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第18話

「いやー、若者はいいよなぁ」  ほのぼのとは言い難い無気力さが混じった言葉を発するのは、この現場ではいつもフォーカスだった。  フォーカスはドラマの原作と脚本家であり、プロデューサーや監督とは別の位置付だ。何も毎日撮影現場に付き合う事もないのだが、本人が好きに見させろと言って聞かない。  新人の監督は非常にやりにくそうだ。メディア化を憎んでいるベストセラー作家が毎度撮影に顔を出すというのは、プレッシャーを掛けられている気分になるだろう。  本人には全くそのつもりはないらしく、聞くところによるとただのスランプの暇つぶしだという。  後はハリーのファンだというのは本当らしく、おしいなぁとハリーと顔を合わせる度に溜息をついた。 「二か月前まではフリーだったなんて、もったいなさすぎる。俺がSJより先に出会っていたら情熱的に口説いたのにさ……あーもったいないことをした。スウェーデンくらい飛行機で……あー、何時間だったかなSJ」 「NYからストックホルムまでは平均八時間だけどハリーが住んでたど田舎の農場まではそっから更に長い旅だよミスター・フォーカス。ねぇハリーのケツを舐めるように眺めるのやめてくれる!? 仮にも恋人の前なんだからちょっとは僕に気を遣ってよ!」 「俺が配慮するのは友人以外の人間のみって決めてるんだよ。あー羨ましいったらない。見てみろSJあの引き締まったケツを。たまらん。ぜひとも一晩お付き合い願いたいね。そこんとこどうなんだSJ、君はあの引き締まったケツを堪能できる権利がある幸福な人間なんだろう。どうなんだ。ハリーはいいのか、どうだ、ほら、言え、言ってしまえ」 「イイって何さ真っ昼間っから何の話だよやめてよねほんと僕は割と純情ボーイだって言ってるでしょ。暇な作家は帰って執筆しなよ、もおおお、なんで毎回! 現場に来るの!」 「お前こそ多忙な癖に毎度居るじゃないかSJ」 「僕は無理矢理休憩に入れられてるんだようるっさいよあと今日はクロエが来るっていうから挨拶しようと思ったんだよなんでフォーカスまで居るかなー!」 「クロエのエスコートは俺だろう。ところで君がトップなの? ボトムなの?」 「下世話な話題は嫌いだってば!」  ぎゃんぎゃんと一々反論するSJは、完全にフォーカスのおもちゃ状態だ。  アットホームな現場だから彼らの喧嘩も息抜きの一環の様になっている。フォーカス原作、NICY制作の新作ミステリードラマの出足は好調で、早くも大物ゲストが後半の収録に名乗りを上げていた。  視聴率が良い為、話題になると考えた俳優の事務所からどんどんオファーが来ているらしい。  二年ぶりに俳優として復帰したハリーは、力不足を痛感する場面も多々ある。もっと若ければと悩む事もあったが、悩み不安を漏らす度に恋人が出来うる限りの言葉で励ましてくれる環境は有り難いものだった。  スウェーデンから、正式にNYに引っ越してから二カ月が過ぎた。  最初は別の家で、と思っていたハリーだが、SJがあまりにもスタジオから帰って来ない現実を知り、多少無理矢理だが二人で住めるアパートを住処にした。  SJは相当渋っていたものの、毎日朝食と珈琲がつくという条件に逆らえなかったのかそれとも単にハリーの事を愛しているだけなのか、結局一週間だけ粘ってその後は大人しくアパートを引き払い、引っ越しを完了させた。  四六時中一緒に居たらハニーは僕に飽きちゃうかもしれない、などと視線を落としながら呟く恋人は最高に可愛らしく、ハリーは暫くベッドに崩れ落ちたまま動けなかった。  SJは可愛い。そして格好良く、強い。時折見せる脆いような頼りなさは抱きしめたくなる程愛おしく、ハリーは毎日彼に『落ちついて』と言われてしまう。  これでも十分落ちついている方だと思う。  落ちついていなければ一日中ずっと抱きしめてキスを降らせている筈だ。毎回そういう雰囲気になる度にSJが逃げ腰になるので、まだセックスはしていない。  別に、子供ができるわけでもない。性的欲求が無いとは言わないが、無理にどうしてもやりたいとは思わない。SJがしたいと言えば喜んで付き合う。したくないと言われれば、ほんの少しの悪戯でも問題はない。  首筋をなぞった時の色っぽい声を思い出すと、ハリーはそれだけでにやけそうになってしまう。  まったくもって恋に踊らされている。  それでもいいじゃないか、一度しかない人生だ。そう思えるのは、恋人の前向きな明るさが、ハリーにも移ってきているせいかもしれない。 「フォーカスはすっかりスタンリーがお気に入りね」  撮影の合間の休憩に台本を見直すハリーに声を掛けたのは、ぎゃんぎゃんと言い争うSJとフォーカスではなく、妙齢の女性だ。  ふわり、と笑った同世代の女性は柔らかく甘いパンのような人だった。  クロエ・ノーマンはコンスタントに作品を発表し、それなりのファンがついている恋愛小説家だ。彼女の作品も時折映画の原作となる事があるが、残念ながらハリーはクロエの作品に出演したことはない。  恋愛小説は書店でみかけても手に取ることは少なかった。ハリーがNYで復帰できたのはフォーカスと、そして彼を紹介してくれたクロエのおかげだと言ってもいい。  これを期にと思い数冊購入した本はすべて丁寧に書かれていて、胸を打つ物語だった。  その感想を伝えると、クロエはふわふわとした花がほころぶように笑う。 「ありがとう、うれしいわハロルド。私の作品はどれも似たようなものだなんて批評をもらうこともあるけれど、私が書きたいものが書けて、そしてそれを読んでくれる人がたったの一文でも好きだと思ってくれたら、それでいいだなんて勝手な事を思っているの。あなたの演技もとてもすてき。あなた自身ももちろん、素敵だわ」 「……SJとは、昔から?」 「そうねぇ。一番身近だったのは、きっと彼がハイスクールに通っていた時。私はもう卒業していたけれど、私の弟がスタンリーと同じクラスで、学校から逃げ回る仲間だった。アップル・アボット。スモーキング・ノーマン。そしてスピーカー・ジャック」  リンゴの絵ばかり描く少年と、喫煙ばかりの少年と、そして、喋ってばかりの少年。  話に聞いた通りの少年たちの思い出話に、ハリーは自然と笑いをこぼした。ハリーの知らないSJの過去だというのに、なぜか懐かしい気分になる。 「よくうちのガレージでも集まって、ランプをつけて演説してた。喋っているのはスタンリーばっかりで、残りの二人はうるさいとも言わずに静かに好きな事をしていたわ。仲が良かったのね、きっと。でもこの前も夕飯に行ったと言ってたから、今も仲がいいのかもしれないの。ずるいわ、私もスタンリーと一緒にたくさんのおいしいものを食べて、たくさんおしゃべりをしたいのに」 「……俺でよければ誘うよクロエ。スタンと一緒に昔の話をするあなたを見るのは、楽しそうだ」 「まぁ、あなたは本当に優しくて良い人なのね。夏のバーベキューには絶対に呼ばなくちゃ。うちの弟は真夏の庭で肉を焼くなんて自殺行為だって文句ばかり言うけど、そうでもなければ庭がある意味がないものね」  確かに夏の庭のバーベキューはとんでもない暑さになるだろう。  スウェーデンでの農作業に慣れたハリーはともかく、SJはすぐにぐったりしてしまいそうだ。夏の庭の想像は楽しく、浮かれている自分に気がつく。 「そういえば私、スウェーデンには行ったことないんだわ。夏は涼しい?」 「もちろん。過ごしやすくて気持ちがいい。旅行にいくならおすすめの農場がある。ちょっと偏屈なじいさんと、かなり偏屈な少女が毎日文句を言い合いながら楽しく仕事をこなしている。田舎だが、緑の風景は最高だ」  オリアン農場では、今もオリアンとイングリットが働いている。  NYで仕事を復帰する、と告げた時にイングリットは一週間ばかり拗ねたが、最後には『もう一度あの馬鹿にあんたなんて大っきらい今度会った時にパイを顔にぶつけてやるって伝えて!』と言い無理矢理納得したようだった。  オリアンがNICYの共同経営者になったことも、イングリットは知らなかったらしい。とばっちりでオリアンも一週間口をきいてもらえなかったと嘆いていた。  相変わらずな家族だ。多分これからもイングリットは少し困った妹で、オリアンはそれを見守ってくれる正しく強い老人だ。  夏には必ずSJを連れて旅行に来ないとガレージの物はすべて燃やす、と脅迫することもオリアンは忘れなかった。苦笑いで、彼の仕事が休めたらと言い訳したが、おそらくハリーとSJは毎年の夏をスウェーデンで過ごすことだろう。 「すてきね! それはぜひご挨拶してみたいわ」 「ちょっとちょっとちょっとハニー、なに人様のお姉さんを口説いてるの! ていうか僕も仲間に入れてよ僕だけフォーカスのお守だなんてひどい! 何だって、バーベキュー? スウェーデン? 早くも夏休みのバカンスの話? どこでもいいよどこでも行く!」  フォーカスから逃げてきたらしいSJがクロエ用のパイプ椅子の後ろから勢いよく乗り出し、いつもの少し高い早口で捲し立てる。  その後ろから置いてけぼりを食らったフォーカスがSJにおぶさるように圧し掛かり、潰されそうな青年はカエルの様な声を出した。 「……勘弁してよフォーカス……もおおおなんでもいいから僕とハニー以外の素敵な美人を見つけてそっちに夢中になってお願い! 女子でも男子でもいいからさ!」 「ボインバインなべっぴん女かムチッキリッとしたイケメンがいいんだよ。知り合い沢山いるだろうSJ紹介してくれよちょっと遊ばないと筆が進まない……」 「ちょっとじゃないじゃないのずっと遊んでるじゃないの僕は友人をきみに売るような人間じゃないよ、ちょ、暑い、重い、助け、」 「ミスター・フォーカス。……お気に入りなのはわかるが、スタンは俺の恋人なので」  失礼、と微笑んでスタンを引っ張りだすと、へなへなと椅子の背に肘をついたフォーカスがずるいなぁと呟いた。何も聞かなかった振りをして、ハリーは助け出したSJの髪の毛をさっと整えてやる。  SJの緩い赤茶の髪が好きだ。ハリーの長かったブロンドは、役作りの為に肩口で切ってしまった。結局結んでいる事が多いので見た目的にはあまり変わらないと思うのだが、SJは髪の毛を切る時に随分と惜しんだ。  きみの長い髪の毛がセクシーで好きだったのに、という恋人に聞いていないと返すと、言っていないと笑われる。  またどうせ伸ばすことになる。これからの仕事によっては短く切る事もあるだろうが、基本的にハリーは長く伸ばして結う方が楽だと感じていた。 「邪魔してごめんねハニー……明日からはもうちょっと遠いところでロケでしょ? 泊まりだっけね、じゃあ僕は自分で朝食をどうにかしなきゃいけないわけだ、ワォ! ねぇ僕が餓死しないうちに帰ってきてね」  ハリー用の少々甘えた顔になったSJにハニーと呼ばれるのが好きだ。休憩時間だということを忘れてキスをしそうになり、苦笑いで誤魔化して頬を撫でた。 「俺が目を離した隙にスタジオと仕事にキミを取られないように、早めに帰ってくるよダーリン。シリアルばかり食わないこと。あと俺の電話には嫌でも出てくれ。声が聞けなくて俺の方が死にそうになるかもしれない」 「ちょっと、ハニー、フォーカスはまだしもクロエが居るんだから落ち着いて、わかった電話するし電話も出るしデリを大活用するから、落ちついて。ああでもさ……きみのその、くそみたいに甘ったるい所、最初から大好きだよ」 「……それは聞いていないな」 「言って無いかも」  うはは、と笑うSJの声が心地よい。  さて休憩を切り上げるぞ、と声が掛ると、クロエは席を立ち微笑んで手を振り、フォーカスはなんとも言い難いにやけたような羨ましそうな表情で、仕方なさそうにクロエと並んでロケ地を後にした。  SJもスタジオに帰るのだろう。軽いキスの後に、恥ずかしそうに逃げた恋人は暫く走って遠くから軽やかに手を上げる。  踊りだしそうなスキップだ。もつれるようなステップは高らかで、軽い彼の心情が表れているようだった。 「ハニー! Fly,fly!」  飛べ飛べ、とSJは声を張り上げる。  それはハリーが初めて演じた作品の題名であり、そして彼なりの激励だった。ハリーは似合わないとSJ以外に太鼓判を押される晴れやかな笑顔で、その激励に応えた。  飛べ、なんて昔の自分が聞いたら外野は適当な事を言う、とむくれただろう。今は、素直に飛べるもんなら飛んでやると思う。  甘い蜜を求める蜜蜂は、煩い虻に恋をした。  どうやら虻もまんざらではないらしく、結局二人で甘い蜂蜜に呑まれて笑う。  蜜にまみれて飛べなくなっても、二人ならばどうにかなる。そんな風に思えることがおかしくもありがたいと思えて、恋とは本当に恐ろしいものだと実感した。  飛んでやろうじゃないか、と、ハリーは息を吸って吐く。世界と向き合うことはまだ少し恐ろしい。けれど、SJが軽やかに飛べと言うのなら、ハリーはなんだってできると信じていた。  FLY,FLY。  きみが、そう言って笑うので。 end

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