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第13話
「海道猛、二十八歳。壱条会所属、トキワ金融社員。主な仕事は取り立てとみかじめの徴収。現在都内に一人暮らし。こちらが、今回我々が問題としているモグリの金貸しである三宮と関わりが深いと思われている人物です」
滔々と響く男の声を聞きながら、千春は冷たい手を膝の上で握っていた。
肌寒い室内はシックな色合いで、想像上のヤクザの事務所よりも相当シンプルだった。
硝子テーブルもなければ、皮張りのソファーもない。その代わりにモダンなパーテンションで仕切られた空間には、デザイナー製と思われる椅子とテーブルが配置されていた。
女性モデルと共にインテリア雑誌に載っていそうなその一人掛けのソファーに腰を下ろした男は、酷く潰れた大声で『城内の趣味でなぁ、酷くハイカラに改造されたんですわ』と挨拶もそこそこに向かいの椅子をすすめたものだった。
がっしりとした大柄な体躯に、いかにもという柄のスーツを引っかけていた。その剣呑な視線は千春と轟を一瞥した後も綻ぶ事はなく、口元は笑ってはいるが、決して顔は笑ってはいない。
左目の端には刃物の傷跡のようなものが残っていた。
正和会吾妻組の本部事務所は非常にイメージと違ったが、その主である組長、吾妻本人は絵に描いたようなヤクザ然とした人物だった。
「三宮に関しては情報が不確定です。どうやら壱条の構成員ではないらしいのですが、だからと言って他の組織の下っ端というわけでもない。比較的可能性が高いのは、何か馬鹿をやらかして大金をちょろまかしてその金でわけもわからず阿呆な商売を始めたチンピラ、と言ったとろこでしょうか。三宮を匿っているのは海道で間違いがないでしょう」
傍らで手元の資料を読み上げる男は、城内と紹介された。
低く落ち着いた声の、眼鏡を掛けた男だ。
「ほーう。随分と馬鹿やらかしてんなァ。オレァ頭わりーけどよぉ、流石にそんな馬鹿したらどっかの組に締められるんじゃねぇかってことくらいは、想像つくもんだけどなァ」
「……三宮に関しては裏社会を理解していない可能性もありますが、海道猛は確かに、馬鹿としか言いようがありませんね。壱条会所属でもない三宮に手を貸す理由もわかりませんでしたが……成程、ツバメキャッシングさんが目的だとすれば、なんとなく辻褄は合います。ただ、馬鹿な事には変わりない」
テーブルの横に立ち、淡々と事実確認をしていく城内と、口をはさむ吾妻の会話を聞きながら、千春は目の前に出された珈琲を睨むことしかできなかった。
緊張していないと言えばうそになる。ヤクザというものは映画や小説でしか知らない。そんな知識しかない状態で、事務所に乗り込み対面しているという事実には得体のしれない恐怖が付きまとう。
けれど今はそれよりも、ハイエンの行方の方が千春を不安にさせていた。
轟の運転する車に乗り込み、この事務所につくまでに海道猛という人物についての説明を受けた。そして、ハイエンがどんな環境で生きてきたかということも知った。
本人はもう気にしていないし、隠しているわけではなくて言う必要もない話だったのだろう、と轟は言うが、それにしてもとんでもない話だった。
なんと言っていいのかわからずに、頭の中を整理しているうちに、轟の車は吾妻組の事務所についた。
警察よりも話が早いところに行く。
そう、轟が言った場所だった。
「拉致されたのは海道陣さん、二十四歳。ツバメキャッシング社員で自宅も同住所です。父親は海道庄治、五十七歳。庄治はそれぞれ別の女に三人の子を産ませています。長男、勝。次男、猛。そして三男が陣さんですね。すべて異母兄弟ですが確実に庄治の血をひいています。それぞれ庄治と一緒に暮らしていた時期は被りませんが、日常的に庄治による暴力を受けていたようです」
「その庄治は死んだんか?」
「いえ、健在です。ただ、十年前に自己破産をしていますね。その際に庄治と同居していた陣さんは、こちらの轟さんに引き取られています。轟さんと庄治さんは兄弟ですが、姓が違うのは両親の離婚が原因ですね」
「はーまたどえらい身内モメじゃねーか。じゃあアンタ、甥っ子を甥っ子に拉致られたわけか。ふはははとんでもねぇキチガイ一家だわ!」
「……全くその通りです。海道の人間が、ご迷惑をかけてしまい、大変申し訳ないことです」
項垂れる轟の前で、尊大な態度の吾妻は頭を上げろと笑う。
ハイエンが轟の甥だったことは知っていたが、ハイエンの兄の猛もまた甥となるという簡単な事実に千春は今の今まで気が付かず、吾妻の指摘で血が引く思いをした。
血縁関係の者が、シマを荒らして勝手に金もうけをし、その上揉め事を起こしている。この責任全部を轟が取れ、と、脅される可能性は無いのか。
いまどき指を詰めるなどという行為が存在するのかわからないが、けじめをつけるという言葉はまだ、根づいていそうな雰囲気だ。
うなだれた顔をあげる轟は、いつもと変わらず酷く感情が読み取れない。けれど、その硬い表情には決意のようなものが見てとれるように思えた。
助けに行くぞ。そう言った声を思い出す。
決意に満ちた声だった。そこには恐怖も不安もあったが、そんなものよりも大きな感情が強く表れていた。
誰が何と言おうと、何が起きようとハイエンを助ける。
そう思ったのは、轟だけではない。
「ウチの組ァな、ふるーい血縁相続ってやつをあんま信じちゃねーんだよ。だからアンタはただの轟サンだし、拉致られちまった、あー……なんだっけ? 陣? も、まあ、血縁だなんだって尻ぬぐいさせる気はねぇよ。つーか、轟サンはよ、なんで陣だけを助けたんだよ」
「……勝も、猛も、一度は預かり育てようとしました。けれど、毎回アイツ等は兄のところに戻っていく。殴られて、殴らないと、生きている感じがしないなんて、十五のガキが言う」
轟の膝の上の拳に、ぐっと力が入るのが見てとれた。
轟は、助けようとした。けれどその行為は、結局徒労に終わってしまった。
「そのうち二人とも傷害でつかまって院に入っちまいやがった。その後は行方不明で、猛だけは数年前から陣の近くをうろつきだした。……私が、きちんと手を掴んでいられたのは陣だけでした」
「手を差し出すのが遅かったってェことか。まー、アンタにもアンタの人生があるからなァ。そらしゃーねぇことだわ。身内の子供の世話が人生の最優先だなんて言いやがる奴は、狂ってるとしか思えねえ。アンタ、自分の子供はいねーのか? そのイケメンのおにーちゃんは息子じゃねーだろう」
「居ません。一度、結婚の経験はありますが三年で別れました。私に、生殖能力がなかったのが原因です」
これも車中で千春が聞かされた事だった。
轟は、無精子症だった。その為子供を欲しがった妻と話し合ったが、一時預かった勝の横暴さに辟易していた妻は、養子を拒み轟と別れた。
業だよ、と、轟は言った。
海道の血筋が子を成せないように、自分はその能力を持たず生まれ、そしてハイエンもまた異性に興味を抱かない人間に育った。
業じゃなけりゃ神さまの優しさだと自嘲する轟に千春は言葉を失うことしかできなかったが、目の前の豪快なヤクザは、一度間を置いてから腹から声を出し、笑った。
「ふははは成程! ならアンタ等は海道家の敵って事だなァ! 弟は姓が変わった上にタネもねぇ。そんで末っ子はホモか! こらァ傑作だ! 祟りか呪いかって疑う話だわ、うははははは!」
「……親父、流石に失礼では……」
「だってよォ、こんな運命があるかってんだ! マトモな弟は子孫が残せねえ。キチガイなアニキはやりたい放題産ませたい放題だ。オマケにその縁は子供にも伝染してるときやがる。こらぁ久しぶりに熱い話じゃねぇか! 不憫な弟連中に、オレ達以外の誰が手ぇ貸してやるってんだ!」
諌める城内をものともせずに、吾妻はパン、と膝を叩き唾を飛ばして声を張り上げた。
その内容は確かに、褒めているのかけなしているのかわからないものだったが、千春も轟もそんなことに目くじらを立てている場合ではなかった。
吾妻組に轟は情報をすべて渡した。
後は、彼らが動いてくれるのならば、ハイエンを見つけ出すことも不可能ではない筈だ。
しかしここで、吾妻は芝居がかった仕草で渋い顔を見せた。
「ただなぁ、おもしれー話だがウチに利益が無ェな。揉め事はつぶしてーが、それなら猛と三宮をとっ捕まえるだけでいい。人質奪還しつつってなると面倒だ。……かといって堅気から金を巻き上げる程枯渇しちゃいねぇ。おねーちゃんの一人でも連れてきてりゃぁ、清く正しく夜伽でもさせたんだがなァ……」
ちらり、と、千春を眺めて唸る様に、息が止まる。
この発言に動揺したのは城内だったらしく、慌てて吾妻に耳打ちをした。
「……親父。女遊びは暫く控えると、姐さんに宣言したばかりでは」
「んなもん律儀に守ってられっかよ。まぁしかし、残念ながら俺ァ男色の気は無ぇしな。しかしイケメンじゃねーかよおにーちゃん、なぁ? ああそうだ、最近はほれ、男が男に掘られるAVも随分と需要あるようじゃねーか。どうだ城内、このおにーちゃんなら文句なく売れる気がしねーか」
「…………まぁ、実際姐さんからそっちの仕事もほのめかされていますが……しかし、素人さんを巻き込むのは……」
「スカウトと同じじゃねーか。そこらへん歩いてる別嬪にちょっと脱いでお金もらいませんかってな、声かけんのと一緒だわ。どうだいおにーちゃん、ちょっくら俺らが協力する代わりに、ホモビデオに出てくれんか」
にやにやとした笑いを浮かべる吾妻の問いに、千春は即答ともいえる早さで口を動かした。
「出ます」
「………………は?」
迷いの無い千春の言葉に、その場に居た全員があっけにとられた。
その空気にも負けることなく、千春はすっかり冷たくなった両手を握り締め、まっすぐに吾妻を見た。
「おれに出来る事があるならなんでもします。だから、ハイエンを助ける手伝いを、お願いします」
「……深川さんでしたね。親父はこの通り、思いつきをすぐ口に出しますが、どれもこれも冗談ではなく本気ですよ」
見かねたように城内が前に出た。
「すぐに日程を取りつけて撮影をし始めるかもしれない。アダルトビデオというものは、ただ一回行為が終わればそれで終わりというわけではありません。そしてそれが、商品として出回る」
「知ってます。詳しくはないですが、なんとなく想像はできますし、覚悟もしています。おれが誰かとセックスしてハイエンの命が助かる可能性が増えるなら、何だって構いません」
「口約束も契約になる」
「逃げません。何なら、おれはこのままここに残っても良いです。……その代わり、ハイエンを……陣を、探してください」
声は震えていたかもしれない。
祈るように頭を下げたまま、目をつぶり、深く息を吐いた。
不安と恐怖でわけがわからなくなりそうだった。それでも、千春が最後まで言葉を紡ぎ意思を通せたのは、理不尽に攫われ、今は生きているのかもわからないハイエンの為だった。
轟も城内も、そしてヤクザの組長である吾妻ですらも口をそろえて、猛は狂気に満ちた男だと言う。
そんな男が、一番憎しみを向ける人物が、ハイエンなのだと言う。そして猛は、ついにハイエンを手に入れた。
暴力、ときいても、千春はうまく想像できない。
殴る蹴るという安易な行動だけではきっと済まされない筈だ。
今、ハイエンが何をされているのか。千春の想像もできない程の苦痛を与えられているのかもしれない。それを考える度に、息が詰まるような感覚に陥る。
ハイエンに出会って、まだ一カ月も経っていない。
台風のような男だった。その不思議な響きの呼び名も、台風の名前だという。めまぐるしく動くし喋るし否応なしに空気や感情をかき混ぜる。そのくせ、甘い言葉をうまく言えなかったり照れて言葉が詰まったりする。そんなかわいすぎる一面は、更に千春の感情を引っ掻き回した。
感情や状況に流されていると思う。自分は本来蚊帳の外の人物だという自覚もある。
それでも千春は、黙って見ているだけなんてできない。
彼は千春にとって、必要な人間だった。
頭を上げろ、と声を掛けたのは、城内ではなく吾妻だ。そしてその声は、情けなく降参の色合いを滲ませていた。
「あーあーもう、わかったわかった。アレか、おにーちゃんは末っ子にお熱ってわけか、ちくしょう若けぇっつーのはたまんねーな! こんなまっすぐな純愛男傷モンにしたら、助けだした海道の末っ子にすぐに刺されちまう。今のは無かった事にしてくれ、俺が調子に乗った」
「……じゃあ……」
「おう。猛と三宮をとっ捕まえる。ついでに末っ子を助け出す手助けもしようじゃねーか。代金なんざいらねーわ。アンタ等が、その身一つでウチに乗り込んできたその肝っ玉が気に入った!」
にやり、笑った吾妻の厳つい顔が、ひどく心強く思えそしてささやかな安堵から、轟と千春は同時にもう一度、吾妻に向かって頭を下げた。
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