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30-62 トオル
「そうは言うけど、お前に代わる太刀 はそう簡単 には見つからんのやで。その点、雷電 は同じ炉 の出やったはずやろ。お前と同じ刀鍛冶 が打ったらしいやないか。他家 の御神刀 やし、確 かめた訳 やないけど、言うなればお前の弟みたいなもんや。どこか似 たとこあるかもしれへん」
にこやかにそう話すおとんを、水煙 はじろりと怖 い目で斜 に見上げた。
「どこかって、どこがや」
「気が合うかもしれへんやろ」
そう言うおとんに、水煙 は傷 ついたような、呆 れ果 てたという顔をした。
おとんを捨 てたくせに、水煙 はおとんが他の太刀 を握 るのは、どうも許 せんようやったわ。
「朧 がなんと言うても知らんで」
やっとそれだけ文句 を言うて、水煙 は押 し黙 った。
「なんであいつが文句 言うんや? ただの剣 やのに。またお前と組 むんでなければ、文句 あれへんやろう」
俺には太刀 が必要 なんや。剣士 やし、鬼 斬 る男なんやから、手ぶらで敵 と相対 すわけにもいかへんやろ。太刀 が要 る。
おとんはしれっと言うて、棒 やら箒 でも受け取るかのように、気軽 に新開 先生に手を差 し出した。
「貰 うとくわ、宮本 の。ほかすよりはええやろう。毎日大事 に使うかは分からへん。水煙 が言うように、当家 には神刀 は蔵 にうなるほど眠 っててな、何年も何十年も日の目を見いひん者 も居 る。どういう扱 いになるかは、分からへんけど、せっかく貰 うたんやし、いっぺんくらいは味見 はするわ。それでもええなら置 いていけ」
さあ渡 せと、手を出すおとんは、いかにも悪い坊々 やった。
新開 師匠 は今にも渡 そうと、布 に包 まれた雷電 の刀身 をおとんに差 し出していたが、あと一歩が前に出えへんかった。
それを見て、おとんはさらに悪い微笑 や。
新開 先生を虐 める口調 で、なおも言うた。
「言うとくけど、太刀 は薄情 やで。いっぺん抱 いて寝 たら、お前のことはもう忘 れるやろう。後 から返 せと言われても、もう、後 の祭 りや。俺はお前より、ずうっと上手 やで? 奪 い返 すんは至難 の技 や。諦 めることになるやろう。それでもええか? 後 で惜 しいなって、泣きついてきたりしいひんやろうな?」
おとんは新開 浩一 を見て、笑 うていたが、睨 む目やった。
そんな泣 き言 言 うてきたら承知 せんぞという、怖 い目やった。
水煙 も、心苦 しそうに、それを見ていた。人間の都合 で、右へ左へ、物 として扱 われる雷電 を。
「そのような無様 を晒 すつもりはありません。これは熟考 の末 のこと。お納 めください。その後 、雷電 がどうなろうが、文句 はありません」
揺 るぎない目で、おとんの視線 を見返 して、新開 浩一 は言うた。
それでもまだ、雷電 は新開 先生の手の中にある。
やっぱやめますと言うなら今や。まだ間 に合 う。
俺は見た。あの神戸 の、骨 との死闘 の日に、雷電 と連 れ合 うお前を。
雷電 は美しい、赤い肌 をした美しい鬼 やった。
水煙 が、青い鬼 さんなんやったら、雷電 は赤い鬼 さんか。
肌 の色こそ違 うけど、確 かに二人は似 てる。
アキちゃんと連 れ添 う時の水煙 は、アキちゃんを愛 してる目をしてる。
雷電 かて、それになんの違 いがあったやろう。
水煙 に心があるなら、その太刀 にかてある。
心が、雷電 にもあるはずや。
「果報者 の嫁 やな。どこがそんなに良かった? 普通 の女やないか。雷電 を棄 てるほどの価値 があったか?」
冷たい声で、おとんは言うてた。
神刀 を命がけで受 け継 いできた家の者 の言うことやった。
新開 先生かて、そうやったはずや。
「小夜子 には、そんな価値 はないです。神にまさる価値 のある者 なんぞ、そうそう居 らんもんでしょう。しかし小夜子 は俺を愛 してくれています。俺が何者 か、どういう男か知った今になってもです。その気持ちを踏 み躙 ることは、俺にはできません。小夜子 を幸 せにしてやりたいんです」
自分に言い聞かせている声で、新開 先生は言うた。
小夜子 のためや。あの可愛 いおばちゃん。
新開 先生がそれと初めて会 うた時は同い年の女子高生やった。
そうやったのに今では、ずっと年上のように見える。
一緒 に生きて、一緒 には死なれへん女のために、新開 先生は自分を、ただのつまらない普通 の男に変えようとしてた。
神剣 を捨 て、通力 を捨 てて、妻と生きる、短くて、すぐ年老 いる、面白 みのない、霊 の目も耳も閉 じた暗闇 の一生に、自分を落とそうとしてる。
「価値 があったかと言わはりますが……先代 は、誰 かを愛 しい想 う時に、相手が神やし、美しいから好きなんですか? 醜 うなったら捨 てて、次へ行くんか。貴方 はそういう人なんですか?」
そんな男に雷電 をくれてやって、ええもんやろか。
新開 先生に迷 いがあったとしたら、それが最後の躊躇 いやったんかもしれへん。
しかし、おとんはその問 いかけに、にやりとしていた。
その胸 に去来 した顔が、どんな顔やったか。
四条大橋 で見た、顔のない化 けもんやった朧 の顔か。それとも、灼 けて燃 え尽 きた骨 やった、あいつの姿 か。
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