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30-63 トオル

「はあ、大したもんやな、宮本(みやもと)末代(まつだい)は。これは一本取られたわ。それが(まこと)(あい)というやつか。当家(とうけ)にはついぞ(えん)がない。そんな勇気(ゆうき)のある男は、秋津(あきつ)には(いま)だ一人も生まれたことがないんや。ほんまはそのような(あい)が、正しいのやろうな。ただ一人の()()いが(のぞむ)む、(まこと)や」  おとんは新開(しんかい)先生の手にある雷電(らいでん)()れ、それを(うば)()った。  先生に(あらそ)気配(けはい)はなかったが、何かの見えない糸のような(きずな)が、おとんの手によって、(むし)り取られ、引き()がされる太刀(たち)悲鳴(ひめい)が聞こえるようやった。 「ほんまにええんやな?」  もう一度だけ、おとんは聞いた。  新開(しんかい)浩一(こういち)は重く(うなず)いた。  雷電(らいでん)はことりとも()らへんかった。まるでただの(もの)になったみたいに。 「さらばやな、宮本家(みやもとけ)(せがれ)通力(つうりき)(うしの)うたお前に、会うことはもうないやろう。雷電(らいでん)秋津(あきつ)の家で大切に(まつ)る。さっきは(おど)してすまんかったな。お前がちょっとでも退()けば、受け取らんとこうと思うたんや」  布に(つつ)まれたままの雷電(らいでん)を自分の手の中に見て、おとんはもう笑顔ではなかった。 「そうやけど、俺がどんだけ()りつけようが、お前は一歩も退()かへんかったな。決意(けつい)(かた)いようや。決めたんやったら、しょうがない。(もろ)うとくけどな、あいにく俺にも今は、(まこと)()くさなあかんらしい相手(あいて)()るんや。雷電(らいでん)狼藉(ろうぜき)(はたら)いたりはしいひんし、心配せんでええよ。これはただの太刀(たち)、使い道はひとつだけや」  そう、雷電(らいでん)(おに)()太刀(たち)や。水煙(すいえん)と同じ。  伊勢(いせ)刀鍛冶(かたなかじ)隕鉄(いんてつ)から(きた)えた神刀(しんとう)やねん。  雷電(らいでん)はこうして、ひとまず、おとんの太刀(たち)になった。  それで(おに)()る日もいずれはあるかもしれへんけど、おとんが雷電(らいでん)()いて()る夜は()えへん。(おぼろ)(いだ)くんで(いそが)しいしやな。  雷電(らいでん)にとっては、そのほうがええやろう。手練(てだ)れの剣士(けんし)(とも)に戦い、(おに)()えば、いくらか元気も出るかもしれへんし、なにかの(なぐさ)めにはなるやろう。  それでも今は(だれ)にも身を(ゆる)しとうはない。そういう気持ちでいるやろうしな。  まあ、水煙(すいえん)がおるんやし大丈夫(だいじょうぶ)太刀(たち)への無体(むたい)(ゆる)さへんわ。  新開(しんかい)先生は安心していいと思う。たぶんやけどな。  それでも新開(しんかい)浩一(こういち)は悲しい()みやった。  ()てる(おに)でも(わか)れはつらいか。  それでも、お前には(なみだ)(ゆる)されへんのや。せやし(わろ)うとくしかないんやんな。 「先代(せんだい)攻撃(こうげき)、全部、急所(きゅうしょ)()さりましたよ。さすが的確(てきかく)やな。(いた)いと言うてええ立場やないけど……どうか雷電(らいでん)を、よろしゅうお(たの)(もう)します」  新開(しんかい)浩一(こういち)はそう言うて、おとんと水煙(すいえん)深々(ふかぶか)と頭を下げた。  これが俺らが新開(しんかい)先生と会う、最後の機会(きかい)になってもうた。  水煙(すいえん)は、とりあえず俺らの結婚式(けっこんしき)が終わるまで、新開(しんかい)先生の霊泉(れいせん)()じへんと言うてた。  ()じてもうたら、神の声は聞こえへんようになる。  雷電(らいでん)が泣く声も、聞こえんようになるやろう。  あいつはもうしばし、(けん)(なげ)く声を聞くべきやと、水煙(すいえん)(ゆる)さへんかった。  俺らには何も聞こえへん、強い(きずな)で結ばれていた者同士(どうし)にだけ聞こえる周波数(しゅうはすう)で、雷電(らいでん)新開(しんかい)浩一(こういち)(ののし)ったのか、つらい(あい)の言葉で引き()めたのか、それは分からへん。  (けん)は何も言わんかった。  小夜子(さよこ)さんが新開(しんかい)先生を(さが)して(あらわ)れて、俺らに深い会釈(えしゃく)をした。  おとんもアキちゃんも、それに(こた)えて、頭を下げてやっていた。  水煙(すいえん)は知らん顔や。小夜子(さよこ)さんのことが、どうしても(ゆる)せへんかったんやろう。雷電(らいでん)(あわ)れでな。  そやけど、新開(しんかい)先生は、どうすれば良かった?  俺はアキちゃんがもし、俺以外の全て、何もかもを()てて、俺を(えら)んでくれたら、(うれ)しかったかもしれへん。  そうしてくれとは、もう思うてへん。  (てつ)よりも(かた)い、鋼鉄(こうてつ)沈黙(ちんもく)の中にいる雷電(らいでん)が、あまりにも痛々(いたいた)しかったせいや。  俺は水煙(すいえん)をこういう(ふう)にはしとうない。  雷電(らいでん)はそれっきり、ただの(かたな)になってもうたんや。もう(しゃべ)ることもなく、変転(へんてん)することもない。  通力(つうりき)はあっても、それを(はっ)することがない。  このまま何百年もの時が過ぎ、また(きず)()えたら、あるいは雷電(らいでん)も、元のような美しい神の姿(すがた)(もど)るのかもしれんが、と水煙(すいえん)は言うてた。  でも今は、雷電(らいでん)はもう、死んだんや。死んだ太刀(たち)や。  別れが(つろ)うて死んだ。あまりの苦しみに、深く(ねむ)っている。  そのまま(ねむ)らせといてやるんが(なさ)けやと、水煙(すいえん)は言うた。 「浩一(こういち)さん。今日もとても美しい人ばかりよね。(わたし)、来なければ良かったわ。なんだか、いたたまれない」  うつむいた小夜子(さよこ)が悲しそうに言うのが、俺らの耳には聞こえたわ。  新開(しんかい)先生は(わろ)うて、小夜子(さよこ)さんの手をとり言うた。 「もう見んでええ。俺のことだけ見といてくれたらええんや。二人で(しあわ)せに生きていこうな」 「でも、浩一(こういち)さん」 「お前さえ()れば、俺は(しあわ)せや。他には何にもいらん。跡取(あとと)りも神刀(しんとう)も、通力(つうりき)もいらん。お前だけでええんや。ほんまやで。小夜子(さよこ)

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