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30-56 トオル

 それでもな、卒制(そつせい)の会場を出る時に、アキちゃんの学部(がくぶ)の、いつもお菓子(かし)くれる子が、(とおる)ちゃん、おめでとうて、俺に言うてくれた。  (だれ)やっけお前って(やつ)も、時々アキちゃんに会いに来てた俺を知ってたとかで、おめでとうて言うてくれた。  おめでとう、おめでとう、て、まるで結婚式(けっこんしき)退場(たいじょう)シーンやったな。アキちゃん、ものすご()れてた。  そんなふうに、なんでか(みんな)にめでたがられながら、俺らは美術館(びじゅつかん)を後にした。  何か分からんけど、漠然(ばくぜん)(しあわ)せで、世間(せけん)が自分らを受け入れてくれたような気がして、アキちゃんも俺も、それについては何も言わんかったんやけど、よかったなと思った。ほっとしたな。  これで俺はアキちゃんと、(だれ)(はばか)ることなく、ずっと一緒(いっしょ)()れるんや。  どこでも手を(つな)げるし、人目(ひとめ)()けなあかんこともない。  チューはしたらあかんかな。まあ、それは常識(じょうしき)範囲(はんい)でな。  もちろんアキちゃんのやのうて、俺の常識(じょうしき)(はか)るんやけどな?  その日の夕方六時のニュースでは、アキちゃんの絵を()せた映像(えいぞう)が流れ、秋津(あきつ)(ぼん)(ひん)のええ受け答えも、好感(こうかん)をもって受け止められたらしい。  あの、テレビにちょっとの(あいだ)(うつ)ってた絵、ナントカ言わはる男前(おとこまえ)の学生さんの絵、見たいわあ、(わす)れられへんなあ言うて、翌日(よくじつ)は多くの人が卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)に足を(はこ)んでくれたそうやわ。  大大盛況(だいだいせいきょう)や。  翌日(よくじつ)行った瑞希(みずき)が、先輩(せんぱい)の絵のとこ、行列(ぎょうれつ)できて入場制限(にゅうじょうせいげん)かかってますよって、(なら)びながら写真付きのメッセージを送ってきてた。  いま(なら)んでますと、(うれ)しそうな笑顔で行列(ぎょうれつ)の中に写っている犬の自撮(じど)り写真が、アキちゃんのでなく、なんでか俺の携帯(けいたい)に送られてきてたわ。  あいつ、なんか、俺に気を(つこ)うたな。  それともゴマ()ってんのか、犬め!  今日の晩飯(ばんめし)はお前の好きな焼肉(やきにく)にするわよ!  まあ、そのようにして無事(ぶじ)に、アキちゃんがガチガチにびびっていた卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)は終わった。  会期(かいき)のうちに、どんだけの人が、アキちゃんの絵を見てくれたんやろうか。  そのうちの多くの人が、アキちゃんの絵のファンになってくれて、卒制(そつせい)図録(ずろく)例年(れいねん)よりもずうっと売れた。  在庫(ざいこ)(そこ)()き、大急ぎで重版(じゅうはん)をかけた展示会(てんじかい)は、学校始まって以来(いらい)やったそうや。  (その)先生が、(うれ)しそうにそう、画商(がしょう)西森(にしもり)に話したらしい。  終わった。  長かった一年が。  アキちゃんの大学時代が、終わろうとしていた。  その(あと)。俺らがどうなったか。  アキちゃんはまた、絵を()いている。  卒制(そつせい)会期中(かいきちゅう)から、すでにもう、ずうっと()いてる。  またもや()くか。  アキちゃんは画家(がか)さんなんやしな、しょうがない。毎日がお絵かきの時間やねん。  ただし、今度は大学ではなく、祇園(ぎおん)に新しく開いたアトリエでやで。  アキちゃんが卒業制作(そつぎょうせいさく)()いた絵の半分(はんぶん)くらいは、藤堂(とうどう)さんのホテルに寄贈(きぞう)する予定やったんや。  そうやのに、画商(がしょう)西森(にしもり)(よく)かいて、シリーズ全作(ぜんさく)美術館(びじゅつかん)(おさ)めたいと言うんや。  それも、もっともや。暁雨(ぎょうう)さんかて、西森(にしもり)妖怪図(ようかいず)を二十八(まい)全部(ぜんぶ)取られた。  水煙(すいえん)は、(おぼろ)が返してくれた、おとんが自分を()いた絵を、たぶんけっこう(よろこ)んで、大事(だいじ)仕舞(しま)っていたんやけど、あれを西森(にしもり)にやってもええかという話になると、どうぞとあっさり(わた)してくれた。  水煙(すいえん)はまあ、絵には興味(きょうみ)がないのやし、そこで(いや)やとゴネるような、(つつし)みのない神ではない。  :慎(つつし)みがないんは(おぼろ)のほうやわ。  あいつも持ってるやん。暁雨(ぎょうう)さんの()いた妖怪図(ようかいず)の最後の一(まい)は、あいつの絵なんやもん。  それが(そろ)わんと、シリーズが完成(かんせい)せえへんのやで。絶対(ぜったい)(わた)せという西森(にしもり)さんに散々(さんざん)()められ、アキちゃんの最愛(さいあい)(しき)一堂(いちどう)(かい)するわけやが、そこに自分の絵が()うて、お前はそれでええんやなと、大崎(おおさき)(しげる)(いた)いところを()かれ、(おぼろ)、お前には新しい絵を()くわ、それで(こら)えてくれへんかと、暁彦(あきひこ)様に(やさ)しゅう言われ、(おぼろ)はとうとう落ちた。  (あきら)めなしゃあない。なんせ(いと)しい男の絵が、やっと()()を見られるわけやしな。  怜司(れいじ)兄さんにもそれは分かってんのや。ただ、思い入れのある絵を取られるんが、(さび)しいて(つら)いだけ。  でもそれ兄さん、自分のせいやろ。  そもそもあんたがな、高島屋(たかしまや)のギャラリーにおとんの絵を(かざ)って、売る気もないのに、これ俺のやでって自慢(じまん)したりするからや。  ()から出た(さび)因果応報(いんがおうほう)ってやつやわ。  それで無事、大崎(おおさき)(しげる)出資(しゅっし)による個人美術館(こじんびじゅつかん)、暁光殿(ぎょうこうでん)には、暁雨(ぎょうう)暁月(ぎょうげつ)合わせて、五十六(まい)もの絵がいきなり(そろ)うことになったんや。なかなかの見ごたえや。  でも、そうなると、藤堂(とうどう)さんに(わた)す絵がないわ。  アキちゃん、それに気づいて、()かなあかんと思うたみたいや。  約束(やくそく)したんやもんな。ヴィラ北野(きたの)の絵。  それを俺の絵と交換(こうかん)して、(かえ)してもらうんやったよな。

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