、びっくりしたようやった事や。  かすかにやけど、(とら)ははっとした顔やった。  それから信太(しんた)は、これ(だれ)やっけという、記憶(きおく)(さぐ)ってる目つきになった。  (おぼ)えてないんや、ほんまに。  でも、(わす)れてる(わけ)やない。思い出せへんだけや。 「中華街(ちゅうかがい)ですね、神戸の」 「何でそんなとこまで()げたんや、あいつは」  アキちゃんはがっかりした(ふう)やった。  いやいや、まだや。実は桃饅頭(ももまんじゅう)()うて(もど)るんかもしれへんやん。怜司(れいじ)兄さん。  それは無いか……。()げただけか。 「でもこれ、三時間前です」  そこからさらに移動(いどう)したはずや。瑞季(みずき)がそれをアキちゃんに教えてやっていると、待ち人は突然(とつぜん)、現れた。  個室(こしつ)のドアががちゃっと開いて、怜司(れいじ)兄さんは当たり前のように現れた。  (おそ)なってごめんねー、(ちょう)寒いな今日、とか言うて、全く(わる)びれんふうや。 「寛太(かんた)やん。(ひさ)しぶり」  にっこりと満面(まんめん)の笑みで、怜司(れいじ)兄さんは(うれ)しそうやった。  寛太(かんた)に会えたんが、ほんまに(うれ)しいみたいやった。  (はじ)かれたように、寛太(かんた)椅子(いす)から立った。  コート()いでた怜司(れいじ)兄さんは、それにびっくりしてた。 「怜司(れいじ)!」  思いつめたような顔で、鳥は(おぼろ)()んだ。  コートから片腕(かたうで)だけ()いだところで、怜司(れいじ)兄さんは止まっていた。 「ごめんやで、怜司(れいじ)! 俺……、信太(しんた)冥界(めいかい)から連れて(もど)る時に、()てた。いっぱい、怜司(れいじ)との思い出は、もういらんて思って、すごい沢山(たくさん)()ててきてもうたんや」  もう涙目(なみだめ)なってる不死鳥(ふしちょう)に、怜司(れいじ)兄さんはぽかんとしてた。 「ごめん……。それで(ばち)当たってもうて、信太(しんた)は何も思い出せへんのやと思う。信太(しんた)にとっては、きっと、大事(だいじ)なもんやったんやな」  (みんな)、鳥の突然(とつぜん)激白(げきはく)に、ぽかんとしていた。水煙(すいえん)以外。 「あー……」  なるほどね、って、怜司(れいじ)兄さんはすごく軽い相槌(あいづち)を打ち、ちゃんとコート()いで、それをコートかけのハンガーにかけた。丁寧(ていねい)やな、兄さん。  そして(おぼろ)は、たまたま()いていた、丸テーブルの寛太(かんた)(となり)椅子(いす)(すわ)った。  お行儀(ぎょうぎ)悪く、長い足を組んで、寛太(かんた)に向かって横様(よこざま)(すわ)姿(すがた)は、どこかの美術館にある彫刻(ちょうこく)か、まるで絵の中の一場面(いちばめん)のようや。  美しいなって、怜司(れいじ)兄さんを知ろうが知るまいが、思わず見てまう。そういう人や。  信太(しんた)怜司(れいじ)兄さんを見てた。  それが、思い出したってことなんか、こいつは(だれ)やって思うてるのか、ただ真顔(まがお)でじっと見るだけの視線(しせん)では、なんもわからん。 「気にすんな、寛太(かんた)。お前は正しいわ。俺のことなんか(おぼ)えといたかて、何の()しにもならへん。(わす)れてええんやで。なんで泣いとうのや」  にこにこして寛太(かんた)(はげ)ます怜司(れいじ)兄さんは、(やさ)しかった。  寛太(かんた)にはいつも(やさ)しかったんかもしれへん。  そういえば俺にも(やさ)しい。アキちゃんにも、犬にも、(だれ)にでも兄さんは(やさ)しかったんやないか。水煙(すいえん)以外には。

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