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第8話

 二十四時間営業の店っていうのは、結局ファーストフードになる。  牛丼かラーメンかハンバーガーの選択っていうのは、夜にはなかなかしんどい。おれは食えるけど、どう見ても絶不調なトキチカさんがそんなもん腹に入れられないことは明らかだった。  深夜一時すぎ。ちらほらと一部営業を終えたおねーちゃんやおにーちゃんが街に溢れだす。  そのまま返したらちょっとまずいかな、と思って引き止めたものの、居酒屋に誘うテンションでもないし、バーにしけこむのもどうよってくらいトキチカさんの目が赤い。まあ、顔が赤いのは確実におれの所為だなーと思うしちょっとそれ意識しちゃうから、あんまりきっちり確認してないけど壮絶に死にそうな顔であることは確かだった。  悩んだ結果、とりあえずコンビニでビールとスミノフ買って、そのまま近所の公園に向かった。  人が居るとこでしゃべらすのもどうかなって雰囲気だったし。幸い寒いっていう季節でもない。  深夜の公園に二人きりってどうなのかなと思わなくもなかったんだけど、まあ別に良いかなって結論付けた。他人の性的指向にはあまり興味もないし、この人結構チョロいからうっかり惚れられそうだなってちらり、考えたことは考えたけど、どうにもアレなことに、『惚れられてもまあいいか』と思ってしまった。  すんごい面倒くさそうな人だっての、びしばし伝わってくる。  すぐ泣くんだろうなぁ。感情の振れ幅でっかいんだろうなぁ。好きになったらもうそれが人生になっちゃうんだろうなぁ、って、想像できる。たぶんこの推察はビンゴで、だから面倒くさい人だっていうカヤさんの忠告もしっかり頭に入っている。  でも、まあ、いいじゃん。  だって、ほら。……かわいいし。  歩いてる最中もものすごく居心地悪そうで、それなのに帰りますっていう勇気とかないらしく、もだもだしながらちょっと後ろを歩くもんだから、面倒になって手を引いた。  腕をつかむのもどうかと思ったし、手をつなぐのも流石にどうなのって思ったので、とりあえずパーカーの袖摘まんでみたんだけれどこれがどうにも胸キュンポイントに刺さったらしく、面白いくらいにトキチカさんは真っ赤になってた。  どこ握ったところで真っ赤にはなっていたかもしれない。正直かわいい。  なんだろ、別に男に興味はないけど、でも、その中学生女子みたいな反応なんなのかなーって思うしかわいい。  トキチカさんは結構身長ある方だと思う。細いし、顔が小さいからスタイルも良い。甘い顔でもかわいい顔でもない。たぶん黙っていればかっこいい系だ。  猫といっても、かわいい子猫じゃない。成人した黒猫。豹に近い。でもあれほど強そうじゃない。だからなんつーか、うん、でっかい黒猫という感じ。  別にかわいい要素は外見にないはずなのに、なんでこんなにかわいいかなーとぼんやり考えつつ、目当ての人気のない公園に辿りつき、まあ飲みなよとスミノフを渡して、自分はビールの缶を開けた。 「安い物ですいません。飯って言ってついてきてもらったけど、飯屋ってこの時間重いもんしかねーなって気がついて。トキチカさん牛丼とかしんどいっしょ?」  ブランコ横の柵に腰かけると、立ったままのトキチカさんが慌ててその横に凭れた。 「……確かに、ちょっと重いかな、ファーストフード」 「飯ちゃんと食ってます?」 「あー……カロリーメイトとグラノーラとヨーグルトで生きている」 「……アウトってわけじゃないけどセーフでもねーなって感じっすね。やっぱ牛丼無理やりにでも食わせた方がよかったかなって思っちゃうアレっすわ。まあ、今度もうちょいヘルシーな店が開いてる時間にメシ行きましょ。とりあえず今日は酒飲んで言いたいこと吐いてもらえたら良いかなって思うんですけど。さ、何があってそんなにメンヘラしちゃったのトキチカさん」 「え。えー……言っていいの? ホモの痴情の縺れとかエグくないっすかね?」 「ホモだろうがレズだろうがノンケだろうが痴情の縺れはエグイっすけど知らないうちに世界にサヨナラされるよりはエグイ愚痴聞いた方がマシっす」  タマコさんやカヤさんには饒舌になる癖に、どうもトキチカさんはおれに対して言葉をうまく紡げないらしい。あまり視線を合わせようとしないし、あーとかえーとか言葉を繋ぐ間が長い。  たぶん、すんごい考えて言葉選んでんだろうなぁと思うから嫌な気分はしないけど、もうちょい心開いてくれてもいいのになー二回もちゅーしてんだし。二回目は完全に気つけだったし、別にトキチカさんの意思でちゅーしてくれたわけじゃないけど。そんなことはおいといて、だ。 「……あのー。大変、心が狭い人間感で溢れちゃう感じで呆れられると思うんですけれども、」 「うん。どうぞ?」 「えーと。振られた、その、前の彼氏様を先ほどお見かけしまして、そしたらもう一カ月も経ってるのに振られた時のお言葉とかそういうの、一字一句フラッシュバックしてしまって吐き気と涙止まんなくなって全力で逃げたはいいけどそのまんまメンヘラ思考突入しちゃって、高校時代のアレソレとか今までのアレソレとかぜーんぶ一気に思い出して、ああそうねオレなんかしんじゃえばよかったのにねあはは、みたいになって、あ、やばい、これだめだ、って思ったら倉科クンのバイト先見つけてしまってそのままヘルプかまして、しまい、まし、た?」 「…………見ただけで吐くってどんだけアレな振られ方したんすか」  思わずつっこんで訊いてしまってから、あ、これあんまり掘り下げたらまたメンヘラ思考入っちゃうやつかな? と心配になったけど、とりあえず涙は出てこなかったから平気っぽい、と判断した。  一回泣いて運動して動転したせいか、今は冷静なのかもしれない。 「結構、思い返すと、よくオレあの場で手首切って心中しなかったなぁえらいなぁって思う感じ。ホモ気持ち悪いとか、結婚するからお前いなかったことにしてとか、ばれたらキモイって言われるしわかってるよね、みたいな。最初から愛が重くてやばいやつだと思ってたとか。飽きてるのに気がつかないから面倒だったとか。その性格直さないと一生一人だよお前、とか。……まあ、こんな感じのことと、この五倍くらいの長さで拝聴した感じ」 思わず、ビール持ったまま固まった。 「あー……っと、それ、よく、我慢しましたね。相手女子でもそれ殴るやつだわ」 「あ、ほんと? いや、キモイとかうざいとかそういうのもう半分くらい慣れちゃってたから記号みたいな気分なんだけど。流石に好きな人に言われると、とんでもない破壊力だなあはは、みたいななんか客観的に見てる感じ? になってたみたいで。あんま記憶ないんだよね。笑ってそっかーって言ったような気がする。覚えてない。後は雨降ってて、そんで倉科クンに腕引っ張られた辺りからの記憶しかないなー」 「トキチカさん、オープンゲイだったわけじゃないでしょ?」 「うん。もちろん隠してましたとも。でも高校時に先生に相談したら他の先生にバラされてさ。そっからもう人伝いにバーって広がって、気がついたら毎日『気持ち悪い死ねばいいのに』連呼の世界。でもまあ、死んだ方が楽なのかなって思った時に、死ねばいいじゃんなんてかっちょいいこと言っちゃう大人がいなかったから、ボクはまぁ生きてるわけです」  女子高生今も怖いけど、と締めくくったトキチカさんになんて声をかけていいかわからず、とにかく思っていた以上に壮絶だなこの人、とだけ思った。  しねばいいのになんて言われ続けて生きてきたら、そら、飯も食えなくなるだろう。むしろその程度の健康的精神的被害で済んでいることの方が驚きだ。  そら、学生時代は壮絶だったと想像できる。それを、今あまり引きずっていないのが、どうにもすごいことのように思えた。 「……引いた?」  不安そうに、スミノフを握ったままこちらを伺ってくるトキチカさんの声で、ハッと我に返る。  引いたというか、え、これなんて返事したら正解なんだろうっていうのが大半で、ちょっとグルグルしてたからあほみたいな顔になってたかもしれない。 「いや、引いてはないっすけどビビった、かな? えーと。壮絶だなって思って。あと、そんでも生きててくれてありがとうございますみたいな気持ちになりました。だってそんとき死んでたら、トキチカさんはカヤさんのモデルになることもなかったわけだし、おれもあの写真を見る事なかったわけだし、おれ、一生カヤさんとも縁がなくてただの雑用でフォトスタジオやめてたかもしんないわ……」 「そこまで大げさな話でもないでしょ」 「いやいや。大げさです。おれね、本当にすげーって心から思ったの、あの写真が初めてかもしんないの。もちろん絵とか写真とか好きだったし感動した作品もあほみたいにいっぱいあるけど、あんなに打ちのめされたのはトキチカさんの写真だけなんですよ。まじで。……まじで、すげえって思ったし、カヤさんの手腕もあるけど、この前写真撮る光景見てやっぱりトキチカさんすげーわって思った」  廃墟の何もない砂っぽいコンクリートの上で、不透明な白を漂わせる半裸のトキチカさんのイメージは強い。  それと、その後の。……おれがキス吹っかけた後の壮絶な色香も、記憶に焼き付いていた。 鈍い白が、一気に艶やかな光沢を持ったような、そんなイメージだった。  マットな擦りガラスが、絹地になった。それも、最高級の、滑らかな白。キス自体もなかなか刺激的だったけど、とにかくその色の変わりように全部持ってかれたおれは、またカヤさんに息しろアホと叱咤された程だった。  だって、すごかったんだ。ああ、やっぱり、この人すげーわって、実感したんだ。  以上のことを謙遜するトキチカさんに至極熱心に伝えたら、なんかおれの方が引かれてしまったの解せない。ちょっと。もうちょっとこっち来なさいよ。なんでアンタが引いてんの。 「……倉科クン思ってたより変なお人だったわー。やばい全然わっかんない白とか絹とか。でもその表現方法結構好きかもって思っちゃうのでまあいいかな、とか、思うしなんか久しぶりにキミには価値がありますよーって言ってくれる人様なので、あー……泣きそう泣きそう、ちょ、オレめんどくせえなホント!」 「面倒くさいのは存じてますけど、死にそうな気分で泣くよりはうれしくて泣くっつーのはアリなんじゃないっすかねっていうか何逃げる体勢とってんの。そんなに引かなくてもいいでしょ」 「違う違う引いてない、いやちょっと気分的には引いてるけどこれは関係なくて、そのー、だめだめ、オレね、ほんっとすぐによりかかっちゃうから。ちょっと甘やかすとさ、全力で傾くの。オレは塔なんだよね、たぶん。斜塔とかあるじゃん? ちょっと傾いたら根元からどーんって、倒れちゃう塔。だからさー、だめ、優しいからだめだ倉科クンあと手がかっこいいから駄目」 「……手? ああ、おれの手好き的なこと?」 「好きだけど確認しちゃだめでしょばっか……! そういうの恥ずかしいから駄目だっつってんの!」  トキチカさんが言った癖になんでおれが怒られてんの、解せないわって思いながら、ちょっとにやにやしちゃうのは、トキチカさんがかわいいからだ。  面倒くさい人だけど。超絶不幸な若干メンヘラさんだけど。でもこの人根本はすんごい真面目なんだろうなって思う。  自分の面倒くささも理解してる。だから他人に近寄らないんだろう。すぐに傾く、すぐに頼る、たぶんすぐに好きになる。だからなるべく近寄らない。迷惑をかけるくらいなら他人でいる。たぶんきっとそういうことが言いたいんだろうなーとわかる。  まあ全体的に、わからなくもないんだけど、一回頼ってもらった側としてはもう結構諦めっつーか覚悟もできているわけで、ポケットの財布の中から適当なレシート引っ張り出して、トキチカさんにペン持ってないか訊いた。  不思議そうな顔で、トートバックの中からボールペンを出してくれる。ありがたくそれを受け取り、財布を下敷きにしてレシート裏におれの携帯の番号とメルアドと家の地図を描いた。  そんでそれをペンと一緒にトキチカさんに渡す。  びっくりした顔のまま固まったトキチカさんは、何度かおれの顔を見た後、泣きそうな顔でそのメモを握りしめた。 「……軽率なことしてアホなゲイが惚れたらどうすんの」 「あー……まあその時はその時に考えますわ。つかトキチカさん今レンアイうんぬんより生きるか死ぬかって感じじゃないっすか。おれ、トキチカさんの写真撮りたいんですよ。この前それどころじゃなくて感動しっぱなしでアポ取るの忘れたんすけど。だから死んでもらっちゃ困るし。バイト先、クソな元彼さんとやらの仕事場に近いっぽいんでしょ? また遭遇しちゃってテンパったら電話でもメールでもいいし直接ピンポンでもいいし、とりあえず呼んでください。その見返りと言ってはなんなんですけど、写真撮る許可ください」 「え。撮影のアポじゃなくて、許可?」 「そうそう。おれね、人物最近撮ってないからリハビリしたいんすよね。だからたまーに人生相談報告がてらメシでも付き合ってもらって、そのうえで写真撮ってもOKっていう許可、が、その電話番号の代償……って、ちょっとおこがましいか。あ、メシは奢るんで。それも込みならトントン?」 「正直このレシート神棚前に祀るレベルでうれしくて倉科クンが今何言ってんのかよっくわっかんねーっす」 「あーじゃあ後でメールで再度確認しますからとりあえず連絡ください」  傾くって言ってるのに、と呟きながらものすっごい感動しているらしいトキチカさんがちょっとっていうかかなり不憫に思えて、危うく抱きしめるところだった。あぶない。  まあ、傾いてきても共倒れしなきゃいい話だ。ちょっと楽観的すぎる気もしたけれど、鬱々と悩んだところで結局、答えなんか出ることもないだろう。  とりあえずおれはトキチカさんの写真が撮りたいし、普通にこの人のことは嫌いじゃない。どちらかと言えば面白いなと思っている。たぶん好きだ。人間として。レンアイ対象としてどうなのかなってのは、わからないけれど。  そんな程度の好意で近づくのは失礼なのかもしれないけどさ。でも、しんどいときに、助けてって言える人間がもうちょっといたっていいんじゃないの、トキチカさんの周りさ、って思うから。  軽率に手を伸ばしてしまったけれど。 (……惚れられたら、好きになっちゃうかもしんないな、これ)  だってかわいいから、なんて、今日何回か思ったわけのわからない言い訳を内心で繰り返した。

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