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第15話

 スイートルームってやつはもっとこう、じゃらじゃらと目に煩いもんなのかなって勝手に思い込んでいたけど、実際はシックで非常にお洒落ででも想像通りのガラス張りの絶景ですみたいな作りに思いっきり尻ごみして結局角のデスクの椅子に落ち着いた。 「……ブルジョア施設こっわい……」  ベッドがでかい。ソファーもでかい。窓の前のテーブルとスツールは何に使うのってくらいお洒落なデザインで近寄れる気がしない。  見てるぶんには楽しいしかっこいいなぁと思うけれど、実際そこの中に突っ込まれてしまうとビビってしまって満喫なんかできなかった。誰も見てない。一人きりだ。それは分かっているのに汚してしまいそうでベッドの上にも居座れない。  そりゃこういうこと一回来てみたいなぁとか、思って無かったことはないけどさ。  少女漫画っていうかハーレクイン脳だってタマコさんに呆れられるオレの『憧れちゃうシチュエーションナンバー5』にホテルのイイ部屋で夜景見ながらいちゃいちゃ、っていうのが長年ランクインしていたけれど、やっぱランキングから除外しようと思った。  こんなとこ怖くていちゃいちゃとかできない。動くだけで汚しそうで怖い。いや別に汚してもいいんだろうってのはわかってるんだけど。わかってるんだけどさ。  一人でガッチガチに緊張しながら何度か携帯を確認するも、誰からも何の連絡もない。  今日成金連中の社交パーティあるからちょっと槙野懲らしめてくるね、と笑ったのはカヤちゃんで、苦笑した倉科クンには『トキチカさんはここで待機』とホテルの部屋を指定された。  ホテルの名前からしてもう嫌な予感はしていたんだけどさ。だってそこそこ高級というか。うん。普通においくらするのかなぁ怖いなぁうふふって思いながらフロントに訊いたらとんでもない部屋に案内されて、いつものちょっと派手目なドットのパーカーで来ちゃった事を心底後悔した。  ウェルカムドリンク的なものでシャンパン一本出されて泣くかと思った。ブルジョア怖い。  酒飲んで粗相しても嫌だと思って備え付けのコーヒーメーカーで珈琲一杯入れてみたけどどこで飲んでも零しそうで、洗面台前で震えながら飲みほした。ついでにゴージャスなバスルームを拝見してしまいだめだ倉科クンの家に帰りたいって心底震えた。  楽しくないわけじゃないけど。憧れっちゃ憧れだけど。なんかこう、一緒にはしゃいでくれる人がいないとダメだこれ。なんかひたすら場違いでスイマセンっていう気分が勝る。  おれかカヤさんが連絡するまで扉開けちゃだめですよ、って言われたけど。  かれこれ三時間は一人で手持無沙汰タイムを満喫していてそろそろ緊張が眠気に変わりそうだ。変な緊張で腹も減らない。  外の景色はゆっくりと暗さを増していく。  上の方から瞼みたいに暗い幕は下りてきて、全部降り切る前に今度は下から明りが灯る。夜景が特別奇麗だとか好きだとか思ったことなかったけど、あーでもやっぱりきらきらしてる街ってすんごいって感動した。  世界なんか無くなっちゃえばいいのになぁなんて、他力本願な消滅願望ばっかり抱いて生きてきた感あるけどさ。  それでもやっぱ、人がいっぱいひしめいてる世界はそれなりに奇麗でずるい。オレは建築美も自然美もどっちも好きだ。  きらきら、ちかちかする夜景を眺めてるとちょっとは緊張が薄れてくる。ていうか漸く慣れてきた気がする。  おずおずとでっかいベッドに移動して、二つ並んでる枕になんか痒い想像しちゃって、いやいや。いやいやいや倉科クンはこんなとこでクサイ台詞吐くキャラじゃないからしっかり現実を見ろオレの脳味噌って頭蓋骨の中身叱咤して、そんではやくだれかにあいたいなさみしいなって目を閉じた。  ……その時、漸く部屋のドアがノックされた。  『合言葉は?』とかボケてる余裕はなくて、誰って訊くと倉科ですって声が返ってくる。確かにそれは倉科クンの声だったから、そっとチェーンしたまま開けたんだけど。 「……あ、れ?」  そこに居たのは黒髪でお洒落スーツを纏った背の高いイケメンで、え、え、誰? 何? ってパニックになりつつも顔をまじまじ見てやっとそれが倉科クンだって気が付いた。 「だ、れかと、思った……うーわ、倉科クンだ……」 「うーわって何すかそれ。いやしかし思った以上にびっくりしてくれて光栄です。光栄なんですがチェーン開けてもらえます? ちょっと、緊張の糸ぷっつんしててとりあえず座りてぇ……」 「あ、うん、ゴメン。ていうかその靴めっちゃイイやつじゃんなにそれカヤちゃんの知り合いってまじ何者――、ん?」  倉科クンの顔みたら安心して、なんだかどうでもいい事をだらだらと口走りながら扉を開けたら、そこには倉科クンじゃない人も居た。  あれ、っと思って首を傾げる。なんでオレ、この女の人の顔見たことあるんだろう。  首を傾げたまま瞬きを繰り返すと、目の前の可憐な若草色のドレスの女の人が、花が咲いたように笑った。ふわり、その笑顔で嫌な記憶がぶわーっとぶり返す。  あれ。この人。あれじゃん。ユキヤさんと一緒に手を組んで歩いてた。……ユキヤさんの、婚約者さん。  思い至って固まるオレの背中をぽんぽん叩いて、倉科クンが笑ってくれたから、どうにか落ち着いていられたけど。 「……ええと、こちらご存じ槙野某さんの婚約者の、加賀美、あー……すいません下のお名前なんでしたっけ」 「まりんですー。もう、さっき二回もごあいさつしたのにー」 「そう、それ、まりんさん。というわけでトキチカさんちょっとお話があるそうなんで、固まってるところ申し訳ないですけどちょっとテーブル囲みましょうか。……トキチカさん? 大丈夫? 生きてる?」 「……生きて、る。ごめんなさいオレの脳味噌あんまり容量でっかくなくて、あー……うん、とりあえず、ドウゾ、いやオレの部屋とかじゃないけど……」  そうして招いた彼女は、おじゃましまぁすと甘い声で笑って、ふわふわとした足取りでスイートルームに足を入れた。 「わぁ~! すごいですねぇ素敵なお部屋! 鷹栖様のお見立てはやっぱり素敵ですねぇ、わたくしのお部屋は隣の提携ホテルのエグゼクティブルームなのですけれど、ちょっと広すぎて運動施設みたいなの。インテリアも豪華すぎてー、ちょっと、うーん。ユキヤさんは喜んでいたみたいだったけど、わたくしはこちらの方が好きー」  すてきですねと微笑まれ、なんと返事をしていいのかわからなくて曖昧に『はぁ、』としか言えない。  ふわふわと遠慮なく部屋に入ったお姫様みたいなまりん嬢は、お姫様みたいな傲慢さというか慣れというか貫禄というか、とにかく当たり前のように一番景色が奇麗に見えるロビースペースの柔らかいソファーにふわりと腰を下ろした。  ぼんやりと棒立ちだったオレも、黒髪の倉科クンに引っ張られて向かいのソファーに座らされる。  倉科クンはネクタイを緩めて、オレが座ってるソファーのひじ掛けに座った。……絶対高級なスーツなのに、そんなに足を開いてそんなとこに座っちゃうところがカッコイイんだけど、今はそれどころじゃない。ネクタイ緩めた喉元死ぬほどカッコイイとかときめいてる場合じゃない。  はじめましてと笑うまりん嬢をぼんやりと見ながら、なんだかよく笑う人だなって思った。  同時に、なんか全然笑顔に覇気がない人だなって思った。オレに言われたかないと思うけど。 「はぁ、ええと、ドウモ、コバヤカワトキチカです。で、あの、お話? え、お話って何? ていうかこれ何倉科クン」 「いや実はおれも想定外でして……あのですね、本日おれとカヤさんは槙野に手を引かせる為に本物のヤクザさんっていう協力者を後ろ盾に『実はカヤさんって鷹栖さんの愛人だったのよ? そんでピンク髪の男は元チンピラで実は鷹栖さんのお気に入りだったのよ? そんな二人に愛されてるトキチカさんに手をだしたらぁ、鷹栖さんが黙っちゃいないよ? お店出せなくなるかもよ?』っていうすっげー分かりやすい脅しをかけて来ようと思ったわけです。まあそれはほぼ成功したんですけど、この婚約者さんっていう加賀美のお嬢様がぜひ槙野に内緒でお話したいというわけで。まあ、聞いてください。おれはさっき聞いたけど」 「え、こわい話?」 「いや、えーと……女ってこっわいわーって話?」  ね? と倉科クンに同意を求められたまりん嬢は、ぷりぷりとした顔でしなちゃんってばひどーい、なんて言っていた。  確かユキヤさんは、頭の緩い女だと言っていた気がする。確かに発言とかちょっと、大丈夫? 歳いくつ? って感じはする。  いやほんと、ほんとオレが言えたことじゃないけどさ、けど、うん……歳いくつ? ユキヤさん確か二十八歳とかじゃなかった? 大丈夫? って不安になってたら察した倉科クンが『ちなみにこの人三十歳です』ととんでもない発言をして思いっきり二度見してしまった。 「しなちゃんってば! もう、女性の年齢を人様に言うのは本人の許可をとってからにしてください~」 「おれの事をあだ名で呼ぶのも許可取ってからにしてください。で、話進まないんで司会しますけど、このふわふわ嬢がおれたちにお話とか言うもんだからやべえもしかして舎弟じゃないのバレた? とか、むしろ察しが良すぎて槙野の素行悪いのバレちゃって結婚破談? とかいろいろ一気に考えたんですけどお嬢様はおれたちに一言『邪魔しないでください』と言い放ったわけです」 「……は? じゃま? は?」 「やだぁ、ときちゃんまでしなちゃんと同じ反応するー」 「いやこれ『は?』以外の反応できないっすわ。トキチカさん正解」 「ええと、その、ゴメンちょっと、言葉遊びしてる余裕なくてマジレス申し訳ないんだけど、えーとまりん? さん? は、邪魔って何、を、指して……え?」  よくわかんなくなってあわあわと口を閉じたり開けたりしていたら、まりん嬢がふわりと笑う。  花みたいに笑うのに、その意図がわからなくてただ怖いだけだった。 「あのですね、ぜんぶ知ってるんですよ~ユキヤさんの事! そりゃ調べますよぅ。だってわたくしが調べなくても、きっとお父様とかお母様が調べちゃうもの。元ホストなんて、ぜぇーったいに結婚許してくださらないってことくらいわたくしもわかってますもの。じゃあもう、わたくしが一番最初にぜーえんぶ調べて調べてあとはねつ造するしかないでしょー? だからユキヤさんはぁ、お父様とお母様にはホストだってことナイショなんですー。今はもうどんな手段で調べても、夜間喫茶店の雇われ店長だったっていう記録しかでてこない筈ですー」 「……はあ、なる、ほど?」 「ユキヤさんはわたくしがこんなにぜーんぶぜーんぶ知ってることはきっとご存じない筈ですけれど。イイ金蔓な上に過去も消してくれてセレブの仲間入りじゃーんらっきーくらいにしか考えてないのかぁおばかだなぁかわいいなぁって感じなんですけどー。だからわたくし、ときちゃんのこともぜーんぶ知ってますー。ユキヤさんにちょっとでも関わった人はぜーんぶ調べましたからぁ」  にっこり、笑う顔に、今度はきちんと理由のある寒気が走った。  なんかいろいろヤバい人とかイッチャってる人とか見てきたけど、この人は確実にそっちの系列の人だった。  やだちょうこわい。すげーこわい。この女こわい。  そう思って倉科クンの手を握ると、平気だからって頭撫でてくれた。  いやだってこいつ怖いもんすげー怖いもんこんなの目の前にしてよく倉科クンは平気だよねって心底思ってたけど繋いだ手がちょっと冷たくて、いやいやこれ倉科クンも緊張してるって気が付いた。  やばいオンナノコ怖い。高校時代に散々陰口叩かれまくって死にそうになった記憶ぶりかえしそうだったけど、倉科クンが手をつないでくれてたからどうにか耐えた。耐えたけど女子怖い。  オレ達の動揺とか恐怖なんかどうでもよさそうに、にこにこしたまりん嬢はふわふわと言葉を繋げる。 「ユキヤさんはね、わたくしの王子様なんですー。きらきらしてて、かっこよくて、甘くて甘くて、甘ったるくてでもちょっとおバカで気障で、プライドが高くてダメなところも全部ぜんぶ愛してる。だから一生懸命口説いて口説いてお金ちらつかせてやっと婚約まで行ったんです。ユキヤさんがぁ、ときちゃんのこと忘れられないのは知ってたんですー。だから近々ときちゃんのところに赴いてお話しないとなぁって思ってたところだったから、手間がはぶけたなぁっていうのはうれしいんですけどぉ……」 「手間……うん、はあ、そう、ですね……」 「でもあんまり余計なことしてユキヤさん虐められちゃって婚約破棄とかになると困るんですう。ほらユキヤさんおバカさんだからぁ、手に入らないものに燃えたりしたら嫌だしぃ、ヤクザさんにビビり過ぎて逃げても嫌だしぃ……ねー?」  ねー、って、言われても。  ソウデスネともソウデスカとも言えなくて、半開きの口のまま呆然としてたら、まりん嬢がパタパタと手を振った。 「ときちゃーん? やだ、ときちゃんってほんとうに情報がいっぱーいだとぱーんってなっちゃう子なんですねーちょっとかわいいかも~」 「あんたには差し上げないんで面倒くさい性癖のターゲットにうちのトキチカさんをぶち込むのやめてください」 「あはは、わたくしもっときらきらした王子様をあいしちゃってますからーお二人とも論外ですうー」  ……悪かったなイケメンじゃなくて。いやおれはともかく倉科クンは王子様だっつーの目ぇ腐ってんのかって反論しようとしたけど、ちょっとよく考えたら目が腐ってる可能性高いのはオレの方だった。黙ってよう。なんかこのひと怖いから。  ただ一連の空恐ろしいお嬢様の告白で分かったことは、『ユキヤさんお疲れ様この人アンタの事野放しにする気なんかさらさらないメンヘラだわちょう怖い』って事だった。  なんだ、倉科クンやカヤちゃんが頑張んなくてもよかったんじゃん。ちょっと我慢してれば、それなりに勝手に収束してたんじゃん。とは思うけど、やっぱり今日ここにみんなが集まって、それでまりん嬢と対面で話せたことっていうのは結構でかいと思う。  そもそも、このぶっとんだ思考のお嬢様がオレのとこに来て何をお話するつもりだったのか、というのもある。  近づかないでくださいと言ってもオレは関係ない。近づいてくるのはユキヤさんの方だ。でもユキヤさんを監禁するわけにもいかないだろう。婚姻届を出すまではこの女はふわふわとユキヤさんをだましていくんだろう。  じゃあもうオレを監禁するしかないんじゃないのってとこまで思考が跳んで、あーほんと本物のヤクザさんと伝手がある友達が居てよかったんじゃないのこれってカヤちゃんに死ぬほど感謝した。  全部想像だけど、正直ちょっと笑えない。  全部調べたっていうまりん嬢は多分、オレの異常に狭い交友関係とか、親とは勘当同然になっちゃってるとか、そういうのも全部本当に知ってんだろうなーて思う。世界の隅でこっそり生きるゲイのフリーターなんて、死んじゃっても何も残んない。カヤちゃんのとこにあるオレの写真と、倉科クンがアホみたいに撮ったオレの写真くらいしか残んない。  あーほんと、命残ってて良かった。  あとユキヤさんの未来の嫁がすんげー怖いけど結果的に怖くてよかった。  カヤちゃんがいてくれて良かった。カヤちゃんの友達がとんでもない人で良かった。  倉科クンが居てくれて良かった。倉科クンのこと好きになって良かった。  良かった。  そう思ったら、ちょっと鼻の奥が痛くなった。  相変わらず涙もろいっていうかオレってばほんとすぐ泣く。  あーあーだめ、せめてこの怖いふわふわ女見送ってから倉科クンに抱きつきつつ泣きたい。  オレのよくわかんない感慨を知ってか知らずか、言いたい事だけ言ったお嬢様は、それではわたくしお暇しますわ王子様をロビーでお待たせしているの、なんて軽やかに微笑んで颯爽とパーティドレスをひるがえした。  若草色のドレスはかわいいけど、暫くその色はトラウマになりそうだった。  ユキヤさんの方から何かあったらご連絡を、と、名刺一枚残して加賀美まりんはスイートルームの扉を閉めた。 「…………なにあれ……台風?」  思わず力が抜けてふらっふら、壁に寄り掛かって呟く。オレの後ろに立って名刺を受取ってた倉科クンが、そんなかわいいもんじゃないでしょと呟くのが聞こえた。 「天災なんて生ぬるいっすわ。隕石とかそのレベルでしょ、まじカヤさんがひっさびさに引いてましたよ。オンナノコはすべからく天使だって言ってるあのタラシが」 「うん、なんか、人間? 大丈夫? この人ちゃんと同じ種族? みたいな感はあった……なにあれこわいちょうつかれた。疲れたし、あのー……倉科クンそのスーツかっこいいから近寄ったらダメなやつ」 「え。でも着替えないっすよ」 「帰ろうよ」 「いや本日こちらにお泊りです」 「え」 「……え、って何、嫌なの?」  思わず見あげてしまって、思いっきり目があって息が止まりそうになる。  いやいや、あのね、普段からそりゃ恋するゲイは素敵なフィルターで倉科クンを見ちゃってるけど今日は本当にダメなのよだって倉科クン鏡見てご覧よ、そのシャレオツなスーツに緩めたネクタイに寛げたシャツにそんで初めて見る黒髪っていうフルコンボなんだよわかれよバカ!  って言いたいのにかっこよくてもうだめで言葉が出てこない。  とりあえずさっきの問いかけにだけ『嫌っていうかすげー落ち着かない』とだけ正直に答えたらふわっと笑われてときめき死するかと思った。 「でもこういうとこ来てみたいなーって思ってたでしょ?」 「え。何、オレそんな話したっけ?」 「してないけどタマコさんのお見立て。トキちゃんてば恋するアラサー処女みたいな思考回路してるから夜景とかホテルのバーとかスイートルームとか超憧れちゃうチョロいゲイよ、って言ってましたけど」 「……憧れてたけど実際来てみるとさぁーなんかもう場違い感がすんごくてさぁ……倉科クンはかっちょいいスーツだからいいけどオレ普段着じゃん……」 「かっちょいいっすかね。完全にスーツに負けてる感じしかしないんすけどね」 「…………かっこいい。直視できない。だめ、ほんと、近寄るな襲うぞってくらいかっこいい」 「近寄ったら襲ってくれるんだ」  ちょっとだけ意地悪っぽく目を細めて笑っちゃうのがまたかっこいい。  じりじり逃げるように距離を取ろうとしたのに失敗して、倉科クンに捕まって壁に追い詰められた。  うわぁこれアレだ、流行りの壁ドンだ。なにこれ夢か、どっから夢だ、できればあの悪夢のようなお嬢様の存在から夢であってほしいなぁでもそしたらユキヤさんの問題解決できてないからそれは困るなーいやでもやっぱり夢だ。  オレは倉科クンが好きだけど。大好きだけど。恋しちゃってるけど。  そんでたぶん、たぶんきっと、倉科クンも、あー……勘違いとかじゃなくて、多分きっとオレの事嫌いだなんて思って無い感じだけど。  でも倉科クンこういうキャラじゃないんじゃないの。  もっとこう、家でさ、だらだらドライヤーで髪乾かしながらもうめんどうだからいっそ付き合っちゃう? とかさらっと言ってぼんやり恋人生活が始まっちゃう感じのキャラじゃないの。  こんなさ、ホテルのスイートでさ、夜景をバックに壁に肘付けて至近距離で熱っぽい視線で見つめちゃうなんて、絶対に夢だ。オレの夢だ。  こんな夢みたいなシチュエーションあるわけない。 「……どこまで近寄ったら襲ってくれます?」  夢の住人は低い甘い声で囁いてくる。掠れる寸前くらいの低さの囁きが、耳に甘い。 「ちょ、くらしな、く、ちかい、と、思います、あの、そのね、……がまんできなくなるから、ほら、そうだシャンパン貰ったんだけどどうしていいかわっかんなくてとりあえず冷蔵庫に、」 「おれね、トキチカさんのその結構往生際悪いとこ嫌いじゃないなーって思います。かわいいし。もだもだしながらテンパってんの、すんげーかわいいなって思う。……でも今日はちょっと時間もったいないんで強めに突破させてもらいます」  すっごい近くの倉科クンが、すっごい真剣な顔で、夢みたいな言葉ばっかり口走る。  ぐるぐるする。ふわふわする。……どきどきする。死にそう。  でもまだ許してもらえなくて、離してもらえなくて、これ以上何かされたら本当に死んじゃうのにって涙出そうになったのに。  倉科クンは逃がしてくれない。 「トキチカさんの事が好きです。ライクじゃなくてラブのやつです。大事にします。幸せにします。だから、おれのものに……あーいや、これはちょっと言い過ぎかな、あー……うん、その、……恋人に、なってもらえませんか」  夢だ、と思った。  でも、夢じゃないって知ってたから、涙で世界がぶわりと滲んだ。

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