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第13話

「おい三浦きいてねーぞ」  鉄板で焼かれた焼きそばを頬張る桜介を囲んできたのは、焼きそば作業を終えて家主に火元をバトンタッチした友人だった。  気が付けば、汗を拭く別の友人も隣の椅子に座っている。  簡易テーブルとベンチは女性陣に占領されているので、男達は必然的に火の番になる。  春も終わっていない微妙な時期にやるホームパーティは、半分バーベキューのような形になっていたが、男は酒があれば、女は料理を囲めればなんでもいいらしい。  友人に囲まれつつかれた桜介は、焼きそばをジンジャーエールで流し込み、かけられた言葉に素直に応じた。カミングアウトをしてから初めて会う友人ばかりだったが、桜介がゲイだという事実よりも、その相手の方のインパクトが強かったらしい。 「イケメン連れて来いって言ったじゃん、おまえら」 「ああいうのはジョークの一種だろ。煽りの常套句だろ。本気でイケメン連れてきてどうすんだようちの奥さんの浮気の危機だろ。見ろ取り囲まれちまってあーあー、イケメンって大変だな……」 「同情してんのか危惧してんのかどっちだ。ていうかおまえの奥さんの浮気は知らんけど、うちのツレは浮気しません」 「おおお……三浦の惚気の破壊力すげえわ……そういやそういう話、お前しなかったもんなー。恋人居なかったわけじゃないんだろ」 「居たけど、言わないだろ。言えないし。えぐいし。友達だからって全部知ってなきゃってわけじゃないと思ってんだけど、まあ、今は楽だよ。ごめんな友達がほもで」 「ばっか、おまえ浮いた噂ねーけどいつ結婚すんだろなって心配してたんだよ。イケメンとっ捕まえたなら幸せじゃねーの」  当のイケメンは、友人達が苦い顔で眺める女達の中心で、控えめな笑顔を振りまいていた。  さすが大人、きちんと心持を作れば、半日くらいは笑顔を保っていられるらしい。帰ってからぐったりするのだろうと思うと既に今からかわいいと思うが、勿論顔には出さずに桜介は焼きそばを食べ続けた。  有賀のストーカーにお互いの家を荒らされた翌日、恐る恐る確認した部屋は全てが元通りというわけではなかったが、驚く程奇麗になっていた。  いたずら書きも、散らかった写真もない。匂いもない。多少漂泊のような香りはしたが、噎せかえる動物系の匂いに比べれば天国だ。  ただ、犯人が捕まらない状態で今まで通り同じところで生活する勇気もなく、結局有賀と桜介はアゲハの協力を得てウィークリーマンションに一時避難した。  ホテル暮らしを続けても良かったが、ベッドと風呂とトイレしかない部屋というのはどうにも落ち着かない。この際二人で暮らした方が安全だという全員一致の意見で、結果同居の様な形になっている。  今度こそはと、ストーカー確保に意欲を見せている有賀の心意気はむなしく、ウィークリーマンションでの生活は一週間が過ぎようとしていた。ストーカーらしき人間の接触もなく平和ではあるが、同時に問題は進展していない。  有賀と同じくアゲハもかなり真剣になっているらしく、鳥翅周辺に高そうなスーツを着こなした、どうみても堅気ではない男達を見かけることが多くなった。正式に有賀が助力を求めた結果、それがどうも嬉しかったように思える。結局あの人は、有賀にとても甘い。  毎日桜介の方が早く仕事を終える。バイク通勤に切り替えた桜介は、仕事帰りにそのまま有賀を迎えに行き、適当なスーパーに寄って二人で帰ってくる。  一緒に寝食を共にして知ったことだが、有賀は時々妙に凝った料理を作ってストレス発散をする以外は、非常にストイックな食生活を送っている。一日パンだけ食べて過ごすなんてことは日常茶飯事との申告をうけ、少なくとも朝食は桜介が用意するようになった。  得意ではないとしても、目玉焼きとサラダとヨーグルトくらいは用意できる。夕飯は一人ならばサンドイッチで事足りるという有賀に、桜介がその日食べたいものをリクエストするという形で落ち着いた。  おいしいものが急に食べたくなる時はあるし、酒のつまみはうまくなくてはいけない。けれど、普段食べるものは体を動かす栄養に過ぎない、と有賀は考えている節がある。それでも桜介が、海老チリが食べたいと言えば作り方を調べてくれるし、文句も言わずにリクエスト通りのものを出してくる。  おいしい? と首を傾げられる行為の恥ずかしさには、いい加減慣れた。  素直にうまいと言うと、ふわりと緩む表情の甘さには、まだ慣れない。  そんな簡易二人暮らしの状態の中、岩永からのホームパーティの誘いに行こうと言ったのは有賀の方だった。  命の危険が迫っているかどうかはわからないが実際に被害が大きくなっている状況で、あまり目立つ事をしない方がいいのではないかと反論してみたが、でもサクラちゃんの方も結構早急に解決しないと怖いよねと言われてしまった。ストーカーが動きを見せないのなら、桜介の問題から解決してしまいたいという気持ちも、確かにあった。  春の花見の時期は逃したが、友人の内一人が転職を決めたらしい。岩永の昇進も決まり、めでたいことが重なったこのタイミングで集まってささやかな祝いの会をしよう、という名目にしたらしい。  ホームパーティと言っても外で持ち寄った料理と酒をつまむ程度のもので、岩永の家の庭に収まる程のものだ。  あまり堅苦しいものではないとはいえ、有賀を桜介のパートナーとして巻き込むことになる。それでもいいのかと訊いた桜介は、僕でよろしければいくらでも巻き込まれますと言われてついキスをしてしまった。自分も、大概有賀に甘い。  暖かい汗が滲みそうな陽気の下で、炭をかき混ぜ魚介を焼いていく岩永はヒゲ面がいかつい。少し太ったかという話を最初にしただけで、とりあえずはまだ奥方の様子をうかがっているようだった。  しみじみ、好みではない。好みだけが恋愛対象というわけでもないが、やはり友人は友人だ。その境が、桜介ははっきりしている方だ。  対してパラソルの下のベンチに座らされ、男の恋人だと紹介されたにも関わらず奇異の目よりも羨望の眼差しを受ける有賀は、今日も優雅だ。  すっきりめのシルエットのカットソーは爽やかだし、白に近い色のパンツも見事に着こなしている。デザイン事務所の主という肩書も手伝ってか、良い年をして金髪で、とすら思われないようだ。  何度眺めてみても格好良いし、しみじみと良い男だと思う。その男がどんな声で自分を求めてくるのか、つい思い出して焼きそばを喉に詰まらせるところだった。  噎せる桜介にビールが差しだされたが、断って烏龍茶を飲む。  元々ビールは得意では無かったし、今日は酔っぱらうわけにはいかない。そう簡単に酔わない有賀もアルコールを辞退し、フルーツジュースを飲んでいた。 「……何か今、ちょっと向こうに皿取りに行って来たんだけど、壮絶に痒い話してて怖いぞ桜介の旦那。イケメンは愛情表現も俺達とは別次元なのか」 「気にすんな。相当頭沸いてんだ、アレ」 「まあ、楽しそうでなによりだけど。そういや岩永の奥さんもちょっと見ない間に急に美人になったよなー。前は化粧もあんましない感じだったけど。あのワンピースかわいいよなー」 「あーまーそうね。かわいいかな」  決して野外パーティ向けではないけれど、と、心の中でつけたす。  御夫人が集まるテーブルで支給に余念がない女性を横眼で見ながら、桜介はため息を飲み込んだ。  挨拶の際も、特に変わった事は無かった。  岩永は一生懸命説得してくれているらしいが、本人がどう思っているのかはわからない。とりあえずいきなり罵声を浴びせられることもなかったし、その節はと謝罪される事も無かった。今のところ、彼女が桜介と有賀の事をどう思っているのかは全くわからない。  ただ有賀が意図的にか、それとも女性達の好奇心を満たすためか、かなり赤裸々に桜介への愛情を語っている様がところどころ耳に入って来た。それを聴いているのも忍びなく、ただひたすらに鉄板の上で生産される食物を腹に入れていたが、久しぶりの友人たちとの会話はそれなりに楽しく、特に気まずいという思いをすることもない。  岩永夫人も時々、歩きにくそうなヒールの高いミュールを鳴らし、酒を勧めに来る。まったくもって普通だ。  有賀の痒い惚気が功を奏したのか。それとも岩永の説得が成功していたのか。  何にしても特に何もなければ、それはそれで構わない。酔っぱらい始めた友人達に絡まれつつ、そろそろ炭の番の岩永と変わってやろうとバーベキューセットに近づいた。 「三浦さん、本当にお酒は飲まないの?」  かけられた声に振り向くと、ビールを片手に岩永夫人が笑っている。多少は飲み食いしている筈なのにグロスには崩れが無くて、そういえば何度か席を立っているなと思いあたる。  わざわざ化粧を直すような集まりでもないのだが、それは人それぞれだと思うことにして、とりあえず笑顔を作った。 「すいません、俺、どうにもアルコール弱くって。結構無茶して反省する事があるから、今日は火の番してますよー。まあ、焼けるのを見てるだけの簡単な作業ですけど。奥さん達は食べてます?」 「ええ、有賀さんから頂いたマリネがおいしくて、おいしくて。レシピをみなさんでねだっているところなんですよ。お料理のできる男の方って素敵ですよね」 「ああ、そうですねー、俺も随分助かってます。凝ったものばかり作りたがるんですけどねぇ。ビーフシチューは作れるのに、親子丼ができないとかどういうことなんだって感じですけど」  慎重に笑顔を作りながら、当たり障りない言葉を選んで行く。それでもうまく顔を上げる勇気が出ず、炭の確認をしながら言葉を並べた。  そろそろ追加で炭を入れておかないといけないかもしれない。端に寄せた炭を取ろうと数歩動いた時に、視界の端で何かが倒れ、ガシャンと重い音がした。 「……うおあっつ……ッ!」  何が起こったか確認する前に、地面に飛び散った火の粉が飛んでくる。 「サクラちゃん……っ」 「桜介! 大丈夫か!? 奥さんも、危ないから離れて……っ」  バーベキュー用のコンロの足が折れて倒れ、鉄板や炭が桜介のすぐそばに転がっている。コンロの足のひとつが折れて、中の炭と鉄板が倒れたらしい。  直接振りかかっていたら、絆創膏ひとつでどうにかなる怪我ではすまないだろう。幸いにも特に火傷をすることもなく、熱気に飛びのいたくらいで転んでさえいない。  簡易折りたたみ式だったらしいコンロの足は細く、確かに不安定だ。誰にも怪我がなくて、笑い話で済みそうでよかったと視線を上げた先で、気持ち悪い程鮮やかな笑顔でこちらを見下ろす岩永夫人が目に入り、一気に桜介の表情が固まった。  皆、大事には至らなかった為にハプニングとして流す空気になりつつある。  それに便乗し、アウトドアとは相性悪いんだと笑った顔は引きつっていなかっただろうか。いつの間にかこちらに駆けよっていた有賀で視線をふさぐようにすると、やっと気持ちが楽になる。 「サクラちゃん、本当に怪我ない? ちょっと、思っていたよりとんでもないんだけど、気分とか平気?」 「……あーうん、なんか、あのー……気持ち悪い通り越してマジこええんだけど。ええー……これ日本語通じると思う?」  周囲を片づけるふりをしながら、囁いてくる有賀に主語もなく問えば、どうだろうと低い声が返ってくる。 「同じ言語使ってても脳みその構造が違うと、もうどうしようもないからね。とにかく、このまま何事も無ければ、別に他人の家庭壊すこともないしって思ってたんだけど、洒落にならないし、ごめんね、僕の方が我慢できない」 「え。ちょっと、有賀さん落ち着いて。気持ちはわからんでもないけど、俺怪我してないし」 「結果論です。サクラちゃんが火傷でもしてたら、僕はもう少し理性放り投げてこの場を引かせています」  自分の顔も引きつっていたと思うが、有賀の顔も相当固い。むしろ笑っていない。目が本気すぎて桜介の背筋に冷たいものが走る。  どうしようまずい。なんと言って落ち着かせようか考えているうちに、笑顔を作った有賀が、手を洗いたいので洗面台をお借りしてもいいですかと奥方に笑いかける。  笑顔で頷いた岩永夫人と有賀が連れだって庭先から消えるのを追う様に、俺も、と岩永を引っ張った。 「おい、桜介どうした」 「どうしたもこうしたもねーよやばい。ちょっと、ツレが切れた。つかお前奥さんガチでヤバい案件じゃんバカ。もっと手綱しっかり握っとけよ……!」 「え、まさか今のはうちのが……」 「それもそうだけどそうじゃないのもあるんだよ。いやまあ、もう、言うわ。お前の奥さん浮気してる。興信所調べだから証拠有り。ただしなんで俺を目の敵にするのかはまったく不明。って話を今うちのツレが結構マジな感じで奥さんに言う気がするからちょっと止めてくるんだよ」 「は、浮……なんだって?」 「後で書類見せるから! もー何事もなければそのまま帰ろうと思ってたのに、あんたの奥さん何なのまじで」  呆然とする岩永を引きずりながら、すぐに追いかけたつもりが、すでに廊下の奥では夫人が俯き座り込んでいた。  見降ろす有賀の視線に、同情は一切ない。ただ桜介と目が合うと、少し気まずそうに視線を逸らした。 「有賀さん、あのね」 「言い訳はしておくけど。手は上げてないし。別に、大したこと言ってないよ。驚いたことに迫られそうになったから、ちょっと触らないで貰えますかねっていうのと、あと、御自分の事を棚に上げてよく旦那さんの浮気疑えますねって、言ったけど。別に脅しても居ません。詰っても居ません。罵倒しても居ません」 「……随分我慢したね」 「だって、サクラちゃん嫌な気分になるでしょ。僕はね、キミが平和に楽しく毎日仕事して、一緒にご飯食べて、毎朝おはようって笑ってもらえれば、もう別に、友人の妻の事情なんてどうでもいいんだよ。ただ、その障害はきっちり排除したいとは思ってるし、だからなんでこの人がサクラちゃんに危害与えるような状態に至ったのか、それは知りたいけどね」  呆然としている旦那の前で、言われるがままの女は泣きだした。それを支えるように岩永は駆けよるが、妻は『だって』『でも』と、とうわごとのような言葉をひたすらに繰り返すばかりだ。  有賀はもう何も言う気はないらしく、壁にもたれて静かに立っている。その横に寄り添うと、小さな声でごめんと聞こえた。別に怒ってはいない。こうなってしまったことは、有賀の責任ではないし、桜介が言うべき台詞を代弁しただけだ。  静かに見降ろす桜介と有賀の前で、蹲った女は泣いていても許されないと悟ったのか、それともただ思ったことを口にだしただけなのか、ぽつぽつと言葉を吐き出し始めた。  取りとめのない言葉の羅列は、混乱しているから理解できないのかと思った。しかし何度か問い質しながら整理してみて、やはり理解できないことだけがわかった。  余りに頭が痛い内容だったので、岩永も呆然と妻を見つめるだけだった。  桜介と有賀にはどうしようもない。言葉が通じない相手と話し合いはできない。  とりあえず夫人は岩永にどうにか任せ、主催がいなくなった宴会に戻ることにした。このまま続行というわけにはいかないだろうし、なんとなくお開きの雰囲気に持っていくしかない。  玄関先で靴をはき、少し考えてから、桜介は有賀に向かい呟いた。 「……あのさ。ちょっと俺には理解できなかったんだけど。つまり、自分も浮気してるから旦那も浮気してるにちがいないって思った。更に、自分の浮気相手に振られそうになって、それは何もかも俺が岩永と浮気しているせいだ。そんで、ついでに言うならば、ビッチのゲイのくせに彼氏がイケメンでむかつく、と、いうこと、みたいなんだけど有賀さん日本語に直してもらっていい?」 「残念ながら百点満点のまとめだね。つけたすことはないね」  心底疲れたような溜息と共に言葉を返され、桜介も飲み込んでいた憂欝な息を吐いた。 「ちょっと何言ってるかわかんないんですけど」 「僕も頭が痛いよ。どういう思考回路してるのか理解できないけど、もう、なんでもいいんじゃないかね。頭おかしいけど一応、旦那さんのことは好きみたいだからね。更に逆恨みさえされなければ、まあ、一応区切りはついたんじゃないかな、と思うけど」 「怖い事いうのやめてくれませんかねちょうこえーよなんだその可能性。絶対離婚して欲しくねーな岩永……頑張って調教してほしい……」 「まあ、また嫌がらせがヒートアップしてきたら、対策考えようか。海の向こうに逃げてもいいけど、僕は今の仕事好きだし、サクラちゃんには電器工務店のおにーさんで居てほしいからね」  ね? と疲れた笑顔を向けられ、思わずへにゃりと笑い返してしまう。  今の生活を守ってくれようとする有賀の心遣いが嬉しかったし、自分が何とかするだなんて強気な事を言わないところが有賀らしいと思う。 「さて、後はストーカーさんが捕まれば、晴れて平和に毎日楽しく生活できるんだけどね」  肩首をほぐす様に回しながら、有賀が呟いた言葉には桜介も同意だった。  ただ、その冗談のように吐き出された願いは、案外早く、思いもよらない方面から解決されることとなった。

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