918 / 928

30-56 トオル

 それでもな、卒制(そつせい)の会場を出る時に、アキちゃんの学部(がくぶ)の、いつもお菓子(かし)くれる子が、亨(とおる)ちゃん、おめでとうて、俺に言うてくれた。  誰(だれ)やっけお前って奴(やつ)も、時々アキちゃんに会いに来てた俺を知ってたとかで、おめでとうて言うてくれた。  おめでとう、おめでとう、て、まるで結婚式(けっこんしき)の退場(たいじょう)シーンやったな。アキちゃん、ものすご照(て)れてた。  そんなふうに、なんでか皆(みんな)にめでたがられながら、俺らは美術館(びじゅつかん)を後にした。  何か分からんけど、漠然(ばくぜん)と幸(しあわ)せで、世間(せけん)が自分らを受け入れてくれたような気がして、アキちゃんも俺も、それについては何も言わんかったんやけど、よかったなと思った。ほっとしたな。  これで俺はアキちゃんと、誰(だれ)憚(はばか)ることなく、ずっと一緒(いっしょ)に居(お)れるんや。  どこでも手を繋(つな)げるし、人目(ひとめ)を避(さ)けなあかんこともない。  チューはしたらあかんかな。まあ、それは常識(じょうしき)の範囲(はんい)でな。  もちろんアキちゃんのやのうて、俺の常識(じょうしき)で量(はか)るんやけどな?  その日の夕方六時のニュースでは、アキちゃんの絵を載(の)せた映像(えいぞう)が流れ、秋津(あきつ)の坊(ぼん)の品(ひん)のええ受け答えも、好感(こうかん)をもって受け止められたらしい。  あの、テレビにちょっとの間(あいだ)、映(うつ)ってた絵、ナントカ言わはる男前(おとこまえ)の学生さんの絵、見たいわあ、忘(わす)れられへんなあ言うて、翌日(よくじつ)は多くの人が卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)に足を運(はこ)んでくれたそうやわ。  大大盛況(だいだいせいきょう)や。  翌日(よくじつ)行った瑞希(みずき)が、先輩(せんぱい)の絵のとこ、行列(ぎょうれつ)できて入場制限(にゅうじょうせいげん)かかってますよって、並(なら)びながら写真付きのメッセージを送ってきてた。  いま並(なら)んでますと、嬉(うれ)しそうな笑顔で行列(ぎょうれつ)の中に写っている犬の自撮(じど)り写真が、アキちゃんのでなく、なんでか俺の携帯(けいたい)に送られてきてたわ。  あいつ、なんか、俺に気を遣(つこ)うたな。  それともゴマ擦(す)ってんのか、犬め!  今日の晩飯(ばんめし)はお前の好きな焼肉(やきにく)にするわよ!  まあ、そのようにして無事(ぶじ)に、アキちゃんがガチガチにびびっていた卒業制作展(そつぎょうせいさくてん)は終わった。  会期(かいき)のうちに、どんだけの人が、アキちゃんの絵を見てくれたんやろうか。  そのうちの多くの人が、アキちゃんの絵のファンになってくれて、卒制(そつせい)の図録(ずろく)は例年(れいねん)よりもずうっと売れた。  在庫(ざいこ)が底(そこ)を尽(つ)き、大急ぎで重版(じゅうはん)をかけた展示会(てんじかい)は、学校始まって以来(いらい)やったそうや。  苑(その)先生が、嬉(うれ)しそうにそう、画商(がしょう)西森(にしもり)に話したらしい。  終わった。  長かった一年が。  アキちゃんの大学時代が、終わろうとしていた。  その後(あと)。俺らがどうなったか。  アキちゃんはまた、絵を描(か)いている。  卒制(そつせい)の会期中(かいきちゅう)から、すでにもう、ずうっと描(か)いてる。  またもや描(か)くか。  アキちゃんは画家(がか)さんなんやしな、しょうがない。毎日がお絵かきの時間やねん。  ただし、今度は大学ではなく、祇園(ぎおん)に新しく開いたアトリエでやで。  アキちゃんが卒業制作(そつぎょうせいさく)で描(か)いた絵の半分(はんぶん)くらいは、藤堂(とうどう)さんのホテルに寄贈(きぞう)する予定やったんや。  そうやのに、画商(がしょう)西森(にしもり)が欲(よく)かいて、シリーズ全作(ぜんさく)を美術館(びじゅつかん)に収(おさ)めたいと言うんや。  それも、もっともや。暁雨(ぎょうう)さんかて、西森(にしもり)に妖怪図(ようかいず)を二十八枚(まい)全部(ぜんぶ)取られた。  水煙(すいえん)は、朧(おぼろ)が返してくれた、おとんが自分を描(か)いた絵を、たぶんけっこう喜(よろこ)んで、大事(だいじ)に仕舞(しま)っていたんやけど、あれを西森(にしもり)にやってもええかという話になると、どうぞとあっさり渡(わた)してくれた。  水煙(すいえん)はまあ、絵には興味(きょうみ)がないのやし、そこで嫌(いや)やとゴネるような、慎(つつし)みのない神ではない。  :慎(つつし)みがないんは朧(おぼろ)のほうやわ。  あいつも持ってるやん。暁雨(ぎょうう)さんの描(か)いた妖怪図(ようかいず)の最後の一枚(まい)は、あいつの絵なんやもん。  それが揃(そろ)わんと、シリーズが完成(かんせい)せえへんのやで。絶対(ぜったい)に渡(わた)せという西森(にしもり)さんに散々(さんざん)責(せ)められ、アキちゃんの最愛(さいあい)の式(しき)が一堂(いちどう)に会(かい)するわけやが、そこに自分の絵が無(の)うて、お前はそれでええんやなと、大崎(おおさき)茂(しげる)に痛(いた)いところを突(つ)かれ、朧(おぼろ)、お前には新しい絵を描(か)くわ、それで堪(こら)えてくれへんかと、暁彦(あきひこ)様に優(やさ)しゅう言われ、朧(おぼろ)はとうとう落ちた。  諦(あきら)めなしゃあない。なんせ愛(いと)しい男の絵が、やっと日(ひ)の目(め)を見られるわけやしな。  怜司(れいじ)兄さんにもそれは分かってんのや。ただ、思い入れのある絵を取られるんが、寂(さび)しいて辛(つら)いだけ。  でもそれ兄さん、自分のせいやろ。  そもそもあんたがな、高島屋(たかしまや)のギャラリーにおとんの絵を飾(かざ)って、売る気もないのに、これ俺のやでって自慢(じまん)したりするからや。  身(み)から出た錆(さび)。因果応報(いんがおうほう)ってやつやわ。  それで無事、大崎(おおさき)茂(しげる)出資(しゅっし)による個人美術館(こじんびじゅつかん)、暁光殿(ぎょうこうでん)には、暁雨(ぎょうう)・暁月(ぎょうげつ)合わせて、五十六枚(まい)もの絵がいきなり揃(そろ)うことになったんや。なかなかの見ごたえや。  でも、そうなると、藤堂(とうどう)さんに渡(わた)す絵がないわ。  アキちゃん、それに気づいて、描(か)かなあかんと思うたみたいや。  約束(やくそく)したんやもんな。ヴィラ北野(きたの)の絵。  それを俺の絵と交換(こうかん)して、返(かえ)してもらうんやったよな。

ともだちにシェアしよう!