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CIGAR×SUGAR×VINEGAR 7

 若さというものは、恐ろしい。  たかが四歳だとニールは事もなげに言うが、その四歳は非常に大きいと思う。 「…………若者、こわい……」  結局日付が変わる前には寝せてもらえず、何度精を放ったかわからない。三度目くらいまでは覚えているが、その後はあやふやだ。  一度射精したニールは、その後は驚くべき忍耐力で雨宮を攻め立てた。浅いところばかりを突かれて、もういやだと懇願すると腰を止められる。その後に与えられるのは胸の突起への執拗な責めで、何度か止めようとした結果、ついに両腕を拘束されてしまった。  最終的に下半身には快感しかなくなり、どこで感じているのかもよくわからなくなった。  雨宮は比較的セックスが好きな方だし、焦らされるのも好きだ。けれどものには限度というものがあるし、体力も気力も限りがある。  そういえばニールは年下で、体格も違う外国人だったという事を実感し、朝のまどろみの中で存分に後悔していた。  あれだけ動いたというのに、ニールは欠伸ひとつせずに枕元で煙草を吸っている。いつも寝起きが良いのは、常に血圧が低いからだと言っていた、のを思い出した。 「センセイだってまだ二十代だろ。言っとくが俺は別にセックスはしなくても生きていける派だよ。ただ、センセイが隣にいるとついつい、手が伸びる。普段の何気ない時のセンセイもかわいいけれど、ベッドの上のセンセイは特別かわいいから仕方ない」 「……褒められてる……?」 「褒めているし絆されてほしいなと思ってる。……今日は動くのがだるかったらベッドの上で一日過ごしても良いよ。旅先の高級ホテルを満喫するのも悪くないだろ」 「でも、ワニ……ワニ観たい……」 「センセイ、割と犬とかに興味ないのにな。爬虫類好きなのか?」  煙草を吸い終えたらしいニールが、布団の中に潜り込んでくる。少し冷えた肌が冷たくて心地よくて、うとうととした眠気が襲ってきた。  国立公園はマイアミから車で一時間もかからないらしい。出かけるにしてももう少し寝ていていいから、と優しく髪の毛を撫でられ、重い瞼を下ろそうとした時だった。  唐突に枕元の携帯が鳴り、思わずびくりと飛び起きてしまう。  時刻は八時。普通の人間なら活動を始めている時間ではあるが、基本遅番シフトの雨宮は、この時間はまだ寝ていることが多い。  誰だ、と思うまでもない。瞬きも辛い眠気の中、半目で確認した液晶には、斉脇の文字がチカチカと点滅している。  絶対に邪魔したいだけだ。流石にうんざりして通話を切ろうとしたら、横のニールに電話を奪われた。  あ、と思う間もなくそのままニールは電話に出てしまう。 「やあ、朝からどうも、俺の恋人にモーニングコールをありがとう。随分熱烈に口説いてくれてるそうじゃないか」  雨宮が茫然としているうちに、ニールはいつもの淡々とした口調で言葉を並べる。口元は笑っているが、目が笑っていない。  あまり怒ったりする男ではない。声を上げて笑うことも少ない代わりに、声を荒げて怒鳴ることもない。煙草が切れて苛立つ事はあるらしいが、雨宮と一緒にいるときは基本的に何事に対してもフラットな青年だった。  そのニールがどう見てもキレている。  それはそうだろう。折角の恋人との朝の甘い時間だ。雨宮だって、ニールに横恋慕している人間がいたとして、こんな朝早くから着信があればいらっとしてしまう筈だ。  どうしよう、携帯を取り戻した方がいいのだろうか。そうは思うが眠い身体と脳味噌はうまく動いてくれない。 「は? 何、ちょっと何言ってるかわからないな。まずそっちが名乗ったらどう? まあ、アンタの名前なんて覚える気もないけどな。俺の名前が知りたかったらカリテスのNY支店に電話して聞いたらいい。そこの売り上げの大半を担ってる男が、ミスターアマミヤの恋人だ」 「……あ、あの、ニール、電話……」 「センセイはいいから可愛く俺の上で寝てろ。……昨日、散々喉もつかったろ。後で飴とタブレット買おう」  ちゅ、と音がでるようにキスをするのは、きっとわざとだ。最高に甘い声で『いい子だから』と言われて思わずきゅんとしてしまい、いや違う電話を奪わなければと我に返る。  電話向こうの斉脇も、大人げなく応戦している気配がする。  何を言っているか細部までは聴きとれなかったが、キミは横暴だとか透一を支配しているだとか、とにかくそんなトンチンカンな言葉が耳に入り、眩暈がしそうになった。  ニールは彼の両親の事を言葉が通じないモンスターだと表現した。程度は違うが、斉脇も雨宮にとってはモンスターだと思う。多分、思考回路が違う。だから言葉が通じない。  伸ばした手をひょいと取られて、布団の中に戻される。ついでに抱きしめられてしまい、身動きさえ取れなくなる。力も体格も、ニールの方が上だ。勝てるわけがない。 「とにかく俺が言いたいことはひとつだけだ、ミスターなんとか。いいか、一回しか言わないぞ。良く聞け。邪魔だ。最高に邪魔だ。これ以上邪魔をするようなら会社に乗りこんで決闘を申し込んでもいいくらいに俺は頭にきている。恋人の交友関係に口を出す程野暮じゃない。だがものには限度がある。日本人は空気を読むってやつが大好きなんだろう? アンタも日本人ならその習慣をきっちりとこなせ、空気を読め、じゃあな!」  怒鳴るような勢いで言葉を叩きつけ、そのままニールは斉脇の返事も聞かずに通話を切ってしまった。  唖然としている雨宮の横で、ぐったりした面持ちの恋人は、長い溜息をついて枕に埋もれた。寝癖のついた癖っ毛がはらりとシーツの上に広がる。 「朝から血圧が上がった気がする。疲れた。……悪い、久しぶりに我慢できなくてダメだった。後でセンセイが気まずくなったら俺のせいだ」 「いや、それは……まあ、多分大丈夫じゃないかな……言葉が通じたのかは別として、元々僕の恋人は横暴なアメリカ人って思い込んでるみたいだから」 「さっきの俺は横暴なアメリカ人だった?」 「とんでもない。最高に格好良かった。……キスしたい」  朝からこんなに幸せで良いのか、と思う。  いらない邪魔が入ったが、そのハプニングのお陰で随分と可愛い恋人の一面が拝めた。  どうせ斉脇は堪えてなどいないだろう。ただ、最近は『恋人がいるというのは誘いを断る嘘じゃないのか』と思われている節もあったようなので、ニールが直接喧嘩を売ってくれてむしろありがたい。  髪の毛をかきあげて唇を寄せる仕草が色っぽくて良い。  とろんとした気分で目を閉じて、低い体温と舌の感触に足を絡ませた。 「…………全然格好良くないな。苛々しすぎて大人になれない。センセイのことに関しては、本当にただの子供になっちまう」  苦笑しながら頬を撫でてくれる恋人は、確かにいつもの自信に溢れた表情とは違う。またそれが可愛らしいと思えたから、雨宮も相当に恋に溺れていると思った。  そんなあなたがかわいい。そう言うと、少し目を見開いてからふわりと表情を崩す。 「センセイは本当に俺に甘い。……甘いついでに、そのまま聞いてくれる?」  息が触れあう程の至近距離で、ニールは柔らかい表情で笑う。  ベッドの上での彼の言葉はいつも思いもよらない程甘くて官能的だったから、ある程度は何を言われても良いように身構えたのに。  目を細めた恋人は、掠れる程に低く静かな声で、雨宮の手に自分の指を絡めながら言葉を吐いた。 「俺はガキで、センセイよりも四つも年下で、煙草中毒で健康だって胸張って言えないし、家事だってたいして得意じゃない。両親とは仲が悪くて笑えるくらいだ。家庭環境も悪い方なんだろうな。それなりに給料がいいことくらいしか誇れるもんもない。だから、流石に今すぐなんて言えないし、そんな度胸も勇気もないんだが。……変な虫に掻っ攫われる前に、きっちり予約しておきたい」 「予約?」 「そう、予約だ。先に言っとくが別に束縛しようとかそういうんじゃないんだけど。とりあえず五年かなって思う。五年経って、まだ二人とも頭がいかれていたら、結婚しよう」  何を言われたのか、最初は分からなかった。  ニールはいつものように淡々と言葉を並べる。その声は外にいる時よりも甘くて、つい聴き惚れそうになって、内容まで思考が辿りつかなかった。  Marry meが全く日本語にならない。中学校で習ったきり、日常会話で聞くとは思ってもいなかった単語だ。  たっぷりと数秒、雨宮は固まっていた。そしてその後、どんな顔をしたらいいのか分からなくなり、切ないような幸福が満ちて涙がこぼれそうになった。  鼻の奥が痛くて息をつめていないと辛い。普段なら同性で結婚なんて流石にどうかと、思うのかもしれない。けれど今は、そんな理性なんてどうでもよかった。  一緒に居たい、と思う。  一緒に居てほしい、と思う。  絡んだ指を握り返し、耐えられなくなって顎の下に頭を埋めた。顔を見ていたら泣いてしまいそうだった。 「……貴方の、正直な言葉と、真摯な気持ちを愛しています」  声は少し震えていて、うまく音になっていたのかも怪しい。それでもニールは柔らかく笑った気配がした。 「それは、とりあえずオーケーってことで合ってる?」 「合ってる、というか、断るわけがない」  耳の上から、安堵のため息が聞こえる。先ほどのさらりとした言葉を紡ぐ為に緊張したのかと思うと、愛おしさがこみ上げた。 「……俺、本当に結婚する気だよ? うちの家族は恋愛に寛容な姉だけだし、わりと会社もそこら辺は口を出さない。同僚にはすっかり男の恋人に骨抜きになっていることはバレバレだ。でも、センセイの方はそうはいかないだろう」  確かに、そうかもしれない。  それでも雨宮は、ニール以上の恋人に出会うことは無いと信じていた。頭がいかれているだけではない。甘い言葉に酔っているだけではない。  ニールの言葉と、そして人間性が好きだと思う。尊敬できるし、格好良い。彼に見合うような人間になりたいと思えば、忙しいワシントン支店の仕事もこなせた。  一緒に居たいと思うから、雨宮は身体を寄せてニールを抱きしめる。 「不安が無いとは言わないし、問題が無いとは言わないけど。でも、僕は今嬉しい。ニールが、そう思ってくれていることが嬉しくてちょっと本当に泣きそうで困ってる……」 「こんな中途半端なプロポーズで感動してくれるセンセイが愛おしい。折角だから、今日は恋人っぽく呼ぶ?」 「……ファーストネームってこと?」 「うん。さっきセンセイのとこのくそ上司が慣れ慣れしく呼んでるのを直に聞いて本当に死ぬほど嫉妬した。名前一つでこんなに血が沸騰するなんて、俺も相当いかれてる」 「呼ばれる度に腰がぬけるかもしれない……」 「センセイも相当だ。……もう少し寝る? 起きる?」  唐突な告白で、眠気はすっかり醒めてしまった。  休みは明日までで、ホテルには連泊の予定だ。このままだらだらとしていても問題はないけれど、湿地帯でのデートに行くならば朝食を取って着替えなくてはいけない。  告白の感動もまだ消えていない。このままずっと、恋人の腕の中で甘えて居たい気持ちもあるが、折角なら街並みを離れアメリカの自然を体験したいという思いもある。  去年NYに居た際も、今のワシントンでも、仕事ばかりで観光的な休日を過ごしたことがない。  ひとりでふらりと出掛ける事も稀なので、この機会を逃すと、帰省した折に後輩の柴草に『仕事以外の土産話ないんですか』と小言を言われそうだ。  起きたい。動きたい。でも、腕をふりほどけない。  地味な葛藤をしている旨を素直に伝えると、嬉しそうにニールがぎゅっと抱きしめてくれる。腰を抱き寄せられて幸福に酔う。 「恋は盲目だなって本当に実感するよ。ちょっと本当に、ワニかニールかで、僕の中で葛藤が起こってる」 「昼間はワニに譲ってやっても良い。夜はカニだ。その後のセンセイは朝まで俺のものだよ。このプランじゃダメ?」 「……ああもう……今日、うっかり外でキスしちゃいそうなくらい貴方に酔ってる…………」 「してもいいよ。俺は別に困らない。パパラッチに追われる芸能人でもないんだ、ゲイのカップルが大自然の中でキスしたところで、同行しているガイドが気まずいだけだ」  しれっと言い放ち、甘い恋人は鼻先にキスをして、じゃあシャワーを浴びて服を着ようと言いながらも背中を指先でなぞる。  甘い刺激に喉を逸らせて、馬鹿と零すと喉元を舐められた。 「ちょ……、着替えて、起きるって、言ったのに……」 「自分でも驚く程元気と愛が有り余ってる。……三十分だけ、俺のものにならない?」 「三十分も何も、毎日ずっと朝から晩まで貴方のものだよ。……でも、本当に、三十分だけだからね」  ワニが観たいから、と言うと、センセイはやっぱり面白いなと笑われた。  土産は明日買えばいい。今日は一日、ずっと恋人を堪能できる。きっと折々に職場から邪魔の電話が入るだろうが、その度にニールが腹を立てて電話を奪う未来が見えた。  恋は甘いだけではないと、世間の大人は口をそろえて言うけれど。苦さも酸っぱさもすべてニールは甘さに変えてくれる。  ミントと煙草の匂いがするキスを堪能しながら、愛を囁く甘い声を聞いた。 →CIGAR×SUGAR×KISS

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