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第13話

 熱にうなされながら何度か壱の夢を見た。  夢の中の壱は都合よく、躊躇も無く唯川に触れてきた。  唇が柔らかかったのは、今まで付き合って来た女の子のイメージだったのかもしれない。流石に胸は無かったが、肌の滑らかさは微妙にリアルで、すっかり体調も万全に目覚めた朝、あまりの気恥かしさといたたまれなさに暫く頭を抱えた。  どうしてそうなったのか覚えていないが、確か壱が見舞いに来たような気がする。  ただ、その後何度か見た壱の夢と完全に混ざってしまい、どこからどこまでが実際にあったことなのか区別がつかない。  キスをしたのは夢の筈だ。壱がそんなことを許すわけは無いし、そもそも実際問題触るのも無理な人にキスなど言語道断だ。  ベッドの端に座ってくれたのは、現実な気がするが、その後デートに誘った際にOKしてもらったのは夢だろうか。現実だろうか。その辺の記憶があるにはあるのだが、現実なのかどうかが曖昧だ。  なんだかトンデモ無いことも一緒に口走ったような気がするが、あまり深く考えたくない。体調もなんとか戻った復帰ほやほやの唯川は、これ以上胃を虐めたくない。  どうやらデート云々は現実らしい、と確信が持てたのは、恐る恐る先日はすいませんでしたメールをした唯川に対しての壱の返信で、『買いものに行く日が決まったら半休取るんで、連絡ください』という一文のおかげだった。  どうしてこうなった、と、これも頭を抱えた。  デートはしたい。とてもしたい。  だから今更あれは朦朧としていてただ願望を垂れ流しただけなので気にしないでください、などと断ることはできない。  ただ、壱にはとても迷惑な話だろうし、実際問題壱を半日エスコートできるのか、シュミレーションする度に不安が積もる。そもそも、壱の買いものの傾向すらわからない。せめて映画くらいにしておくべきだったと思うが、実際彼に似合う服を一緒に眺めていちゃいちゃしたい、というどうしようもない恋心が理性の邪魔をする。  あれは病人の戯言なんで、壱さんは気にしないで、そうだ何かっていうなら最近珈琲にハマっているんでお勧めの珈琲見繕ってください。と、メールする勇気が無い。  せっかく壱が了解してくれた予定を、白紙に戻すのが嫌だ。ほとほと、自分は子供だと呆れる。  半日程仕事を片付けつつうだうだと悩み、結局意を決して翌週の月曜日は大丈夫かと壱に返信した。壱は普段から真面目だし、ほとんど有給も活用していなかったらしく、翌日には『半休のつもりが有給にされました』という返事が届いた。  仕事が忙しいと聞いていたので申し訳無くもなったが、たまには休めと全員に賛同されたという微笑ましいエピソードを零れ聞くこととなった。普段から真面目に、しっかりと仕事をこなす壱らしい話だ。そういうところがとても好ましい。  毎日の仕事をそわそわとこなし、気もそぞろな状態で月曜を迎えた。  土曜日の予約は唯川の予定が合わずにキャンセルしてもらっていた為、壱に会うのは見舞いに来てもらって以来となる。  浮かれ切っている気分をどうにか落ち着かせようと、何度か木ノ瀬に連絡をしてみたが、壱の外出に概ね賛成の木ノ瀬からは激励を貰ってしまうありさまで、ならばと普段辛口の由梨音に現実を突きつけてもらおうと思っても、あまりにも恋する唯川が哀れだったのか逆に励まされてしまった。  大人二人から『楽しんでらっしゃい』という高校生のデートに向けたコメントのような笑顔を貰い、正直二十六歳男子としてどうかと思う。思うが、しかし、楽しみは楽しみで、仕方がないのもまた事実だ。  はれて月曜日。  悩みすぎた結果、ドルマンスリーブのティーシャツとカラースキニーという女子の様なコーディネイトになってしまったが、似合わない事は無いし原色は避けたので許してほしいと思うことにして家を出た。  待ち合わせでも良かったが、どうせ壱の家の近所にしか行けないので、迎えに行くことにしてある。  素直にインターフォンを押す気でいたのに、アパートを目の前に目を凝らすと、壱は外に出て待っていてくれた。たったそれだけで、どうにもテンションが上がってしまいそうになる。思わず歩みを止めて深呼吸をする唯川を見つけると、何も知らない壱は安心したように少し笑った。 「おまたせしましたーどうも、休みにしちゃってすいません! てなわけで、唯川参上です。……ほんと、無理言ってごめーんね?」  気合いを入れ直し、普段通りの明るいキャラを心がけて声をかければ、いつもお世話になってますしと、唯川が好きな困ったような柔らかい笑顔が返ってくる。かわいらしくてとんでもない。  初めて見る私服の壱は、予想よりも普通に似合っている地味な服装だった。ティーシャツにシャツをはおり、暗めのジーンズと合わせている。  唯川程身長は無いが、痩せている上に頭が小さいので、ひょろりとして見える。見るからに草食系といった雰囲気だ。  ドットのパーカーとかきっと似合うのに。そう思ったがそれは実際に商品を手にとっておススメすることにして、じゃあ行きましょうかと近所のモールまで歩きだした。  金曜の昼休みに一度モールまで走り、平日の昼間の客足はなんとなく把握している。流石に閑散としているわけでもないが、大概が主婦や女性と学生なので、唯川の目当ての店は大概空いていた。 「唯川さん、沢山洋服持ってますよね。毎回会う度、服違うし」  歩きがてら声をかけてくる壱に、唯川は笑って答える。 「そうね、一応お洒落さんであることが大切ーみたいなお仕事だしねー。まあ他に趣味もないし、お金使うとこもないからねーおれ」 「え。すごく休日は出かけてるイメージなんですけど。いつも何してるんですか」 「いつも、休日……えーと、何してるかな。先週は掃除して、読みかけの現代小説に四度目のトライをしてやっぱりよくわかんなくて撃沈して、その後よくわかんないメキシコの映画をぼんやり見て、暗くなったから家にあるもので適当にパスタ作って食べて、そのあとBSでネイチャー系ドキュメンタリー見てた、かな?」 「……びっくりするくらいインドアですね。もっと遊んでそうなのに」 「だから根暗だって言ったじゃんー。基本的にレンタルDVDショップとお友達」  人と喋るのは嫌いではないけれど、普段仕事中に喋りまくるせいで、休日は口を休ませてぼんやりしていることが多い。  最初は鎧だったお洒落も、最近は楽しめるようになってきた。それでもやはりショップ店員には物怖じしてしまう、という話をすれば、壱は不思議そうに首を傾げていた。 「俺も、店員さんが笑顔で話かけてくるの、苦手なタイプですけど。唯川さんはすぐ仲良くなってずっと喋ってそうなのに」 「偏見ですよーちょう怖いよ人間。そりゃ笑顔で応じるけど、ああいう人達って妙に空気読めないっていうか、必要ない時にガンガン話かけてくるししかもみんながみんな、レスポンスうまい訳じゃないでしょ? そりゃ話かけて顧客ゲットするのが仕事なんだろうけど。唯見てる時に旨い具合に断るのとか、結構面倒だし。ほっとけよって思っちゃう時あるし」 「あー。わかります。わかりますけど、意外です。唯川さんって、結構、意外なことばっかりで、面白いですよね」  唯川にとっては、壱のその反応が意外だ。  何人か女性と付き合ったことはあるが、皆唯川の普段の生活を聞くと、苦笑いをして案外オタクなんだねと言う。  まったくもってその通りなのだが、笑顔が爽やかで活発的なイメージを勝手に作って演じているのはこちらの方なので、本性を知られる度に申し訳ないような気分になっていた。  いつも、少しがっかりされる。  面白い、などと言われたのは初めてだ。 「そう? つまんなくない? 見た目よりインドアだし。結構面倒臭がりだし。おんなのこには、大概イメージと違うって言われるけど」 「あー……華やかで、何でも出来ちゃう人に見えるからじゃないですか? 俺は、ちょっと駄目なところ、面白くて親しみやすいし、良いと思いますよ。髪の毛がスキっていう第一印象のインパクトが強すぎて、この人何者って思ってたんですけど、最近やっと人間かもしれないって思って来ました」 「……ひどい。壱さんおれをなんだと思ってたの」 「え。ええと。……良く喋る、変な人」 「おう。まあ、そうね、間違ってないのが痛いところだ」  そういえば、自分は壱の髪が好きということになっていた。  勿論今でも壱の流れるような黒髪は好きだ。大好きだ。  けれどどちらかと言えばその髪に少し隠されてしまっているつり目気味の二重の瞳や、笑うと困った様に下がる眉や、ぎこちなく見える白く揃った歯が好きだ。掠れ気味の声も、骨ばった手の甲のラインも好きだ。  その上服屋の店員が苦手だという唯川を笑うことなく、親しみやすくて良いなどという。そんな壱こそ優しくてカッコイイ、と思えば思う程胸が痛くて泣きそうになった。  本当は髪の毛じゃなくてあなたがすきだと、言えたらとても楽だろうに。  その一言は絶対に、言えない。 「さて、じゃあ今日はインドア二人、店員と戦いつつがんばりますか! 壱さんクロップドパンツとか絶対似合うから持ってないなら買いましょー。あとパーカー。薄手のパーカー絶対にあう」  気持ちを切り替えるように、わざと明るい声を出す唯川に対し、隣を歩く壱は驚いたように振り向いた。 「え、唯川さんの買いものじゃないんですか? いや、まあ、俺もついでにちょっといろいろ調達しようとは思ってましたけど……唯川さんが選ぶの?」 「あ。なにその不安そうな顔。おれだってねー似合う似合わない基準にちゃんと選んでますよーそら蛍光色結構好きだけど、まさか壱さんにパッションピンクのパーカー着せたりしないよーでもサーモンピンクのインナーとかは似合うと思うからあったら買お?」 「サーモンピンク……う、うん、まあ、見てから考えます……」  若干不安そうな顔がまたかわいらしい。  好きだと言えないけれど、せめて片思いデート満喫をしよう。  そして、久しぶりの外出を楽しく最後までエスコートして、ほんの少しでも株を上げよう。幸い、隣を歩くのが嫌だとか、そこまでは嫌われていないらしい。唯川の感情が落ち着けば、そして壱の症状が将来的に落ちつけば、もしかしたら自分にもチャンスが回ってくるかもしれない。  そんな後ろ向きな事を考えている唯川は、それなりに舞い上がっていて、自分が朦朧とした中洩らした告白のような言葉など、すっかり記憶から抜け落ちてしまっていた。  唯川は気がつかない。  壱の視線が、ちらちらと自分に向いていることに。  少しだけ、壱の語尾が柔らかくなっていることに。  唯川が笑う度に、壱が一瞬息を飲むことに。 「具合悪くなったら、すぐに言ってね壱さん。おれが絶対なんとかするから」  そう言った唯川に対し、壱が頬を染めたような気がしたことも、気のせいだと思いこんだ。

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