907 / 928

30-45 トオル

 友達らしい友達がおらんかったアキちゃんのとこに、卒制(そつせい)では、名刺(めいし)もった卒業予定者(そつぎょうよていしゃ)が、なんでかちらほらと挨拶(あいさつ)に来た。  どこそこに就職(しゅうしょく)決まったんや。本間(ほんま)君はどこ行くん?  これは(やと)ってくれたデザイン会社の名刺(めいし)やねんけど、卒業後(そつぎょうご)もよかったら、俺の作品見てみてな、と、ある者は言うた。  また別の女が来て、うちは家の仕事を()ぐねん。本間(ほんま)君もそう? うち看板(かんばん)屋やねん。絵を(えが)く仕事やいうても、ちょっと(ちが)うかもやけど、気づいたら見てみて。一生懸命(いっしょうけんめい)(えが)くから。  そう言うて、実家(じっか)看板(かんばん)屋のチラシを置いていく。  お前の絵、好きやわ。って、(だれ)かがそれだけ言うて帰った。  もう、それに()きる感想はなかった。  好きやって、それ言うてもうたらもう、何も付け加えるもんはない。  ぱっと見て、好きやって、一目()れして一生ずっと好き。そういうことがあると、人生がバラ色になるやん。  時々それで、苦しむこともあるけど、何かに()れて生きると、(しあわ)せになれる。  そういう気持ちを(あた)える力が、アキちゃんの絵にはあって、その日、本間(ほんま)暁彦(あきひこ)(あらた)め、秋津(あきつ)暁彦(あきひこ)(22)、雅号(がごう)暁月(ぎょうげつ)さんの絵を見た人間たちは、アキちゃんの絵に()れた。  そういう(あい)渦巻(うずま)く世界やった。  アキちゃん、良かったな。  良かったやろ。何をボケっとしとんのや。大成功(だいせいこう)やったやろ。  アキちゃんは(たましい)()けたみたいになって、自分の絵から少し(はな)れたところの椅子(いす)に、ぼんやりと(すわ)ってた。  ほぼほぼ抜け殻(ぬけがら)みたいやった。  卒業後(そつぎょうご)連絡(れんらく)とらせてという連中(れんちゅう)(なみ)がおさまり、アキちゃんはまた一人になってた。  俺しかいてへん。 「どないしたん、アキちゃん。ずっと(たましい)、出てるで」  おとんがお前は天才や言うて()ってから、ずっと(たましい)だらーんて出とる。  しっかりせえアキちゃん。()()きすぎや。 「なんか(つか)れたんや……」  そのようやな。  俺は苦笑(くしょう)して、アキちゃんの(となり)(すわ)った。 「(その)先生の絵、あるらしいやん。見に行く?」 「(あと)でええわ……先生、どうせ、京野菜(きょうやさい)やからな」  京野菜(きょうやさい)の絵ばっかり()いてんのや、(その)先生。  でも上手(じょうず)なんやで。  オーラないけど。技術(ぎじゅつ)(たし)かや。  アキちゃんかて(じつ)は、入学する前の卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)下見(したみ)に来て、(その)先生の絵を見て、ふうん上手(じょうず)やん、このおっちゃんに(なら)おうって、思うたらしい。  めっちゃ(えん)あるやん。びっくり。運命(うんめい)のおっちゃんやないか。  それでも、(その)先生はいつも野菜の絵ばかりやし、上手(うま)いけど、それ以上やないというんが、アキちゃんの四年間の感想(かんそう)やった。 「西森(にしもり)さん()えへんな。どうしても(はず)せへん客先(きゃくさき)あるから、終わりしだい来るて言うてたんやけど……」  アキちゃんの腕時計(うでどけい)で時間を見て、俺は言うた。  もう、どこかに()るんかいな。会場(かいじょう)も広いしな。  でも、あのおっちゃん、アキちゃん(ねら)いやし、来たらまず、アキちゃんの絵のとこ来るはずやけどなあ。まだ来てないってことやろか。  (ひま)やし、(その)先生に挨拶(あいさつ)でもいこうぜって、俺はアキちゃんを(さそ)った。だって(ひま)やしな。  そうやけど、アキちゃん、椅子(いす)から立たへん。立つ気力(きりょく)がない。  なんでかな。どんだけ(つか)れたんや。  可笑(おか)しい(やつ)やな。自分の絵を人に見せることぐらいで、そんなヘロヘロにならんでも。  俺はそう思うたけど、アキちゃんがこの時、考えてたんは、そういう事ではなかってん。 「(とおる)」 「えーなに?」 「どうしたらええんやろ」 「えーなにが?」  ぽつぽつと話すアキちゃんに、俺は適当(てきとう)返事(へんじ)してた。 「俺、絵描(えか)きになりたいんや。ずっとなりたかったんやけどな。たぶん」  そうやろな。知ってた。 「なれるかな?」  何言うてんのや、こいつ。アホ? お前が他の何になれるんや? 「今まで、この絵を仕上げるので精一杯(せいいっぱい)でな、そういえば就活(しゅうかつ)してへんかったことないか?」  してへんな。必要ないもん。  それに今気づくお前の集中力(しゅうちゅうりょく)が、もう、人間やめてるわ。 「俺が絵()いてる(あいだ)に、(みんな)はもう、いろいろ決めた(あと)やったんやなあ。当たり前か。これから、どうしよかなって、それで(きゅう)に思うてもうて、今更(いまさら)」  なればいい。絵描(えか)きに。 「どうしたらなれるんか、考えてみるわ」  西森(にしもり)に言えばいい。俺、今日から絵描(えか)きになります、よろしゅうお(たの)(もう)しますって、言え。それで大丈夫(だいじょうぶ)や。  というか、お前はすでにそうや。  絵を()いて売ってるやん。  絵を()いて売るやつが絵描(えか)きや。  気づいてないんか。大丈夫(だいじょうぶ)か、お前の(のう)みそは。  俺は言葉もなく、秋津(あきつ)坊々(ぼんぼん)天然(てんねん)さを()でた。 「あのな……」  どっから話そうかなって、俺はモヤモヤした。 「アキちゃん。祇園(ぎおん)にな、アトリエあるから、そこで、おとんとな……暁雨(ぎょうう)さんと二人で、絵、()き……」  俺が話すと、アキちゃんは何の話やって、ついてきてへん顔やった。  俺、この時、初めて言うたしな。知らんかったよな、アキちゃん。

ともだちにシェアしよう!