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30-64 トオル
そう言うて、新開 浩一 は小夜子 さんを優 しく、でも強く抱 きしめた。
それを祝福 する者 は、霊振会 には誰 もおらんかった。忌 まわしい出来事 として、皆 、そこから目を背 けていたんや。
しかし、無視 できた者はいない。皆 がそれを心の目では凝視 していた。
しょうもない、小夜子 を選んだアホな男。宮本道場 の末代 、尊 い御神刀 を惜 しげものう棄 てた男。
それほどの愛で愛された、美しくもなく、すでに老いはじめている、つまらない只人 の女を。
何の価値 もないのに、ただそこにいるだけで、無条件 に愛される幸 せ。
震 い付 くような美貌 も、通力 も、霊威 もないのに、己 が愛する者の、ただ一人の相手 になれてる。
それが誠 の愛 というもんなんか?
ああ。なんということや。胸 が悪くなりそうなほどの強烈 な甘 さ。羨 ましい。
お前は美しい、素晴 らしい神やと、己 が霊力 の故 に奉 られる我 が身 を引き比 べて、あまりに酷 いやないか?
小夜子 になりたい。
あんなふうな一途 な愛で、満 たされてみたい。
俺も、そう、もしかしたら水煙 も、誰 も彼 も、この日この場に集まっていた、苦しく切 ない愛に悶 える巫覡 やら、神やら物 の怪 やらの連中 は、内心 にそう思ったかもしれへん。
そやけど、あれは、決して手には入らん贅沢品 やわ。俺らの世界では。
新開 先生。早う去 ね。
小夜子 さんを連 れて、もう二度とここへは、顔を出すんやない。
皆 が惨(みじ)めになるやないか。
さっさと帰って、せめて幸 せでいてくれ。
お前が裏切 った雷電 や、皆 の分 まで。
後悔 なんか許 されへん。それがお前の、今後の一生の仕事やで。
どうかお幸 せに。俺はそう祈 ってるんやで、いつも。
よもや神や鬼 が、只人 の夫婦 を羨 むことがあるとはな。世の中には、不可解 なことだらけやわ。
しかし俺らは前に進まなあかん。全員に後戻 りが許 されるわけは無いんや。
俺もアキちゃんと前に進もう。
今日、ここに皆 を集めたのは、他 でもない。誓 いをたてるためや。
アキちゃんと生きていく。皆 と生きていく。三都 の巫覡 の王として、その家の守護神 としての、門出 の時やで。
「亨 、俺にもお前だけやで」
囁 く声でアキちゃんは言い、そっと優 しく俺の手を握 った。
「妙 な嘘 はつかんといてくれるか、アキちゃん」
苦笑 して、俺は急 に新開 先生に感化 されたらしいツレに文句 を言うた。
お前は気の多い男やで。あっちフラフラ、こっちへフラフラ、目移 りばっかりしてて、俺だけを見ることはない。
あれも助けなあかん。こいつも可哀想 や。
あいつも心配。俺が何とかしてやらな。
ほんで、何かっちゃすぐ、絵を描 きたい。絵を描 きたい、やろ。
ちょっと待っといてくれ、亨 、って、年がら年中、そんなんばっかりやんか?
それはもう、俺は諦 めた。お前が新開 浩一 になれる訳 はない。
三都 の巫覡 の王様なんやし、そういうお前に惚 れたんは俺や。自己責任 。
今後、一体 、どんな災難 が待ち受けているのやら。
それでも俺は、それを恐 れん覚悟 で、お前と歩いていくつもりやで。
「ええ月が昇 ってきたわ。そろそろ、絆 を結 ぶにはええ時や」
大崎 茂 大先生が、宴会場 の上に、天井 を透 かして昇 る巨大 な月があるのを指差した。
皆 で楽しく神遊 びして、月の出を待っていたんや、俺らは。
「さあ、誓 うか、秋津 の坊 よ。神との誓 いは神聖 やで。やめとくんやったら今や」
やめとけ、という口調 で聞く大崎 茂 に、アキちゃんは苦笑 いやった。
「誓 いますよ」
「それはそれは。勇敢 やなあ、お前は。どないなっても知らんで俺は。お前が只人 の男のように、平穏無事 に一人だけを愛していけたらええけどなあ。日ノ本 には八百万 の神がおわす。そのどれもが美しい、恐 ろしい、愛すべき方々 や。その目がちゃんと開いた今も、蛇一筋 やと言うてられたらええけどな」
「大崎 先生かて、なんだかんだ言うて、秋尾 さん一筋 やないですか? 秋尾 さんいないと生きて行かれへんのやし」
アキちゃんに言われた狐 は、平安 美少年の姿 で控 え目 に立ち、えっ僕 ですか、って、照 れて笑 うてる。
「うるさい!」
アキちゃんの逆襲 に、大崎 茂 はぴょんぴょんジャンプして怒 っていた。
これがヘタレの茂 のジャンプ切 れや。
「祝詞 あげるで!」
よう聞け皆 の衆 。
その場に集まった神や巫覡 や、外道 や物 の怪 が、じっと俺らを見守っていた。
巨大 に見える月も、俺らを見つめている。
秋津 家の祖先神 、月読命 や。
再 びこの神に、今度は永遠 の愛 と絆 を誓 おう。
次こそ永遠 に分 かたれることのない、死にも何にも引 き離 されない、鋼鉄 のような強い愛で結 ばれて生きることを、この場に居合 わせた神と、人と、天地 に誓 い、その絆 の証人 となってもらうんや。
まあ人間でいうところの人前式 ?
俺ら神やし神前式 ?
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