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第9話
「もうやだなにあのイケメンつらい……」
いつものPINKY CHICKPEASのカウンターで、今日はおかっぱの銀髪ウィッグを被ったタマコさん相手にへなへなと消え入るような声を出す。
大体オレは弱音ばっかの人生で、そんでもってそれを存分に吐きだすのは、この店のきれいに磨かれたカウンターテーブルの上が主だったけど、今日に限ってはメンヘラちゃん成分はいつもの半分くらいしかない。と思う。
でも正直しんどい。正直めんどい。その上ちょっと頭も痛い。
これがもうどんな感情か身に覚えがある故に最悪な気分だったけど、吐くとか泣くとかサヨナラしたいとかそっち方面ではなかった。
「別にイケメンでもないでしょ。王子様っていうよりも、そうねぇ家来のモブって感じ? イケメンだって思うのはただ単にトキちゃんのタイプってだけじゃないの?」
「タイプなんかじゃないですよぅ全然違うこれっぽっちも掠ってな……あーいや、手と鎖骨から肩のラインは結構好きだけど、顔とかもうまったくもって好みじゃないものー。オレもっと派手な甘い顔がすきなんですぅーでも笑うとすっごいたまんないんだもん倉科クン……だめ……直視できない死んじゃう……」
「やーだ、しっかり惚れちゃってんじゃないの。あれだけ恋なんてもう結構! なんてぐずぐず言ってた癖にねぇトキちゃんてばホント移り気なチョロ子ちゃん。まあ、ご飯食べてるみたいだし、健康ならアンタが何に心奪われようが構いやしませんけどねぇ」
甘い酒をなめながら、だらりと机に張り付いて、だって最近倉科クンがご飯誘ってくれるんだもんと言うと『餌付けじゃないの』と笑われた。
いや別に、そういうわけでは、……あるのかも。
倉科クンが連れてってくれるお店はいつも絶対においしいし、普段食べないものばっかりだ。
惚れませんよって言ったのに。惚れてませんよって言ってるのに。
なんでオレはこの数日でうっかり恋する乙女状態になってんのって話ですよもうやだしんどい消えて無くなりたい。
そもそも惚れっぽい自覚はある。
ちょっとイイナ、って思ったら、もう恋愛対象だ。もちろん誰かれ構わず告白したりとか沼入りしたとかは致しませんが、好きかも好きかもチャンスあるかも? ってちらちらしちゃう。本当に悪い癖だ。
だって倉科クンの笑顔優しいんだもの。
箸絶対取ってくれるし。ご飯食べる前に手を合わせていただきますって言うし。モノを食べる時のでっかく開けた口がなんか、どきどきする程かっこよかったし。普段ぼんやりした無表情なのに、目を細めてふっと笑う時の感じがもう、とにかく、……だめだ思い出すとうわーってなる。
かっこいいし優しいのにレバーとキクラゲ食えないとかいうからそんな些細なことにもノックアウトされて、中華ラーメンの具からキクラゲ全部拾いながらいっそ殺せってくらい赤くなってしまった。生まれて初めてキクラゲきっかけで萌えた。不覚すぎてもうなにがなんだかわっかんない。
倉科クンは撮影許可を出した日から、デジカメを持ち歩くようになった。
一眼とかじゃないのって訊くと、持ち歩くの重いしとりあえずリハビリだからと言われた。トキチカさんが遠出する時には一眼レフ持ってきますと笑われ、あーどっか連れてってくれたりすんのかなって思って軽率にテンションが上がったりしてそれがしっかりバレてて、どっか行きたいとこあります? ってまた笑われた。
なにこれなにこれ。普通の友人って男二人きりでこんな感じの会話するんですか。
オレは本当に心底友達がいないから全然わからない。
二人で出掛けることはあるだろうけど、あんなに優しい顔で『次休み被ったら決行しますから行きたいとこあればメールください』なんて言われるもんだろうか。
駄目だ。倉科クンがナチュラルにオレを甘やかすもんだから、うっかりオレも甘えちゃって確実に友人空気じゃないのだけはわかる。でも今更軌道修正できなくて、うっかりそのまま簡単に傾いた。
どうしよう惚れちゃった。
どうしよう好きになっちゃった。
そう思えば思う程パニックみたいに感情が押し寄せてしんどい。
「やーだよータマコさーん。オレもう恋とかいやーですよーってあれだけ思ってたのになんで勝手に落ちてくのー」
「恋なんてそんなもんよって言いたいところだけど、トキちゃんはちょっとお手軽にホイホイ転びすぎねぇ。それでも今回は予想外。見た感じ、今までトキちゃんがころころ転がってったイケメン達とは比べ物にならないくらい普通のおにーちゃんじゃないの。でも今までの性格ブスなイケメン達とは比べ物にならないくらい誠実なんじゃないの?」
「でもノンケですよ。優しいけどホモじゃないのよ。ねえどうなの、ぶっちゃけいけるとおもう? 倉科クンの優しさって同情オンリーじゃなくて恋情付け入る隙ある? オレとセックスしてくれる優しさ持ってると思う?」
「感情的には両想いになれる可能性無くはないかしらと思うけれど、セックスはどうかしらねぇ……。でもトキちゃん、セックスしないと死ぬタイプじゃないでしょ?」
「オレは一緒にいるだけで幸せだよっていう気持ち悪い依存型タイプだけど、だってほら男女恋愛ってえっちして所有欲満たすみたいなのあるじゃん。最終目標えっち、みたいなさー。えっちしないと恋人じゃないみたいなさー……」
「言わんとすることはわかるけれど、実際押し倒されたらトキちゃん死んじゃうんじゃないの?」
「…………ヤメテ。想像した。鼻血出そう、だめだめ、倉科クンかっこいいだめ」
頭の上から、呆れたようなタマコさんの溜息が降ってくる。
「あらやだ思ってたより末期」
「末期ですよばーかばーか」
「軽率に暴言垂れ流すのお上品じゃないからおやめなさいおバカちゃん。けど、あのピンクの従者A青年の何がトキちゃんの心臓ずっきゅんしちゃったのかしらねぇ。なんだか面白い巡りあわせね。元彼引きずって、死にそうになるよりよっぽど健全だわ。このまま一気に幸せになっちゃいなさいな」
そら、なりたい。なれるものなら幸せになりたい。
でもそれって今までの人生であまりにもパーセンテージ低い現象すぎて、今はもう幸せってなんだっけ状態で、タマコさんの優しくもずけずけとした励ましに感動しつつもでもどうやったらいいのってグルグルした。
時々メールが来る。時々、ご飯を食べる。そんで、写真を撮られたり、オレの話をしたり、倉科クンの仕事の話をしたりする。
それだけでも確かに楽しいんだけど、でもオレは焦っちゃう。
これで正解? オレ気持ち悪くない? 普通の知り合いっぽい距離保ててる? でもぶっちゃけ友達以上に好きになってほしいんだけど、それってどうやってアピールしたらいいの?
コロコロとすぐに恋に落ちる癖に、駆け引きなんて大の苦手。好きって気持ちだけ馬鹿みたいに溢れだして、溺れそうであっぷあっぷしてしまう。
「……タマコさん、どうやって奥さんちゃん口説いたの」
どうやって人はお付き合いを始めるんだろう。どうやってアピールしたら正解なんだろう。
いつもはこの人好きかもチラチラしているうちに、気持ち悪がられて縁切られるか、もしくはなんだかいつの間にかセックスしてる。誘ったつもりなんか一切無いのになし崩しにそういう関係になっていて、そんで結局数カ月で見事振られる。
健全に、他人にアピールしたことなんかない。そのツケが、たぶん今、一気に回ってきている。
相当不躾なことを訊いたオレに対して、タマコさんは呆れたようだが怒ったりはしなかった。オカマはやっぱり優しい。わけ隔てなく生ぬるく優しい。
「口説いたっていうか、そうねぇー……ああこのおばかちゃんはきっと一生ただのあんぽんたんなんだわ、アタシが横で『お箸を持つのは右手よ。お茶碗を持つのが左手よ』って言ってあげないと、きっとごはんもスプーンで食べちゃうおばかちゃんなんだわって、思ったのよね。だから一緒に居ましょうかって、そのまま言ったわ」
「……え。急に?」
「そう、急に。運命だと思ったから。アタシ、ドラァグ・クイーンになりたかったのよ。でも、子供も奥さんも欲しかったの。でもそんな中途半端なよくわからないオカマの話を、わぁかっこいいってきらきらしながら聴いてくれたおばかちゃんは、後にも先にもうちの奥さんとトキちゃんだけね」
「なんだ、じゃあオレでも良かったんじゃん結婚してよー」
「おバカ言いなさんなトキちゃん子供産めないでしょ愛で性別乗り越えるのはセックスまでにして頂戴。オカマと不倫なんておばかすぎる近道探すより、正攻法できっちり道を固めなさいな。アンタの王子様はオカマじゃないわよ。こんな面倒くさいお姫様アタシも嫌」
ひっどい、って笑って、笑いつかれた頃にまたペタリとカウンターに突っ伏した。
タマコさんは良いなぁって思う。奥さんが居て子供が居て、好きなことをやっている。勿論、それはタマコさんの人生だし、タマコさんになりたいわけじゃない。結構苦労人なの知ってるから、羨ましいことばっかりじゃないのは存じてますけれど、単純に、タマコさんの芯の強さがうらやましかった。
好きだから好きと言えるのって、すんごいな。
オレはたぶん、倉科クンのことが結構みんなが思っているより好きだけど、手を握る努力も出来ない。どうしていいかわからない。
「……だいいちもくひょう、てをにぎる……」
「誰と?」
「そらもちろん王子ひぎゃあああああッ!?」
「……トキチカさんそれ以上後ろ下がったら落ちますよ」
急に後ろからかかった声に動転しすぎて結構本気で叫んじゃったけど、まだ開店直後でお客さんも居なかったのが幸いだった。営業妨害も甚だしい。いや、カウンター陣取ってタマコさん独占してる時点で激しい営業妨害なんだけどっていうかなんで倉科クン居るの。
うっかり告白レベルの発言をするところだったあっぶねえ!
ていうかタマコさんも入口見えてるんなら言えしと思って睨んだら、笑顔でするっと視線を外された。ひどい。味方なのか敵なのかどっちなのタマコさん。
「どうもいらっしゃいピンク男子。本日はお休み?」
「いや、半休っす。人件費削減。アシスタントなんて所詮バイトっすわ。……トキチカさん落ちるってば」
「…………びっくりしてしぬかとおもった……」
「相変わらず見た目に反して心臓弱いっすね。あ、トキチカさんメシ食った?」
軽口をたたきながらも倉科クンはさらっとオレの隣に座る。
あー今日のシュシュじゃなくてバナナクリップだかわいい。似合う。じゃなくて。
「食って、ない、けど、……倉科クンお暇なの?」
「まあ予定もないっすね。ていうか大概予定なんぞないっすわ。じゃあトキチカさんメシ行きましょーってこれタマコさんの営業妨害?」
「とんでもない。いいのよいいのよ、どんどん連れてっちゃってちょうだいな。どうせトキちゃんがうちに落とすお金なんか微々たるものよ。カウンターで腐ってるくらいしかできないゲイなんだから、せめてご飯たっぷり食べて人間らしく擬態なさい」
ね? なんて笑う目は優しいのにくすぐったい。オレとしてもあれだけ倉科クンがー倉科クンがーって騒いだ後に本人ご登場されると、やっぱり結構気恥ずかしい。
タマコさんはイケメンってほどじゃないとか言いやがったけど、やっぱり倉科クンはかっこいいと思う。バナナクリップが似合うイケメンなんかそうそういない。かっこいい。
「じゃ、決まり。すいません、トキチカさんお借りしますわ」
「返さなくていいのよ、どうぞ持ってっちゃって頂戴な。シナちゃんは今度ゆっくり飲みに来てね。おいしいビール揃えておくから」
笑顔で手を振るオカマに見送られ、連れだって店を出た。
夕方くらいに来たはずなのに、うっかり辺りは夜めいている。深夜って程じゃないけど明りがきらきら灯りだして、あー夜の街だなって感じがじわっとしてきた。
倉科クンは、後ろを歩いていると手を掴んでくる。
それを知っているから結構恥ずかしいし死にそうになるんだけど出来るだけ隣を歩くことを心がけた。右側がそわそわしちゃう。だってそこには倉科クンがいる。あははなにこれ乙女ねまったく気持ち悪い、って誤魔化してもそわそわは全然晴れない。
二十六歳ゲイですがうっかりノンケに恋をした。
ああどうしよう笑えない。全然、まったく、笑えない。
麺か米かパンどれがいい? みたいなことを訊かれて、ええとそんなことよりバナナクリップかわいいとか思ってたら、すんごい見おぼえがあってすんごい嫌なものが目の端に、というか、目の前に映った。
あ、と思って目が合った。
ばっちり。この前は遠目でオレが見ただけだけど、今回はそうじゃない。
きっちりセットされた髪の毛に、派手なスーツに、甘い顔。濃い眉毛がりりしくて、唇が厚い、喋ると低くて甘い声を出す、昔の男。
オレが固まっちゃったのに気がついて、倉科クンの足も止まる。
視線の先の男はちょっと不審そうに眉を寄せた後も、目線を反らすことは無かった。あれ、おかしいな、無視されると思ったのに。周りに女の子がいないから? いや、そんなことどうでもいいんだけど。
「……トキチカさん、大丈夫? あのー……とりあえず、おれの家行こっか、ちょっと……、だめっぽいから」
歩ける? と手を引かれてやっと視線を外すことができて、そんでそのままふらりと倉科クンに寄りかかった。細く見える割にしっかりと硬い腕を、ぎゅっと掴む。オレがもうちょい小さかったら弟に見えたかもしれないし、女の子だったら彼女に見えたかもしれないけど。
どうみてもゲイカップルだねって思うのに腕を離せなくて、ゴメンナサイとだけ呟いた。
ゴメンナサイ。メンタル屑みたいに弱くて本当にゴメンナサイ。倉科クン全然関係ないのに頼ってばっかでゴメンナサイ。
恐怖とかフラッシュバックとかじゃなくて、申し訳なくてぼろりと涙が零れて、それに気付いたらしい倉科クンが頭撫でてくれたのがわかった。
そんで手を繋いでくれた。わあ、目標達成じゃん、なんて、勿論思えなくて。
(……なにこれしにたい)
カウンターでぐだぐだしていた時とは全く別の理由でそう思った。
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