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Hello,Mr.Johnson01

「ほとんど気候なんて変わらないじゃないのアマゾンと北極じゃあるまいし、なんて思ってたけど実際国を跨ぐと空気が全然違うからすごいよねぇ、地球ってほんと広い。NYは雑多で面白い。スウェーデンは静かでおおらかで寒い。やぁ、三ヶ月ぶりの別荘だ!」  懐かしいドアを開けて、少々閑散とした室内に足を踏み入れたSJは、今までの無言の時間を取り返すように堰を切って言葉を羅列した。  駅からはタクシーを拾ったが、オリアン農場の入り口から懐かしいガレージまで歩く気力は無く、熱い包容で迎えてくれたオリアンの言葉に甘えて懐かしいトラックを拝借した。  久方ぶりに運転した壊れかけのトラックは、やはり尻と舌に優しくない。相変わらず舗装されていない道をゆっくりと走る間に、何度上下運動を繰り返したか定かではなかった。  数分のドライブでも口を閉ざさなければいけなかったSJは、トラックに乗っている間はまるで丘に打ち上げられた魚の様だったが、今は好物を与えられた犬の様に生き生きとしている。  彼の好物は相変わらず言葉だ。  最近のハリーはそれでも、ほんの少しくらいはSJの好物の中に紛れ込むことができているのではないか、と、控えめに自己評価をしている。  ほとんど土産でパンパンになっているバッグを放り投げ、部屋のチェックをするSJの手をひょいとつかんだハリーは、彼を抱きしめると少し長めのキスをした。 「……落ち着けスタン。そんなに勢いつけてはしゃがなくても、帰りの飛行機は一週間後だ。それまで俺たちは農場の別荘を片づけなくちゃいけない」 「ワォ、いいね、無人島に打ち上げられて助けが来ないカップルみたいな気分になってきた! どんなにがんばってもどうせ帰れないんだから、仕事とか仕事とか仕事の事なんて全部忘れて農場居候ライフを満喫しなきゃね。まあ、主なレジャーは引っ越し作業だけど!」  キスの間だけは静かなSJは、茶目っ気たっぷりに笑ってハリーの鼻の先にキスを返した。  二人がNYに拠点を戻してから三ヶ月がたっていた。  先月までハリーは手近なアパートに仮住まいしていたが、あまりにもSJが自宅に帰らず、どのタイミングで恋人に会いに行けばいいのか悩みに悩んだ末、結局同居する事になった。  ハリーの仕事が急に始まった事もあり、スウェーデンの荷物の大半はそのままで、結局ほとんどの家具は適当に買い揃えてしまった。夏を過ぎ、撮影が落ち着いた段階でようやくスウェーデンに一度帰る算段がついた。  かなり強引に新居を決め、ほとんど拉致のように同居が始まったが、暮らしてみれば朝から晩まで飽きることなく世話を焼くハリーの存在がSJ的には心地よかったらしく、次第に文句を言われることもなくなった。  SJが新居に対して口にする愚痴は、洗面台とシャワールームが妙に狭いということくらいだ。  元来ポジティブではないハリーは、きみと一緒に生活するのは息が詰まる、と告白されたらどう涙をこらえるかという心配をしていたが、それは杞憂に終わったようだった。  先に惚れたせいか、SJがストレートだという負い目があるのか、それとも自分がそういう性格だというだけなのか。ハリーはどうも、時折SJからの愛情に期待しないようにと自分に言い聞かせてしまう癖があった。  SJがハリーを愛していないわけではない。彼はその有り余る言葉と素直な態度で、いつでもハリーに好意を伝えてくれる。勿論それを信じている。好きだと言われる度に舞い上がりそうな程幸福になり、抱きしめられれば愛の言葉を漏らさずにはいられない。  それでもどうしても、ハリーは自分の愛が重いような気がしてしまう。  久方ぶりの恋だ。  世界すべてに裏切られたような絶望に打ちひしがれ、スウェーデンに逃げてきた。仕事もそうだったが、恋などしばらく字も見たくないと思っていた。  落ちてしまったものは仕方がない。SJに出会い、彼の言葉の明るさと柔らかさに惹かれ、そして彼自身の強さと可愛らしさに完全にやられた。  完全にいかれている自覚はある。自覚があるからこそ、SJの重荷にならないようにと少し体を引いてしまう部分はあった。  相変わらずSJとの関係はキス止まりだ。  どうしてもセックスをしたい、というほどではない。それは本心だが、性的欲求よりも自分しか知ることのできない恋人の姿を見たい、という独占欲のような恋慕が、時折ハリーの身を焦がした。  キスの合間に腰を撫でるだけで震える敏感な恋人の素肌を撫で回したい。官能的な妄想をする度に、自分のふしだらさと肥大するばかりの欲望に呆れる。  SJが隣で笑ってくれるだけで本望だ、というのは確かな本心であるはずなのに、ふとした瞬間に彼の腰に手を伸ばしてしまう。  お互いゆっくりする暇がないほど忙しい日常だったが、むしろハリーにはそちらのほうが心穏やかだった。一日中仕事に追いかけ回されたSJは、ほんの少しの睡眠の為にアパートに帰ってくる。SJのために軽い夕飯をつくり、思い切り甘やかして髪の毛を梳きながら眠るだけで、二人の時間は過ぎてしまう。不埒な遊びをしている暇などない。  本当は今回のスウェーデンへの旅も、ハリー一人で済ませるつもりだった。  それがなぜか無理矢理休みを作ったSJも同行する事になり、結局一週間のバカンスになってしまった。勿論恋人との旅行は嬉しい。毎日朝から晩までSJを独占できる機会など早々ない事を知っている。  だが不埒な欲望を抱えたハリーにとって、この旅行はある意味で苦痛が伴うものだという覚悟があった。  無防備な恋人は懐かしいゲストハウスのハリーの部屋のベッドの上で、懐かしくてなんだかちょっと恥ずかしいなどとはしゃいでいる。まだ仮の恋人だったときの甘い焦がれるような気分を思い出すだけで、ハリーは熱い吐息が漏れそうだ。  淡泊な方だと思っていたのに、まったくもって自分の欲望が信じられない。 「……ハニーどうしたの、飛行機疲れ? それとも仕事疲れ?」  ハリーの苦笑とため息をどう捉えたのか、SJは素直に首を傾げる。その成人男性とは思えないコケティッシュな動きがなぜか似合ってしまうSJがたまらなく愛おしく、ハリーは笑顔から苦さを消した。 「疲れてはいないよ……旅の始まりは楽しいけれど、終わりがくることを考えると早くも寂しい」 「きみってほんと案外ネガティブっていうか、思ってた通りすごく感受性豊かで優しいっていうか。僕の馬鹿みたいな浮かれた脳味噌をわけてあげたいくらいだよね」  少しだけ埃っぽいベッドの上で、SJはハリーを手招く。  おとなしくそれに従い、ハリーはSJの隣に腰を下ろすと彼の身体を抱き寄せた。 「……スタンは浮かれているのか? こんな、何もない農場の一軒家で、この家がすっからかんになるまで掃除をしなきゃいけないっていうのに」 「ほんのちょっとくらいの荷物を残さなきゃ、オリアンじいさんが怒っちゃうよ。あの人ってばハリーの荷物を人質か何かだと思ってるんだからさ。掃除最高だね! 別に得意じゃないけど嫌いじゃないし、一週間もハニーを独占できるなんて全世界のファンに『うらやましいでしょ恋人の特権ってやつだイェア!』って自慢して怒られたいくらいだよ」 「キミを独占してキミのファンに怒られたいのは俺もだよ。ついでに会社にも怒られそうだ。仕事は大丈夫なのか?」 「その質問昨日から五回目だ。何回訊かれても答えは同じだよハニー、『いい加減家かどこかで休めSJおまえは職場に居るとなんでもしたがるしそのうち住みそうだしいくらなんでも帰りを待っている恋人が不憫だ!』って追い立てられて無理矢理休暇にされたの。でも確かに僕はスタジオに居ると何でもかんでもやりだして終わらなくて結局家にも帰れないみたいな生活しちゃうから、ハニーが居てくれていいのかも。……今までは家に帰りなさいよなんて言われても、別にだれも待っていないんだからいいじゃないって思ってたしね。今は、そうだ帰って恋人にキスしてもらって元気をもらわなきゃって思う」  とろり、と甘い笑顔を作ったSJは、流れる様な言葉の濁流でハリーを甘く落とし込む。  キスして、と囁かれ、溢れる愛おしさを返すように唇を重ねた。  SJとのキスはいつだって甘い。そしてむず痒く、欲望を抑えるだけの慈愛で満ちていた。今日から数日間は、壁を隔てた隣の住人に配慮することはない。誰にも気を使うことなく存分に愛を囁ける環境は、不便ではあるが、素晴らしい。 「ハリーの、次の仕事は来月からだっけ?」  キスの合間につぶやくようにSJが問いかけ、ハリーは柔らかく答えた。 「そう。単館上映の映画だ。それでも、ゲイを告白した俺をよく使う気になってくれた、と思う。あの業界はいまだに人種差別すらはびこる古い体質なのに。映画の仕事は何年ぶりか数えたくもないが、精一杯やるつもりだ」 「あー……ごめん、えーと、僕が、わりと考えなしにカミングアウトしちゃったせいで……」 「スタンのおかげで復帰できたんだ。キミのせいだなんて思っていない。キミが盛大に打ち明けてくれたおかげで俺に対するマスコミのバッシングの真偽を疑う声もでてきたし、イーグルレーベルの裏をつつく報道も増えてきたしな」 「ほんとに? ほんとに怒ってない?」 「……そんなに俺が気にしていると思っていたのか?」 「だって僕ってば自分のハッピー気分と高揚感に任せてハニーをものすごく巻き込んじゃったじゃないの。僕は元々馬鹿が付くほどの馬鹿だから何を言われようが気にしないしゲイだって差別されても僕がハッピーなんだから黙ってくれないかなって怒鳴っちゃえる馬鹿だけど。ハニーはずっと悩んでいたのに」 「まぁ、悩んでいたのは確かだし、キミほど俺はポジティブでもないのは確かだが……怒ってはいないが少しだけ驚いたし心の準備ができなかったことへの謝罪がほしい、だなんて心の狭いことを言ったらキミは、一晩中俺にキスをしてくれる?」  いたずらに笑って見せると、SJは眉を下げて黙り込み、おもむろにハリーに抱きついてきた。  そしてハリーの耳元で、思いも寄らない言葉を囁く。 「……一晩中でも、一週間でも。なんなら、キスじゃなくても、あー……ええと、その、……もうちょっとアダルトな交流でも」  途切れ途切れのSJの言葉は小さく頼りないものだったが、聞き取れない程ではなかった。だからこそ聞き間違えではないのが嘘のようで、どこからが夢だろうかと一瞬疑ってしまう。  言葉遊びのつもりだった。いつものように、甘く柔らかく『きみが望むならいくらでもキスをするよ』と返されるものだと思っていた。  夢ではない。嘘でもない。その証拠に真っ赤な恋人は視線をうろうろとさせながらひどく緊張した面もちで腕の中に収まっている。このやたら熱い生き物が、幻覚なわけがない。 「嘘だよスタン。俺は本当に怒ってなんかいないし、謝罪がほしいだなんて思っていない。キミにキスをしてほしいのだけが本心だ」 「もちろんそんなこと知ってるよ! でも僕の方だって本心だよ。死ぬほど恥ずかしいしなんかタイミングわかんなくてずっとそういうのできなかったけど、ハニーに触られたくないとかそんなことないし、ええとなんていうか……もおおお、僕がスウェーデン行きの飛行機にどんな気持ちで乗り込んだか察してよハニー!」 「まさか、俺とセックスをするつもりで? NYからこの国まで来たのか?」 「察してっていったけど言葉にしてなんて言ってないよ!」  真っ赤になって腕の中でもがくSJの可愛らしさを、どう表現していいのかわからない。  そもそも彼は性的なことに消極的というよりも、いっそ興味がないと言っていい様子だった。身体で得る快楽よりも、言葉を羅列する際に脳で得る快楽の方が大きいのではないか、とハリーは勝手に考察していた。  その疑問を素直に言葉にして尋ねると、SJは眉を下げて口を曲げる。彼が笑っていない顔は珍しく、その頼りない表情をさらけ出してもらえるのも恋人の特権だ。 「……まあ、ハニーの考察は間違っちゃいないけどさぁ。僕ってば確かにそっちのことには疎いっていうか興味なかったし、セックスする暇があったら新しい国の言葉覚えた方がよくない!? なんて、当時の恋人にひっぱたかれるようなこと平気で言っちゃうおバカさんだったんだよね、ハニーに会うまでは」 「俺と会って、その概念が変わった?」 「うーん……最初はさぁ、今まで通り、一緒に居るのは楽しいしキスも好きだけど別にあえて恥ずかしい思いしてセックスしなくてもいいんじゃないの? って思ってたんだけど。なんか、こう……最近の僕は、ハニーのセクシーさにやられちゃったのかも」  だってきみの筋肉のラインのセクシーさに目がいっちゃうんだもの、などと言われてハリーが正気で居られたのは、逆に驚きすぎていたからだろう。  まさか、自分がそんな目で見られていたとは思いもしなかった。SJはストレートだったし、女性に対しても性的な目を向けない。いっそ性欲などないのではないかと思っていた。  ハリーがSJの細い腰やちらりと覗く鎖骨の艶めかしさに眉を寄せている時、同じようにSJはハリーの張りつめた筋肉や喉のラインに興奮していた、という事実は感動よりも驚愕の方が強く、飲み込むまでに時間がかかってしまう。  呆然とSJを眺めるハリーのことをどう思ったのか、不安そうにちらちらと視線を寄越すSJは、至極言いにくそうに言葉を連ねた。 「あー……きみとのセックスに興味がある僕は、はしたない……?」  SJのスピーカーは、どうしてこうも正直でたまらない言葉を選ぶのだろう。 「………………その言葉だけでどれだけ俺がノックアウトされているかわかっているのか?」 「僕を選んだ時点でもうとんでもない変人だと思ってるけどハニーのツボってほんとわかんないよ。どこがいいの、こんな僕の」 「言って良いなら思う存分告白するが」 「ストップストップ、だめだめ痒そう何もしないうちから死んじゃいそう! 足腰たたなくなる前に荷物の整理くらいはしなきゃ。痒い告白は僕の理性がぶっとんでる時にして」 「確かに。……俺がキミのどこに夢中かという話は、セックスの最中にしよう」 「だから言葉にしないでってば!」  幸福なんだ、と素直に告白すれば、SJは何も言えなくなって赤くなって黙ってしまう。  何をしてもかわいいと思ってしまうのだから、結局は惚れた自分はいかれているのだとハリーは納得し、SJの熱い額にキスをした。 「キミの言う通り、せめて持ってきた荷物の整理をしよう。その後は日が暮れる前に買い出しだな。デリは相変わらず農場の玄関までしかサポートしてくれないし、夕飯も朝食もなにもなくて掃除の前に餓死しそうだ」 「オリアンさんの夕食の誘いは?」 「スタンは飛行機と電車とトラックにさんざんもてあそばれた後に、スタミナたっぷりのごちそうをたらふく食いたいか?」  ハリーの言葉で想像したらしいSJは、多少げんなりとした表情を作る。  そもそもあまり濃い味が好きではないハリーと、食事自体への興味が薄いSJの食生活は質素で、パーティーメニューのような豪勢な食事を胃が受け付けられる気がしない。 「オリアンの夕食の誘いは明日に延期したほうが良さそうだ。あのご老体は俺たちが非常にタフで毎日肉を飽きることなく貪っていると思っているが、フライト疲れと仕事疲れを訴えれば一日くらいは容赦してくれるはずだしな。今日はゆっくりしていいだろう。ご老体は急にゲストハウスの扉を叩くことはないし、インジは留学の下見で海の向こうだ」 「あー……イングリット……なんで帰ってくるのが自分の居ない日なんだってこれでもかって程怒られたんだけど、そんなの僕じゃなくてハリーに言ってよって五回くらい返信したかなぁ。じゃあとりあえず、しばらくは二人きりだ」 「そう、ふたりきりだ。……いつも一緒に居るのに、笑えるくらい緊張してくるな。荷物の整理をして、買い出しに行って、オリアンのところに顔を出して……その後にキミと愛し合うと思うと膝が笑いそうだ」 「僕なんかもう腰が抜けそうだよ馬鹿!」 「相違ないな。キミに馬鹿になっているだらしない男だよ」  名残惜しくキスをして、本格的にSJに怒られる前にハリーは荷物の整理の為に腰を上げた。

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