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あめがふるのではるあらし 02

【あまつゆにぬれてためいきもくようび】  雨の日に外出するのは嫌いだ。  好きだという大人は居るのだろうか。雨にぬれて遊ぶ子供ならまだしも、社会人にもなれば雨など通勤通学、そして仕事の邪魔以外の何物でもないだろう。  部屋の中で鬱々と雨音を聞きながら読書をすることは嫌いではないけれど。生憎と今は部屋の中ではないし、慣れ親しんだ繁華街ですらない。  海を越えてはるばるやってきた沖縄の地で、海燕は湿った大気に溜息を零した。  一生分のため息をついていると思う。  そもそもこの旅が決まってからずっと憂鬱ではあったが、実際に飛行機に乗ってからその気分は倍増し、飛行機を降りてレンタカーで目的の家に着いた時は憂鬱過ぎて吐きそうだった。  その上たった二日の滞在で精神力も削られている。  客間を用意している、という件の渡名喜家の好意を丁重に断り、海燕は吾妻組の一行と共に民宿に泊まっていた。最寄りにビジネスホテルが無かった為仕方ない。  葬儀は着いた日の翌日に終わった。後はきっちり親戚ではない旨を説明し、父は死に、そして渡名喜家と自分は血のつながりも無い事を説明して帰路につく筈だった。  面倒な遺言と相続の話が無ければ、である。 「……溜息をつくと幸せが逃げるという方が居ますが。うちは寿命が縮むと教わりましたね」  傘を打つ雨音の合間に聞こえたのは、隣を歩く男の声だ。  吾妻組から何人か同行する、と聞いた時は顔見知りの人の方がありがたいなぁとふんわりと思ったものだが、いざ空港のゲートに向かって城内が歩きだした時は思わず『え、城内さんが行くんです!?』と慌ててしまった。  舎弟達の見送りに来ているかもしくは暇なのか、と思っていた。舎弟頭自ら沖縄に飛ぶような用事でもない筈だ。それを飛行機内で問うと、沖縄に仕事の用事があるのでついでだと言われた。  城内の同行は比較的心強かったがしかし、腹を割って弱音を吐ける相手かと言えばそうでもない。彼はそもそも、住む世界が違いすぎる。  作り飽きた苦笑いを浮かべ、べたべたと身体にまとわりつくような雨の匂いを振り払うように声を張った。  カラ元気で生きてきた海燕も、流石に頭が痛すぎて笑顔が枯れそうだ。溜息くらいは吐かせてほしい。 「寿命とかなんですかそれこっわいですねぇ。そんな恐ろしいルール適用されたらボク沖縄に来てから何年寿命縮んでるんでしょうねって話ですよー。沖縄怖いですね。夏の海のイメージでね、いつか行きたい土地ナンバー2くらいだったんですけどねぇ、渡名喜一族様のお陰さまでもう一生関わりたくない場所ぶっちぎり一位獲得しそうです。いやぁ、沖縄怖い。あと死人の遺書も怖い。他人の思考回路って奴はほんと謎ですねぇ」  もう陽が暮れそうな薄暗い道を、民宿まで歩く間、何度溜息をついたかわからない。今日も面倒な話を聞き、自分なりに言葉を尽くしたがうまく話がまとまらず、心が折れて渡名喜家を出てきたところだった。  毎度車内で待機してくれる吾妻組の面々にすら泣きごとを洩らしそうになる。意思と言葉が通じない人間というものに散々悩まされてきたが、それが遠縁とはいえ親族となるともう、知らぬ存ぜぬで笑って流すこともできない。  頭が痛いのは雨のせいではないだろう。 「まあ、公正証書遺言だったのがせめてもの救いでしょう。検認の手間が無い。また後日改めて来てくださいなどと言われても困りますからね」 「そらそうですけどー……さくさくお手続きしてくださってありがたいですけどねぇ、もうその調子でさくっと諦めてほしいわけですよ。だからボクは猛さんの居場所なんぞ知らないと言っているのにそれじゃ困るの一点張りですものー。困ってるのはこっちの方ですって話ですよ何なんですかあの人たちアレですかもしかして日本語御存じないんじゃないですかね。似たような別の言葉なんじゃないですかね。最高に帰りたい」 「勝手に帰っても問題は無いとは思いますが、追いかけてきそうな勢いではありますね」 「事務所移動して逃げるしかないですねぇアハハ面倒くさい! うちも流石にそこまでやりたくないです。これはもう正々堂々警察に捜索願を出して本当に知らないんだよアピールしたいところですけどそういやうちの親父の死体適当に埋めちゃったんですよねぇ。うーんどうしよう」  海燕が拉致された一連の事件を解決したのは警察ではなく吾妻組だった。その為全ての物事が、警察を抜きにして処理されている。今更警察に頼ることはできない。  しかし海燕を取り囲む猛の母親の親族を納得させるには、もう何を提示したらいいのかわからない。  そもそも葬式に出るだけとの事だったのに。遺言書があるならあるで知らせてほしかったし、そこに自分の名前があるなら尚のこと事前に連絡してほしかった。  きちんとした手段で書かれた遺言書はきちんとした手続きの元、家庭裁判所で開封された。そしてそこには財産のほとんどすべてを海道三兄弟に譲るというとんでもない事が書いてあったのだ。 「まさか猛さんの母君があんなクソ息子と記憶にも怪しい異母兄弟に慈悲深い遺言を残してるなんて、想像外過ぎて対策が全く思い浮かびませんー」  素直に感情を吐露すれば、城内の苦笑の気配が伝わってくる。声も気配も、雨の音に掠れて少し、希薄だ。 「仰る通りで。長兄の居場所もわからないわけでしょう」 「ハァ、全くもってわかりません。想像もつきません。そんなわけで相続破棄届けを出せと言われてもボク個人の分しか御用意できないですし、連絡することもできないわけです。この簡単なお話がどうもうまいこと伝わらない。困る困るって困ってばかりいてもーもー、ほんと、危うく久しぶりに切れてしまうところでした」  それでも海燕は我慢した。  こんなところで真面目に怒ったところで、何の解決にもならないと知っていた。感情的になった方の分が悪いことを承知している。揉めやすい『金』というものを商売道具にしているせいか、無駄に人間関係の修羅場は潜り慣れていた。  遺言書が見つかった場合、その指定された相続人が例え他人だろうが、何よりも遺言が優先される。そしてその相続の手続きも破棄の手続きも、勿論相続に指定された本人の承諾が必要だ。  死んでいたならまだ話は楽だった。しかし、猛も勝も現状行方不明という扱いだ。  遺言の相続人に行方不明者が居る場合は、手を尽くして探さなければならない。その上でどうしても見つからなければ、不在者財産管理人選任の手続きをして財産を管理するか、失踪宣告を受けて死亡扱いにしなければならない。  借金を抱えたまま死亡してしまう顧客が居ないわけではない。轟程ではないが、海燕もこのくらいの知識はある。  ただ、不在者財産管理人選任にも裁判所の手続きが必要であるし、失踪宣告に至っては消息不明になってから七年の時間経過が必要である。 「どうも、ボクが海道の人間っていうのがよろしくないっぽいんですよねぇ。特に故人の御両親には素晴らしく信用されてないような節がある。猛さんのお母さんがどんな紆余曲折人生がけっぷち生き抜いてきたのかなんて知らないですけど、まあ、幸せな人生ですって感じはしなかったですし。じゃあもう遺産相続破棄の書類だけ送ってくださいよ~って話なんですけど~」 「仮にも義理の孫ですからね。一度会ってみたかったというのもあるんじゃないですか?」 「ノーセンキューですよ、ボクの身内は怖い顔のシャッチョーと春さんだけで十分です。あとはおトメさんとリリカ嬢くらいなら認めますけどねー」 「ああ、空港に来ていた方ですね。あの、背の高い女性の方は?」 「背の高い? あ、マキさんですかね。マキさんアレ絶対運転手にされてましたね可哀想ったらないですねーどちらも懇意のキャバ嬢さんですよ。別にボク個人的に遊んだりしませんけれども。え、マキさんがどうかいたしました? 何かトラブルです?」 「ああ、いえ、特にそう言うことでは。初見の女性にきちんとした挨拶をされたのは、久方ぶりでしたから、印象に残っておりまして」  そう言えば空港に見送りに来たリリカが海燕に向かって騒いでいる間、マキは吾妻組の面々に海燕をよろしくお願いしますと頭を下げていたように思う。  リリカは年の近い姉のような感覚だが、マキはどうも親戚のお姉さんというか、落ち着いた母親感がある。海燕と同い年とは思えない。  言われて想像してみたが、確かに見るからに極道そのものと言った風貌の城内に初対面で物おじしない女というものは稀かもしれない。慣れた風俗嬢と言った風でもないマキの存在は、インパクトがあったのかもしれないが、流石の海燕も傘をたたみながら首を傾げた。 「あれ。もしかしてマキさんにご興味ある感じです?」  普段なら城内相手にここまで踏み込んだりはしない。  しかし長旅を一緒にこなし、更に他に喋る人間も少ない為、ここ最近少し気安く話かけるようになっていた。  思っていたよりも城内は人間と喋る事が嫌いではないらしい、ということにも気がついた。海燕のようにひたすら言葉を連ねたりはしないが、レスポンスは真面目で、時折洒落が効いた言葉も混じる。会話をしていてつまらない相手ではない。  その城内は、珍しく言葉に詰まった後に、スーツの雨を払いながら苦笑した。 「極道に見染められても迷惑なだけでしょう。今は所帯を持つ奴も増えては居ますが……まあ、私も肩書だけなら専務ですがね」 「それは肯定?」 「……さあ、どうでしょう。非常に好ましい女性でしたがね。挨拶ひとつで落とされたとあっちゃあ、親父の酒のつまみのネタにしかならない」 「アハハ、妙で素晴らしい例えですねぇ。でもまあ人生なにが起こるかわかりませんからねぇ。いきなり会ったことあるのかわからないような異母から遺産の遺言残されたり。監禁暴行事件の被害者になったり。人生の伴侶かもなんていう素晴らしい人間にうっかり出会ったりもするわけですし」 「のろけですか?」 「ですねぇ。ここんとこ春さんの声聞いて無くてもうもう、吐きだし口がないんですよぅ。これでも自重しているんですよーどうぞさらりとゆるしてください。その代わりマキさんの差しさわりないエピソードは御提供しましょう。あの人案外伝説ありますからねぇ、年に一回は必ず電柱にぶつかるとか」 「……結構です、と言いたいところだったんですが。それは非常に気になりますね」  では、晩酌の際にでも、と静かに笑われて、この無駄な旅もほんの少しくらいは無駄ではなかったのかなぁどうかなぁと、海燕も少し笑う余裕が出来た。  一人で来なくて良かった。そんなことをしたら、今頃耐えきれなくなって帰りの飛行機に乗っていた。  最終的にもうどうしようもないと判断したら親類など振りきって帰るつもりではいるが、とりあえずはまだ頑張れそうだ。  週末には帰りたい。冬の沖縄は想像以上に天候が悪く、東京に居るのと変わらない程空はどんよりとしているし、笑える程毎日雨だ。  全く楽しくない旅行だ。帰って千春にだらだらと愚痴を言いたい。ついでに少しだけ面白い話として、城内とマキの話も付け加えたい。  すっかり濡れてしまった靴下を脱いで、雨の日でもきっと春さんと一緒なら楽しいのになァ、と、根拠のない感想を持った。  宿の中も雨の匂いがする。  嫌いではないけれど、憂鬱な時に降る雨はやはり、溜息の元となった。 (春さんに会いたいなァ)  数日も我慢できない自分はやはり子供だ。  ふんわり微笑む恋人を想い浮かべ、吐いた息は雨の音に溶けるように消えた。

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