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第12話

 静かな夜になるはずだった。  がたごとと馬車のように揺れるトラックを低速で運転し、オリアン農場が見えたところで、ハリーは奇妙な不安を覚えた。  オリアンの家が妙に明るい。来客でもあるのか、庭にも明かりと人の気配がある。  ハリーがSJを迎えに出たのは日が暮れてからだ。それから一時間程診療所の前で時間をつぶした。腕時計の針は夜の九時を指している。  オリアンが就寝するにはまだ早いが、従業員たちはとっくに帰路についているはずだ。  農場入り口で車を止め、門を開けると手前のオリアン邸前に見慣れない車が何台か止まっていた。  ひょっこりと助手席の窓から顔を出したSJも眉をしかめる。 「……なに、あのダサくて派手な車。知り合い?」 「警察だ。救急車じゃなくてよかったな。外で話しているのは、あれはオリアンだ。何かあったらしい」  治安の悪い地域の為、夜中に警察を呼びつけるような事件は珍しいものではない。  特にオリアンの農場は静かで暗い場所にあるために、家畜や備品の盗難にしばしば悩まされていた。  なにはともあれ、オリアンが倒れたという話ではないようだ。そのことだけは確かだったので、二人は安堵を込めてため息をついた。 「まったくもう、今日はハプニングもりだくさんだねぇ。物語は急展開! って感じでもうぐったり。ジェットコースターストーリーは僕が本職復帰してからにしてほしいよ、こちとら傷心の休暇中だってのに。タイムリーなおもしろ話を報告するカメラもないのにさ!」 「俺もさすがにうんざりだよ。先に帰るか?」 「つきあうに決まってるでしょ。あそこで眉をしかめているご老体を置いて自分だけベッドに潜り込んだりしたら後々末代まで愚痴を吹き込まれそう。ちょっと手を貸してよハニー。右足が痛くてとれちゃいそうだ」 「抱えていこうか」 「冗談を言うのは家に帰ってからね、よいっしょ!」  トラックから降りるSJに手を貸してやり、二人は警察と話し込むオリアンのところに向かった。  毅然とした態度のオリアンだったが、ハリーが肩を叩くと珍しくため息をもらしていた。気丈な老人が、こんな風になることは珍しい。 「どうしたオリアン。また家畜の盗難か?」 「……それならまだマシだ。家の方に空き巣が入った。さっきまで私は隣のリンケ夫妻の家にお邪魔していたんだ。とても一人で待っている気分ではなくてね……そうしたらこの様だ。いつもはイングリットがいるからな。彼女はこういうことに関しては用心深い。これじゃあ、帰ってきたイングリットにたんまり小言を言われてしまう」  隣家と言っても、丘の上のオリアン農場の周りには家などない。 リンケ夫妻の自宅は坂を上る手前にあって、オリアンの家からは五百メートルも離れていた。  怪しい物音など、気がつけるはずもない。  それなりに防犯設備は整えていたはずだが、どうも相手はプロだったようだ。  きれいに破壊された防犯カメラとドアノブを前に、警官たちはプロの窃盗団の犯行をほのめかしていた。 「相手がプロだろうがなんだろうが、うちに入って取る物なんぞない。芸術品があるわけでもない。商品を扱うような店でもなければ、現金を保管しているわけでもない。でかいだけのただの民家だ」 「見た目だけなら田舎の大富豪邸さ。被害はないのか?」 「ほんの少しの金目の物が無くなったくらいだな。後は、裏手がボヤ未遂だ。丁度いい時間に私は帰宅したらしい。もう少しリンケ夫妻と語らっていたら、うちは全焼していたかもしれない」 「……笑えないな。家も、あなたも無事で良かったよ」  オリアンの帰宅が早ければ、窃盗集団と鉢合わせしたかもしれない。また、本人が言うようにもう少し遅ければ大きな火事になっていた可能性もある。  結果、大した被害はないが、現場検証等に時間がかかる上にセキュリティも何もあったものじゃない状態だ。今晩はリンケ夫妻の家に泊まる算段だというオリアンと別れ、ゲストハウスに向かう間も嫌な予感はしていた。  見るからにうらぶれたゲストハウスの扉は、案の定半開きになっていた。 「……家が燃えてなくて良かったな」  まるでハリケーンの後のように荒らされた室内を呆然と眺めたSJは、勘弁してよと天井を仰ぐ。 「僕ときみの荷物なんてオリアン邸の壁より価値がないよ! いやわかんない、ハニーの方はわっかんないけどさ、もしかしたらマニアには売れるのかもしれないし、ほら、いつもこねくり回している粘土とか石膏とかめっちゃ芸術的に評価されてるのかもしれないけどさ!」 「芸術家なんて名乗っているが、所詮素人の暇つぶしだよ。粘土以上の価値はない。キミのパソコンは無事か? ちなみに俺のは無いな」 「僕のも無い。無いけど、まあ、あんなのネットが繋がって映画が見れればいいやと思って持ってきたサブのサブのPCみたいなもんだからさ、大事な情報なんてこれっぽっちも入ってないし買った時のお値段分の損くらいだけどね! なんなの、犯人は電化製品狙いのアジア人?」 「どうだろうな。他は、あー……大したものは無くなってないか。腕時計、スタンドライト、ドライヤーも消えたな。まあ、全部大したものじゃない。あとは、日記と手帳がない」  ハリーの言葉を受けて、SJが思い出したように大声を上げた。 「っあー! 僕の日記、PCに付けてたんだ! ちっくしょークラウドに保存しておけばよかった……!」 「大事な事でも書いてあったのか?」 「大事じゃないけど大切だよ、僕が最悪な気分でこの地に来てからいかにスウェーデンという国と言葉と文化に慣れていくかをスウェーデン語の覚書と共に切々と語り継ぐ超大作だ。ただし、停電の夜から突然僕に甘ったるくなったハロルド・ビースレイとの交流は書いてない」 「そういえば俺もキミの事は書いてないな。どうも、恋をしただなんてティーンエイジャーのような日記を書く勇気がなくて、ただ毎日生活している上で起こった事だけを書いていた。スタンが怪我をした事は書いたが、いかに右足と右手が不自由でひょこひょこ歩くキミが可愛いかは書いていない」 「僕もハニーは息をするように口説くのどうにかしてほしいよまったくほんと一々照れてる自分が馬鹿みたい、とは書いてないよ」 「一緒だな」 「一緒だね」 「じゃあ、まあ――」  飯でも食うか、と声を掛けると、うははと笑ったSJは随分と楽しそうに散らばった荷物をよろよろと避けて椅子に腰かけた。 「きみのその、なんていうかなぁ。ちょっと変な所で大らかなところ、いいよね。どうしようもないものはどうしようもない、みたいなところ。それが行きすぎてこんなところまで傷心旅行に来ちゃったんだろうけどさ」 「慌てたところでどうしようもないのは事実だろう。オリアンには電話を入れるべきだが、彼はもうリンケ夫妻の家じゃないか? 明日でいいだろ。ドアノブは壊れてるが、釘と金槌があったはずだ。明日まではドアに板を打ち付けておけばとりあえずの防犯になる」 「原始的で最高! 今ここでどっちかが死んだら密室殺人事件の完成だ!」 「ミステリー映画は演技が難しいから苦手だよ」  床に散らばったものはとりあえず端に避け、机の上の物は適当に重ねて床に下ろす。  ぐちゃぐちゃになった調理器具を並べ直すのも面倒で、冷凍庫に入っていた買い置きのピザをレンジに入れた。  珈琲を淹れようか悩み、結局ビールを手に取る。  何かがあれば逃げなければならない状況かもしれないが、疲れすぎていてもうどうでもよかった。珍しくSJもビールを所望したこともあり、結局二人で乾杯をした。 「ねえ、推理ゲームをしよう」  特別不味くもないがうまくもないピザを腹に入れながら、ちびちびとビールを舐めていたSJが言う。  椅子の上で膝を抱える格好は行儀が悪いが、彼にはとても似合っていたのでハリーは注意しなかった。 「キミはゲームが好きだな。ルールは?」 「なんでもあり。とにかく全力で考えてありとあらゆる可能性を話しあう。推理ごっこだよ。僕とハニーは最強の探偵コンビだ。探偵物ってさ、相棒と喋り合っていて唐突にトリックのカギを見つけるもんでしょ? 一人で鬱々と真実に到達するなんて物語として面白くない。ただしホームズを除く」 「スタンはシャーロキアン?」 「NO。でも友人が大概シャーロキアン。個人的には『CSI』が好き」 「……なるほど、好みがわかりやすい。それで、俺達は何について推理を始めるんだ?」 「『窃盗犯は何を狙っていたのか』」  この問いに、ハリーは暫く悩んだ。  金目の物を狙った犯行かと思っていたのは、オリアンの家だけを狙ったものだと思ったからだ。彼の家は農場の入り口にあったし、オリアンとイングリット二人だけが住むにしては些か大きい。きらびやかではないが豪邸といってもいい。  彼は資産家でもある。家の中に何か価値があるものがあるのではないか、と疑われても納得がいく。  ただ、オリアンの家からかなり離れたハリーのゲストハウスまで被害にあっていたとなると、少々印象が変わってくる。  金目の物が目当てだったのだろうか。  何か、他に目的があったのではないか。  そう考えると、無くなっていた物が個人情報に関わる物だったことが気になる。SJのパソコンは中古で売れるかもしれないが、ハリーの日記はどんな中古屋に持って行ってもただのゴミだろう。  そのような事をとりあえず何も考えずに口にすると、頷いたSJはにやりと笑った。 「それそれ。何か探してたんだよね、きっとね。そんでそれは僕とハニーの個人情報っていうか僕とハニーに関わることっていうか、お金じゃなくてそういう物なんじゃないかなぁって思うよね。ノートパソコンと日記ってさぁ、そんなのどう考えてもおかしいもんねぇ。貴方達の持っている情報が目的です、って告白してるようなもんじゃない。犯人達はオリアンさんの家じゃなくて、最初にこっちに来たんじゃないかな。そんで、丁寧に家探しして目的の物を持って出て、次はオリアン邸に行って、でもあそこ広いでしょ? だからタイムアップで苦し紛れに火をつけて逃げた」 「……悪くない推理だな。若干犯人の頭が悪く思えるが、実際の犯罪なんてそんなもんか。俺か、スタンか、目的はどっちだ?」 「うーん。今現在わりとヤバい感じに揉めてるのは僕だけど、別に僕はハニーみたいな大物じゃないし、叩いてもたいしたエピソードは出てこない筈なんだよねぇ。何と言っても童貞だし。過去の恋人にあなたの子よ、なんて言われても笑って流せる自信があるもの。全世界に僕は童貞だって宣言するのもおもしろくてアリじゃない? なんて思っちゃう人だしなぁ」 「その勇気と大胆さは時折尊敬するよ、スタン。キミじゃないなら、俺だが……二人とも、という線はどうだ?」 「ライアン・サリヴァン。僕ときみとの共通点」  だが、サリヴァンがハリーとSJの個人情報を今更欲しがっているとは思えない。  ハリーはスキャンダルをねつ造されてから引退済みであるし、SJは会社を追われたも同然だ。  NICYの財政状態はサリヴァンのせいで散々で、イーグル・レーベルの子会社になるしか存続の道はない、というところまで追いつめられている。SJの話では、サリヴァンに対抗できるようなスクープやネタは何もつかんでないらしい。  今更何を探しているのか。  今更何をしようというのか。  暫くビールの缶を揺らしていたSJは、ふと、思い立ったように呟いた。 「ねぇ、そう言えば暇でちょっと調べたんだけど、ライアン・サリヴァンは姪の結婚式を控えて今ぴりぴりしてるっぽいんだよね。その姪の名前はエヴァ・ディアス、二十一歳。どうも子供が出来て慌てて結婚って流れみたいなんだけど、エヴァの名前に心当たりは?」 「無いな。ディアスの苗字に覚えもない」 「僕もだよハニー。もっとも僕もきみも馬鹿みたいな人脈の中で仕事してたから、何がバタフライ効果になってるのかわっかんないけどねぇ。ちなみにエヴァのお母さんがアン、お父さんがデイヴィッド。アンがライアンの妹に当たる。ディアス家はごく普通の資産家っていうかサリヴァンのイーグル・レーベル・グループのおこぼれを身内の情でいただいてますって感じかな。ただサリヴァンがこの妹と姪を溺愛してるらしくてさぁ。今回の結婚も逃げようとする男捕まえて相当脅したって話」  つらつらと情報を連ねるSJに、流石にハリーは舌を巻く。  何の資料も見ずに喋る彼は、恐らくおおよその事を暗記しているのだろう。どういう脳の構造になっているのか知りたくなる。 「よくそこまで調べられるな……探偵にでもなった方がいいんじゃないか」 「探偵さんが教えてくれる事を暗記しただけだよ。僕がやったのはお名前とお金をポンと渡すことだけ。あとはネット検索かな。眉つばもあるけど割合参考にはなるからね。でもこの線はやっぱりボツかなぁ……だってこんなの誰だって知ってる情報だし、僕が狙われるようなスクープでもない。知らない名前ばっかりだしね。あとめぼしい関係者の名前はー、ええと、アーノルド・リッチー、オーガスト・ヒンシェルウッド、マイク・ホッジス――」 「待て。……オーガスト・ヒンシェルウッド?」 「オーガスト・ヒンシェルウッド。心当たりある名前?」  心当たりもなにも、とハリーは眉を寄せた。 「昔付き合っていた男だ」 「あ! 音楽家の元彼ってオーガスト!」  ビンゴだ、とSJは叫ぶ。 「オーガストはエヴァの婚約者だ! なんでも映画の撮影だかコンサートだかとにかくイーグル・レーベルの伝手で出会っちゃったらしい。ハニーが彼と付き合っていた頃の写真とか映像とかラブレターとかログとか持ってる?」 「ほとんどは捨てた、が、確か二十五だか六歳くらいの時に親友が結婚した。その時のホームビデオに、俺と彼が映っている筈だ。親友は同性愛に寛容で、俺とオーガストを祝福してくれていた。アットホームというか、ほとんど友人達しか居ない式だったからな……俺と彼はそこらじゅうでキスをしていたよ」 「それだ! サリヴァンはハニーとオーガストが同性カップルだったっていう証拠を消したいんだイエス繋がった!」  ガッツポーズを作るSJを前に、ハリーはなんとも言い難い気持ちを抱いた。  オーガストは奇麗な男だった。少し神経質で、作曲に躓くとストレスを発散するかのようにハリーに辛く当った。ハリーは売れ始めた時期で、時々しか会えない恋人に対する負い目もあり、ひたすらに甘やかし許し続けた。  確かに彼はゲイではなくバイ寄りだったと思う。奇麗なものが好きで、甘やかしてくれるものなら何でもいいと思っていた節がある。  その彼が、ハリーを貶めたライアン・サリヴァンの姪と結婚する。  そのことだけでも十分に気分を沈ませるが、それが原因で今の自分の生活や関わってくれる人々を危険に晒していると思うと、なんと言葉にしていいかわからない気持ちが胃の奥に沈む。  もしや、昼間のイングリットの暴行事件も、サリヴァンとオーガスト絡みではないのか。  彼女がハリーの異母兄妹だということは、少し調べればすぐにわかることだ。ハリーのスキャンダル事件の時にこの話が登らなかったのは、『不幸な家庭環境はバッシングにはならず、同情を誘うだけだ』というマスコミ側の勝手な事情の為だった。  ハリーは別段、イングリットの事を隠してはいない。彼女の為にあえて公言することなく生活していただけだ。  イングリットに暴行を働く。または誘拐する。  オリアンとハリーは大騒ぎになるだろう。その隙に、ハリーの持ち物からオーガストの証拠を消す。  流石に疑いすぎか、とも思うが、サリヴァンならやりかねない。  エヴァとオーガストが挙式を上げれば、ハリーは彼女の夫が自分の元恋人だということに気が付くかもしれない。特に、SJが近くに居れば情報はすぐさま入る。そうなればハリーはサリヴァンへの復讐のネタを手に入れる事になる。  全ては推測だ。  結局は考え過ぎかもしれないし、空き巣と放火は窃盗団の仕業で、イングリットを襲ったのもただのチンピラかもしれない。  ただ、確実なことはサリヴァンの姪はハリーの元恋人と結婚する、ということだ。  幸いな事かどうかはわからないが、件のホームビデオは今日オリアン邸から運び出した荷物の中に入っている。トラックの荷台に積み込んだままハリーはSJを迎えに行った為、燃やされる事も持ち去られる事もなく、今はダイニングの隅に放置してあった。  あまりにもキスをしていた記憶があったので、SJに見せるのはどうかと悩んだが、見せないとしても思い出を一度眺めて人生を考え直すきっかけにでもなれば、と自分の為に持ち帰ってきたものだ。  SJとハリーの推理が正しければ、これは切り札になるのかもしれない。  ハリーは今更復讐しようだなんて思ってはいない。しかし、SJは現在奮闘中だし、彼の会社であるNICYの存続が掛っていると言っても過言ではない。  悶々と思考するハリーを余所に、SJはパンと手を叩いて立ち上がった。 「ちょっと僕やりたいこととかやらなきゃいけないこととか準備とか色々思いついちゃったから明日アメリカに帰るよ一旦ね!」  この言葉は流石に予想外だった。  ハリーはここ最近で一番間抜けな顔を晒したと思う。 「…………は。いや、……明日?」 「思い立ったらすぐに行動しなきゃ! あ、ハニーのお宝ホームビデオは今のところ世界に公表するつもりないから、とりあえず貸し金庫か何かに保管しておいて! まあ、これが奴らの目的だっていうのも今のところの仮説でしかないんだけどさ、オーガストがきみといちゃいちゃしてるっていうのは事実だし、もしかしたら、ほんと僕の力が及ばなかったらもしかしーたーらーご協力いただくかもしれないから! あ、ごめんハニーいっこだけ質問、いい?」 「ああ、……別に、構わないが」 「僕がテレビに出てってお願いしたら、ハニーは嫌だって言う?」 「…………言わないよ。それが正式な依頼でも、キミ個人のおねだりでも、俺は多分YESと返事をするさ」 「ほんとくそみたいに甘いねハニー。ありがとうやること大体固まった。あ、帰ってくるからね? ていうか僕まだ怪我治ってないし、荷物おいてくし、でも一カ月くらいもしかしたら帰って来ないかもしれないからええと、まあいいやとりあえず今日は寝て明日帰ってちょっとそれから電話するよ。時差はえーと、六時間だっけね。ワオ、人生始めての遠距離恋愛だ!」  テンションが上がっているらしいSJに、ハリーはもう何も聞かなかった。  鬱々と湖を眺めているよりはいい。僕の言葉は無くなってしまうのか、なんて泣くよりはよっぽどいい。それに巻き込まれるとしても、ハリーは文句など思いつかない。  急な展開にまだ頭と感情が付いていかないが、彼を止めることはできないのだろうということはなんとなくわかっていた。ハリーはもう、苦笑いで仮の恋人を見送るしか選択肢がないのだ。 「向こうでキミの怪我が治ってしまわないように祈っておかなきゃな」 「祈りが通じて僕がとんでもない怪我したらハニーはすごく悔いると思うよ? 電話するよハニー。もしかしたら、きみの声が聞きたいっておねだりしちゃうかもしれないじゃない?」 「そんな事を言われたら俺も飛行機に乗ってしまいそうだ」 「うはは! そのでろでろに甘くて馬鹿みたいにチョロいとこ、正直かわいいって思うよ!」  机の向こうから身を乗り出したSJに一瞬だけ触れるようなキスをされ、思わず顔を掴んで舌を絡めてまた怒られた。  思いもよらない事ばかりの一日だった。  ジェットコースターの方がまだ生ぬるいと思う。遊具なら終わりが見える。けれど、この怒涛の展開は、いつ落ちつくのかハリーには見当もつかない。  とりあえず今日は寝ようという案には賛成だ。  明日本当にSJがスウェーデンを発つならば、お別れの夜になる。めいっぱいキスをしてやろうと心に決め、ビールの缶をダストボックスに投げた。

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