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第13話

 久しぶりに涙流しながら目が覚めた。 「…………しんど」  張り付くように痛い喉は、昨日散々泣いた後に無理に酒を流し込んだせいだと思う。  よくわかんないけど振られた男に復縁を迫られた上に追いかけられて死ぬ気で逃げた。 何を言ってるのかわっかんないと思うけど、ぶっちゃけオレにもわっかんない。  逃げ込んだオレを匿ってくれたタマコさんも、あいつと応戦してくれたカヤちゃんも、ずっとオレの背中撫でて大丈夫っていって抱きしめてくれていた倉科クンも、誰もオレを責めなかった。  むしろよくぞ逃げたと称賛してくれた。それがなんだか、嬉しいようなホッとしたような、とんでもなくあったかいような気分になって安心してまた馬鹿みたいに涙でて、倉科クンにもたれかかったままだらだら、泣きながら酒を飲んだ。  まったくもってさっぱり意味がわからない。  正面切って応戦してくれたカヤちゃんに話聞いてもよくわからない。結婚するからホモとは縁を切るって言われた筈なのに、なんで今更セフレになれって迫られなきゃなんないのか、ほんとにさっぱりわからない。  好きだったよ。確かにすんごく好きだったよ。あんたが居ればそれだけで世界は熱を持ったよ。でもそれは、あの雨の日に全部あんたが終わらせたことだ。今更、取り戻そうとしてもどうにもならない感情だ。  オレが倉科クンのこと好きになってなくても、たぶん、あの時の感情は取り戻せない。捨てられた気持ちは、奇麗に汚れを拭ったって冷めたままだ。  パニックしたまま、路上で言われたことをみんなに報告すると、隣で抱きしめてくれていた倉科クンの腕に力が入って痛くて、思わず顔を見たらすんごい眉間にしわ寄っててどきりとした。  怒ってくれている。オレにじゃなくて、あの屑みたいな昔の男に、怒ってくれている。そう思うともうだめでまた涙がだらだらと止まらなくなった。タマコさんは珍しく舌打ちをして、カヤちゃんは煙草をひねりつぶして悪態をついた。  ああ、死ななくてよかったなぁ。ちゃんと生きてて良かった。  こんな風に、オレの為に怒ってくれる人が三人もいる。その事実がじんわりと胸の奥らへんと鼻の奥らへんを浸食して、駄目だ。一回ゆるんだ涙腺は、なかなかどうにも、戻らない。  泣きながら酒を飲んで、慰められて、あんな男さっさと忘れて楽しく生きろと言われて、本当にその通りだと思えた。  でも、たぶんまたあの人はオレを追いかけてくる。そんな気がする。  手に入らないものはどうしても自分のものにしたいタイプの人だ。たぶん、オレが倉科クンに恋しちゃってるのがばれたから、こんなことになったんだろう。  今まで通り人生どん底の鬱なゲイのままだったら、遠くから嘲笑われて終わりだったかもしれない。声さえかけられなかったかもしれない。  さっさとどうにかしないと、多分みんなにも迷惑がかかる。  自分の人生だけでも精一杯だってのに、今更みんなを守るとかそんな身分不相応な決意持てるわけもなくて、素直に頭を下げて迷惑かけるけどタスケテクダサイお願いしますと言ったら、全員に頭を撫でられた。  タマコさんはオレに甘い。カヤちゃんも甘い。……倉科クンに至ってはデロ甘だ。ずっと手握って離してくれなかった。そういうことされちゃうと真面目に勘違いしちゃうから止めてほしい。鬱だし怖いし辛いのにどきどきしちゃう。オレは本当に現金だ。  しかし、どうにかしましょうって言ってもなぁ。  オレが知ってるのは名前と住所と職業くらいなもんだ。あとは好きな食べ物とか、嫌いなモノとか、性格とか。あんまり詮索すると怒るというか機嫌がわるくなる人だった。新しい恋人が誰なのかも、知らない。どういう経緯で結婚に至ったのかも、知らない。  とりあえず布団の肥やししててもしゃーないし、顔洗ってひっどい寝癖をどうにか直して着替えて外に出ようと思って、身体を起こして初めて、自分の家じゃなかったことを思い出した。  ……そうだ。  うちはあの男に住所バレしてるからってんで、倉科クンのおうちにお泊まりさせていただいたんだった。思い出した。全力で思い出した。  ジェントル倉科クンはオレにベッドをあてがって、自分は床に寝ると譲らなかった。まじジェントル。そのジェントルは床に転がってはいなくて、台所スペースから物音と声が聞こえる。 「……あー、はい、はい。うん……そんで、決行はいつ? 準備間に合う感じなんです? ていうかそれまでトキチカさんどうす……いや、まあ、うちでよければ置いときますしそりゃタナボタですけど……え、だって好きですもん。うるっせーな恋くらい自由にさせてくださいっつの」  倉科クンのティーシャツっぽいちょっとでかい奇抜な色のお洋服を着たままで、そっと台所を窺う。せまいキッチンスペースに立ったピンク髪男子は、煙草吸いながら電話をしているようだった。  今日はまだ髪の毛結んでない。鎖骨に垂れるくらいの長さの髪がだらりと伸びていて、ちょっとかっこいい。派手なシュシュで結んでるのも好きだけど、何もしてないとオトコノコっぽくてちょっときゅんとする。 「わかりました、じゃあまた連絡待ってますんで――…え? ……うっせ、本気で悪かったっすね! はいはい切りますよまた明日スタジオでッ」  叩きつけるようにプンスカと通話を切った倉科クンは、一回シンクに両手をついて、はぁぁぁーって溜息ついて、煙草をくわえ直してからそっと顔を出しているオレに気が付いて『うおぉお!?』って飛び退いていた。……かわいい。今の、いいなーすごくかわいかった。 「ト、キチカさん起きてたんすか……びっくりした。ちょっと、本気で良い声だしちまったじゃん……」 「うん、ええと、ごめんなさい? ていうか今の電話カヤちゃん?」 「あー……はい、そうっす。槙野の件でちょっといろいろ」 「……ユキヤさんってそんな苗字だったっけ…………」  毎回呼んでいたのが下の名前だったし、こっぴどく振られたのがトラウマになっててもう半分くらい記憶から抹消しかかっていたらしい。  マキノユキヤ。あー、そんな名前だったかも。ユキヤっていうのは源氏名だったかもしれない。正直あんまり思い出したくもないので遠い目をして誤魔化した。  倉科クンは苦笑いして、『まーあんな屑男の記憶なんかさっぱりなくしちゃった方が健全ですけど』って言ってくれた。 「しかしトキチカさんってもしかして人の名前覚えるの苦手なタイプっすかね」 「あー……そう、かも。大概あだ名で呼んじゃうし。カヤちゃんのフルネームとかぶっちゃけ危うい」 「それカヤさんに言ったら泣くかもしれないんで、手帳かなんかに萱嶋君江ってメモっといたほうがいいっすよ。じゃあもしかしてオレもクラシナ以下略?」 「……クラシナリョウゴ、くん」 「あれ。正解っすね。……ちょっとっていうかかなり嬉しいっすわ」  そりゃ、好きな人の名前くらいはフルネームで言えちゃうよ、と言いたかったけどなんか変な雰囲気になりそうで言えなかった。  実際付き合っていた男の苗字を忘れていたオレが言えたセリフでもない。  あとこれは昨日から薄々、流石のネガティビアンですら気が付いたというかもしかしたらそうなのかなって希望見出しちゃうくらい謙虚に、分かりやすく、倉科クンはオレに好意を示してくれていた。  言葉の端が柔らかい。痒い。優しい。やたらと頭を撫でてくる。目を見てふわっと笑ってくれる。なんかこう、全身でびしばし、恋してますよって言われてる気がして、これ自意識過剰なのかなどうなのかなでも本当っぽいんだよなどうなんだろうなって、そわそわした。  振られた男に言い寄られている現状じゃあ、恋も愛も後回しだ。  だから言えないし確認しないし、それは倉科クンも一緒みたいで、言葉にしたりはしない。でも、空気が甘い。  今もさりげなく髪の毛の寝癖直されて、トキチカさん寝癖つくとなおんないねって笑われてもうオレはどうしていいかわっかんない。  倉科クンの骨っぽい手が好きでしんどい。  その手でさらりと髪の毛を撫でられるともう駄目で、あーもう好きだからやめてみたいな気分になってしまう。すぐに抱きつきたくなって困る。困るから止めてほしいけれどこんな貴重な機会もしかしたら今だけかもしれないと思うから何も言えない。抗議はできない。だって嬉しい。仕方ない。 「……トキチカさん、あー……あのね、その顔、ちょっと、……よくない」  そんなことを考えながらきゅんきゅんしていたら、やっぱり顔に出ていたらしく、ふいに顎を掴まれて上を向かされた。  柔らかい仕草のまま、ふわりとキスを落とされる。鼻とかデコとかじゃなくて、唇にちゅっと触れられて、これオレまだ夢の中? って一瞬めまいがしそうになった。 「…………あの、倉科、クン、ええと……、ネボケテル?」 「一時間前に起きたんでその可能性は皆無っすね。大丈夫、今日は結構理性的ですし自分の行動に責任持てる気分でいます。……ちゃんと考えた上で結論出したんですけど、ちょっとトキチカさん周りがそれどころじゃないんで、槙野関連片付けたらにしようかなって、思ってはいるんですけど目の前にあったらつまみ食いしちゃいたくなるのが人間の欲っつーか業っつーか」 「全体的にオレに都合のいいことばっかり耳に入ってくるからオレの夢という説を捨てきれない……」 「現実ですってば。ていうかつまみ食いされてることに対しては怒らないの?」 「怒れない。だって嬉しいじゃん。……これが夢なら今頃ディープなおキスですよ」 「……夢じゃなくたってしていいならしますけど」 「死んじゃうからダメ」  言うと思ったと笑われて、でも解放されないまま至近距離でほっぺた撫でられてぞくぞくした。 「しんじゃうってば」 「このくらいで死んでたらトキチカさん何回死ぬのって話になりますよ。今日から暫くおれのっていうかこの部屋に同居してもらいますんで」 「……え。うそ。え、いいの?」 「いいの。だってひとりで家に帰して襲われたりしたらどうすんの。カヤさんちでもいいんですけど、一応あの人ビアンだけど女だし、タマコさんちは奥さんいるし子供もいるし。そんなわけであの屑男がトキチカさんのこと諦めるまではうちにいてください。必要なモノとか着替えとか、後で一緒に取りにいきましょうか。まあ、カヤさんのお話だと結構さくっと片付きそうなんすけどね」 「うわぁカヤちゃんかっこいい。申し訳ない。でも、すんげーありがたい」 「おれも同意、あの人本気だすと怖いっすね人脈って恐ろしいわ。……だからトキチカさんは、まあ、まったりと居候生活送ってください」  そんな風に言われてしまい、とりあえず曖昧に頷く。  申し訳ないなと思う。でも、オレにできることはたぶん本当に微々たるもので、だから余計なことはせずにおとなしくしているのが一番いいんだろうなってことは分かっていた。  せいぜい、邪魔にならないように端っこにうずくまっていよう。  ……そう、思うのに。 「あの。倉科クン、あの」 「んー」 「……近い近い。洒落にならない感じで近いよこれ、ダメダメ、あの、ちゅーしちゃうから、ほんと、」 「つまみ食いってうまいっすよねー」 「うん、そうね、おいしいよね、そのまま全部食べちゃったりするよね、わかるわかる、わかるけどオレはそんなおいしいもんじゃないと思うわけでして」 「……ちょっとだけ。ね?」  甘い声で囁かれて、ダメだなんて言い続けられなかった。

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