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第12話
「……まだバイト中っすかね」
トキチカさんあてにかけた電話は、呼び出し音を繰り返すばかりで繋がらない。
まあ別に珍しいことでもないので、適当にコールを切り上げて、吸いさしの煙草をくわえた。
カウンターの中のタマコさんのウィッグは、毛先がカールしたショートボブだ。色は作り物めいた銀。それだけはいつも変わらない。人工的な銀髪が今日もよく似合っているタマコさんは、比較的たくましい腕でビールの栓を丁寧にあけてくれる。
飲めるならなんでもうまいと思っていた安舌が最近肥えてきたのは、確実にタマコさんのせいだ。
「お仕事に精を出すのはいいことよ。とくにトキちゃんはねぇ、じっとしてると身体じゃなくて思考回路がおばかな方向にフル稼働しちゃう子だから。ちょっと忙しいくらいがよろしいわ」
コハク色のチェコビールをグラスに受けながら、まったくその通りで頷くしかないなぁと思った。
今日はトキと飲む約束をしている、と、カヤさんが珍しく嬉しそうに自慢してきたのは出社した午前中の事で、急な食事予定が入ったと落胆していたのは夕方のことだった。どうやら仕事がらみの接待らしい。
自分の仕事を持つには、金も必要だがコネも勿論必要だ。カヤさんは積極的に他人を持ちあげようとする人間じゃないが、だからと言って付き合いを断る程子供じゃないらしい。
普段より幾分低めな声で、私ちょっと遅れるからシナ代わりに行ってトキと遊んでてよ、と言われたのは帰りがけのことで、カヤさんは珍しくきちんとしたジャケットをひっかけていた。
別に予定ないから構わないけどさ。
……ただ、ここんとこトキチカさんと顔を会わせていなかったから少しだけ、なんというか、どうしようみたいなそわそわ感というか。なんだこれ女子中学生かっていう状況で、そして勿論それはカウンター向こうの察しの良い男にはしっかりとばれているようだった。
オカマは察しが良くて怖い。トキチカさんは、そう言っていたなぁと思いだす。まさにその通りで、後味が柔らかいビールを煽ったおれを見つめる瞳はなんというか、生ぬるい。
「……なんすか」
耐えられなくなって二本目の煙草に火をつけて声をかけると、生ぬるくも慈愛に満ちた笑顔が返ってきてさらに気まずくなった。
「んー、そうねぇ、なかなか良い感じにそわそわしちゃっててかわいいわぁ、みたいな、そんな感じね」
「……タマコさんゲイじゃないんでしょ?」
「そうね、女装が好きなだけのオッサンよ。でもあたし、結構シナちゃんのこと好きみたいだわ。他人の恋路が嬉しいなんて、そうそうあることじゃないもの」
「あー……」
そう言われてしまうと、なんだか別の意味で痒くなってしまう。
言わんとしていることはわかる。たぶんおれは、すごく微笑ましく見守られているのだろう。
おれの部屋で、おれが撮ったトキチカさんの写真の中で、無気力に寝転がって天井になりたいなんていうトキチカさんにうっかり、とんでもなくときめいた。
好きなのかな。好きなのかもしれない。そう思ったらキスしたくなって、でもトキチカさんが言うように確かに衝動で友情壊すのは良くないし、なあなあでなだれ込むのも、やっぱよくないかなと思って止めた。
数時間前に目にしたトキチカさんの『昔の男』の顔がちらついたせいもあった。
とんでもない言葉のナイフで、豆腐メンタルなゲイをぼろぼろにしやがった男。おれとは正反対の外見で、たぶん、トキチカさんの好みドストライクああいう感じなんだろうなってわかっちゃう感じの、見るからに甘い顔の男。きっとなあなあに言葉で誤魔化して、甘いコトだけして、そして捨てたんだろうなっていう偏見しかわかない男。
全然知りもしないその男に対して、おれはあんな奴とは違うっていう変な見栄みたいなものがわき出たことは、否定できない。
好きかも知れない、じゃなくて、好きですって言いたい。
そう思って一週間程度思い悩んだ結果、いやたぶん好きなんだけどでもこれってゲイ的な好きなのかなどうなのかなっていうあやふやな状態から逸脱できないでいた。
隣にいると触りたくなるしちょっかいかけたくなるけど、友達だってそういうことあるにはあるし。行きすぎた友情か同情と言われてしまうとそんな気もしてくる。ほだされてるだけかもしれない。そうなのかもしれない。恋とかじゃないかもしれない。でもかわいいと思う。
普段はトキチカさんが勝手にグルグルするのに、今はおれの方がぐるぐるしてしまっている。
「……スキってだけで突っ走ったら迷惑っすよね」
思わず、限りなく本心に近い言葉がぽろりと口を衝いて出て、目があったタマコさんに微笑まれて言わなきゃよかったかなぁと後悔した。
「さーせん、今のなし。なしで」
「まあ照れちゃって、かわいいわね、アタシ今久しぶりに年下男子かわいいと思ったわぁ~。久しぶりのレンアイ相談ねぇ、いいわ、好きよ、だってうちの常連ちゃんたちはみんな愛を消費してぼろぼろになってからじゃないと相談してくれないんだもの! まあでも、恋なんて勝手に落ちて行くものだから、相談なんかしなくていいのかもしれないわね。シナちゃんだって勝手に落ちちゃったんでしょう? あの大豆ちゃんに」
「大豆ちゃん……トキチカさん?」
「そう。アタシねぇ、世を儚むと世界人類みんな豆なのねって思うことにしているの。あれもマメ、これもマメ、さっきアタシのことを笑った男も女もみんなマメ。トキちゃんが大豆だとしたら、普通の人はみんな小豆。ぎっしりひしめいて遠くから見たらどれがどれだかわかりゃしない。小豆の中に混じろうとするから、大豆ちゃんはしんどいのよねぇ」
「でも、トキチカさんは小豆の振りしてたいんでしょ? つかその方が楽だし」
「そうね。でもだから、『大豆でもいいのに』って言ってくれる人が必要なのね」
あー、うん、そうなんだろうなって、思う。
トキチカさんはトキチカさんで良いのにって、そういう言葉にものすごく弱いと思う。オレは塔だよって言った言葉がすごくわかる。トキチカさんは塔だ。肯定されただけで、すぐに傾いて倒れる塔だ。
「……倒れてきた塔に、一緒に巻き込まれただけなのかなって思ったりもするんですよね。友情かもしれないし同情かもしれないし。なんか、そんな中途半端な感情で好きって言いきっていいのかなって思うと結構ぐるぐるしちゃって、豆腐メンタル思考配慮しすぎっすかね?」
なんかもういいやと思って素直に全部ぶちまけたら、タマコさんの紫の口紅がきれいな弧を描いた。
奇麗に笑う人だ。メイクはどう見てもドラァグ・クイーン以外の何者でもないし、女性的なニューハーフには似つかない。それでもタマコさんの笑顔は奇麗だ。
「配慮して悪いことは無いし、悩むことも素敵な過程だと思うけれど、そうねぇ個人的見解を勝手にぶちまけていいなら、そんな線引きナンセンスよって話。世間様ってやたらと線を引きたがるわよね。ゲイとか、男とか、女とか、友情とか、レンアイとか。ねぇ、女性と結婚して奥さんを愛してるオカマがいたって良いじゃない。セックスしたい友情があってもいいじゃない」
「……キスしたい同情があっても?」
「構わないわよ。人間なんて無茶苦茶な生き物よ。感情なんてもの、そもそも存在すること自体がおかしいのだから。それを踏まえて助言させていただくとね、あんたすっかり大豆のトリコよさっさとくっついちゃいなさいよって話」
「いやなんか……あんま急に好きですって言うのもなんか、トキチカさんショックでしなねーかな大丈夫かなみたいなアレがあって、あとタイミングつかめなくてっていうどうしようもないへたれなんすけど、あーでも、うん、あー……そうか、好きだな」
すとん、と腑に落ちた感じがした。
いやまあ普通にずっと好きだなーと思っていたけど、そうか向こうがゲイだからって、おれもガチでゲイにならなきゃいけないってことはないんだし、好きって感情だけと向き合ってもいいのかって思った。
タマコさんは偉大だ。この店に、カヤさんが通うのも頷けるし、タマコさんの奥さんは羨ましいとみんなが口をそろえるのも分かる。
「先を考えるのは人間のイイトコロねぇ。でも、後先考えないのも素敵な衝動ね。原始的ってすばらしいわ、直観的って素敵。アタシ、大豆も小豆もひよこ豆も大好きよ」
かっこよくて正直涙でそうになった。なんだこの人かっこいい。
けれどおれは、タマコさんがトキチカさんとお付き合いとか口説くとかそういう関係にならなくて本当に良かった勝ち目ないもんなーと考えてしまったので、やっぱり、トキチカさんに恋してんだなって自覚した。
好きだと思う。キスしたいし、手繋ぎたいし、めちゃくちゃ頭撫でまわしたいし、あとそんで笑ってほしいし、欲を言えば好きだと言ってほしい。
おれのこと嫌いじゃないのはわかるし結構好かれてるのもわかるけど、それが斜塔のせいなのか本当にレンアイなのか見極めが難しいところだ。
気が付けば煙草が短くなっていて、差し出された灰皿に押し付けて煙を消した。
そのタイミングでカヤさんが店に入ってくる。見計らっていたかのようにカヤさんに飲み物を差し出すタマコさんはやっぱり完璧で、改めて恋敵じゃなくて良かったと思った。
「おつかれ。思ったより早く解放されてよかったよ。しかしこうして眺めるとめずらしいコンビだね、何の話してたの?」
「……タマコさんには勝てる気がしないって結論になるような話」
「なにそれシナ、私には勝てるかもってこと?」
「いやカヤさんレズなんで対象外」
「なんの戦いよ。あ、トキ? トキ争奪戦? 何言ってんのそんなのシナのひとり勝ちじゃないの王子様。あー、そんなことよりそのお姫様まだなんだ? さっき電話したんだけど出ないし、まあ、待ち合わせ時間適当に決めたから別にいいんだけどさ」
ジャケット脱いだカヤさんが煙草を取り出す。この店で煙草を吸っているところは見なかったから、あー今日の食事とやら、めっちゃストレスだったんだなーと眺めていたら、入口付近の階段を駆け下りてくる音がした。
ばたん、と勢いよく扉が開いて、弾丸みたいに走ってきたトキチカさんがおれに抱きつく。思わず腰を浮かせていなかったら、そのまま倒れてしまいそうだった。
「ちょ、え、トキチカさん、あんた今度は何、」
「ゴメンナ、サ、ちょう、面倒事引っ張ってきた、かも、しれないタスケテもしくはかくまって……!」
肩で息をするトキチカさんの声はとぎれとぎれで、声を出すのもしんどそうだ。
なんだか分からずとりあえず背中を撫でるおれが顔を上げると、タマコさんがさっとカウンターの後ろの扉を開いた。入れということらしく、そのままトキチカさんを引きずるように逃げ込む。
おれの飲んでいたグラスは下げられ、カヤさんはそっとカウンターの灰皿を自分の方に引きよせていた。流石だ。あんたたちはマフィアか何かかってくらい、一切動揺していない二人を残して、おれはトキチカさんを抱きかかえる。
カウンターの裏の部屋はキッチンスペースのような作りになっていた。例えるなら厨房といった感じだが、あまり使われていないらしく乱雑に椅子が置かれている。たぶん、タマコさんが化粧をする場所なのだろう。
椅子に座らせるとこけそうだったから、気にせず床に座らせた。
どうしたのと訊くのは後だ。そんなもの、いつでもいい。とりあえず呼吸がしんどそうなトキチカさんをどうにかすることが先決で、ゆっくりと背中を撫でた。
ばたん、と、入口の扉が開く音がした。
笑えるくらいにうるさい足音が、扉越しにも響く。
どうやったらこんな厭味な足音になるんだろう、と、失笑が漏れた。
あの男だ。と、顔も見てないのに分かる。
そして予想した通り、薄い壁越しに聞こえてきた声に、トキチカさんの肩がびくりと揺れた。
ひゅっと息を吸ったまま死んでしまいそうで、思わず抱きしめてしまった。
「……大丈夫っすよ。カヤさんああいうの、めっちゃ強えし、度胸ある割に大人だから。自分とか相手とか、怪我するような行動はしないから」
明らかに言い争う声をききながら、真っ青になっているトキチカさんが痛々しくて駄目だ。囁くような声で、そんなことを言うくらいしかおれにできることはない。あとはもう、抱きしめるしかない。
きっとまたあの男に出会っちゃって、そんで絡まれちゃったんだろうと思う。トキチカさんの方からわざわざ、出向いていくような相手じゃない。また逃げようとしたトキチカさんを、追いかけてきたに違いない。
怖かっただろうな。見ただけで、吐きそうになるくらいトラウマな男に、追いかけられるなんてとんでもないことだ。そう思うともう駄目で、可哀そうで、しんどくて、大丈夫だよって何度も言いながら泣きそうな顔のトキチカさんにキスをした。
「………、っ…………くら、しな……くん、」
「……………大丈夫。カヤさんが、タマコさんが、……おれが、守るから。みんな、トキチカさんの事が好きなんです。大丈夫。謝んないで。謝んないで、全力で倒れてきてください」
あんたひとりくらいなら支えられる、なんて見栄は張れないけど。
もしかしたら二人なら倒れる以外の方法見つかる確率上がるかもしれないじゃん、とか思いながら、トキチカさんが落ち着くまで、ただひたすらキスをしていた。
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