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30-57 トオル

 今度(こんど)油絵(あぶらえ)()くわって、アキちゃん言うてた。  まあ、藤堂(とうどう)さんちの地下室(ちかしつ)に、日本画よりは、洋画(ようが)のほうが似合(にお)うてるかなあ。  どんな絵なんか、楽しみやわ。  でも(いそ)がんと、納品(のうひん)の日もあるで。(てつ)(あつ)いうちに()てや。  アキちゃんそれでまた、アトリエにお(こも)りや。  それが、記念(きねん)すべき俺らのアトリエでの、アキちゃんの最初の絵になった。  西森(にしもり)さんが()かしたリフォーム工事が、なんでか異常(いじょう)に早う進み、それは怜司(れいじ)兄さんが神戸(こうべ)からごっそり引き上げて来た、黒いダスキンみたいな(もの)()のせいやった。  めっちゃよう働く。壁紙(かべがみ)()るし、電気の配線(はいせん)かてするしやな、いらん(かべ)は食うてしまう。仕上げに掃除(そうじ)までピッカピカにしてくれるんやで。  俺もう掃除(そうじ)せんでええんやーん‼︎  何とあの、ヴィラ北野(きたの)()()められていた、怜司(れいじ)兄さんのウラヌス位相(いそう)(わか)れたっきりやった、俺の可哀想(かわいそう)なポチも、その下等霊(かとうれい)集団(しゅうだん)の中でちゃんと生きとってくれたんや。  よかったなポチ! 風呂(ふろ)掃除(そうじ)して!  めっちゃ助かるう! ありがとう!  そのようにして俺らチーム秋津(あきつ)は、なし(くず)しに()()したんや。  アキちゃん絵()いてて()まり()みやしさ、俺も(さび)しいからアトリエ行くやん。  神棚(かみだな)あるし、部屋(へや)もあんのやから、水煙(すいえん)()れてくやろ。  そしたら犬だけ出町(でまち)に置いとくのも、あいつ(あわ)れっぽいやないか?  (おぼろ)()んといて。()い言うても()えへんやろうけど。  おとんと白川(しらかわ)でべったりやし。  でも、おとんが絵()いてて(あそ)んでくれへん時は、顔だしてくれたかて、かまへんで。  けど兄さん、邪魔(じゃま)したないし、なるべく()えへんのやって。  心配せんでも、おとんが白川(しらかわ)にふらっと(かよ)うてくるしな。大丈夫(だいじょうぶ)大丈夫(だいじょうぶ)。  そんなこんなで()()完了(かんりょう)や。卒業式(そつぎょうしき)より一足(ひとあし)早う、アキちゃんのアトリエ生活が始まったんやで。  祇園(ぎおん)のアトリエ使うかどうか、考えさせてて言うてたけど、あれは何やった?  結局(けっきょく)、アキちゃんの返事(へんじ)を俺は聞いてへん。気付いたらもう住んどるわ。  かまへん。(あん)ずるより()むが(やす)しどす。アキちゃんのおかんもそう言うてたやん。  やってみて、(いや)やったら出町(でまち)(もど)ればええんや。()()したからって、別に出町(でまち)のマンションが消し飛んだ(わけ)やない。  やってみよ、アキちゃん。走りながら考えよう。そのほうが、俺ららしいやろ。  そういうのが、絵を()くツレの背中(せなか)を見守る俺の、今の心境(しんきょう)やわ。  とりあえず順調(じゅんちょう)やった。  犬は真面目(まじめ)に大学に(かよ)い、毎朝(まいあさ)京阪(けいはん)叡電(えいでん)乗って、また帰ってきて課題(かだい)やってる。  水煙(すいえん)は、神棚(かみだな)あるわ、こんなもん()らんかったのにとか言いながら、やっぱり()()くなあ、て言うてる。そうやろ、そうやろ。  (みんな)(めし)作って食うて、時々、テレビで映画(えいが)()て、SFオタクのアキちゃんと犬の会話に入っていけん何かを感じたり、ダウンタウン見てげらげら笑う。  夜がふければ(みんな)、自分の寝室(しんしつ)(こも)り、干渉(かんしょう)はせえへん。特に満月(まんげつ)(ばん)にはそうや。  アキちゃんは俺を()く。毎晩(まいばん)()きしめる。俺だけを。  毎夜(まいよ)、深く(まじ)わりながら、(とおる)、お前が好きや、今の俺にはお前が全てやと、アキちゃんはそれがすごく、(うれ)しいことのように言う。  絵を()いてて、昼間はあんまり()()うたりせえへんから、夜は(さび)しいなって、なおいっそう(あつ)い。  (あつ)(もと)()うて、どろどろに()けていく。  どっちが自分の体か、自分の声か、分からへんようになるまで。くたくたになるまで()()うて、()たされて(ねむ)る。  朝までずっと、二人きりで。手を(にぎ)り、()()()うて。(ふか)(ふか)い、(ふか)(しあわ)せの中で。  そうした幾夜(いくよ)かが()ぎ、月が()()けをして、アキちゃんの卒業(そつぎょう)の時がやってきた。  大学の卒業式(そつぎょうしき)のあと、アキちゃんは(その)先生に、卒業後(そつぎょうご)祇園(ぎおん)のアトリエで絵描(えか)きになりますと報告(ほうこく)して、深々(ふかぶか)と頭を下げた。  考えるて言うてたことに、決心(けっしん)がついたんやな。  先生に教えていただいた(わざ)で、一生好きな絵を()いていけます。  ほんまにありがとうございました。  今後ともご指導(しどう)鞭撻(べんたつ)、よろしゅうお(たの)(もう)します。  (その)先生にそう言うアキちゃんはもう、生意気(なまいき)画学生(ががくせい)やのうて、ひとりの社会人やった。  全く社会人らしい社会性(しゃかいせい)はのうて、絵しか()かへんのやけどな。  そやけど、(その)先生には、感激(かんげき)してもらえたようや。  教え子の成長と、(わか)れの気配(けはい)に、先生も熱く(なみだ)ぐんではったわ。  さようなら、また会う日までやで、先生。  ちなみに(その)先生は、あのアキちゃんの絵を()いて以来(いらい)、野菜一本の芸風(げいふう)はやめて、人物画(じんぶつが)()くようにならはった。  それも何や、お前変態(へんたい)やろみたいな絵やわ。  (その)先生、背中(せなか)フェチやな。それから筋肉(きんにく)好き?  そんな自分の異常性(いじょうせい)前向(まえむ)きに(とら)えた絵を、それ言わんといてくれえ、言いながら()いて、西森(にしもり)さんの画廊(がろう)にちょこちょこ出入りしてはるわ。  まあまあ、ご活躍(かつやく)なようで、政治一家の家族にも、ちょっとは(みと)めてもらえたんやとか、どうやろうとか。  まあまあ、精々(せいぜい)、ようお気張(きば)りやす先生。  俺らも精一杯(せいいっぱい)努力(どりょく)頑張(がんば)ります。

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