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第16話

 イーグル・レーベル主催のパーティは酷く和やかに進んだ。  まずはライアン・サリヴァンの挨拶から始まり、ゲスト達は細かい泡のシャンパンで乾杯をする。  ライアン・サリヴァンの隣にはエヴァが、そしてその隣には懐かしい男が立っていた。長かった髪は切ったのか。さっぱりと整えたブロンドに、指を通した過去が遠く感じる。  華やかな雰囲気の会場の中で、ハリーは微妙な気持ちを隠しきれない……という状態になるかと懸念していたが、隣にいたSJがちらちらと窺ってくるのが愛おしすぎて憂鬱などどうでもよくなる。  本当に思いもよらず周りに気を使う男だ。煩いだけの虻ではない。 「顔隠さなくていいの?」  カメラを回すナスチャの横で、機材の調整をしているSJがハリーに問いかける。  サングラスは逆に目立つと思いパーティ会場に入る際に外していた。今は数年前にスキャンダルで引退した俳優、ハロルド・ビースレイそのままの姿だが、遠目からひそひそと噂話をする人影が見えるくらいで、大した騒ぎにはなっていない。  話題などすぐに過ぎていくものだ。そんなものだ、と実感する。 「今更だろう。俺の顔を覚えている奴がとやかく絡んできたら、隠居生活は楽しいよと答えてやるさ」 「ハニーがいいならいいけどさぁ。きみとはあのなーんにもない農場の二人きりのゲストハウスでしか対面してこなかったから、こんな有名人とカメラに囲まれまくってる中で並んでいるとほんと変な感じ。そういえばハニーはハリウッドスターで、そういえば僕はテレビ局の人だったなうははって笑えちゃう」 「ハイテンションだな。……ビビってない?」 「早く戦いたくてうずうずしてる。二か月も謹慎したんだ、僕の言葉はもう溢れる寸前だよ!」 「俺相手じゃ本領は発揮できなかったか」 「きみはいつもくそみたいに痒いし甘いから僕の言葉も詰まっちゃうの! もー今日はたらしこむの禁止禁止! なんだったら僕の視界三百六十度に入るのもよしてほしいくらいだからね。気が散るったらありゃしない」 「来ない方が良かった?」 「そんなわけ無いでしょ馬鹿って言わせないでよ馬鹿ばーか! きみと! 喋ってると僕の言語年齢がロースクールくらいになっちゃうの! あーもう馬鹿。ナスチャもにやにやするのやめてもらっていいかな!?」  重いカメラを支えたまま、ナスチャが微笑ましいと言わんばかりに頬を緩ませる度に、SJは律儀にツッコミを入れた。 「いや、ほんとに好きなのねーと思って。まさかここまでわかりやすくラブラブしてると思わなかったし、結婚前の初々しい口説き文句羅列してくる旦那を思い出すなーと思って」 「え、うそ、マイキーってこんなに痒かったの? それはそれで気になるけど、ちょっとハニー腰に手を回すのやめてってばマイキーは同僚! ナスチャも同僚!」 「……じゃあ俺は?」 「もーなんなの僕をどうしたいのもう勘弁してよ恋人だよ言わせないでもう口噤んでハニー!」  真っ赤になって人差し指をハリーの口元に当てるSJは可愛い。  可愛すぎてここが敵の陣地だと忘れてしまいそうになる。これ以上やるとSJは本当に怒ってしまいそうだったし、自分も彼から手が離せなくなりそうだ、と思ったので大人しく口を噤んでまるで報道関係者のようにしれっとその場で腕を組んだ。  演技は得意だ。天職だった、と今でも思う。  スクリーンの中のテレビクルーになったつもりになれば、視線も噂話も気にならない。  会場がそれぞれの挨拶を済ませ、談笑が落ちついた頃合いでイーグル・グループ出資の新作映画の制作発表が行われた。マスコミはこの為に集められたと言っても良いほど大掛かりで、巨大な資金と有名監督と、そして話題の俳優をこれでもかと使った大作だ。  SFXだけで随分と金が消え、そして何度か街は爆発してビルは倒れるんだろうなぁ、と呟いたSJの声が聞こえてハリーは苦笑した。  たぶん、その通りの映画になる。そういう配役とスタッフだ。個人的にはじっくりとした演技ができる映画が好きだが、世間が求めていて尚且つ売れるならば、まあ、他人が作るものに文句は言わない。  映画の制作発表のついでとばかりにエヴァ・ディアスとオーガスト・ヒンシェルウッドの婚約発表が行われた。  作曲家として活躍しはじめたオーガストとサリヴァンの姪の婚約発表はそれなりに盛り上がり、祝福の声で会場は満ちた。  軽く目配せし合いながら微笑むカップルは確かに初々しく映る。エヴァがすでに妊娠していることや、オーガストがハリーの元恋人だったという事を知っているNICY社員達以外は、彼らを微笑ましく祝福していた。  更に、司会からマイクを奪ったサリヴァンは、最近の事業の拡大を話題にする。  二年前から一切変わっていない、偏屈な老人を絵にかいたような外見の神経質そうな男は、にこりとも笑わずに先日某電気メーカーを子会社にしたと発表した。  優越感しか伝わってこない嫌な声だった。世界全てが自分の思い通りになって当たり前だと思っている。ハリーの存在にも、SJが歯を食いしばっている事にも気が付いていないのだろう。  そして話題はついに、NICYに及んだ。 「NYのあるローカルテレビ局も、現在子会社化の協議中だ。まあ、ろくでもない番組ばかりのくだらない会社だったからな、買収後はどこかの大手局と合併させるよ。丁度そのちっぽけな会社のカメラが来ているぞ。どうだ、あー……ふざけた名前だった事は覚えているんだが、そのほかは忘れてしまった。そうだ君だ。いい加減、私の会社に全てを託す決意はできたかね?」  視線を向けられたSJは、憎々しげな顔をけろりと引っ込めて笑顔を作っていた。  サリヴァンはSJを見た際に初めてハリーに気がついたような気配を見せたが、片眉を上げただけで特に動揺はしていないようだった。  それはそうだ、ここは彼のホームであって、SJとハリーはパーティ会場に紛れこんだ小さな蜂と虻でしかない。  にっこり笑ったSJは、マイクを通さずに声を張り上げる。  周りのカメラが、一斉にSJの方を向いた。そのついでのように、昔の恋人がハリーを見て息を飲んだ瞬間が見えた。何も見なかったふりをして、ハリーはSJの言葉に耳を傾ける。 「やぁサリヴァンさん、僕の顔だけでも覚えていてくれて嬉しいよ! 僕はたくさん呼び名があるからね、そりゃぁ覚えられなくたって仕方無いよねって思うから一応自己紹介をもう一度させてもらうよ、どうも何度目かわからないけれどNICYのキャスターといえばこの僕、スタンリー・ジャックマンだ。カメラはアナスタシア・グレイシー。あとこっちのアシスタントはハロルド・ビースレイ。懐かしい顔じゃない?」 「……ハロルドは確かに久しい顔だな。異国で別の生活をしている、と聞いた覚えがあるが、いつの間にきみの会社の面接に受かったんだい」  よくもまあ、しれっとそんな事が言える、とハリーは笑いそうになったが、スウェーデンのゲストハウスの空き巣に関しては、結局犯人はわかっていないままだ。SJとハリーの推理ゲームでは、サリヴァンが黒幕だという結論に至った。しかし、証拠もなければ確証もない。  ハリーとSJが持っている確実な切り札は、サリヴァンの姪の婚約者の元恋人が同性だった、という事実しかない。SJが何をするつもりなのか、ハリーは一切聞いていない。けれど、彼のスピーカーが何を言おうとも、全て受け入れるつもりでNYまで来た。  腹は決まっている。一度終わった芸能生活だ。今さら、失うものなどない。静かに覚悟を思いだすハリーの隣で、SJは声を張り上げた。 「社内情報は企業秘密さ。なんでもかんでもサリヴァンさんの思惑通りにいかないってこと。世界はたしかに一定の時間でぐるぐる回ってるけど、運命とか必然とか偶然とか人柄とかタイミングとか、そういう諸々がうまい事混ざり合って人生ってやつになるんだよわかる? 全てが、誰かの思い通りに動くなんてことないのさ!」 「抽象的な言葉を聞くのは嫌いなんだ。つまり、どういうことかな?」  負け犬の遠吠えだと思っているのだろう。腹立たしい程余裕を見せるサリヴァンだったが、SJが次に口にした言葉に、確かに眉を寄せた。 「つまり、NICYはあなたの物にはならないってこと!」  あれだけどうしようもない状況だ、と悩み弱音を吐いていた事案だった筈だ。どうしようもない。会社をサリヴァンに乗っ取られるか、それとも全員で路頭に迷うか、その二択だと言っていたと記憶している。  実際NICYの運営は火の車だった。  軌道に乗りかけ、知名度も上がっていた所にサリヴァンの嫌がらせのような情報戦争がしかけられた。根も葉もない醜聞がまき散らされ、株主は買収されそのほとんどをイーグル・レーベルが所有した。実質乗っ取られたと言っても良い。  自分達でどうにかできる資金は限られ、番組制作にも支障をきたしていた。決して口先だけの見栄で、『NICYは独立できる』などと言える状況ではない。  同じ事を考えたのか、サリヴァンが嘲るような笑いを零す。それを見咎めたSJは、大げさに肩をすくめてみせた。 「若造の出まかせの虚勢だ! って思ってるんでしょうわかるよ、僕だってまさか自分がこんなところでこんな宣言するなんてちょっと前には思ってもみなかったんだからね。でも残念、事実なんだごめんねほんと、昨日から我がローカルテレビチャンネルNICYの筆頭株主はエフゲニー・ボルジン。輸入菓子屋さんの社長さんだ!」  高々に宣言するSJの横で、ナスチャがハリーにだけ囁くように『うちの伯父さんよ』と言った。 「それと会社を立て直す為に共同というか合併というか、とにかく出資者を新たに取締役に加えた。彼がとても頑固で、NICYは独立したひとつの会社じゃないと駄目だって譲らないんだ。ダーヴィド・オリアン。オリアンファームっていうとんでもなくでっかい会社の社長だよ!」  そしてこの言葉には、ハリーも思わず声を上げてしまった。 「…………ちょっとまて、オリアンが? そんな話は、俺は一言も……」 「言ってないものハニー。さあこれでお金と権利の問題はあっさり解決したんじゃない? まぁ、わりと頭を下げたからあっさりってわけでもないんだけど、僕の苦労話は置いといてさらにもうひとつ重大発表があるんだけど良いかな?」  誰も先を促さなかったが、SJは勝手にカメラの前に躍り出ると、会場の隅に居た一人の男性を手招きした。  ハリーの記憶にはない顔だ。くたびれたスーツに、無精髭と長髪が胡散臭く思えてしまう。特別な有名人ではないのかもしれない。と思った数秒後、ハリーはまたもや間抜けに口を開ける事になった。 「じゃーん! 他人様の土俵で私事大変失礼ですけど彼原作のドラマを我が社で作る事になりました別に僕が出演するわけじゃないんだけどね! ええと、出資者は……まあいいやなんか色々だよエンドクレジットを見てね! そんなわけでこういう場にはほんとはあんまり来ないから嫌だって言われたんだけど招待状も来てたし無理矢理引っ張ってきちゃったんださぁ自己紹介を!」 「……君は本当に強引で大げさで魅力的で困るって後でクロエに言っておくよ、まったく。どうも、あー……ミステリー小説を書いています。リッチモンド・フォーカス……なぁ、どこに向かって喋ればいいんだSJ?」 「R・フォーカス? ……『トロント・ミステリー』の原案の?」  思わず叫んだのはハリーだ。  彼は今も現役の作家で時折ヒットを飛ばしているが、有名シリーズの映画化に不満があり、以来メディアの前に姿を現す事も、また自身の作品をメディアにゆだねる事を一切しなくなった。  ベストセラー作家の作品が次々とハリウッド映画になる中で、『フォーカスの作品が映像になれば間違いなく客が飛び付くのに』と嘆かれる程だ。  ハリーが出演したトロント・ミステリーの原案ではあったが、撮影現場に顔を出した事は無い。脚本家と監督は彼の友人だったようで、フォーカスも渋々映像化を許したものであるという話を聞いた覚えがある。  ハリーの家の本棚に並ぶフォーカス作品の作者近影では髭がなく、髪の毛も短くそろえてあった。言われてみれば似ていない事も無い。 「そして更にもう一つニュース! フォーカスのドラマの主演は二年前に悲劇のスキャンダルで口を閉ざしスウェーデンに引きこもった男、ハロルド・ビースレイだ!」  呆然とフォーカスを見ていたハリーは、SJの言葉の意味がわからず暫くぼんやりとしていた。  三秒数えて、今彼は何を言ったんだ、と疑問に思う。  そして意味を咀嚼して、次の瞬間には怒るよりも呆れるよりももっとわけのわからない感情が湧き出して、結局天井を仰いだ。 「……スタン、聞いてないぞ……」 「うっはは言ってないもん! ねぇだって、断らないだろ? きみが彼の作品の大ファンだってこと、僕はすっかり知ってるんだからね。きみの書斎の本棚の半分は彼の作品じゃないか! トロント・ミステリーは世紀の大傑作だ。映画とは違うからちょっと、もしかしたら妥協しなきゃいけないところもあるかもしれないけれど、最高の舞台だと思うんだ。やるでしょ、ハニー。やってよ、僕のお願いだ」 「――断れるわけがないだろう」  溜息はつかなかった。憂鬱だなんて思っていない。ここまで彼に動いてもらった自分が情けないが、SJの前向きな気持ちが素直に嬉しかった。  SJの後ろで、サリヴァンが呆気にとられたように口を開けている様が見える。  ハリーを見つけた時、サリヴァンはきっとここでハリーとオーガストが恋人関係にあったという暴露をされるのではないか、と思った筈だ。それに関して、多少の対策を練っていたのかもしれない。ハリーですら、SJの趣向返しはオーガストが過去男の恋人がいた事実をつきつけるものだと思った。  しかしSJはオーガストの方を見もしなかった。  過去の男に興味はないとばかりに。未来の自分の会社とハリーにしか興味が無いとばかりに。 「というわけでお騒がせしましたみなさん帰るまで楽しくパーティ満喫してね! 僕は言いたい事言ったし邪魔だろうしイーグル・レーベルさんともライアン・サリヴァンさんとも一切の関わりなんてないただの虻だから大人しく我が社に帰って次の番組を作る打ち合わせをしようと思うよ、ああどうも、これお酒? ちょっと仕事しに帰るって言ったばっかりじゃん、ペリエ頂戴ペリエ! あ、ナスチャどう? ばっちり? 今日の僕は素敵なスピーカーだった?」 「ええ、多少煩すぎるくらいよ。もうちょっとガツンとブチ切れるかと思った」 「しないよーハニーが見てるってのにそんな大人げないこと。……あ、そうそう、もう一個ちょとしたニュース提供しとく?」 「次は何だス――」  スタン、と名前を呼ぶ筈だった唇をSJに塞がれた。  唐突に始まった同性のキスシーンに、一瞬会場は静まり返り、次の瞬間フラッシュがまたたく。  驚きすぎて何も反応できないハリーを背にしたSJは、囲むカメラと呆然とするパーティ客に最高の笑顔を見せた。 「ハリーは僕の恋人だから、可愛い女優さんとのスキャンダルは禁止だよよろしくね!」  ……キミはどうしてそうなんだ、と。  怒るよりも笑えてしまうからハリーはSJに甘いのだと実感した。

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