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第14話

「絶対似合うから。大丈夫だから。壱さん黒のカーデとか持ってる? あ、持ってるならそれ合わせて、Uネックのティーシャツとかに合わせてもかわいいし、白黒に合うからさ。おれはたぶん黄色とか黄緑とかと合わせちゃうけど、ピンクって案外なんでもいけるから」  まるでショップ店員のような唯川の言葉に乗せられて、それじゃあまあ、と何枚か初めて買うような色の服を購入し、ショッピングモール地下の喫茶店に入った。  一階にあるカフェチェーン店とは違い、古びた店内には遅い昼食を取る女性が数人ちらほらと見えるだけだ。  冷静になると買ったは良いものの着方がわからず、一枚ずつ唯川に教えを請うてしまう。  確かに稀な外出だったし、この機会に夏服でも揃えた方がいいかもしれないとは思っていた。思っていたが、普段買わないような服を勧めてくる唯川に物怖じしていると、『じゃあおれが買ってプレゼントするから着て』と財布を取り出し始めたので、慌てて自分で買いますと押しとどめた。  冷たい珈琲を飲みながら、唯川のファッション講座をぼんやりと聞いた。  からりと音を立てる氷が、耳に涼しい。あまり冷房が効いてない店内は少しだけ暑い気がしたが、理由は冷房だけではない気がした。  もっと喫茶店が混んでいたらよかったのに。そうしたら、正面では無く隣に座る、壁際のカウンター席に座ったのに。  人混みが苦手で、ともすれば倒れてしまう可能性があるというのに、こんなことを壱が考えるのは珍しいどころか、初めてだ。  そういえば唯川と向かいあって座ったことはない。  サロンで会う時は、基本的に鏡越しでの対面となるし、今日はずっと隣を歩いていた。  落ちついて向かいの席に腰をおろして目の前に座る唯川と目があってから、ああ、この席は良くないと気がついた。  目が合う。向かいに居るのだから当たり前なのだが、視線を逸らそうにも不自然に思えて、結果唯川の飲むジンジャーティーを眺める格好になる。  それも、ちらちらと映り込む骨ばった指の長い手の所為で、どうにも心が落ち着かない。  見舞いに行った日から、壱はおかしくなってしまった。  ぼんやりと身体が熱く感じることが多く、熱かと思うが計ってみても微熱ですらない。それでも顔は火照り、思考がしゃっきりとしない。そんなときに考えているのはとろけるような唯川の笑顔と言葉で、心臓が煩くなりそうになるたびに、頭を振ってどうにかそれを追いだした。  すきなひと、という言葉が、呪いの様に壱に纏わりついた。  人間的に好きだから、という意味かと考え直してみたが、考えれば考える程よくわからなくなる。  唯川はゲイだっただろうか。しかし、付き合って来た女性、という表現をたまに使う。今は恋人はいないようだが、過去に居た恋人は女性だけだろうか。それとも、女性もいた、という意味なのだろうか。  また、よくわからないループに入りそうになり、慌てて冷たい珈琲を飲んで気分を切り変えようとした。少し濃い目の珈琲は、後味が濃厚で思っていたよりおいしい筈だけれど、感覚がマヒしているのかうまく味わえない。 「……どしたの、壱さん。疲れちゃった?」  急にぼんやりし始めた壱を心配してか、唯川が覗きこむように頬杖をつく。  その仕草が妙に格好良く見えて、自分の頭がいかに沸いているか実感した。……本当かどうかなんてわからないし、どういう意味かもわからない。それでも、すきだと言われたのは初めてだった。  唯川は風邪と熱で記憶が飛んでいるのか、自分の発言を覚えてはいないらしい。  ごく自然に接してくる唯川の態度に、やはり自分の勘違いか聞き間違いだろうか、と、最初は思ったものだが、よくよく観察しているうちに大変よろしくない確信を持ってしまった。  どうしよう。唯川は、本当に自分のことが好き、かもしれない。  それは時々ちらりと伺ってくる視線の熱さだとか。  その割に目が合うと少し赤くなって不自然に逸らす仕草だとか。  ところどころ甘く、口説くような柔らかさを含んだ言葉だとか。  気を付けて観察すれば、そこに隠れる下心は簡単に透けて見える。もしかしたら、友愛なのかもしれないが、何にしても自分が思っているよりも唯川は壱の事が好きだ。  楽しみすぎて全然寝れなかったんで寝不足なんですよーと笑う様には、思わず『かわいい』と口から出そうになって、慌てて飲んだ。慌てすぎて、俺もクローゼットの中の洋服と格闘して二時間悩みました、と言い損ねた。  まじまじ観察し、一週間唯川の事ばかり考えていた壱は、唯川がとても可愛い生き物だという事に気がついた。  かっこつけで、きちんとかっこいいのに、いざとなると慌てて全然駄目で、そういうところがとてもかわいい。年上の男に使う言葉でもないだろうが、他に表現方法がない。  そんな事を考えていた壱は、真面目に心配してくれる唯川に申し訳ないような気分になりつつも、心配して眉を寄せる時の顔も情けなくてかわいいと思ってしまう。 「ごめん、調子に乗って連れ回しすぎちゃった、かもしれない。壱さん熱っぽい感じだけど、大丈夫?」 「え。全然、心配ないですよ、本当に平気です。確かにちょっと久しぶりに、仕事以外でこんなに人がいっぱいいるとこに来てるけど。満員電車とかに比べたら、天国だし。唯川さんいるし。結構安心しきってます」 「まあうれしい。エスコート冥利に尽きるってもんですね」  軽口を返しながらも、視線を少し外して赤くなる唯川は、照れているのだろうとわかる。本当に顔に出やすいタイプだと思いながら、壱の方も何故か照れてしまった。 「でもあんま無理して木ノ瀬先生に怒られたら怖いしさ、ちょっと休んだら帰ろうかー。時間的にももうちょいしたら、会社帰りのOLさんがなだれ込んできそうだし」 「え、……あー、そう、ですね」 「あれ? 壱さん他に寄りたいとこあった?」 「いや、特にこれといってないんですけど。なんとなく、夕飯まで一緒かなーと思ってたんで、えーと。ちょっと、残念で。でもそうですよね、俺人混み駄目だしあんまり混雑し始めると身動きとれなくなるかもしれないし……唯川さん?」 「……………壱さんはー、あれだね? それ無意識なのがよくない。よくないよ。もう、たらしこみの天才か。だめだからね、他の女子とかに、夕飯まで一緒じゃなくて残念とか言ったら。あほは勘違いしますからね」 「――…あ。あー。ええと。あの、」  自分が何を言ったか、やっと理解した壱は、ぶわりと頬に熱が上がるのを感じたが、それ以上に顔を半分覆った唯川の方が真っ赤で、辛い。かわいい。 「ゆいかわ、さん?」 「もー……全然駄目じゃんおれ。普通に普通にって、ちょう心がけてるのに、浮かれちゃってアホだ。ていうかさ、あのー、もしかして壱さん、気が付いてる?」  何が、とは訊かなくてもわかる。  主語が無いのはいつものことだが、流石に恥ずかしくて言えないのだろうかと思うと、壱の動悸が増した。 「え。……えーと、……だって、この前自分で言ってた、ので」 「あれ夢じゃなかったのかよちくしょうおれのばか……!! なにそれおれが悪いじゃん!? あーあーもうーなんだよー……ええと、ごめんね壱さん、なんかもう、今日は付き合ってくれて本当にありがとうございますしかしながら壱さんがナチュラルに優しいので、もうあのー、チャンスあるとみなしてちょっと本気で迫っちゃうかもしれないけど、触ったりとかそういうのはしないから、安心して受け止め……いや、受け止めてくださいは厚かましいな。えーと、ほだされて? ください?」 「……それ受け止めるのよりランク上がってませんか。ていうか、あの、これ、もしかして告、」 「だめ! ちがう! はずかしい! 言っちゃだめ! いやそうなんですけど! もうなんか壱さんの全部がおれのツボなんですけど! でも壱さんぶっちゃけおれの事なんか考えてる場合じゃないの知ってるから、もうほんと気にしないでいいから……! スルー、そう、スルーしてください……っ」  声をひそめるようにして訴えてくる唯川は耳まで赤くて、壱の方がそわそわとしてしまう。  どうしていいかわからないのは、唯川がかわいいからだ。本当に気持ちがない人には、壱はしっかりと断ることができる。  少し薄くなったアイスコーヒーをずるずると飲み込んで、痒い様な、甘いような沈黙に耐える。  壱の性格を知っている唯川は、この沈黙をどうとらえたのか。暫くの後、『……壱さんのうちで夕飯食べってってもいい?』と小さな声で訊いてきて、思わずハイと答えてしまった。  この流れで、自宅に招くのは全てを了解しているとみなされるだろうか。しかし、唯川と一緒にいるのは楽しい。折角休みにしたのだから、どうせならゆっくりと話をしたい。まだ明るいうちに解散は、寂しい。  甘痒い空気をどうしたらいいものか。  恐らく唯川の方もそう思っているだろう。  気まずくはないけれど、とてもそわそわとする。落ちつかない。そんな二人の沈黙を破ったのは、聞き覚えのある、あまり嬉しくは無い女性の声だった。 「あれ? 唯川さん?」  唯川の名が呼ばれ、反射的に振りかえると、ぼんやりと見覚えがある女性が立っていた。二人連れの買い物の最中の様で、ショップのバッグを抱えきれない程下げている。  誰だろう、と考える前に嫌な気持ちが胃に充満する。ああそうか、飲み会の日に唯川の悪評を振りまいていた女だ。確か、ミズキという名前の。  そうわかると途端に壱の顔が曇り、名を呼ばれた唯川の方は営業用の笑顔を取りつくろった。 「わぁ、こんにちはー水城さん! また髪の毛延びましたね~ていうかそのアレンジいいですね! 僕もぜひ参考にしたいー。今日はお友達とお買いものですか?」  流石の接客業だ、と感心するとともに、友人では無いのか? と壱は内心首を傾げる。  居酒屋でミズキが喋っていた内容だと、まるで唯川の友人か元恋人のような言い草だった。壱の脳内変換だったのだろうか。いや、流石に知らない女性の言葉を勝手に悪解釈はしない、と思う。 「そうなんですよ~新しいショップがオープンしたんで、休んじゃった! 最近唯川さん居ない時間ばっかりだったから、本当お久しぶりですね! こんなとこで出会っちゃうとか、日ごろの行い良いのかな~あたし。唯川さんもお買いものですかぁ?」 「はい、ちょっと友人のお付き合いで。あ、そうだ、水城さんってあのー、大通りの会社ですよね? じゃあ壱さんも同じ会社?」  急に話を振られて、驚いて壱は唯川の目を直視してしまう。  ごく普通に疑問に思ったらしく、何の下心も伺えない。自分に訊かれたのだろうと思ったので、仕方なくそうですと答え、仕方なく会釈をすると、ミズキの方も飲み会の席でひたすら青い顔をしていた壱を思い出したのか、少々気まずそうに笑顔を返してきた。  一応、まずいことを喋っていた、という認識はあるらしい。 「でも部署が違うとまったく会わないし、うちは特に机作業なんで。朝から晩まで缶詰ですよ。部署の人間しか会わないんで、孤島って呼ばれてます」 「あー、会社ってフロア違うと別の世界だって言うよねぇ。電気屋もそれよく言われてるけど。世界って狭いねーお客さまと友達がおなじ会社って、びっくりしたよ」  あえて『ともだち』と『お客様』を強調しているのは、きっと意図的だろうと思う。  馴れ馴れしい女子に対してではなく、壱に対してのアピールに見えて、また少しかわいいと思ってしまうのでどうしようもない。  あまり壱と会社の話をしてほしくないのか、ミズキは少々焦ったような声で、会話を遮ってくる。 「あのっ、もし良かったらー夕飯御一緒しませんかー? あたしたち今、買いもの終わって、夕飯どうするーって話してたとこなんですよ~。ちょっと歩いたところに、おいしいイタリアンのお店があって、ワインとかも結構揃っててー、唯川さんお酒はワインがイイって言ってましたよね? どうかなーって思うんですけど」  いきなり夕食に誘われたことに驚いたのは壱だけではないらしく、後ろで手持無沙汰に控える連れの女性も目を点にしていた。  唯川は流石の笑顔で、今日はちょっと予定があるので、ごめんなさいと断っていたが。  それでもめげずに隣のテーブルから友人をほったらかして話かけてくるミズキから逃れるには席を立つしかなく、壱の珈琲が無くなったタイミングで唯川は帰りましょうかと促してきた。  その提案には壱も賛成だったので、軽い会釈だけして、さっさと会計に向かう唯川に着いていく。一応最後に『またお店でお待ちしてますね』と笑うのは素晴らしい。素晴らしいが、プライベートなのだからもうすこし迷惑なら迷惑だと意思表示してもいいのではないかと考え、壱はこれが嫉妬だと気がついた。  心なしか速足にショッピングモールを出る唯川の横に並び、つい、アノヒト苦手ですとこぼしてしまう。 「……珍しいね、壱さんがそういう事言うの」  少し人が多くなってきた街並みを歩きながら、唯川が首を傾げる。  大通りは会社帰りの人間が多いとの唯川の進言で、住宅街が連なる裏道を選んで歩いた。 「ていうか、この前アノヒト、唯川さんと親しいみたいなことを飲み会で言ってて、うっかり耳に挟んじゃったんですけど。……ただの、お客さんなんですか?」 「え、うん、そうだよ。ただの、あー……いや、ちょっとだけ面倒な感じだったから、一回自分はお客様とはお付き合いしないですよって釘刺したことあるけど、それがタイミング悪くちょっといらっいらしてる時でね。まあ、そんなのお客様には関係ないし、それに関しては完全におれが悪いんだけど。冷たく言っちゃったかもしれない。でもその後もめげずにアタックしてくるから、最近は担当外して貰ってるんだけどねー。で、なんで壱さんは水城さん苦手なの? 会社でなんかやらかしてるのあのこ」  歩きながら訊かれ、少しだけ口ごもる。  あまり楽しい話ではないし、告げ口の様で嫌だなと思ったが、結局口にしてしまった。 「いや……飲み会の時、唯川さんのそのー……悪口? っていうか、そんな感じのことを言ってて。結構嫌なことずっと言ってたから、今も思い出すとなんか、嫌な気持ちになるんですけど、でも唯川さんのこと好きなんですよね? 女の子の考えてることさっぱりわからないんですけど」 「あー。そうねー、ええと、多分自分以外へのけん制とか、あとは私はあの人のこと知ってますよアピールとか、いろいろあるんじゃないかなっていうのもあるけどそんなことより壱さんのそれ嫉妬かなって思っちゃうんですけど、夕飯どうしようかとかそんなの全部ぶっとんじゃうんで、帰ってから話題にしたら良かったねー」  言われて、やっぱりそう思うよなと反省しつつ、顔を伺うと、こっちみないでえっちと視線を外される。  あんなふうに、女子に恋される格好良い唯川が惚れているのは、やっぱり自分らしい。そう思うとあまり奇麗ではない優越感と、そしてどうしようもない熱さがぶり返した。  嬉しいと思う。素直に、好きになってもらえてうれしい。  今日一日とても楽しかったし、具合が悪くなることもなかった。何度か人とぶつかりそうになったが、気持ち悪いと思うよりも唯川の横顔を見ていた。  もう、素直に降参してもいいかもしれない。その先に何が待っているのかわからないし、どういう変化が自分に起こるかなんてわからないけれど。 「……嫉妬です、たぶん。唯川さん、あの子に笑いかけるのやめたらいいのにって思ったから」  素直にそう言うと、唯川の歩みが止まった。  顔を上げるのが怖くて、靴の先だけ見てしまう。言ってからどきどきと心臓が煩くなり、もうすこし言い方があったんではないかとか、それこそ家に帰ってからでよかったとか、よくわからない後悔ばかりが襲った。  急に腕の裾を掴まれて、引っ張られ、近場の事務所の様なビルの路地に連れ込まれた。  狭い。近い。唯川が近い。  それなのに、吐き気よりも動悸が激しい。  壁に押し付けられ覆いかぶさるように、唯川の両手に頭を挟まれた。  真っ赤な顔がすぐそばにある。触れそうで触れない距離にどうしていいかわからず視線をうろうろさせていると、泣きそうな声と深呼吸が降って来た。  甘い声が震えている。 「……どうしよう。壱さんが好きです。すんごい好きです。好きすぎて、もう、ぎゅって抱きしめて、めちゃくちゃにきすしたいんです。顔見てるだけでも嬉しいし、声こえきいてるだけでも楽しいけど。でもおれ、どうしよう、触りたい。――…でも、触れない」  好きだから、触れません。  あんなに髪の毛に触りたいと喚いていた男の狂おしい声に、壱はめまいがしそうだった。  好きという感情は、こんなに愛おしくて、かわいいものだったのか。  求める感情は、こんなにまっすぐで、嬉しいものだったのか。 (……気持ち悪くなんかない。ぜんぜん、ない)  覆いかぶさる男の体温は、直接触れずとも熱く、壱の体温を上げた。

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