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もの食う人々 01

    1  轟金造はもずくが好きだ。  柔らかい花もずくも、しゃくしゃくと歯で切る音が心地よい岩もずくも、どちらも良い。個人的には岩もずくを口に入れた際の感動がまだ忘れられず、新潟の知り合いから贈られてくる中元のもずくを、実はかなり楽しみにしていた。 「まぁ、知り合いっつっても、金貸した客なんだがよ」  箸を止めて積みあがった中元の箱を呆然と眺めていた千春は、轟に話しかけられた事に気がつくと、やっと手元の小皿に視線を移した。  暑い夏の日である。朝から外回りに出ている海燕を待たずに、轟と千春は少しばかり早い昼食を取っていた。休日に千春が作り置いた総菜がワンプレート用の皿に並び、小鉢の中には滑らかに光るもずくがたゆたう。 「……びっくりしました。お中元って、急にどっと届くものなんですね……借金のカタに差し押さえでもしたのかと思いました」  もずくの小鉢をぐるりと混ぜながら、千春が苦笑いをこぼす。相変わらず見た目は夜の街で客引きをしていそうな優男だったが、今やすっかりツバメキャッシングの顔となった。  一年も経てばまあそうなるか、と、轟はもずくをすする。 「うちは基本物品の差し押さえはしねえよ。流すルートもないしな、家具なんざたいした金になんねーしなぁ。中元はスーパーとかで頼めるだろ。ああいうので注文するのが一等簡単だし、そうすっとだいたい同じ時期にどっと届く」 「あー……なるほど……なんか、海燕がやたらと缶詰食べてるのってこれかって納得しました。別に好きじゃないですけど売るほどあるのでって言ってた……」  ツバメキャッシングは一般的に闇金融と言われる部類だが、営業方針は至極良心的である、と轟は自評している。少なくとも社員一同そのつもりで働いている。  だからと言って度を超した親切を働くこともないのだが、審査も軽く困った時にすぐに貸し付けをしてくれるということで、時折盛大に感謝されることもあった。  誰も貸してくれなかったが、ツバ金さんのおかげで人生どうにか立ち直った。そういう人間は轟や海燕の事を命の恩人のように崇め、年始と盆の挨拶を忘れなかった。  人助けをしようと思って金貸しをしているわけではない。それでも、まあ、礼を言われて困るというわけでもない。  もらえるものはもらっとけ、というのが轟の考えだ。勝手に送ってくる善意を、いちいち送り返すのも面倒くさい。  一人ならばまだしも、そういう客がわりといる。そのせいで盆前と年末のツバメキャッシングはやたらと物に溢れていた。 「去年の末は、おまえ居なかったなそういえば。実家整理しに行ってたんだっけか。親父さん具合どうだ」  しゃくしゃく、と歯触りのいい音が耳に響く。同じようにもずくを咀嚼しながら、千春は苦笑いを浮かべた。 「……あんまりよくないみたいで。この前はおれの事もちょっとよくわかってなかったみたいです。辛いとか死にたいとか言わないでくれているから、まだ良いんですけど」 「あー。まあ、そうさな。患ってる本人にそれ言われちまうと、看病してるほうはたまんねーよな。孝行するっつっても、親父さん施設から出れねーんじゃなぁ」 「こちらにお世話になるようになってから、ちょっと生活的な余裕も出てきたし、ちょくちょく帰れてるんで、それだけでもとりあえずはいいかなって。お金は相変わらず無いですけど、なんていうか、そのー……親の事を考える精神的余裕というか、なんというか」 「…………うちの口うるせー駄目男も、まあ、チーにとっちゃそれなりに価値ある存在ってこったな。なんかこう、あー……不祥の倅にできる嫁さんもらって申し訳ねぇみてーな気分になってきたな……」  あんな息子いらねーけどな、と轟は締めくくり、照れた様子の千春にごっそさん、と手を合わせた。  三十歳を越えてから始めたツバメキャッシングは、開業してもう二十年になる。人生それほど平坦ではないが、波瀾万丈というほどでもない、と轟は考えている。  轟の人生で最初の転機は、自身が性的に不能だという診断を受けたときで、次が妻と別れた時だろう。そして三番目の山が、海道家から陣を引き取った時だった。  あれから十年経つ。骨と皮のようだった陰気な子供は、それなりにすくすくと勝手に育ち、今では口を開けばとにかくうるさい面倒な男になった。根の真面目さと仕事への熱量を知っているからいいものの、本当にこいつには友人はおろか恋人など一生できないのではないか、とお節介ながらも不安を感じていた。  陣が同性愛者である、という事を知ったのは彼が高校生の時だ。妻をとらないのか、と夕飯時に訊かれた際に、子供を作れない身体なのだと言った。それを聞いた陣は、それなら自分も一緒だと笑った記憶がある。  お互いにさらりとしたカミングアウトだった。別に衝撃はない。陣は轟の親族ではあったが息子ではないし、海道の家の事を考えれば、この世に自分たちの遺伝子を残す選択肢が封じられるのは、むしろ歓迎すべき事であるような気さえした。  ただ、駄目な男に伴侶ができないのは辛いな、と思った。自分も陣も、駄目な人間だ。轟はどうにか一人で立っているが、陣は今も昔も不安定で心許ない。  いっそ男でもいいから嫁を捜せと普段から口にする程だったが、まさかそれが実現してしまうとは思わなかった。  深川千春が一連の騒動を経て、正式にツバメキャッシングの社員になってから、一年と半年が過ぎた筈だ。それはつまり、陣に千春という恋人ができてから一年半が経過した、ということだ。  時折喧嘩もあるようだが、おおむね問題なく彼らの交際は続いているようだ。二人とも馬鹿がつくほど真面目なせいで、仕事中にのろけるような事はほとんどない。  それでも最近は慣れてきたのか、ふとした瞬間に触れあい、慌てて身体を引くような光景が時折見られた。  別に、気にしちゃいねえのに、と轟は思うが、真面目な二人が気を使ってくれているのだから口を挟む事はしない。ただ彼らが照れ合う度に、何故か轟も一緒になってむず痒い気分を味わう羽目になる。  陣の事を息子だとは思っていない。それでも、育ててきた子供だし、一緒に暮らしてきた若造だ。陣が千春を大切に思い、馬鹿が付くほど好いている事は言われなくてもわかる。昔から海道の男は感情を隠すのが下手だ。不器用で馬鹿だ。だからこそ、千春の存在は轟も歓迎していた。  元々、胸を張れるような職業でもない。世間一般の道から外れた陣が、今さら男の嫁をもらったところで、泣きわめく親族もいない。父親は死んだ。母親はおそらく一生誰だかわからない。兄弟はいっそ死んでくれていたらありがたい、と思うような奴らしかいない。  一年半、よくぞ仲良く過ごしているものだと感心する程だ。基本的な相性がいいのだろう。  きれいに食べ終えた食器を流しに放り込みつつ、轟は煙草に火をつける。  昔は部屋の中が真っ白になる程吸ったものだが、留子に勧められた健康診断で大目玉を食らってからは、かなり自重するようになった。元々血管が細い家系らしい。血管を収縮させる煙草はあんたの命をぽっくり奪うぞ、と脅されてしまえば、好きにさせろと見栄も張れなくなった。  自分一人の命じゃない。離婚した直後はさっさと死にたいと考えたものだが、陣を引き取ってからはそんなことを考えている余裕もなく、今となっては人生それなりに長生きしたいと思っている。  他人が死んで泣くのも嫌だが、誰かに泣かれるのも嫌だ。どうせなら、ぎりぎりまで生きて往生だったんだからいいじゃねーかと笑われながら棺に入りたい。  海道の墓には入りたくない。轟の母親は離婚後実家に戻り、自分を育てて早くに死んだ。頼めば轟家の墓に入れてもらえるかもしれないが、そうすると陣とは別の墓になるかもしれない。一緒の墓にどうしても入りたいわけでもないが、どうにも心配だと思う自分に笑えてしまう。  父親になったつもりはない、などと言いながらも、すっかり轟は陣の保護者だった。  墓と言えば、と、轟は煙を吐き出しながらまだもずくを啜っている千春に話しかけた。 「チー、お前海燕と一緒に住まねーのか?」  ごくん、と、千春の喉が不自然に動き、その後にげほげほとむせてしまう。 「……ふ、っ……何、ええと……社長、急に何ですか……」 「急でもねーだろ。アイツ最近泣き落としみてえになってっしよ、つうかもう半分住んでるようなもんだろ。お前たちがなんで一緒に住む住まないでまだ揉めてんのか、そっちの方が不思議だよ俺ァ」  轟の本音に、千春はなんとも言えない顔で押し黙った。  陣の住居はこのビルの四階だ。三階はツバメキャッシングなので、真上が彼の住処となっている。元々は轟も一緒に住んでいたが、留子が住んでいる長屋の部屋が空いたタイミングで、轟だけ部屋を移した。今は陣の一人暮らしとなっているが、休みの度に千春が泊まり込んでいる事を知っている。 「面倒くせえしチーの方のアパートの生活費ももったいねえから、もういっそ住んだらどうだよ。やっぱあのうるせー男と四六時中一緒なのは無理か?」 「いや、そんなことは、ないんですけど……海燕、一人でいるときは大概本読んでるし、そうなると割と静かだし……うるさい、というわけでは」 「じゃあうぜーか。まあうぜーよな」 「うざくない、とは、いいませんけど」  歯切れが悪い千春だったが、気持ちがわからなくもない。一度結婚を経験している轟は、もちろん他人との同居がどういうものか知っている。どんなに好きでも、なかなか踏ん切りがつかないという気持ちも、わかるつもりだ。  そんな轟の心中を知らないはずの千春だが、軽いため息の後に小鉢と箸を置いた。 「……一緒に住んでもいいんですけど。なんだかちょっと、お互い落ち着いてからの方がいいかなって思ってて、それでずるずるもう二年になりそうで……なんかこう、浮かれてるのが落ち着いたら、そしたら考えようっておれは思ってたんですよね。出会った状況も状況だし、海燕ってちょっと浮かれるとしばらく戻ってこないテンションになっちゃうし。つられておれも浮かれてたから」 「まあ、言ってることはわからんでもねーな。アイツぁ、ほんっと百かゼロかって感じだからなぁ。そんでも今もチーに対するアイツの感情ってやつァ、百だろ」 「そうなんですよね……おれも全然落ち着けなくてびっくりしてます……」 「じゃあもうそれは躁状態じゃねーんじゃねーか。浮かれまくってる状態がお前たちのデフォルトなんだろ。いっそ住んじまえよ面倒くせえし。喧嘩でもしたら裏の長屋の端の部屋の戸を叩けよ。一週間くらいならかくまってやる」  珍しく軽口を追加しにやりと笑う轟に対し、千春は視線を泳がせながら照れているようだった。轟は陣の保護者だという自覚があったが、最近はこの品性良好な嫁の事も、同じ親族のように考え始めていた。  皆、身寄りがほとんどない者だ。寄せ集めのような関係だが、それでも家族だと言い張ってもいいのかもしれない、と思う。 「海道の家はボロボロだしなぁ、アイツも苗字は死ぬほど嫌いだっつーし、いつか同じ姓が名乗りたくなったら、相談しろよ。……轟の家も俺が最後だ。今さら息子が二人増えたところで、怒り狂うような年寄りも親族もいねえしな」  その言葉の意味に気が付いたらしい千春は、しばらく目を見開いた後に薄く息を吸い、うつむいてから蚊の鳴くような声でありがとうございますと呟いた。  陣も感動屋だし、轟も涙もろい。そして千春もやはり、感動すると声が震えてしまう男だった。 「……なんか、轟社長のところにお中元やお歳暮が山ほど届くの、わかる気がします」 「俺ァ別に人情系じゃねーけどな。人生わりとどうでもいいから、他人に譲りやすくもなる。まっとうに自分と自分の家族の人生を優先してるやつの方が、社会的にはマシな部類になるだろうよ」  少々自嘲し、轟は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。  そういえば、その不詳の倅もどきはまだ帰ってこない。まさかどこかでおかしな案件に巻き込まれてないだろうな、と外の道を覗いていた時に、階段を駆け上がる音が聞こえた。  こんな風にがつがつと駆け上がってくるのはあの男だけだ。客はもっと静かに怯えながら上がってくるし、千春はゆっくりと音を響かせないように上る。  予想していたように勢いよく開いたドアの向こうに立った陣こと海燕は、べったりと汗で張り付いたシャツや髪の毛を気にした風もなく開口一番叫んだ。 「カレー食べましょう!」  その言葉に、千春だけではなく轟も眉を寄せてしまう。 「……何言ってんだお前。俺とチーは昼飯終わったところだし、山ほど缶詰とハムとゼリーがあんだよカレーなんて食ってる場合か。暑さで頭がいかれたか」 「ボクが常々いかれているのは否定しませんけどねぇ、缶詰もゼリーもハムも、いやハムは知りませんけどとにかくほかの食材は年末くらいまで持ちますでしょさすがにそのくらいの知識はあるんですからね! ボクも先ほどお昼いただきましたよ、というわけで今晩はカレーにしましょう春さん! トメさんも呼びましょう!」 「……別に、カレー作るのはいいけど。簡単だし……急にどうしたの」 「急にカレーが食べたくなったんですそういうことってあるでしょう。ボクは本日カレーが食べたい」  どこかでカレーのにおいでもしたのだろうかと千春が首をひねる横で、そういえば初めて海燕に会った時に、不味い味噌汁とうまくもないカレーを出したことを、轟は思い出した。  控えめに評価してもくそ不味いとしか言えないみそ汁と、分量通りに作ったはずなのにやはり微妙な味のカレーを、うつろな目の少年はただ黙々と平らげた。あの日も夏だった。……あの日から、もう十年も過ぎたのか。このまま何事もなく年取って死にたいもんだ、などと考えていることは、二人の若者には言わず、ただ一言うるせーよと言った。  うるさい、だが、これが日常だ。  千春の皿に残っていたもずくを啜った海燕は、これ食べると夏だって思いますよねでも今日はカレーです、と笑った。

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