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8話

 次の日。イツキは早めに仕事を終わらせると、薔薇屋へと足を運んでいた。ユキの為に、プレゼントを渡したいと思っていたからだ。「ちょっと、出掛けてくる」と伝えると、ユキはこくりと頷いて笑みを浮かべた。そして、まるで「いってらっしゃい」と言いたげに、イツキに対してぎゅっと抱き着いてくれたのだった。ユキの愛らしい行動に、イツキは心の中で可愛いと思いながら、ユキと飼い猫のノワールに留守番を任せたのだった。  目的地である薔薇屋へ辿り着くと、ドアを開ける。カラン、カランと心地よい鐘の音が耳に入る。 「いらっしゃい」  アンティーク調の椅子に座り込みながら、手をひらひらとさせて、コジロウが無邪気に笑みを見せる。ふと、コジロウの隣には見慣れない女性が、アンティーク調の椅子に座っていることに気付いた。ふわふわとした茶髪の長い髪をポニーテールに結っていて、菖蒲色の瞳に黒渕の眼鏡をかけている。桃色のカーディガンを羽織り、クリーム色のワンピースを着こんでいた。20代前半くらいだろうか、イツキとコジロウと歳が近いか同じくらいかの女性だ。どうやら、コジロウと話をしていたみたいだが、イツキの姿を見ると穏やかに笑って会釈をする。イツキも頭を下げて女性に対して会釈をすると、コジロウがお互いの事を紹介してくれるのだった。 「イツキくん。この子は、海藤エミちゃん。このお店の常連さんだよ」 「初めまして。私は海藤エミと言います。よろしくお願いしますね」 「エミちゃん。こっちは、碓氷イツキくん。エミちゃんと同じこのお店の常連さんだよ」 「俺は碓氷イツキだ。よろしく頼む」  イツキにとって薔薇屋を訪れて、初めて自分以外の常連客と出会った瞬間であった。コジロウは「こっち、こっち」と手招きをして、空いているアンティーク調の椅子にイツキを座らせる。そして、いつもと同じ様にコジロウは店内の奥へ入っていくと、イツキの為に手慣れた様子でミルクティーとクッキーを用意する。その間、エミは穏やかに笑いながら、イツキに話しかけてくれるのだった。 「ここのミルクティーとクッキー、とっても美味しいですよね」 「ああ、確かにエミさんの言う通りだな」 「クッキーも売られているので、うちの子にどのお菓子をあげようか迷っちゃいまして、コジロウさんにお菓子のオススメを聞いていたんですよ」 「様々な種類のお菓子が売られているから迷うのも無理はない」  優しく笑みを浮かべながら話すエミに、イツキは相槌を打っていた。けれど、エミの言葉の中に気になった単語が出てきたので、質問をするのだった。 「うちの子と言う事は、エミさんも薔薇妖精を?」 「はい、そうなんです。今日はお家でお留守番してもらっています。そういうイツキさんも?」 「ああ。今日はユキに何かプレゼントがしたくて、薔薇屋に訪ねたんだ」 「まぁ、プレゼントですか。きっと、ユキちゃんとっても喜びますよ」  イツキの言葉にエミは目を瞬かせると、手をぽんと合わせて嬉しそうに笑う。イツキは頭を掻きながら、店内にたくさん飾られている小物などを見回して、悩ましそうに口を開いた。 「しかし、これだけ種類があると、何をプレゼントすればいいのか迷うな」 「そうですね、私も迷っちゃいます。どの小物も綺麗な細工で出来ていますから」 「何々? プレゼントの話?」  二人して「うーん」と頭を悩ませている所へ、コジロウが店内の奥から戻って来たのだった。イツキの前にミルクティーの注がれたティーカップと、クッキーがのせられた皿を、ことりと置いた。イツキはコジロウに礼を告げてから、ティーカップを手に取ると紅茶を一口だけ飲む。最初に来た時に飲んだ紅茶と味は変わらず、ミルクのまろやかな味と甘い蜂蜜の味が口内に広がって、心を和ませた。 「薔薇妖精たちは、心のこもったプレゼントだったら喜ぶからね。つまり、何でもいいんだよね」 「そういうものなのか」 「うん、そういうもの。プレゼントの【物】よりも【気持ち】が大事なんだよ」  コジロウの言葉を聞いたイツキは、愛らしいユキの顔を思い浮かべた。ユキが喜んでくれるものをプレゼントしたい。出来るならば、形に残るものがいいと考えていたのだった。ますます頭を悩ませるイツキに、コジロウは苦笑を浮かべていた。ふと、エミは何かを見つけたのかコジロウに質問をするのだった。 「コジロウさん。あの綺麗な箱はなんでしょうか?前に来た時は、置いてなかったような気がします」 「あれは、オルゴールだよ。最近、入荷したばかりなんだ。薔薇妖精は音楽好むからね」 「まぁ。それは素敵ですね」  二人の和やかな会話を聞いていたイツキは、オルゴールが置かれている棚をちらりと見る。綺麗な細工で作られている木箱には、様々な種類の模様や絵が描かれていた。ふと、その中で薔薇と苺の模様が描かれたオルゴールを見つけた。徐にイツキは立ち上がり、そのオルゴールの蓋を開けた。美しい音色で奏でるオルゴールを聞いた瞬間、イツキの心の中で「これだ!」という想いが強くなる。イツキは薔薇と苺の模様が描かれたオルゴールを手に取ると、コジロウに向かい告げるのだった。 「コジロウ、これをくれないか」 「毎度あり。イツキくんにしては、良いものを選ぶじゃん」 「一言余計だ」  コジロウは軽口を言いながらも、薔薇と苺の模様が描かれたオルゴールを手慣れた様子で、丁寧にラッピングしていく。 「イツキさん、プレゼント決まったんですね」 「ああ。おかげさまでな」 「それはよかったです」  イツキがユキに渡すプレゼントが決まったことに対して、エミは嬉しそうに笑ってくれた。エミとは常連客同士で、交流が出来そうだとイツキは安心する。それから、イツキとコジロウとエミの三人で薔薇妖精について、いろいろと話をして有意義な時間を過ごしたのだった。 ***** 「ユキ。今日はお前にプレゼントがあるんだ」  薔薇屋から帰宅をした夕食後。三回目の薔薇の花びらを浮かべた紅茶を、飲み終えたユキに対して、イツキは優しく声を掛けた。きょとんとした表情を浮かべ、首を傾げているユキに、イツキは綺麗にラッピングされた箱をそっと手渡した。目を瞬かせながら、ユキはイツキとプレゼントを交互に見比べていたが、やがて、丁寧に箱に包まれた包装紙を取っていく。箱を開けてみると、一つの薔薇と苺が描かれた木箱が入っていた。 「それは、オルゴールって言うんだ。ぜんまいを巻いてから、蓋を開けると音楽が流れる」  試しにとイツキは、ぜんまいをゆっくりと巻いて、オルゴールの蓋を開けて音楽を流した。オルゴールから流れる曲が穏やかで心地良いのか目を瞑り、音楽を楽しんでいた。オルゴールの音楽が止まると、イツキと同じ様にぜんまいをゆっくりと巻いて、オルゴールの蓋を開ける。  とても気に入ったのか、大事そうにオルゴールをぎゅっと手に持ったユキは、大きな瑠璃色の瞳で、じっと柘榴色の瞳を真っ直ぐに見つめる。そうして、満面の笑みを浮かべ、ユキはおずおずと口を開いた。 「いつきさん、ありがとう」  たどたどしくだが一生懸命に、鈴の鳴る様な心地の良い声でユキは言葉を紡ぐ。その言葉を聞いた時、イツキは目を見開いて、驚きの表情を浮かべた。 「ユキ……!お前、今、喋ったのか」 「いつきさん」  ユキは花の咲く様な笑顔を浮かべて、イツキの名前を呼んで、イツキに対してぎゅっと強く抱き着いた。イツキと一緒に過ごす様になってから、初めてユキが言葉を発した瞬間だった。

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