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第13話

「ヘイ、マイキー! なぁんだ全然変わりはないじゃないの、もっとへとへとのボロボロになっててくれなきゃ僕の立つ瀬がないんじゃない? スピーカー・ジャックの代役なんて誰でもこなせちゃうって思われたら心外だな!」  懐かしいスタジオに集まった仲間達は、SJが思っていた程絶望的な顔はしていなかった。  もしかしたら昨日までは皆、この世の終わりのような気分だったのかもしれない。そんな風に考えたくなるのは、一ヶ月も職場を離れていたSJのささやかすぎるプライドだ。  朝一番の飛行機になんとか飛び乗り、懐かしい街に戻ってきたのは一時間前の事だ。  口からこぼれる言葉は濁流のようでも、SJの心中は柔らかく思いやりに満ちている事を知っているNICYの友人達は、一ヶ月前と変わらぬ笑顔で迎えてくれた。 「SJの代役が朝飯前の作業だ、なんて見栄を張れる人間が居たら見てみたいよ。全員で少しずつ分担して、さらに仕事量が減ってるからどうにか回ってるんだ。この一ヶ月でわかったことは、お前をちょっとどころかかなり休ませるべきだってことさ」  唯一連絡を取り合っていたマイキーだが、画面越しではない彼は疲れた雰囲気がにじみ出ている。大げさに肩をすくめる彼の背中をばんばん叩き、SJは泣きそうな程安堵している自分をどうにか隠そうと言葉を羅列した。 「一ヶ月もバカンスしたんだ十分でしょ。まあ、僕が完全復帰できるかどうかはこれからのがんばりと運にかかってるんだけどね。でもとりあえずは再会を喜んでいい? ちょっとチャド、そのクマどうしたのうはははインディアンの化粧みたいだかっこいい!」 「ありがとよ仕事の虫。お前さんの代わりに事務作業を引き受けたら睡眠時間が三分の一に減ったんだ。リカルドは飛行機と通訳の手配で一回大揉めして円形脱毛症になった。シンディは残業のしすぎで浮気を疑われて彼氏と大揉めだ」 「ヒュー、僕ってものすごい疫病神じゃない!? ジャネットは元気そうじゃないの!」 「キャスターの仕事は変わりなかったからですよ、SJ。あなた、ニュース番組だけは絶対にカメラの前に立たなかったでしょ」 「柄じゃないんだよ、やっぱり我が社のニュースはミス・ジャネット・エミューが最高にかしこまった表情で読み上げなきゃね。……さっきから気になってたんだけど、ねぇナスチャ、髪の毛切った? 短いのもキュートだね、キャスターの座をねらえそう!」 「ありがとう、私の旦那と同じ事を言うのね、SJ。私はマイキーのカメラの前じゃなくて、後ろに控える音声の仕事が好きよ」 「なんてヤマトナデシコなの、こんな美人の旦那はそれだけで運を使い果たしてるよね、ちょっとくらい過剰労働でもきっと彼は怒らないはずさ、髪の毛を切った奥さんがこんなかわいいんだものね!」  ブロンドを短く整えたナスチャとハグを交わす傍らで、片眉を器用に上げたマイキーが渋い声を上げる。  ロシア系美人のナスチャと南アメリカ系移民のマイキーが紆余曲折の末めでたく結婚したのは二年前の事で、SJが人生で一番祝福している夫婦がこの同僚達だ。 「……おいSJ、ナスチャが女神のごとく美人なのと、俺の労働条件は関係ないだろ」 「あるよマイキー、人生はプラスマイナスゼロなんだよ。いいことがあったらいやな事があるし、不幸の後には幸せが控えてる。ちょっと僕若干無茶をしようと思ってるんだけど、一人じゃどうにもならないからみんなも巻き込もうって思うんだ。今まではさぁ、僕一人の会社なんかじゃないし、僕が原因でみんなを巻き込むのなんて、だなんて勝手に鬱々と考え込んでいたんだけど。よくよく考えたら僕がやりたくて僕が募って僕が選んできたチャンネルだったって気がついたんだ。CEOは残念ながら僕じゃないんだけどね」 「CEOどころか今や会社そのものがイーグル・レーベルの傘下になるか否かってところじゃないか……サリヴァンに手を引かせるような、ガツンとしたネタでも仕入れたのか?」 「うーんネタというかきっかけっていうか、弱味みたいなもののしっぽは掴んだけど、それをモノにできるかどうかは微妙なところかな。僕は悪役に悪どい手段で対抗する気はないよ。ただし正義を貫く必要もないかなって開き直った。……格好付けるのはやめたよ、開き直った僕は不安でいっぱいなNICYの社員達にまずこう言うんだ」  ただいま、そして、僕の我儘をきいてほしい。  そう言って頭を下げたSJを見守る社員達は、安堵したような表情を浮かべていた。  突然の彼の帰国に、不安がる者は誰もいない。どうせ異国で静かに暮らすことなんかできないのだろうと思っていたと、誰もが気の抜けたような笑いを漏らした。 「今更何を言ってんだ。NICYはSJがやりたいことをやるためのむちゃくちゃな会社じゃないか」 「……最初はね、そうだったよね。でもさ、人が多くなってきてさ、人気も出て来てさ。僕は僕がやりたいことだけやる! ってわけにはいかなくなったしさ。CEOもきちんとした人を立てたし、運営からも手を引いた。その時点で僕の我儘をやりたい放題する会社じゃなくなったし、僕は創立者とかじゃなくてNICYの雇われ社員になったつもりだったんだよねぇ。ていうか今でもそのつもり。だから僕の我儘は、一社員の我儘であって、命令じゃない。これ重要だから覚えといてね。それと僕は割合自分の事は自分でどうにかしなきゃっていう格好付けたがりのビビりの馬鹿だって気がついた。――頼れるものを死ぬ気で頼るよ。僕はまだここに居たい。まだまだ、喋り足りないんだから」  SJが握りしめる武器は、その言葉だ。そして今まで生きてきた中で出会ったエキストラ全てだ。  人脈は人徳だと気づかせてくれたのは、スウェーデンで出会った元俳優の男だった。彼はSJが思っている以上にSJを評価し、讃え、そして甘やかした。利用するんじゃない、頼ると言うんだ。そう言った彼の言葉をSJは信じることにした。  人生であれほど甘やかされた数日間は無かったと思う。  俳優ではなくてカウンセラーにでもなったら? と言ってみたところ、好きな奴としか喋ろうと思わないから無理だと笑われた。その甘い口説き文句ととろけるような甘い声を思い出す度に、SJの手は電話に伸びそうになる。  まだ半日も離れていないというのに、チョロいのはどっちだと呆れる。  いつスウェーデンに戻れるかわからない。  SJのもくろみでは、一応一カ月以内には決着がつく筈だったが、それも周りの状況で変わる。やることはすべてやる。手を尽くす。それでもいい方向に転がるかは五分五分というところだ。  平和なスウェーデンでの日常が少し恋しい気分になる。  朝起きて、ハリーの淹れてくれた珈琲を飲み、そしてだらだらと映画を見てチェスをして言葉の勉強をする生活。隠居老人のようだが、それこそ老後はそんな風に生きたいと思える、それなりに素晴らしいバカンスだった。  未来の事など今まで考えたことはなかった。  喋る事に必死で、生きることが楽しくて、老いた自分の想像なんてまっぴらだと思っていた。今は、いつか機関銃のような言葉が尽きそうになったら、あとは誰か一人くらいにかける言葉だけを残して口を閉ざしゆっくりと生きるのも良いな、などと思っている自分がいる。  今のところ未来の自分の横に居るのは、あの甘ったるい言葉ばかりの俳優だった。  ハリーの事を考えていたら、より一層ハリーに会いたくなってしまった。  本当は三日くらい焦らす予定でいたのに、自分が耐えられなくなるなど、本当に笑えてしまう。  頭の中にある一通りの予定をすべて仲間に打ち明け、全員の覚悟をまとめてミーティングは終わった。  いつも通りの業務に戻る同僚達を背に、スタジオの隅のパイプ椅子に陣取ったSJは、時間を確かめて暗記した国際番号と電話番号をタップした。  暫く待って、ぷつりとコール音は切れる。次に聞こえたのはハリーの些か慌てたような声だった。  電話だと彼の声は一層低く感じる。SJの楽器のようで煩いと言われる声とは対照的なことだろう。 「ハロー、ハニー。ええと、そっちは夜? かな?」 『ああ、そうだな……キミの居ない寂しい夜だ』 「うはは、耳に甘いよ期待通りのでろ甘い気持ちをありがとう、正直嬉しいよ。あー、イングリットは平気? オリアンじーさんは元気? その後みんな無事?」 『今のところは平和だ。インジは少しへこたれているが、何事もなかったかのように平然としているよりは健康的だろう。キミの方は平気なのか? NYの家とかは……』 「あ、それは平気。僕の仕事の荷物とか顧客とか大事な一切合切は貸金庫にぶちこんでから出たんだ。あとは在宅の友人のとことかに散らして預けたから、全部無事さざまあみろサリヴァン! って感じかな。狙われていたのかも知らないけどね!」 『用心深いな、流石だ。何事もないのなら何よりだよ』  安心したように息をつくハリーに、SJはそわそわとした甘さを感じてしまう。愛されている、心配されている、という実感は不意に沸き起こり、それは彼が隣に居ない虚しさに少なからず繋がった。 「……あのさぁハニー、これからちょくちょく電話しちゃうかも。帰ってきたら、思っていたより寂しいし都会の空気はくさいし怖いし現実にビビっちゃってるんだ僕ってばさ。……だから時々、僕は遠い国の恋人の甘い言葉が聞きたくなっちゃうと思う」 『思いもよらない御褒美だな。寂しい夜が一気に浮かれてシエスタのような暑さになりそうだよ。そういう時は、俺はなんて言って恋人を元気づけたらいい?』 「きみの好きな言葉でいいよ。別に今日食べた献立とかだけでもいい。自分でもびっくりするんだけど、僕はきみの声を聞いてるだけでちょっと元気になっちゃうみたい」 『フライトの時差ボケで体調がおかしいんだろ、それで弱気になっている。と、言い聞かせなきゃ俺が茹だって死にそうだダーリン。抱きしめられないからって言いたい放題は良くない。次に会った時にこの鬱憤を全部キスに込めてやるぞ』  甘い脅し文句が耳に痒い。  うははと笑い声をあげながらも、SJは自分の体温が上がっていくことを自覚する。  ハリーの言葉は甘い。とても甘い。そしてその甘さは、これから出来うる限りの抵抗をしようとしているSJにとって、不可欠なものに思えた。 「頑張れって言ってよハニー。そしたら僕は明日きみの声を聞くまで頑張れる」 『――頑張れ、スタン。キミ程魅力的な人物が、へこたれる世の中なんてあるわけないさ。キミの言葉は素晴らしい。あんなに柔らかくそして愛のある武器を、俺は他に知らないよ』 「予想以上の言葉をありがとうダーリン。明後日くらいまで頑張れちゃいそう」 『それなら俺から電話するよ。……頑張れ。何をしているのか、何をするつもりなのか俺はまあ、知らないんだが……キミを信じる。こっちはオリアンとインジと、セキュリティの強化を頑張るさ』 「あ、それは大事。ぜひそうして。えーと、じゃあ切るね。別れの挨拶ってそっちの言葉でなんだっけ」 『Jag saknar dig(あいしてる)』 「……lognare(うそつき)」  それでも最後にJag saknar digと付け足すと、電話向こうのハリーはささやかに笑いを零した。  通話を切り、ひとしきり照れた後に熱い頬を冷ますように手で仰ぎ、何度か呼吸を繰り返す。  それでも何度か甘い声の響きが耳に蘇り、SJは暫く椅子の上から立ち上がれなかった。  一人で百面相をしているSJを心配したのか、気が付けばナスチャが寄り添っていた。マイキーから話を聞いているのだろう、好奇心よりは慈愛に満ちた姉のような目で首を傾げる彼女に、SJは思わず身構える。 「例のハニー? 最後のはスウェーデン語かな。なんて言ったの?」 「…………『きみのことなんてきらいだよ』」 「SJ、嘘はよくないわ」  顔が真っ赤よとウインクされ、煩いよと叫ぶ羽目になったので、もう職場ではハリーに電話しないことを誓った。

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