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はじめのはなし 02
「呪いとは何かというお話ですが、はっきり言って知りません」
ずばり、と言い切った男になんと突っ込んだらいいのか全く分からず、俺は口を開けたまま三度ほど瞬きをした。
ぷらぷらと左足がぶら下がる部屋でオカルト話をするのもどうかと思うが、怪しい格好のイケメンと二人でファミレスにしけこむ勇気もない。化粧を落とすのも面倒で、狭いキッチンスペースのフローリングの床に直に座布団を敷いて向かい合っていた。
開けっぱなしの扉の向こうで、やっぱり足は揺れている。
最初は生えていただけの足が、ゆらゆらと動くようになったのも、やはり春だか夏だかからのことだった。
とりあえず現状確認をしましょう、というくろゆり某さんの話に従い、俺はこのアパートに越して来てから覚えているかぎりの不可思議な出来事を挙げていった。
玄関のチャイムが鳴るのに扉の前には誰も居ない。
外の階段を深夜の三時に何十回も往復する足音がする。
電話が鳴る。すぐ切れる。それを繰り返した筈なのに着信履歴は残っていない。
蛍光灯が切れるのはしょっちゅうで、電気が勝手につくのもしょっちゅうだ。
そんな細かい事を伝え切り、さてじゃあ除霊? 解呪? の儀式でもすんの? と息を飲んでくろゆり氏の出方を待っていたところ、冒頭の衝撃発言がかまされたわけだった。
「知ら……え、そういう家業の人じゃないんすか?」
「商売としては成立していますよ。要するに、僕は医者のようなものです」
「医者は、病気や怪我の事をある程度知ってるんじゃ」
「そうでもないでしょう。知っていると言っても、成り立ちを理解しているわけではない。こういう事例にはこういう対処をする、というのは経験則と過去の事例から分かるものでしょう。処方箋も医師によって違うという話ですからね。……ああ、医者というよりは漢方の方が近いかもしれません。『なんだかわからないし何故そうなったのかうまく説明はできないけれど、この症状にはこれが効く』といったところです」
「あー……つまり、その、呪いってもんが何か知らないし、呪いの原因もなんなのかもわかんないけど、呪いのせいで起きてる現象そのものは無くせるってこと?」
「坂木さんは呑み込みが早い方でとても嬉しい」
にっこり、イケメンが笑う度にどうにも尻の座りが悪くなる。
このくろゆりというふざけた名前のイケメンは、視覚的にも聴覚的にもよろしくない。別に俺はゲイじゃない筈だけど、目を見て微笑まれて口説かれたらヤバい、と思う。
フローリングの上で正座するイケメンから視線を逸らし、胡坐をかいたまま頬杖をついた。
「ていうか、呪いってつまりまじないなんじゃねーの。ええと、なんつーか、俺の認識だと『人間が人間にかける悪い魔法』っていうか」
頭の悪い言葉だなぁと思ったけれど、他に表現方法がわからない。
俺の疑問に、イケメンくろゆりはサングラスの奥で柔らかく笑った。
「人から人へ影響するものもありますけれど。僕は、そうですね現象そのものを呪いと呼んでいます。例えば場所にかかったものも、人が要因でないものも、本来あるはずのない不可思議な現象は呪いとして扱う。便宜的に『呪い』という言い方をしていますが、除霊を生業にする方に言わせれば霊障という言い方になるでしょうし、極端な話海外のエクソシストは悪魔の仕業と言うかもしれません」
「なんとなく、まあ、分からんでもない、けど。つか、ほら、よく映画とかドキュメンタリーとかであるみたいな、『ここにいる霊がコレを訴えて~』とか、『誰々が貴方を恨んで~』とか、そういう『要因』みたいなもんって、くろゆりさんにはわかんないってこと?」
「そうですね。経験上、こういう可能性が高いですね、くらいは言えますがね」
なにせきちんとした学校や教科書がある職業ではないもので、と笑うが。
そういうもんなのだろうか、と、俺なんかは疑問に思ってしまう。
俺は幽霊的なものがちらちら視界の端に映ったりはする。けれど、声を聞いたりとかはないし、悪寒が走ったり予感めいたものを肌で感じたりすることもない。ただ、視覚を通してそこに存在するものに気がつくだけだ。
TVに出る霊能力者は、写真一枚でその霊が何を訴えているか、生前どんな人間だったのかをすばりと口にする。
程度の差はあれど、霊感がある人間はそんなことまでわかんのかすげーな大変だなと思っていた。
「まあ、僕は他の同業者の事はあまり知らないので、実際に幽霊と言われるものと対話できる人も存在するのかもしれませんがね。とりあえず、僕の認識する呪いというものは以上の通りです」
「はあ。うん、まあ、わかりました。んで、ウチの上の部屋が呪われている、というのは」
「はい。とても呪われています」
イケメンは、至極爽やかに言い切った。どうしよう、眩暈がしそうだ。
「上の部屋自体を拝見しないことにはどうとも言えませんが、お話を聞く限り四六時中怪異は止まらない状態ですし、人ではなく場所にかかった呪いでしょうね。それを、誰かが溶かそうとしているせいで、どんどんと、溶けきれないものが下に下に、はみ出してきている」
「除霊するならきちんと全部してくれよ……」
「まあ、それだけ沢山いらっしゃるのでしょう。その、よくない何かが」
「……すんげー強い未練とか思いがあるってこと?」
「さあ、どうでしょう」
「…………え。呪いとか霊障って、恨み辛みが強けりゃ強くなるんじゃないの」
「強くなる傾向はありますが。いたずらのような呪いでも、うまく作用すれば意思など関係なく効果があったりしますよ。例えばこっくりさんなどがその最たるものですね」
そういえば、こっくりさんは簡単な降霊術なのだとネットか何かでみた記憶がある。
アレなんて遊び半分で始めても結構十円玉動くって言うし、よく『本当にあった怖いなんとか』みたいな実話系ホラーモノも、こっくりさんをやったことが原因で、とかあるイメージだ。
そうか、心霊的なものを呪いと言い換えれば、こっくりさんは自分にかける呪いの一種になるのかもしれない。
とにかく今の話でわかったことは、結局上の階に何が起こっているかはわからないけど、俺の部屋には一般的ではない事が起こっていて、それは多分上の階のとばっちりだってことだった。
やばい。何も解決してない。俺の幻覚だっていう説がなんとなく否定されたかな、くらいだ。
大家に上の階を見せてもらうのは気が引ける。
いきなり202号室を訪問するわけにもいかないし、騒音がひどいというのも、クレームがせいぜいで、中を見せてもらう理由にはならないだろう。
「まあ、原因がぼんやりと定まっただけでも上々です。坂木さんはとても冷静なので、心神喪失による幻覚の線も無いですし、勘違いでもないでしょう」
「呪いの原因がわかんなくても、どうにかなんの……?」
「ならない場合もある。なる場合もある。やってみて効果があればいいな、という感じです」
「……対処療法……」
「はい。僕には呪いの原因なんてもの、想像するしかない現状ですので。ちなみにここから先はお代が発生します」
そういえばそういう話だった。
様子を見るだけならばタダ、その先の対処が必要ならば要相談。なんとなく、理由が分かれば自分でもなんとかできるんじゃないのかなーとか思っていた自分を殴りたい。結局何も分からない。この怪しい男に頼るしかないことしかわからない。
なんか知らないけど上の部屋はおかしいらしい。
そしておそらくだけど除霊が始まっていて、除霊しきれないものが下の俺の部屋にはみ出してきているらしい。『らしい』と『おそらく』の連呼で頭がおかしくなりそうだし、この見解は全てくろゆりさんの推測の域を出ない。ここで断って、別の霊能者に一度頼んでみる、という選択肢は無くはないが、しかしそれだって無料じゃないだろう。
引っ越す金は無い。貯金なんてものは無くて、この前やっと貯まった数十万も、全部妹の学費になった。その日の暮らしも正直危ういのに、不動産屋を回る元気なんてない。
そんなのもう、天井の左足を無視するか、それともこのままくろゆりさんに助けを求めるか。もうその二択じゃないか。
「……お支払いは現金っすかね」
恐る恐る尋ねる俺に、相変わらずのイケメンはとろりと笑って首を傾げた。さらりと揺れる髪の毛に、花の匂いが香る。
「基本的には現金でいただいております。後々やはりアレは勘違いだったお前はインチキだ、と因縁をつけられることも多々ありますので。どうも人間という生き物は、過ぎた記憶を信用しない」
「カード、とかも、だめっすよね……」
「残念ながら」
「ちなみに、基本料金表とかあったりします……?」
「基本的には時価と思っていただいて。道具代や最低賃金はいただきますが、危険が伴うものや後々の処理が大変なものはその分お代が上乗せされます」
「時価」
「はい。時価です」
時価なんて回らない寿司屋でしか見た事がない。
それだって、オカマ業の一環で化粧したまま外で飯を食わされるという恐怖のアフターで、一回だけ経験しただけだった。突き刺さる大将の視線が痛すぎて、魚の味すら覚えていない。
幽霊退治の相場なんてわからない。
一万円くらいならなんとか払えるけれど。十万円を超えるとちょっと、正直、今すぐお願いしますとは言い難い。
何と言っても俺は貧困だ。
何故か、金が貯まらない。仕事はきちんとしている。夜はオカマパブで汗水たらして接客している。昼はバイトをかけ持っていて、今は英会話学校のポスティングと弁当屋チェーン店で小銭を稼いでいる。
ギャンブルなんて縁もない。パチンコもスロットも行かない。趣味なんて無いに等しいもので、まあ、ネサフするかなくらいだ。
それなのに何故か俺は金が全く貯まらない。
珍しく貯金ができたな、と思うと、事故ったり親父が入院したり詐欺に騙されたり妹が受験に失敗したりおかんが訪問販売に騙されたり。そういうどかんと金が必要なことが沸いて出て、結局手元の預金は定期的にゼロになった。
それこそ呪いなんじゃないかと思う。
そんな呪いのように金が貯まらない俺が、ぽん、と時価のお祓いを頼むのは決死の覚悟が必要だ。そもそも、くろゆりさんに対処してもらって本当にこの足の束が消えるのかはわからない。
本人も、効くのかどうかはわからないと言っていた。でも、効果がなかったから返金、なんていう温い制度ではないだろう。
漢方だって薬だって、効果が無かったからお金を返せとは言えない。使った分は、例え効能がなくても対価を払わなくてはいけない。
さて、このまま足を無視するか。
それとも時価という恐ろしい単語混じりのお祓いを依頼するか。
結構本気で悩んでいる俺に、イケメン呪い屋は思い出したように声をかけた。
「あ。……お代のことでお悩みでしょうか」
「……まあ、はぁ、ちょっと、恥ずかしながら手持ちがあんまないもんで」
「でしたら、現金以外のお支払方法を提示させていただきましょうか?」
「え。あるんですかそういうの。あ、なんかこう、ものを差し出せ的な?」
「いえ、ご本人を差し出していただきます」
「…………あー……? あ、バイトで返せ、ってこと?」
「いいえ。そのままの意味です。僕とセックスしていただきます」
「……………は?」
イケメンが何を言っているのかまったく理解できなくて、思わず凝視してしまう。じっくりと見てもくろゆりさんの顔はふわふわした笑顔のままで、聞き間違い説を押したくなる。
でも確かにイケメンはセックスと言った。そのなめらかできもちいい声で、とんでもない単語を呟いた。
「くろゆりさん、は、あのー……ゲイ的な……?」
「どちらかと言えば異性愛者でしょうが、別段セックスの際の性別にはこだわりません。今回に限って言えば、化粧をした男性という特徴的かつそれでも美形を保っている坂木さんに酷く興味が沸きました。そういえば、女装をした男性とは致したことがありませんし」
「……アンタ、もしかしてヤバい人?」
「自覚はありませんが残念なことによく言われます。主に女性からですね」
ただ単に無節操なだけなんですけれど、と。
にっこりと笑ったイケメンは、そんな頭の痛くなるような言葉をさらりと吐いた。
このあたりから俺は、本当にヤバいのは天井の足じゃなくて目の前のこの男なんじゃないのかと、思い始めていた。
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