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第14話

 ネクタイってやつはどうにも首が苦しい。 「そわそわしない。服装をいじらない。もっとどっしり構えなさい、スーツが台無しになる」  何年ぶりかわからない違和感にもぞもぞと首周りをいじっていると、目ざといカヤさんに小言を貰ってしまう。 「そうは言ってもですねぇ……これ、すんげー高いブランドのオーダースーツでしょ。とんでもねぇ値段する借り物スーツに借り物靴に学生時代だってまともに締めてなかったネクタイっていうフルコンボなんすよ落ち着けるか……尻すら落ち着かないっす。恥ずかしながらベンツなんて初めて乗ったんですけど」 「私も初めてだよ。気持ちはわからんでもないけど落ち着きがないと小心者感半端ないからとりあえず深呼吸していつものぼんやりした無気力状態を保ちなさい。あんた喋んなきゃそこそこソレっぽいから」 「……あんま嬉しくねーなぁそれ……」  化粧ばっちりのカヤさんに睨まれるのはなかなか怖い。  普段のざっくりした私服を見慣れているせいで、イブニングドレスのカヤさんに違和感しかなかった。引くほど似あっているが、マフィアかヤクザの愛人にしか見えない。なんというか今日に限って言えば役どころは完ぺきだ。  初めて乗ったと言うわりに落ち着いていて若干悔しい。おれはもう一刻も早く目的地につかないかなとそわそわしてしまう。  その上首筋もそわそわとする。ここ数年面倒で中途半端な長さのまま括って生きてきたが、今日のおれの髪型は黒のショートアッシュだった。  まあ、ウィッグなんだけど。  切って染めてもよかったが、おれのピンク髪は案外トキチカさんに好評らしいので思いとどまった。下手に黒いと一気に根暗っぽくなるからあんまり黒髪は好きじゃない。目つきが悪い上に顔のパーツが比較的地味な自覚はある。  ただ、馬子にも衣装とはよく言ったもので、高校ぶりの黒髪に高級スーツを纏ったおれは確かに、まあ、悪くはない仕上がりだ。  かっこいいかは知らんが、とりあえず確かに『それっぽい』。これは今日非常に重要な要素だった為、着替えたおれを眺めたカヤさんにとりあえずOKをもらえたのはありがたいことだった。  そわそわと無駄話をしているうちに、車はゆっくりと停車する。  フルスモークのベンツなんていうどう考えてもヤクザな乗り物から降りるおれとカヤさんを迎えてくれたのは、これまたどう見てもお洒落ヤクザな高級スーツをさらりと纏った男だった。  おっさんと言うには少し若い。お兄さんと言う程若くは無い。渋いと言う程堅くはないが、チャラくはないし貫禄もある。ただ、なんとなく隙がありそうな笑顔が逆に怖い。  鷹栖と名乗ったその男と会うのは二度目のことで、正直身体がこわばってしまう。  みんなおれの事をぼんやり何があっても無気力、みたいな感じで言うけれど、表情に出ないだけでそれなりに普通のガキだ。そりゃ、ホンモノの方の前ではビビってしまう。  おれの緊張もカヤさんの緊張も把握したうえで、鷹栖さんはにへらっと表情を崩したまま両手を広げて迎えてくれた。 「よーよーお似合いじゃないのおふた方! いやぁ~うちの若いのと体格一緒でよかったわ! カヤちゃんのは自前?」 「自前ですよ。一応こういうパーティに招かれることもなくはないので。でも、流石にこの規模の催しにお邪魔するのは初めてです。今日は本当に我儘を通していただいて、ありがとうございます」 「よしてよ~かわいいお蝶ちゃんのお得意さんの頼みとあらば、株を上げるチャンスでしょ? むしろこっちがアリガトウゴザイマスですよ。うちの組、あんまキャバも経営してないしオンナノコの質もイマイチでねぇ。さて男だけで乗り込むのもむっさいわなぁっつって頭ひねってたわけよ。上等な美人様と同伴できてオッサンは嬉しいね」  気障な仕草でカヤさんの手を取って、指先に小さく口づけをする様がなんというか、手慣れていてすごいというか怖いというか。  全力でビビっているおれの肩をバンバン叩いて、鷹栖さんは笑う。 「おにーちゃんもイイネー俺の付き人に欲しい感じの良い迫力だねーインテリって感じ出てて良いよ~。まあ、俺と一緒に居れば睨まれるこたぁないからさ、あんまり気張りすぎてぶっ倒れないように。所詮成金まみれのパーティだ、政治家云々警察云々絡んでるもんじゃぁねーし、まあ、ほら、深呼吸深呼吸」 「……お、せわに、なります」 「うはは! かんわいいねぇもっと力抜いた方が余裕っぽくてイイと思うよ? まあでも余裕ないそのガッチガチにビビってる感じは個人的にはオイシイね。……亮悟ちゃん、二十二歳だっけ? 裏のお仕事に興味ない?」 「鷹栖さん、うちの後輩ナンパするのやめてもらっていいですか。シナも、抵抗ないと食われるよ。この人、見境ないタイプのバイだから」  思わず身体に力が入るおれを笑って、鷹栖さんはまたおれの肩をバンバン叩いた。気さくで嫌いじゃないが、如何せん痛い。 「見境ないなんてこたーないよーごっついよりはひょろ長い方がタイプ。あとクール系が好きだなーだからカヤちゃんも亮悟ちゃんもストライク」 「あんまり軟派気どってると、愛しのお蝶ちゃんに言いつけますよ」 「うへーカヤちゃんはこんわいねぇーってか、怖いもの知らずでイイねー」  おれそういうのすきよ、とにやりと笑った鷹栖さんに一歩引きつつ、おれは目の前のでっかい高級ホテルのエントランスを眺めた。  入った事もない。縁もない。まさかこんな所に正装をして潜入するとは思わなかった。  さっきのベンツ以上に落ち着かない気分のまま、鷹栖さんに続いてドアマンの居る回転扉をくぐった。 「……お蝶ちゃんって誰っすか」  そっとカヤさんに訊くと、『知り合いのバーの店主。鷹栖さんのお気に入り』と答えをもらった。この人に気に入られるというのも、なんというか大変だな、と、会ったこともないバーのマスターに少しだけ同情してしまった。  確かによく見ればかっこいい。少しラフに着崩したスーツもだらしなくは無い。剃り残した無精ひげすら魅力的に思えるこの人は、多分、とんでもなく頭が切れる人なんだろう。一挙一動が計算されているようで少しどころかかなり、怖い。  それでも今は敵じゃない。こんなに怖い人が全面的に味方になってくれているのだから、『お蝶ちゃん』というその人に感謝しなくてはいけなかった。  鷹栖さんにビビってる場合じゃない。  おれが本気で対峙しなければいけない相手は、大ホールの中に居る筈だ。 「さぁ、さらっとおさらいといこうか亮悟ちゃん。今日のキミは我が正和会、髙松組の若頭鷹栖に目をかけられている舎弟っつー設定だ。チンピラしてたが拾ってもらって、メキメキと頭角を現しあっという間に若頭のお気に入りになりやがったムカつく若造ってとこだなぁ。ま、ヤクザの構成員の内訳なんざ同業者か警察くらいしか興味ないもんだ。てきとーに誤魔化して俺と仲良くしときゃあバレねーだろう」 「え。向こうは詳しいわけじゃないんですか? 槙野の店って鷹栖さんのシマだって話でしたけど……」 「まーそうなんだけどさー別にホラ、オーナーとちょこっと喋るくらいのもんよ。俺の事はヤクザの偉い人だなーくらいの認識はあるだろうが、うちの組の若いのまで把握しとりゃせんだろ。大事なのは俺が隣でにこにこしてることと、亮悟ちゃんがビビらないこと。そんでまあ、ご存じ槙野幸也二十八歳、ホストクラブスターライトの元ナンバーツーで、現在新しい店を構える算段中。婚約者は高級レストランオーナーの娘さんでおセレブなお嬢様。どこでひっかけたか知らないけどどうやらお嬢様からのアタックでのご結婚らしい」  どう見ても金目当ての結婚としか思えないのに、求婚はセレブの方からと聞いて微妙な気分になる。  あんな屑な男のどこがイイのかさっぱりわからないけれど、人様の趣味をとやかく言う気はなかった。むしろ、お嬢さんには頑張ってもらわなくては困る。おれはお嬢さんが幸せになろうが、槙野が金目当てに結婚しようがどうでもいい。ただ、トキチカさんを解放してくれたらそれでいい。 「槙野はたぶんバイじゃなくてゲイだな。それを隠して結婚しようって算段立てたはいいが、結局我慢できなかったってことだろうなぁ……どんだけカワイイんだよ亮悟ちゃんの彼氏ちゃんは」 「彼氏じゃないっすまだ他人っす。まあ、彼氏になれるかどうかがかかってるんで、結構本気で鷹栖さんに感謝してますし、頼って良いってことなんで全力で頼らせてもらいます」 「どーぞどーぞ。使えるもんは使っとくのも、人生では大切なことよ」  できればヤクザな方なんか使いたくなかったが、他に伝手がなかったので本当に仕方なかった。  というか、まさかカヤさんが本物のヤクザさんを捕まえてくるとは思ってもいなかった。  常々不思議に思っていたが、本当に交友関係が意味不明だ。本当に怖いのは鷹栖さんよりもカヤさんかもしれない。  ただ、今この時に限っては二人とも大変心強い味方だった。  大人二人はおれの前で堂々とエントランスを闊歩する。洒落たヤクザと迫力のある美女の組み合わせは絶妙で、着飾った人々の視線を見事にさらっていた。おれも他人だったら目で追ってしまうと思う。とにかく、目立つ。  後ろを追いかけるおれはなるべく挙動不審にならないように、緊張しないように、昨日やっていたテレビのネイチャー番組に口開けて見入っていたトキチカさんを思い出して心を落ち着けた。  ペンギンってもさもさしてあったかそうだよね、なんて言う横顔がかわいくてついうっかりつむじにキスしてしまって、真っ赤になったトキチカさんにペンギンに集中させてって怒られた。  あーもう、早く全部終わらせて、爽やかな気分で正々堂々あの人をおれのモノにしたい。その決意を新たに、華やかなパーティ開場へと足を踏み入れた。  どこぞの金持ち主催の、どういう趣旨かなんて二の次と言った雰囲気のパーティだった。  立食形式の開場はシャンパンとワインと料理で彩られ、参加者は思い思いに集まり挨拶を交わしている。  ヤクザの若頭なんて物騒な人間が入り込むところじゃないんじゃないか、と思っていたが、実際のところ鷹栖さんは歓迎されている雰囲気だった。  あからさまに視線をそらす人間もいるにはいたが、どちらかといえば皆好意的に見える。  今日は女性付きなんですね、なんて軽口を添えられて、いやいや両手に花なんですよなんておれの腰に手を回して笑うので、笑顔を保つのに苦労した。  目当ての槙野は、比較的すぐに見つかった。  鷹栖さんに抱き寄せられて、右のシャンデリアの下見てご覧よと囁かれ、そっと視線をずらすとそこには確かにあの屑男が女性の隣で笑っている。  思わず眉間に力が入ってしまう。それを見とがめられて、カヤさんと鷹栖さん二人に『落ち着いて余裕ぶれ』とたしなめられてしまった。  深呼吸。ひとつでどうにか怒りを殺す。大人二人はふわりと笑って、余裕の態度でおれの肩をポンと叩いた。 「さあ、シナ、喧嘩売ってこようか」 「……楽しそうっすね、カヤさん」 「そりゃ楽しいよ。私ね、あの屑男だいっきらいなんだ。もう、生理的に受け付けない。世界で本当に同じ空気も吸いたくない人間ナンバー5に入るくらい嫌い。でもさ、トキがアレが良いっていうなら仕方ないから息するくらいは許してやろうかなって思ってたんだよ。恋愛なんて他人が口出しすることじゃないじゃん。私が口出しできるのはトキの生活の事だけで、感情の事なんか一言だって意見しちゃいけないんだ」  だから嬉しいと、カヤさんは笑う。 「嬉しい。あの屑をギッタギタにつぶしてやれると思うともう、本当にわくわくしちゃうね。嬉しいなー、ほんと、シナが、トキと会ってくれてホイホイ惚れてくれてよかったよ。嬉しい。……嬉しいから、ちょっと本気だして、さっさとしめてこようか」  その意見には、大いに賛成だった。

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