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30-41 トオル

 俺が(はげ)ますと、信太(しんた)煙草(たばこ)()うて苦笑(くしょう)した。 「そう言うてたな。あいつ(ずる)いよなあ……。そんなん言われたら、(わす)れにくうなるやんか?」 「わざと言うてんのや」  俺は確信(かくしん)を持って信太(しんた)にアドバイスした。  信太(しんた)もそう思うらしく、(うなず)いている。 「そやな。絶対(ぜったい)わざとや。(はら)たつ。全力(ぜんりょく)(わす)れなあかん。人がせっかく(わす)れてんのに、わざわざ思い出させてから()てやがって、あのクソ野郎(やろう)。負けるもんかやで。俺には(いと)しい寛太(かんた)がおるんや。あいつを(しあわ)せにして、俺も(しあわ)せになってみせるわ」 「その意気(いき)やな。(あい)やで、信太(しんた)。かっ()ばせ!」  俺らはけらけら(わろ)うてベランダ酒飲んでた。  信太(しんた)はため息をつき、美しい神々に翻弄(ほんろう)される、黄色い()かしバターみたいな目をしていた。  そこにはまた、強い(かがや)きがある。 「(あい)か……。俺らもキスしよか、(とおる)ちゃん。前もしたような気がするけど、冥界(めいかい)()記憶(きおく)()いてきてもうたし、もういっぺん御復習(おさら)いしとく?」  熱い(ひとみ)で俺を見つめ、信太(しんた)が俺に(ささや)いた。  俺の(あご)を指で持ち上げさえした。  なんかええムードやった。行っとこかみたいな。  あれっ。そうなるんやった? 「え……いや、ええわ。やめといて。アキちゃんより美味(うま)かったら、話またややこしいなるから。ハッピーエンド邪魔(じゃま)せんといて? ここまでめっちゃ大変やったんやから」  ほんまやなって、信太(しんた)は笑って、本気やない。ふざけてたんや。ええ加減(かげん)(やつ)やわ。  でも、御復習(おさら)いせんでも俺は(おぼ)えてるし。  信太(しんた)より、アキちゃんのキスのほうが美味(うま)い。  技術(ぐじゅつ)はさておき、(あい)しちゃってるボーナスがあるからやな。  そして、(とら)のキスが案外(あんがい)(やさ)しくて、(あま)いということを。  あかんあかん。思い出さんとこ。  信太(しんた)は目の前におるんやし、アキちゃんは()てる。この絶好(ぜっこう)機会(きかい)に、俺が御復習(おさら)いしたくなったら大変や。  信太(しんた)怜司(れいじ)兄さんを(わす)れることにした。  そうやけど、(おぼろ)の方はたぶん、ずっと、信太(しんた)のキスの(あじ)(わす)れんといてくれるやろう。  (わす)れがたい(しび)れる(あま)さがあんのやし、あの人、そういうの(おぼ)えといても全然(ぜんぜん)平気(へいき)な、えげつない(やさ)しさの()(ぬし)やからな。 「おやすみ、(とおる)ちゃん。先生んとこ行き。俺はここで、もうちょっと月見とく」  信太(しんた)は一人になりたいみたいやった。  思い返さなあかん思い出が、今夜はぎょうさんあるのやろう。  信太(しんた)がそれを(わす)れるのは、明日の朝のことや。  うっとり中天(ちゅうてん)()かる朧月(おぼろづき)が美しいうちは、一人で思い出に(ひた)るのも、ええんやないかな。  おやすみ、信太(しんた)。俺、アキちゃんと()るな。  そして、翌朝(よくあさ)、早く。  海道(かいどう)蔦子(つたこ)先生は、式神(しきがみ)啓太(けいた)()れて、アキちゃんのマンションにやってきた。  美しい訪問着(ほうもんぎ)をばっちり着こなし、銀狐(ぎんぎつね)毛皮(けがわ)襟巻(えりま)きした蔦子(つたこ)さんは、ガオー言うてる(とら)(おび)()めていた。  (とら)奪還(だっかん)ルックやな、おばちゃま。  そして蔦子(つたこ)さんは、信太(しんた)をアキちゃんに(ゆず)(わた)した時と同様(どうよう)に、水盃(みずさかずき)()わし、そこに一滴(いってき)、自分の血を()ぜて信太(しんた)に飲ませた。  その(なつ)かしい(あじ)に、信太(しんた)はにやりとしていた。  啓太(けいた)も、にやりとしていた。  どちらが蔦子(つたこ)さんの筆頭(ひっとう)(しき)かを、これから(あらそ)うことになるからやった。 「負けへんで(けい)ちゃん」 「それは俺の台詞(せりふ)やな、信太(しんた)」  (あらそ)(かま)えの二人を、(しず)かな流し目で見て、蔦子(つたこ)さんは何も言わんかった。  喧嘩(けんか)するんは(しき)(なら)(しょう)や。いちいち止めへんのやって。  それに海道(かいどう)家の(しき)は、死ぬまでドツき()うたりはせえへんらしいわ。  蔦子(つたこ)さんの寵愛(ちょうあい)が多い方が勝ちや。  ただただ(だま)って、蔦子(つたこ)(ねえ)さんにお(つか)えし、どっちか選んでもらうだけ。血は流さへん。  エレガントですのう。  本家(ほんけ)ではいつも殺し合いやねんけどなあ。(こわ)(こわ)い。  こうして、(もど)るべきものが、(おさ)まるべきところへ無事(ぶじ)(おさ)まり、2017年の師走(しわす)足早(あしばや)に終わろうとしていた。  明けて正月(しょうがつ)、その年は(とり)年やったけど、ガオー言うてるでっかい(とら)に、アロハ着た寛太(かんた)満面(まんめん)の笑みで()きついている写真の年賀状(ねんがじょう)が送られてきて、俺らを安心させ、そのラブラブっぷりにはまた(なつ)かしい苦笑(くしょう)()れた。  年賀状(ねんがじょう)は他にも(おどろ)くほど沢山(たくさん)来た。  人型(ひとがた)に切ってあるインクジェットプリンター用紙に写真やら何やら印刷(いんさつ)したやつが、元旦(がんたん)の朝に出町柳(でまちやなぎ)のマンションのベランダ(まど)殺到(さっとう)してきて、俺らはヒッてなった。  霊振会(れいしんかい)皆様(みなさま)からの年賀状(ねんがじょう)や。  インクジェットプリンターでもええんや。新時代やな。  これが今後の()()の、毎年の正月(しょうがつ)恒例(こうれい)行事(ぎょうじ)となりそうや。  そやけど今年の正月(しょうがつ)は、正月(しょうがつ)どころやないんや。  年明けに(ひか)えた卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)に向けて、アキちゃんは年末から、()いた絵の表具(ひょうぐ)発注(はっちゅう)したり、こんな(とし)()無理(むり)どすえと職人(しょくにん)のおっちゃんに(おこ)られたりしながら、そこをなんとかお(ねが)いしますと、(あたま)下げに行ったりしていた。

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