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あめがふるのではるあらし03
【あめがふるのでふたりきり】
一週間ぶりの恋人は、ひどく疲れた顔をしていたが五体満足だった。
いつ帰ってくるのかイマイチ時間がはっきりせず、飛行機の時間もあやふやで結局空港まで迎えにも行けず、その上吾妻組の事務所で組長に捕まって若干お茶に付き合わされたという海燕がツバメキャッシングの上の階の自室に帰って来たのは、夜九時のことだった。
仕事を終えた後に夕飯の用意をすればそのくらいの時間になるが、生憎と日曜日だった。夕方からそわそわと待っていた千春は日が暮れたあたりで疲れはじめ、気が付いたらうたた寝をしていた。
階段を駆け上がり鍵を開ける音で目が覚めた。微妙に寝てしまったせいでぼんやりとした頭痛を覚える。空腹は消えて、少し胃も痛い。最近適当な食事しかしていなかったせいかもしれない。
外は今日も雨で、聞きなれた雨音が暗い部屋に響く。
頭を起こして電気をつける前に、急に明るくなった室内に驚き反射的に目を閉じ、次は急に抱きつかれて変な声が出そうになった。
「ちょ、はいえん、痛……っ、もう、ちょっと、落ち着いて……」
「落ち着いてられませんよただいまです……! あーもうしんどかったその一言に尽きます! お待たせしましたすいませんなんか途中でメールとか電話とか出来る雰囲気じゃなくてほんっとすいませんでした春さんご飯食べました? おなか空いてない? なんだかキッチンに色々あったけれどまさかご飯食べてない?」
懐かしい声と流れるように連ねられる言葉の早さが心地よく、あー本物だ、と思ったら空腹などよくわからなくなった。
ほんの少し力を緩めてくれた隙に、千春もぎゅっと抱きしめる。少し甘えるように額をすり寄せてしまったが、誰が見ているわけでもないし別にいいだろう。
べたべたな仕草が好きなわかりやすい恋人は、やはりたまらないようで、ぐっと息を飲んでいた。
「……おかえり。無事そうで良かった。大丈夫だとは思ったけど、ちょっとだけ本当に怪我とかないかなって心配してた。なんか海燕って、打撲とか殴られたくらいなら『平気』っていう分類しそうだから」
「わぁー反論できませんねぇ多分そうでしょうねー。まあでも今回は吾妻組さんが御同行してくださいましたし、精神的疲労は人生トップ5に入りそうな勢いでしたが身体は問題ないですね。あ、でもボクどうも沖縄のご飯が合わなくてですねぇーこう、いまいち食生活がアレだったかもしれません。最終的に米と漬物のみ食べてましたんで。あ、サーターアンダギーはおいしかったです思わずお土産に買ってしまいました」
「あー……海燕、寒天系とかとろみ系とか苦手だもんなー……好きな人は好きだっていうけどね。おつかれさま。おれはあんまり腹減って無いけど、海燕ご飯食べる?」
「うーん三時くらいに微妙にラーメンぶちこんじゃったんですけど。でも春さんがご飯食べるなら御一緒します。あれ、鍋の具でしょ? 寒い夜に二人で鍋、素敵ですねー最高です。今日からまた春さんのご飯が食べられると思ったらもー、一週間の苛々もどうにか帳消しにできそうです!」
親類関係の用事だったこともあり、海燕の精神的な疲労も心配していた千春だったが、やはりかなり疲れているらしい。
ベッドの上の千春をぎゅうぎゅうと抱きしめたまま、何度か深呼吸する様が愛おしくて、自然と頬が緩んだ。わかりやすく好きだという感情を表現してくれる海燕が、とても愛おしい。
「……鍋作りたいけど。どうしよう、こっから動きたくない」
「え。眠いです? 具合悪いです?」
「違う。海燕ともうちょっとこのまま、あーっとその、……ぎゅってしてたい」
たった一週間で随分と寂しくなった。その感情を消すように、ぶわりと溢れる温かさを噛みしめるように首筋に頬をすり寄せる。熱くなった耳がかわいくて、体温が尚上がる。
「…………あー、もう。春さんがそんな可愛らしいこと言うから。危うくご飯じゃなくて春さんが食べたいだなんてベタベタな台詞を言うところでしたよ」
「言ってもいいけど。でもおれ、海燕に口説かれるならベタな台詞サラっと言われるより、もーもーってもだもだしてくれた方がグッとくる」
「ちょっと駄目なボクがお好き?」
「かっこつけてるのも、ちょっと駄目なのも、全部好きだけど。若さ暴走してんのも、結構かわいいよ」
「……暴走していいならしますけどね。そういう甘いこと言ってると調子に乗りますからね、本当にね。今すぐそのお洋服はぎ取りたいおみだらな欲求と戦ってる駄目な男なんですからねボク」
「…………お風呂はいってこよっか?」
「ごはんは?」
「サーターアンダギー食べれば夜中くらいまでなら持つんじゃないかなって思うけど」
鍋は明日の夜にしたらいい。鳥団子は煮つけてもいいし、白菜は炒め物にしてもいい。野菜も肉もどうにでもなるけれど、今溢れる感情は明日に持ち越せないものだ。
たくさん話も聞きたい。結局何があって、どう解決したのか、千春は知らない。けれどそれ以上に、海燕の体温を感じていたかった。
「あー……帰宅早々一週間ぶりの春さんがだだ甘すぎてボクはもうだめかもしれないです……なんなんですかもーかわいい通り越して魔性ですよ。弁解しておきますけどボク本当にそこまで即物的というかエッチしないと死ぬみたいなアホでもないですからね? 春さん相手だからこんなに好き好きどうしようもうずっと触ってたいみたいになるんですからね? もーぜんっぜん説得力ないけど」
「知ってるって。おれもそうだもん。別に、まあ、その、……嫌いじゃないけど一緒にご飯食べてだらだら喋るとかのほうが好きだなって、思ってたし。でも駄目なんだよなぁ海燕と居ると、なんかこう、好き好き大好きってでろでろに求められるのちょっとよくない、癖になる……」
「わぁー耳が幸せですね。そんなこと言ってくれるの春さんだけですよー。大した恋愛履歴もないですけど。そんなわけでこの手を離して春さんをお風呂に押し込みたいわけですがなかなか身体が言う事を聞いてくれませんね。あー。春さんかわいい。大好きです。寒いし寂しいし冬はもう遠出しません」
それは千春も同じ気持ちだった。
そうだねと同意して微笑んで、頬にキスを落としてでもえっちしたいからとりあえず離してと囁くと、かわいい年下男子は両手で顔を覆ってしまう。やりすぎなくらいがちょうどいい、ということを、この数カ月できちんと学んだ。
恥ずかしいけれど、言葉というのは大切だ。少しくらいやり過ぎても、誰が見ているわけでもない。
雨の音が響く部屋には、海燕と、そして千春の二人しかいない。
それでも恥ずかしいものは恥ずかしいので、海燕の方は見ずにバスルームへ逃げた。無理矢理改装したにしては広く奇麗な浴室で、千春がこの部屋を気に入っている要因の一つだ。
たまに湯を張って二人で入るのも好きだけれど、今日はそれどころではないのでシャワーを捻った。
さっくりと準備を終わらせて、最後に浴室を少し石鹸で洗ってから身体を拭いてベッドに戻る。どうせ脱ぐからと思ってタオル一枚で戻ったけれど、流石に寒くて布団の中に潜ってしまった。
荷物の整理をしていたらしい海燕が、布団に包まった千春を見て笑う。少し疲れた笑顔だったが、本当に元気そうで安心した。
「春さんって猫みたいですよねぇ。すごくかわいい。とか言うとリリカ嬢とかにのろけ乙されるんですよね~まあのろけなんですけどね~」
「……さむいんだよ。海燕風呂入る? おれは別に、そのままでもいいけど」
「んー。大して動いてないですし、春さんが平気なら今すぐ温めて差し上げましょう状態になりますけど」
「あ、服脱がしたい。ちょっとこっちきてよ」
「え、やですよ。自分で脱ぎますよ」
「なんでだよ。自分はおれの服嬉しそうにはぎ取るくせに」
「だってうれしいですもん。はいはい良いからちょっとそっち寄ってください。スタンドつけてくださるとありがたいです。それとも明るい中で致します?」
「……スタンドつけるからちょっとまって」
別に、今更恥ずかしいも何もないのだけれど。薄暗くなった部屋のベッドの上で布団をはぎ取られ押し倒されてキスをされて、興奮よりも安心感が強い事にほんの少し笑ってしまった。
「……なに?」
「んー……なんか、エッチしましょうっていうどきどきより、海燕帰ってきてくれてうれしいなーみたいな幸福感? の方が、強くて」
「あらら。それはそれでうれしいですけれども。……じゃあ、えっちな気分になるように頑張っちゃいましょうか」
「え、いや、あの、普通で。普通でいい、っ、ぁ……ばっか、ちょ、普通がいい……っ」
「無理。今日のボク最高に我儘ですから。もーだめ。ふんわりかわいい春さんも大好きですけど、とろっとろの顔でだめになっちゃって気持ちいいことで頭がいっぱいになってる春さんを肉体的にも精神的にもどろっどろに攻めたい。もうだめって縋られたいしやだって怒られたい」
「なにそれどMなのかどSなのかどっちかにし、っ……ぁ、あ……」
「乳首、最近良くなってきました? 前はそうでもなかったですよね。中はそのー、先人様の殺意沸くほどの努力で随分とよろしい感じでしたけど。じゃあもうボクは乳首開発するしかないですよねー」
「ん……じんじんする、けど、おれ、乳首じゃイケない……むり、ぜったいむり」
「やってみないとわっからないじゃないですかー」
「……え、うそ、余裕ないって話じゃないの? 言葉攻めとか乳首攻めとかしてる余裕、海燕にある感じなの?」
「余裕どうこうじゃないですねしたいからしますって感じですねもうこのさいボクの状況なんかどうでもいいです。さあ春さん、乳首攻めがいいです? 亀頭攻めがいいです? 尿道はちょっと専門用具必要そうですし無理ですけど中からの前立腺攻めでもよろしいですよ。どれを選択していただいてもボクの言葉攻めも一緒に付いてくるわけですけど」
「……やっぱり鍋食べない?」
「無理。春さん食べたい」
そんなベタな台詞を真顔で言ってしまうから海燕は怖い。そしてそれに乗せられて許してしまいそうになる千春も、自分が怖いと思った。
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