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30-39 トオル

 出された料理を全て(たい)らげ、デザートの杏仁豆腐(あんにんどうふ)食うて、怜司(れいじ)兄さんはめっちゃ酒を飲んで、瑞季(みずき)はオレンジジュースしか飲ませて(もら)われへんで、鳥さんはずっと甘酢(あまず)()けのキュウリ食うてて、水煙(すいえん)は、アホやなあこいつらていう目で、(やさ)しく俺らを見つめるだけで、宴会(えんかい)はお(ひら)きになった。  (みな)、そろそろ帰ろうか。それぞれ俺らの帰るところへ。  寛太(かんた)蔦子(つたこ)さんのところへいっぺん(もど)らねばならず、(いと)しい信太(しんた)とは、一夜(いちや)の別れやった。  それでも寛太(かんた)はめちゃめちゃ泣いたが、それは新しい門出(かどで)(うれ)(なみだ)でもあった。  信太(しんた)は、(おぼろ)と京都に残る気はなく、寛太(かんた)のいる神戸(こうべ)へ帰ることにしたんやって。  そう、信太(しんた)の帰るところはもう、神戸(こうべ)の、寛太(かんた)のおる甲子園(こうしえん)の家をおいて他にない。  ふたりはずっとそこで、いつまでもいつまでも幸せに()らすやろう。ナイター見たり、アロハ着たりして。  信太(しんた)寛太(かんた)を、東華菜館(とうかさいかん)から目と鼻の先にある、阪急(はんきゅう)電車の乗り口まで送り、俺らもそれに付き()うた。  二人は(かた)抱擁(ほうよう)して別れ、正直ちょっとキスもした。  めっちゃ見られた。キスしすぎ。  ()(ぱら)ってるんですよ。そういうことにしといて。  寛太(かんた)はまた泣くんかい、不死鳥(ふしちょう)やのうという泣上戸(なきじょうご)で、信太(しんた)と別れ、俺らはあいつの赤毛(あかげ)が見えんようになるまで、手を()見送(みおく)った。  さあ。ここからですよ、本番(ほんばん)は。  むしろここからが、厄介(やっかい)なんですよ。  酒飲んでもうた俺らは、もちろん最初から飲む気満々(まんまん)やったんで、電車で帰る。  四条大橋(しじょうおおはし)(わた)り、祇園四条(ぎおんしじょう)駅から京阪(けいはん)電車で。  バリアフリーやし、瑞季(みずき)()してやってる車椅子(くるまいす)水煙(すいえん)かて、(なん)なく行ける。  信太(しんた)はしゃあない。うちに連れて帰るけど、どこで()るんや。  ()んかったらええかって、俺らは引き続き家で飲むことにして、そこでお(わか)れなんやった。怜司(れいじ)兄さんとは。  白川(しらかわ)の家は、ここから歩きやで。  橋を(わた)って、川端(かわばた)通りを川沿(かわぞ)いに歩く。  そうしたら白川(しらかわ)の流れと出会う。  美しい思い出のある、しっとりとした帰り道や。  祇園(ぎおん)(やなぎ)冬枯(ふゆが)れて、月に()らされ、怜司(れいじ)兄さんを見守っている。 「ほな帰るわ。お(つか)れさん」  コートのポケットに寒そうに手を入れて、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)は俺らから(はな)れて立っていた。  雪()りそうな朧月(おぼろづき)が、鴨川(かもがわ)にかかっている。 「ええのん。一緒(いっしょ)にうち来て飲み直したら?」  せっかく信太(しんた)(もど)ったんや。楽しい宴会(えんかい)の続きをと、俺は名残惜(なごりお)しいなって、思わず(おぼろ)(さそ)った。  そやけど怜司(れいじ)兄さんは、ほんわか(やさ)しい笑みで、月明(つきあか)かりの下、首を横に()った。 「今日はもう帰るわ。あの人来るって、連絡(れんらく)来てたし。俺、よっぽど信用(しんよう)ないな。ほっといたら(とら)お持ち帰りするんやないかって、心配してるみたい」  (するど)いな、おとん。(するど)い。  あれはあれで散々(さんざん)(おぼろ)(いた)い目にあって来た人やったんやろな。  怜司(れいじ)兄さん、何するかわからんもんな。こっちの想像を()えてくるから。  おとんと()るんや、兄さん。こんな夜でさえ。暁彦(あきひこ)様が、ええんや。  俺はそう思って、美しい着倒(きだお)れの神を見たが、横で同じように見つめていた信太(しんた)の目にも、湊川(みなとがわ)怜司(れいじ)は美しい神やったやろう。 「いま(しあわ)せか、怜司(れいじ)」  月明(つきあ)かりの下でも、(まぶ)しそうに(おぼろ)を見て、信太(しんた)(たず)ねた。 「俺を(わす)れた(とら)が何を聞くんや?」  ちょっと意地悪(イケズ)そうに、怜司(れいじ)兄さんは、(けむ)睫毛(まつげ)の流し目で言うた。  (とら)苦笑(くしょう)した。 「ええやん、それぐらい教えてくれても」 「(しあわ)せやで。この七十余年(ななじゅうよねん)では一番。いや、俺の長い一生でも、一番かな。(しあわ)せや。だって今、(いと)しい男が、俺の帰りを家で待ってるんやで?」  (しあわ)せの絶頂(ぜっちょう)やという、(とろ)けきった目で、(おぼろ)は言うてた。 「お前、平気(へいき)でよう言うな、そういうこと」  感心(かんしん)したふうに、信太(しんた)(おぼろ)の目を見上げた。  (おぼろ)(おだ)やかに微笑(ほほえ)んで見えた。  その(なご)んだ顔は、いつかの寛太(かんた)彷彿(ほうふつ)とさせたが、もっと大人びていて、(きず)(いた)みを()()えたあとの微笑(ほほえ)みやった。 「信太(しんた)一緒(いっしょ)に行くか? 俺の家で()る? 暁彦(あきひこ)様と3Pでよければ」  冗談(じょうだん)なんか、本気なんやないかという()いを、(おぼろ)信太(しんた)に投げて、唖然(あぜん)とさせていた。 「(いや)やわ! アホ! (いや)に決まってるやろ。どういう神経(しんけい)しとうのや、お前は。ついていかれへんわ!」  信太(しんた)(さけ)んでた。  (さけ)びたくもなる。横で聞いてるアキちゃんでさえ、いろいろ(いた)そうやった。  怜司(れいじ)兄さんの(しあわ)せが(いた)いほどや。  付いて行ったらおとんと3Pやな、たぶんほんまに。  俺らは笑っていられるギリギリの苦笑(くしょう)()えた。水煙(すいえん)以外。 「()いていかんほうがええ。(おぼろ)は昔からこの辺りに()んでる(おに)や。男を(だま)して食いもんにしてきたんや。お前もうっかりしてると、また頭から丸呑(まるの)みされるで」

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