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30-43 トオル

 (なまず)(りゅう)より、卒制(そつせい)のほうが(こわ)いということやな。  自分の未来が、あるいは人生が、死ぬより(こわ)いもんなんや。  生きていくことは、死ぬより(こわ)い。ましてそれが、自分らしく、(だれ)にも(おもね)ることのない、自然体(しぜんたい)の人生やということやとな。  (よう)するにアキちゃんは、卒制(そつせい)のドアが開いて、入ってきた(きゃく)が自分の絵を見て、なにこれ変な絵や、不快(ふかい)やわ、あほちゃうかと言うことを、(おそ)れてるんや。  それはそうやろ。そこに(かざ)る絵に、アキちゃんは何もかもを()いた。自分の見た世界や、自分という人間の全部を()いて、これはどうやと()()おうとしたんやもん。  その絵が、あかんのやったら、自分の人生が、あかんということになるんや。  まあ、なんというか、アキちゃんは初心(うぶ)やわ。  おとんは自分の絵に、そこまでのめりこんでへんで。  あの人、天然(てんねん)ぽいしな、ええと思うもんは、ええんやないかなあ、って、そういうナチュラルな無意識(むいしき)で絵()いてるからな。アキちゃんの頭フラフラなってるような自意識(じいしき)は、わからへんのや。  そのおとんが、見に来るんやって。  おかんも来るで。大崎(おおさき)(しげる)(きつね)も来る。(みな)来るんや。  なんで来るんや。アキちゃん、おとん来るわって、ものすご緊張(きんちょう)してた。  それでも、お前、おとんに見せるために、その絵を()いたんやないんか。何も(こま)ることないやん?  そうやけど、まあ、緊張(きんちょう)するねんな。分かるわ。分かるような気がするわ。  俺は顔色の悪いツレと、卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)開催(かいさい)される、市内の(ぼう)美術館(びじゅつかん)()った。  アキちゃんはゲートの前で、どないしよう、どないしようと、呪文(じゅもん)のようにブツブツ言うてた。  緊張(きんちょう)MAXやな。たとえこの会場全部を(さが)しても、お前ほど緊張(きんちょう)してる(やつ)はおらへんで。  まあ、(みな)にとっては、ただの卒制(そつせい)や。命かかってるんは、アキちゃんだけやもんな。  おとんが来て、お前の絵はあかんわ言うたら、アキちゃんその場で死ぬしな。命がけやわ。  そして、おとんはあっさり来た。おかんも来た。一緒(いっしょ)に来たんや。仲良(なかよ)兄妹(きょうだい)やな。  おとんは通りすがりの学生たちに、あれえ本間(ほんま)君。あれえ本間(ほんま)君と、不思議(ふしぎ)そうに声かけられて歩いて来た。  お前さっき(おく)におったやろって、(みんな)、もやっとするんや。アキちゃんのドッペルゲンガーやもんな、おとんは。  そして、おとんから絵の評価(ひょうか)は、あっさり出た。  会場の一番(おく)の、一番広い(かべ)(かざ)られた、二十八(まい)の絵を見て、おとんはにっこりとした。 「アキちゃん。よう頑張(がんば)ったなあ。おとん、生きててよかったわ」  にこにこしながら、絵を(なが)めて、おとんはアキちゃんの右手を(にぎ)った。 「お前の手、絵を()く手やわ。爆弾(ばくだん)やら鉄砲(てっぽう)やら持たんですんで、ほんまに良かったなあ。これからも、好きな絵いっぱい()きや。お前、天才やで。自分がお前の親で、ほんまに(ほこ)らしいわあ」 「お兄ちゃん、親バカどすやろ」  おかん、自分もいつもは言うてるくせに、おとんのことを馬鹿(ばか)にしていた。  おとんに先に全部言われてもうて、もう自分が言うことのうなってもうて、()(もち)()いたんやろか。  口(とが)らせて()ねるお登与(とよ)は、まるで十八の小娘(こむすめ)のように、可愛(かわい)かった。 「よかった……」  アキちゃん、(たましい)出てた。ホッとしすぎて。(たお)れるんやないかと、俺はヒヤヒヤした。  アキちゃんは、おとんに勝ったんか、負けたんか。  命がけの真剣勝負(しんけんしょうぶ)(いど)まれ、暁雨(ぎょうう)さんは、お前は天才やと言うた。  でもそれは、負けたという事やない。  だって、絵やで。剣術(けんじゅつ)(ちご)うて、絵に勝ち負けはない。  あるんかも知れへんけど、同時代に二人の天才がおったって、かまへんやん。  どっちか片方(かたほう)(やぶ)れて死ぬような、そういう世界ではない。  俺はアキちゃんとおとんが、そういう世界で勝負(しょうぶ)してくれてよかったなと、心底(しんそこ)思った。  ほんまの(けん)太刀(たち)で、その(あい)(めぐ)り、親子が殺しあったこともある家系(かけい)や。  二人で仲良(なかよ)う絵を()いて、アキちゃん天才や、おとんも天才やなあて、笑っていられる今は、ほんまに(しあわ)せなんやで。  おとんは(うれ)しそうに、その(しあわ)せを()みしめるように、じっくりとっくりアキちゃんの新作(しんさく)を見ていった。  なんせ二十八(まい)もある絵を、:一¥丈(いちじょう)ずつ見るために、おとんとおかんは(うで)を組み、なんやかんや()めちぎりながら、息子の()いた絵を(よろこ)んでいた。  さすがは秋津(あきつ)当主(とうしゅ)と、その妹やな。  息子が(へび)とやってる絵を見ても、素晴(すば)らしいわあ、神との和合(わごう)やわとか、そんな感想(かんそう)しかないんやな。

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